- Amazon.co.jp ・本 (344ページ)
- / ISBN・EAN: 9784103050049
作品紹介・あらすじ
物語とドレスと映画と記憶と夢に祝福された言葉の宇宙。"読む快楽・書く快楽"に充ちた前代未聞の小説。
感想・レビュー・書評
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はぁ~、もうただただため息が出るばかり。金井さんの世界にどっぷりつかってなかなか現実に戻ってこられない。こういう読書ができることの幸せよ!
二十一もの掌編を連ねた構成で、一人の男性の回想という形であるが、はっきりした筋立てがあるわけではない。一貫して流れているのは「失われたものへの痛み」であるように感じた。ただ、この作者のこと、そこに「ノスタルジー」などという甘ったるいものは一切ない。読者としては、克明に語られるディテールにそのような感情を揺さぶられずにはいられないのだが。
いや実に、この小説の細部の描写には参った。「ケースについている人絹のひもをクルクル回すガラスの体温計」とか「鉛筆の芯が折れないように脱脂綿がしいてある筆箱」とか。もちろんこういうものは少しも「重要な小道具」として登場するわけではないのだが、そういうものたちによって、確かにあった(すっかり忘れ去っていた)過去の「手触り」が蘇ってくるようだ。そういう意味でこれは金井版「失われた時を求めて」である、と言ってしまおう(おぉ、大胆!)。
描写として圧巻なのは、「伯母」の縫うドレスについてだ。繰り返し繰り返し語られる衣服のディテールは、作者(と姉の金井久美子さん)の美意識をくっきり反映して、うっとりするほど華麗だ。その衣服をまとう女性達たちへの、意地の悪い辛辣な評も金井ファンにはおなじみで楽しい。
読み終えて、タイトルの妙にも心底唸った。これはまさに「ピース・オブ・ケーキ(ケーキの一切れ)」であり「トゥワイス・トールド・テールズ(語りなおし)」である。あとがきで作者は「本書は意味的には、『楽々とできる語りなおし』という、あざといタイトルを持って」いると書いている。確かに、ここにあるのは切り取られた一かけらのものに過ぎないし、登場人物達はまるでなぞったようによく似た道をたどる。それは何度も何度も語りなおされてきたありふれた物語である。でも、それだからこそ「語られずにはいられない物語」であり、それ以外に人生に何があるというのか。そしてまた、「ピース・オブ・ケーキ」はこの上なくおいしいのだ。そんな思いが潜ませてあるのだと、勝手に一人で納得している。 -
この本に関してはまず「あとがき」を読んだ方がいいかもしれない。
ヒッチコックのインタビューでは「ア・ピース・オブ・ケーキ」となっているのに作品では「ア」がないのは砂岩段丘(河岸段丘)とかまゆみ(マサキ)の生け垣のように、かつて耳で聞いた言葉を記憶して使っているということを強調するためわざと使っているようだ。
80代の老母が読んで「あんたなんかわからないだろうけど、私が覚えている当時の世相や物がいっぱい出てきて、ここに出てきた歌は全部歌える。おかしいわねぇ。もう何十年と聞いたこともないのに、昔の歌はちゃんと歌える。南の花嫁さんとか」というので「♪おみやげはなーあに」の一節を歌ってやったらびっくりしていた。高峰三枝子が「三時のあなた」で歌ったのを子どものころに聴いて覚えていたのさ。
あの頃は時間がゆっくり流れていたのか十年以上年が離れている私でも記憶が重なる。ゴムのズックは私もはいたし、靴下なしではくと指に汗をかく感覚はまさにあの通り。親戚や老人たちが「外地」の話をしたり、一仕事終えたとき「ワンラ」というのも聞いた。映画館の看板は手書きだったし、バタヤも回ってきた。忘れていたけれど思い出した。
子供向きに翻案した話はいわゆる「文芸」だけではなく町の噂話もそうで、
話し手が違うと話も変わってくる。ただし、話し手はいつも顔の見える関係で(電話もなかった)、だれから流れてきたかの経路はたどろうと思えばたどれるので見知らぬ相手からいきなり罵倒されるネットとは速さも質も違う。
ファッションや映画の話がとても細かいところまで書き込まれていて、もちろん資料にもあたるのだろうがそこはやはり作者のお姉さんの存在が大きく、二人で話し合って記憶を強化していったのではないか、語りなおしていったのではないかと思われる。
私が「男性」である必要は何かと考えると、父であれば息子のほうが連れ出しやすいし、運命の女との関係を黙っているかどうかについても男の子でなければならない。(女の子はおしゃまで絶対どこかでしゃべる)
青年の実らぬ恋から老年になってしまい途中がないので生々しい人生がなく、何やら実体が薄いのだが、女たちのだらだら続く話が主人公なのでこれでいいのだ。 -
おぉ~!金井美恵子さん、好きだぁ~!「噂の娘」男性版とでも言うべきり濃厚な香りは、一つ一つの章がまさにピース・オブ・ケーキ。パクパク食べるなんてもったいなくて、ゆっくりゆっくり味わいながら読みました。
語り手は誰なのか?
語られている人たちと語り手の関係は?
語られている時は昭和のかなり初期のようだけど、語っているのはいつなのか?
