トニオ・クレーゲル ヴェニスに死す (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (259ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102022016

感想・レビュー・書評

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  • おどおどしながら女装しているしてるくせに、辺りを舐め回すように見ているトルストイ似爺の姿しか浮かんでこない。
    迫り来た現実に怯え、美しい少年に憧憬する逃避。
    その姿は滑稽過ぎて哀切故、鼻でせせら嗤うことしか私には出来ない。

    使われる言葉、観察眼などは美しいと思うのだが、ここには僕の求める美学が全く無いのである。爺死ねて良かったじゃん。来世、ヴィーナスのような美しい乙女になれるといいね、

    でもまた老いるよ。

  • 難解。高校の時はヘッセなんかもたくさん読んだ。この、日本語訳に更に現代語訳がないと真に理解には到らない気もするけれど…それは多分、しない方がいい。

  • トマスマンを読もうということで読んでみた。
    うまく読めなかったので、まだ自分は力が足りないのだと思った。また読もう。

  • 作者の芸術家観が窺える。トニオ君の鬱屈した少年期は、現代のオタ・非コミュな人達には痛いほど分かるのでは。ハンスとインゲは「リア充」ってやつですね。


    「春は仕事がやりにくい。これは確かだ。ではなぜなんでしょう。感ずるからですよ。それから、創造する人間は感じてもいいなんて思い込んでいる奴は大ばか者だからですよ。」

    「あなたが言うべきことをひどく大切に考えていたり、そのことのために心臓をあんまりどきまぎさせたりすれば、まず完全な失敗は間違いない。悲壮になる、センチメンタルになる。それでどうなるかというと、何か鈍重な、不手際で大真面目な、隙間だらけの、鋭さを欠いた、薬味のはいっていない、退屈平凡なものが生まれるだけ」

  • さくさく読んでしまったので、
    理解度は魔の山と同じく半分かな。
    トニオ・グレーコルにおける、好きな人に自分の好きなものを押しつけるときの葛藤はすごくわかる。
    解説の【「感性と理性」「美と倫理」「陶酔と良心」「享受と認識」こういう相反する二つのもにに挟まっている人間が芸術家として捕らえられている】はもっと考察する余地あり。
    トニオは先に挙げたものの前者で生活を保ち、他方、ヴェニスの主人公は後者に身をゆだね破滅していった。うーん、どっちだ。

    「もっとも多く愛する者は敗者である。そして苦しまねばならぬ」

    「あの連中は、教師たちをおかしがりもしないし、詩をこしらえなんぞせず、誰もが考え、誰もが大きな声を出せるようなことしか考えないのだ。あの手合いは自分らをまともだと思い、人とも世とも和合していると思っているのに違いないのだ」

    「いやいやそれはいけない。ハンスは自分のようになってはいけない。ハンスには今のままでいてもらいたい」

    「あの眼は事物の内面を見ようとはしない。事物が複雑になり物悲しくなるところまではいって行こうとしない」

    「愛されるとは嫌悪を交えた虚栄心の満足にすぎぬ」

    「誠実というものが、この地上では不可能であることを見て、驚きと失望とを味わっていた」

    「もしも表現のもたらすさまざまな快楽がわれわれをいつも正規はつらつとさせていないならば、魂の認識だけでは疑いもなく我々は陰鬱になる」

    「春は仕事がやりにくい。これは確かだ。ではなぜなんでしょう。感ずるからですよ。それから、創造する人間は感じてもいいなんて思い込んでいる奴は大ばか者だからですよ。本物の正直な芸術家なら誰だって、そういう浅はかなてぺん師式の妄想に会っては微笑しています」

    「あなたが言うべきことをひどく大切に考えていたり、そのことのために心臓をあんまりどきまぎさせたりすれば、まず完全な失敗は間違いない。悲壮になる、センチメンタルになる。それでどうなるかというと、何か鈍重な、不手際で大真面目な、隙間だらけの、鋭さを欠いた、薬味のはいっていない、退屈平凡なものが生まれるだけ」

