- Amazon.co.jp ・本 (268ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102147023
作品紹介・あらすじ
二つの墓地のあいだを、墓場クリークが流れていた。いい鱒がたくさんいて、夏の日の葬送行列のようにゆるやかに流れていた。-涼やかで苦みのある笑いと、神話めいた深い静けさ。街に、自然に、そして歴史のただなかに、失われた"アメリカの鱒釣り"の姿を探す47の物語。大仰さを一切遠ざけた軽やかなことばで、まったく新しいアメリカ文学を打ちたてたブローティガンの最高傑作。
感想・レビュー・書評
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ある歌い手がいる。とてもくせのある歌い方をする。
その歌い手は歌を歌うことが特別好きなわけではない。けれど、なぜかはわからないが自分の歌を聴いて周りが喜んでくれる。だから歌を歌う。自分には自分の歌の良し悪しはわからないけれど、みんなが喜ぶ顔を見るのが好きだから歌う。みんなが喜ぶ顔を見るのは楽しい。
「あいつ面白いなあ」ある種の人にはその好んで歌っている楽しそうな感じが伝わってくる。しかし、ある人にはその「楽しそう」の裏側にある切実さに胸が締め付けられるように感じられるかもしれない。「まるであいつは歌を歌わされているようじゃないか」と。
『アメリカの鱒釣り』は言葉のもつある種の機能について、痛いほどによくわかっている人が書いたもの、という気がする。とても自由に見えて明るい、のだけれど、どこか切実さが感じられる瞬間がある。なぜかよくわからないが、ほとんど泣きそうになるような時がある。
カフカの言葉を出だしに引いている。「アメリカ人は健康的で楽観的だ」。ブローティガンは自分の母語や環境に備わっている「楽観的」な要素から目をそらすことができなかった人なのかもしれない。何か一つ言って「まあ、いっか」と次の言葉を繰り出す。でもこの「まあ、いっか」には無責任な感じがまとわりついていない。おちゃらけたふりをしながら言葉がちゃんとこちらへ投げつけられてくる。切実だ、と思う。訳者の力もきっとあるのだろう。
この本は結果的にアメリカのある部分を正確に切り取った記録になっていないだろうか。 -
村上春樹が私小説的な湿り気がなくて素晴らしい的なコメントを残していたが言い得て妙だなあと。
いわゆる名作とされる「こころ」のこの部分は誰が読んでも美しい文だと感じると思う(と僕は思っている)
「私は棒立ちに立竦みました。それが疾風の如く私を通過したあとで、私はああ失策ったと思ひました。もう取り返しが付かないといふ黒い光が私の未来を貫いて一瞬間に私の前に横たわる全生涯を物凄く照らしました。」
でもこの文の良さって「Kが自殺した場面を先生が目撃した時に感じたこと」っていうこのテキスト内での意味性からは切り離せない。つまり、いわゆる名作の文章を名作たらしめているのは文体の流麗さ+プロット全体での重要性。
その点、本作にはプロットなんてものはまるでない。村上春樹が湿り気と呼ぶものを意図的に排したある種ドライな文体。文体一本勝負でここまで読ませる小説ってなかなか出会えない。こんなアンビエント音楽見たいな小説どうやって書くんだろう。自分が物書きじゃなくて良かったと思う。
ブローティガンの死後から30年以上は経過していて、時の洗練を経ていると言っていいけどこの新しさは2021年現在でも全く色褪せない。 -
ごく一般的な、ひとまとまりの物語を記述している小説ばかり読んでいる私のような本読みには、冒頭から当惑する事しきりです。
「アメリカの鱒釣りの表紙?」
「鱒からとれる鋼鉄?」
「ヴァーモントでお婆さんを鱒のいる小川と見間違えたって、どゆこと?」
少し読み進めると、唐突に「りんごの砂糖煮」やら「すばらしきパイの皮」やら「匙いっぱいのプディング」やら「いっぷう変った胡桃ケチャップ」のレシピが出てきて、思わず本に顔を近付けてしまいました。
