- Amazon.co.jp ・本 (651ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102010174
感想・レビュー・書評
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上下巻合わせて1300ページくらいある中で、最後の300ページくらいは目を離せない展開なのですが、それまでの前置きとでもいえる部分には読むのに忍耐が必要でした。が、面白いことは面白いのです。
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冒頭から300ページ程ずっと退屈だった。読むというより文字を眺めてる感じ。ツルゲーネフをモデルにした人物が出てきてもタイクツナノデス…。第2部に入りスタヴローギンの視点に変わり読めるようになる。さて、上巻600ページ超あったが物語は何か始まったかな?まだ序章?何の話?最終的にはどこに向かうのやら。
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ドストエフスキー作品はいつもそうだが、読み始めてから、勢いがつくまでに、物凄く時間がかかった。
ちょうどニコライが主になってきたあたりからエンジンがかかって、あとは一気に読めた。
ロシアの背景をもっと知っていれば、理解力もアップするだろうと思う。自分の知識のなさに、悔しい思いをしながら、なんとか上巻読了。
具体的感想は、おそらく下巻まで読んでからでしょう。-
2011/05/24
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農奴解放令によっていっさいの旧価値が崩壊し、
動揺と混乱を深める過渡期ロシア。
悪霊に憑かれた豚の群れが、
湖に飛び込んで溺死するという聖書の記述から
無神論的革命思想を悪霊と見立て、
それに憑かれた人々とその破滅を描く。
そんな裏表紙の触れ込みのドストエフスキーの大作、悪霊。
罪と罰で遅かれ、初めてドストエフスキーに触れ感銘を受け、
そして次に選んだのがこの悪霊。
罪と罰で慣れたのか、今回は読みやすく感じる。
やはり人間の心理描写を描くのにすごく長けているというか、
時代性というものを感じずに読み進めることができる。
とても100年以上前の作品とは思えない、ある意味新しさがある。
重苦しい裏表紙の触れ込みからは想像することもできない、
前半のステパン先生の情けなさにどこか安心感すら覚える。
物語はニコライやステパン先生の息子ピョートルの帰還によって
途端に加速感を増し、重みと緊張感を持たせる。
賽は投げられたり。彼らの運命は確かに破滅へと回り始めていた。 -
読み終わった後は、不満たらたらでした。はっきりしない部分が多く、スタブローギンはただただ嫌な奴だし、変なインテリなやつばかりだし、すごい疲弊しきってしまいました。僕の想像力が足りなかったかな、うまく登場人物たちがイメージできず、共感もできず、散々でした。
でも読んでからしばらくたってからわかるものってあるんですよね。そういうのが名作であると僕は思うんですけど。そりゃ悪霊は、あまりおもしくなかったです。でも、悪霊のストーリや登場人物はいつまでも僕の頭のなかでぐるぐると周り続けるんです。話が長かっただけに印象に残ってしまうんでしょうけど、悪霊の話はいろいろな小説や漫画の原型になっていると思うんです。読んで良かった、やっぱドストはすげえやと思ってしまうんですよね~
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「無神論を悪霊に見立て、それにとりつかれた人々の破滅を描く―」
裏表紙の文です。
シャートフやニコライ、またそれに迫るピョートルなど、確かに破滅の足音が聞こえてくる感があります。
しかし正直「白痴」同様読みにくさを感じました…。
ステパン氏とは何の描写なのでしょうか?
アンチ無神論者であるが滑稽に描かれている彼の様は何の意味を持っているのでしょう。
風車に向かうドン・キホーテのような無謀な挑戦をする存在としてでしょうか?つまり新時代の自由思想に無謀にも向かっていく、哀れな過去の遺物という役割を背負わされているのか。
悪霊という題は何を意味しているのか?
ただ単に著者の嫌悪感を表しているのか?
それともいつかは駆逐されるものとして、逆にキリストの福音を強調するものなのか?
また無神論に対する教会という存在がシニカルに描かれているのも気になります。
…正直理解は難しいと思いますが、それでも読んでいきたいです。 -
2010年 9月に読み終わった
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この作品は一度では理解できないのではないか。スタヴローギンについては再読で考えたい。ステパン氏が当時の知識階級の投影であろう。非合法組織の内ゲバ、密告は運命だ。最後は宗教的慈愛に取り込まれるように描かれているが、これは検閲へのオブラートであろう。作者のシンパシーは穏健改革・無血革命にある。
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ロシア旅行の前に読みました。
罪の意識がなく、平気で人を殺しては精神障害者の振りをして無罪となり、
女性と関係をもっては公然と彼女を侮辱し、親友の妻を孕ませ、
好き勝手やっていた男性に悪霊が取り憑いて、彼は自殺に追いやられた。
福音書の中にイエズスが人々から悪霊を取ってやると、
悪霊は豚の中に入り、豚が集団自殺する話があり、それにかけてるらしい。
ドストエフスキーは、人を自殺に追い込む悪霊は「良心の呵責」だという。
イエズスは「あなたの罪は許された」と大勢に告げた。
良心の呵責や罪の意識が悪霊で、それがない状態がいいのだろうか。
ユダが自殺したのも良心の呵責による。
良心の呵責こそが悪霊の正体?
自分で自分を処刑するのだろうか。
悪霊が良心の呵責で、良心の声が聞こえないでなんでもありの状態が
人間社会でうまく生きられる人だなんて、なんという目の付け所なんだろう。
ユダの自殺が悪霊によるものなんて、この本によって初めて考えた。
ドストエフスキーは天才だ。