    「風刺と不信と反抗と認識と感情の深淵が、あなたを他の人たちから切り離して、次第に口を大きく開けていく。あなたは孤独だ、そうしていざそうなってしまうと、もう了解し合う道なんかありはしない」

    「根が善人で柔和で好意的で、それに少々センチメンタルなのが、心理的な明察力のために手もなく精根をすりへらしてしまうといった人間。」

    「文学の言葉はあっという間にあっけなく感情を始末してしまうが、そこには何か冷酷で、腹立たしいほど不遜なものがある。解剖化と形式化」

    「父は考え深く、徹底的で、清教主義を奉じているところから几帳面で、どちらかと言えば憂鬱なたち。母はきれいで官能的で率直で、同時になげやりで情熱的。こういう両親をもった私という人間は疑いもなくひとつの混合。この混合は恐ろしい危険を孕む。そこから生まれでたものが芸術に迷い込んだ俗人」

    「私の心の目の前には、秩序と形成を待ち焦がれる未生の幻のような」世界が浮かび上がる」

    「どうやら高貴で有能な精神をたちまちにして完全に消耗せしめるのには、認識の鋭い苦い刺激によるに如くはない」

    「知識が意志を、行為を、感情を、そして情熱すら、少しでも麻痺させ、辱める傾向を見せる限りは、この知識を否定し、拒絶し、ふとぶとしくそれを乗り越えていくという決意」

    「アシェンババの作品中には何か官僚的で教育的なものが現れていたし、その文体も後には直接的な大胆さや、手の込んだ新しい陰影を欠くようになり、模範的で固定したもの、みがきあげられた伝統的なもの、保守的なもの、形式的なもの、きまりきったものにさえ変化していった」

    「彼は海を愛していた。完璧なものによって静かにしていたいということは、優柔なものを作り出そうと心を砕く人間の憧れ」

    「人間と言うものは、相手に判断を下しえないでいる間だけ、相手を愛し、敬うもの。憧れは認識不十分のこと」

    「心迷った男は、こんなふうに考えて自分を支え、自分の品位を守ろうとした」

  • 行動できない言い訳をあらゆる、へりくつをこねまくって自分を擁護している気がした。
    行動派の私にはちょっと理解に苦しむ感じでした。

  • 言い忘れていました。この2篇に関しては、岩波文庫よりもこの新潮文庫の訳文のほうに、私は慣れているのでした。そして、岩波の「トニオ」に載せた「リザヴェータさん」はこっちのほうで、つまり岩波では「リザベタさん」でしたね。やっぱり、リザヴェータさんのほうがいいな。その1点だけでも、こちらを私の底本にしたいと思います。さて、まだ『魔の山』や『ブデンブローク家』のことを載せていないではないか、と言われそうですが、あれらには、まだ登攀していないのですよ。逃げるつもりはありませんけれど、きっとそのうちに、ね。約束します、運命の女神の許す限りにおいて。

  • カバー絵 建石修志

  • 魔の山の自分の中でのインパクトが強烈だったのに対し、こちらは内容を全く憶えていないのですね。もしかしたら買ってあるだけで読んでいないのかもしれません。絶世の美少年といわれるビョルン・アンドレセンを一度見てみたいという目的で、映画のヴェニスに死すを昨年初めて観たのですが、この本が原作であることに今気が付いたほどです。薄い本ですし、映画の原作であるということに興味を持ったので、そのうち読んでみようと思います。

  • トマトソース

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著者プロフィール

【著者】トーマス・マン(Thomas Mann)1875年6月6日北ドイツのリューベクに生まれる。1894年ミュンヒェンに移り、1933年まで定住。1929年にはノーベル文学賞を授けられる。1933年国外講演旅行に出たまま帰国せず、スイスのチューリヒに居を構える。1936年亡命を宣言するとともに国籍を剥奪されたマンは38年アメリカに移る。戦後はふたたびヨーロッパ旅行を試みたが、1952年ふたたびチューリヒ近郊に定住、55年8月12日同地の病院で死去する。

「2016年 『トーマス・マン日記 1918-1921』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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