いくつもの「?」を頭の上に浮かべたまま、小説らしくないこの小説を読んでいくうちに、どうしたことでしょう、その小説世界にどっぷり浸かり込んでいました。
本当に不思議な小説です。
アメリカの鱒釣りに関する短いお話が、文庫本で平均2~3ページでつづられます。
それぞれのお話の間には、とりたてて筋道立ったものはなく、断片的かつ幻想的です。
ただ、読了すると、「アメリカの鱒釣り」というひとつの大きな物語として奥行きを持って立体的に立ち上がって来るのです。
まあ、でも、そんな小難しいことは考えずに、1つ1つのお話を堪能すればいい。
少なくとも、私は途中からそのようにして読みました。
読み進めていくうちに、古き良き時代のアメリカの匂いが行間から立ち上って来ました。
私は何憚ることなく、その匂いを胸いっぱいに吸い込みながらページを繰りました。
その時の私の気分は、間違いなく「幸福」と呼べるものです。
古き良き時代のアメリカらしい、明るく、寛容で、ウィットに富んだユーモアが本書には横溢しています。
アレゴリーも卓抜で、それに触れるだけでも楽しい。
たとえば、
「秋は肉食動物のローラーコースターのように、ポルトワインと、その暗色の甘いワインを呑む人々を連れて行ってしまった」
「オフィスガールたちがペンギンのように、モントゴメリー通りから帰って来る」
「夕食に、そのせむし鱒を食べた。碾き割りとうもろこしをまぶしてバターで焼いたら、瘤はエズメラルダのくちづけのように甘かった」
「(肝臓に空いた穴を)そうさ。医者は、その中で旗が振れるほど大きい穴だといってたね」
などなど。
こんな表現は、日本人にはなかなか出来ませんね。
お話は全部で47ありますが、ぼくは「アメリカの鱒釣りテロリスト」が一番気に入りました。
6年生の子どもたちが、1年生の背中に「アメリカの鱒釣り」と書いて、校長から説教されるのですね。
そのやり取りが何ともおかしくて、クスクス笑いながら読みました。
ちなみにブローティガンは、村上春樹に影響を与えた米国人作家の一人です。
なるほど、春樹はずいぶんとブローティガンから吸収したのだな、と分かります。
興味のある方はどうぞ。-
およそ5年前のコメントに今更返信というのも変な心持ちですが、、、
僕もアメリカの鱒釣りテロリストが一番好きです。この章を読んだときの感覚をそ...およそ5年前のコメントに今更返信というのも変な心持ちですが、、、
僕もアメリカの鱒釣りテロリストが一番好きです。この章を読んだときの感覚をそっくりそのまま伝えることができれば僕はきっと作家になっているでしょうがともかく本当にいいお話です。
どことなく村上春樹のパン屋再襲撃に似た雰囲気を感じるのですがどうでしょう?どことなくどころかオマージュにさえ感じます。2021/10/09 -
ぶらいあんさん、コメントありがとうございます。内容の大半を忘れてしまいました。再読します。とにかく、ありがとうございます。ぶらいあんさん、コメントありがとうございます。内容の大半を忘れてしまいました。再読します。とにかく、ありがとうございます。2021/10/09
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リチャード・ブローティガンによる短編集、ものすごく短い短編47編にて構成されています。
1950年代、貧困層の一般的アメリカ人をブローティガン流ユーモアで表現しています。
どの小説も大変楽しいのですが「目下アメリカ全土で大流行のキャンプ熱について一言」の1文が気に入っています。
「連中が屍体を運んできたとき、かれは目を覚ました。連中はこの世でもっとも静粛なる屍体持参人というわけではなかった。ノリス氏はテントの横腹に屍体のでっぱりが触っているのを見た。かれと屍体を分かつのは、まさに、防水防黴艶消し仕上げの緑色アメリカンフレックス六オンスポプリンの薄いひと皮だけだった」
