- Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
- / ISBN・EAN: 9784103342342
感想・レビュー・書評
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以前読んだ『半席』が面白かったので、その続編であるこの本はとても楽しみでした。
『半席』は短編集でしたが、これは長編。
主人公の片岡直人は旗本への出世を目指すことを辞め、御家人として徒目付として、事件を起こしてしまった人の「なぜ」を見極めることを心に決めて『半席』は終わったのだが。
今作で直人は体を壊している。
どうも「謎」を探る「頼まれ御用」で初めてしくじりをしてしまい、やる気が失せて、体も不調を訴えているらしいのだ。
その事件とは、三年半前に離縁された妻が、余命いくばくもない元夫を、息子の前で刺殺したというもの。
なぜ離縁されて三年半も経ってから殺したのか。
その「なぜ」を解明するため直人は事件関係者から話を聞くが、元妻の評判は決して芳しいものではなく、誰からも評判のいい元夫は離縁したといっても元妻を支え続けていたはずだった。
では「なぜ」。
直人は「なぜ」を見誤った結果、最悪の事態を引き起こしてしまう。
そんな直人に上司の内藤は海防の話をする。
幕末間近の日本にはロシア人もイギリス人もやって来る。
択捉島では幕府の会所がロシア人に焼き討ちにあう。
これからは海防に力を入れなければならないという時に、海防に関わる目付から直人に声がかかる。
ここで認められたら旗本への夢は叶うかもしれないのだが。
そして、直人の目の前で惨殺された「泳ぐ者」。
全編通して愚直に誠実に事件と向き合う直人の話は、盛り上がる山場が特にあるわけではないのだけれど、妙に沁みるのだ。
心の中の昏い部分。
隠された闇を少しずつ少しずつ明かしていく。
明かされた安堵、というのもあるのかもしれない。
しかしそれはあくまでも静謐だ。
”取るに足らぬとされる者の、取るに足らぬ動きが、他者の目に留まることはない。衆生の目に留まらなかったものはこの世になかったのと同じだ。”
だから直人は取るに足らぬ動きに目を凝らす。
その姿勢は清々しい。
内藤は直人に言う。
”ふだんから国が見ているのが伝わることが肝なのさ。国から構ってもらってると思うことができりゃあ、言われなくても民のほうから国自慢をするようになる。”
海防は国の大事だ。
事件の「なぜ」を丁寧に追うことは、人が海防を思い行動を起こすことに繋がるということだ。
幕末の不穏を予感させながら続編が作られるのは、何年後になるのだろう。
早く読んでみたいのだけれど。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
前作『半席』の読後感が良かったので
続きに手を出してみました。
内藤の下での「頼まれ御用」仕事の意義を
彼なりに納得して行うようになってきた片岡。
ところが、その内藤が仕事で遠方にいるあいだに
請け負った事件の解決が腑に落ちず
気鬱から体調を崩す始末。
そんな片岡に、戻ってきた内藤は
少しずつせまりくる「外敵」の話を聞かせて
あえて別の興味を与え
「しくじったらしい御用」も
「いずれ見えるだろうよ」と諭す。
そんなとき、別の仕事で大川にいた片岡は
下手な泳ぎかたで川を渡る町人を見かけ
不穏なものを感じて声をかける。
男は祈願成就のために泳いでいると言うが…。
今回もまた、事件の真相が解き明かされたとき
ボタンの掛け違えがなければ…
という思いがしてなりません。
内藤さまとの飲みの席の雰囲気もいいし
源内と内縁の女性の話も、じわりとくる。 -
前作「半席」の続編となる本作、文庫本を待てずにハードカバーを購入。
時代は開国前夜の江戸末期、昇進の機会が高い職分よりも心の闇を探る現職を選んだ主人公、闇は深い。 -
人のくらがりを明らかにする、現代で言えばしっかり動機の解明をする警察官か。
泳ぐ者の解明は内心の描写も細かく、面白かったが、菊枝の内心の解明はちょっとあっさりで、拍子抜けであった。
神田近くの下町の地名が出てきて親しみを感じた。 -
しみじみと良かった。この前に読んだ小説が激しくしょーもなかったので、青山文平の鮮やかな文章に癒された。大きく2つの事件が出てくるのだけど、どちらの事件も見抜く者として心の襞の裏側まで迫っていくのは良かった。ただこの物話は長篇よりも中短篇の方が向いてるようには思う。
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「半席」の続編。
青山文平は今年の夏から読み始めたが、どの作品もハズレが無く読後感も素晴らしい。こういう出会いがあるから読書はやめられない。
以下Amazonより-------------
毎日決まった時刻に江戸の大川を泳ぐ男。些細な光景に〈未解決の闇〉が広がっていた――。人の心と過去を抉る慟哭の時代ミステリー。 -
『半席』の続編。
片岡直人は御用繁多の徒目付。
そこへ新事件が起こる。
片岡は「なぜ」を追いつづける。
P197〈国から構ってもらってると思うことができりゃあ、
言われなくても民のほうから国自慢をするようになる〉
江戸の時代も今の時代も、人が思うことは同じなのかもしれない。
事件が解決しても物悲しさが残る。