全てが曖昧模糊としたまま、語り手の目線&語られている人々のあっちこっちに飛ぶ話で物語は進んでいく。状況がよくわからないのに、ドレスの仕立てや当時人気だったらしい映画の話などは詳細でそのアンビバランスに眩暈がするほど気持ちいい。(*^_^*)
で、段々に明らかになっていく大筋は、語り手は今現在作家であるらしい男性で、彼が子どものころ、父親が突然愛人の元に失踪。残された彼と母親は、母親の姉、母の元に身を寄せて、その中に届く愛人からの手紙・・・。
twice told tales のタイトル通り、ある時に語られた話が時を置いてまた別の語り手によって再現されるその不確かさもまた面白いし。
大好きな大好きな金井美恵子さんだけど、トラー亡き今、体調もよろしくないはずなのにこんなに重厚な物語をファンの前に提示してくれるなんて驚いてしまう。
どうもありがとうございます。
大事にしますね!と申し上げたいです。-
読みましたよぉ~。もう感涙ものでした。大体いつもガツガツ速読するいたって品のない私ですが、これはもうゆっくりゆっくり、味わって味わって読みま...読みましたよぉ~。もう感涙ものでした。大体いつもガツガツ速読するいたって品のない私ですが、これはもうゆっくりゆっくり、味わって味わって読みました。お皿までなめたいくらいだわ~。
金井作品を読める幸せをかみしめました。2012/04/17 -
>たまもひ様
そうなんですよぉ~~!もう涙・涙の傑作ですよね。私もついつい速読してしまいがちなんだけど、意識してゆっくり読みました。うんう...>たまもひ様
そうなんですよぉ~~!もう涙・涙の傑作ですよね。私もついつい速読してしまいがちなんだけど、意識してゆっくり読みました。うんうん、お皿までなめたいくらいってぴったりだぁ~~!(*^_^*)金井さんのお話ができるのってすっごく嬉しいです!コメント、ありがとうございました。2012/04/17
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時間ではなく場で記憶を語る。何度でも語る。
時に巧妙に逆らう小説。
タイトルがまた素晴らしくて。
ピース・オブ・ケーキは最初に慣用句的な意味を発想してしまったけどそれは山椒のようなもので直訳で受け取ったほうが素直に読めます。
場にとって「私」とはうつろうものだ。 -
そうそう、小説を読む、ってこういうことだったよね。
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岡上淑子女史のフォト・コラージュの装丁があまりにも美しく妖しい…
こ、こういう小説もあるのか…なるほど… -
ページを埋め尽くす文字。句読点や改行がほとんどなくつらつらつらつらと続く金井美恵子の世界。
意味がわからないのに不思議と絵が浮かびそれが次々移り変わって行く夢うつつ。 -
安定の金井美恵子節。基本設定は「噂の娘」や「恋愛太平記」あたりの女系家族のはてしないガールズトークものと通ずるけれど、今作では語り手の「私」が男性であるところが珍しい。父親が蒸発し、母と息子(私)は祖母と伯母のいる母の実家に身を寄せる。伯母が洋裁で生計を立てているため、その仕立てているドレスの生地だのボタンだの刺繍だの細部の描写は相変わらずうっとりするし、当時の映画や町の風景の描写もノスタルジックで、世代は違えどまるで自分で見てきたことのように「思い出す」。反面、蒸発した父親が実は別の女性と暮らしていること、「私」が成長したのち作家となり、自身も人妻と恋に落ちるなど、人生には暗澹たる側面もある。
20+1の短編で成り立つ連作形式を通して読むと、それなりの「あらすじ」らしきものは浮かび上がってくるけれど、大切なのはたぶんそこではなく、なんというか全体通しての印象は「記憶の金太郎飴」とでも呼びたい、どこを切っても何度切っても同じ断面図が出てくる感じ。「ピース・オブ・ケーキ」とは慣用句で「簡単なこと、朝飯前」的な意味だそうですが、本来の「ケーキの一片」のほうが内容には合っている気がします。全部集めたら全体像が見えるかというと必ずしもそうではないかもしれないけれど。
とりあえず読んでいる時間は幸福でした。描かれている内容如何ではなく金井美恵子を読んでいる時間の幸福というのは間違いなくあると思う。 -
本文中にあった次の一節、「……様々なシーンの断片がどっちがどっちの映画の中でのことだったのか、ごっちゃになってしまう。」が、本作を言い当てているんじゃなかろうか。
この、登場人物がぼやけて、語られる話のほうが肥大した小説はずっと読んでいられそうだけれど、夢中で読む、という感じではなくて、これから読む人は最後まで読む必要がないし、どこから読み始めてもいいと思う。 -
時には数ページにも及ぶ長い文章だけれど、句読点がメトロノームのようにリズムよくかっちり打ってあるので流れるように楽しく読み進めるられた。しかし「私」がいつのまにか「わたし」「あたし」「僕」となり誰の話だか見事に迷う。思えば小さい頃は身近な人々と自分の境界など無かったなぁなどどふと思い出した。マッチ入れの陶器、貝殻のような耳に飾られる涙型の翡翠、ミモザのワンピース、結婚式に仕立てられたドレス、細部が緻密に執拗に描かれる。子どもの頃物を本当によく見ていた事もまた思い出された。父親不在の家庭だけれどやがて父親は手紙により姿を見せ、私の私生活や、隣りの若い旦那さんのエピソードと対になり重なっていく。同じモチーフの話を繰り返し変えながら語る事で、自分の記憶も時とともに色々書き直されている事に気がつく。やがてここに語られた話と、自分の記憶もどこかつながっている気持ちになった。
うんうん、そうなのよ、私もそう言えばそう思ってたんだわ、と頷きなが...
うんうん、そうなのよ、私もそう言えばそう思ってたんだわ、と頷きながら読ませていただきました。(涙)
同時代に金井作品を読める私たちって幸せな読者ですね!
本当にあれこれ語りたくなる作品ですよね。頷いてく...
本当にあれこれ語りたくなる作品ですよね。頷いてくださる方があって深~く満足しました。これも読書のヨロコビですね!