このような現実0.5想像9.5割のおもしろ文章が満載です。
最初から45編までは鱒釣りという単語を無理やり入れてきたのに、最後の2編のみマヨネーズに変わっているところも最高です。
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調性を無視し転調を繰り返すかの様な特異な文体と構成。それは入り組んだ迷路の様に見えるかもしれないが、行き止りは存在せずあらゆる出口が開かれている。ブローティガンの想像力は乾いた日常の景色やひび割れた現実をさらさらと洗い流し、淡く優しい土地へと創りかえてしまう。そんな鱒釣りワールドに溶け込んだ訳文が破格なまでに素晴らしい。「アメリカの鱒釣りちんちくりん」なんて何度でも声に出して読んでしまう。時代に対して声を荒げたりドロップアウトするのではなく、しなやかにその心を広げようとすること。それはとても気高い行為だ。
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"Stop making sense!"「いちいち意味づけるのはやめようぜ!」(訳・柴田元幸)
これは、アメリカのロックバンドであるトーキング・ヘッズのデヴィッド・バーンの言葉だ。一方的な価値判断の否定。カッコいい言葉ではないか!
本書『アメリカの鱒釣り』も、"Stop making sense!"が似つかわしい作品だ。というよりも、価値判断しようがないんじゃないだろうか。ただ、カッコいいなあ、って気ままに感じるだけで、いいんじゃないだろうか。自分はそれでいいと思います。 -
この小説には空洞がある。
空気砲で今まで歩んだ道程を射抜かれ、ポンと音を立てて抜け落ちたかのような空洞。
失うことは別れにも繋がり、世の多くはそれを悲観的にあらわすのだが、ユーモラスで詩的な語りから、前途明るい喪失を感じさせる。
空洞を覗けば、無ではない。世界が存在する。
僕には沢山の言葉の星が瞬いている美しい夜空が見えた。
その実この小説でのブローティガンの思いなんて全く分からないし、結構どうでもいいのだけど、わたしはこの小説の空気が好きだし、使われる言葉も好き。
大切な一冊になると思う。 -
アメリカの鱒釣りに関する短編
藤本和子さんの訳が本当に素敵
何もする必要がない晴れた日曜日に読みたい小説
1970年代のアメリカについての知識が無いため、読み取れていないことは多そうだけど、それでもまあいいかって思える。
小説っていうより散文詩って感じ。僕はまだ詩を理解できてないので、その要素が強いところは、幼稚園の頃に開いた姉の教科書を読んでいる気分になりました。
柴田元幸さんが解説で示していた通り
「クールエイド中毒者」(脱腸しているのに治療できないクールエイド中毒の少年について)
「アル中たちのウォルデン池」(秋には蚤サーカスを計画し、冬には精神病院について公園で話す2人のアル中の画家について)
「墓場の鱒釣り」(貧乏人と金持ちの墓場について)
とかの敗残者に対するブローティガンの優しい視線が好きだ
何回か出てきたジョン・ディリンジャーに興味湧きました。彼に関する映画見ようかな。
ジョンディリンジャー(1903-1934)
大胆な銀行強盗を行う
英雄・義賊的な存在として人気
FBIから社会の敵ナンバー1とされた
FBIに内通していた女性と映画館から出てきたところを銃殺される。女性は赤いドレスを来て目印となっていた。→『the lady in red』破滅をもたらす運命の女の由来 -
翻訳家の柴田元幸さんが、色々な媒体でこの本 (というよりこの本の藤本和子さんの訳)から影響を公言されていたこともあり読んでみました。
文学界での影響や歴史的な評価というのを脇に置いて、あくまで自分にとってどうか、というのを述べるなら「なんだかよくわからなかった」というのが正直な所です。
この本の魅力を理解するために必要なピースが自分には足りない、そんな感じを受けました。