- Amazon.co.jp ・本 (144ページ)
- / ISBN・EAN: 9784103543718
作品紹介・あらすじ
ぼくと中年男は、謎の本を探し求める。三島賞作家の受賞第一作。幻の書の新発見か、それとも偽書か――。高校の歴史研究部活動で城址を訪れたぼくは中年男に出会う。人を喰った大阪弁とは裏腹な深い学識で、男は旧家の好事家が蔵書目録に残した「謎の本」の存在を追い始めた。うさん臭さに警戒しつつも、ぼくは男の博識に惹かれていく。ラストの逆転劇が光る、良質のミステリのような注目作。
感想・レビュー・書評
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第166回芥川賞候補作。
残念ながら受賞には至りませんでしたが、私はとても好きでした。前作の『旅する練習』も良かったので、受賞すると確信していました。
“天高く馬肥ゆる秋。”
という一文から始まります。
歴史研究部に所属する“ぼく”こと浮田と、胡散臭い関西弁を使う中年男の、『皆のあらばしり』という幻の書を探し出そうとするお話。
出会い方はかなり急です。
(おー、おー、青年、熱心やなー、歴史研究が趣味なんかいなー)という感じで話しかけられ、(まあ、部活なんで)と一歩引いた感じでやりとりしますが、男の博識な返し、知識の量にぼくは徐々に興味を持ち始めます。
『皆のあらばしり』という幻の書を探し出すという男の目的に僕は協力し、たまに待ち合わせて仕入れた情報を男に教えるということを重ねていきます。
果たして『皆のあらばしり』は存在するのか…?
男とぼくの会話の掛け合いがテンポよく、そしてたまに出るセリフにグッとくるものがあって聞いているのが楽しかった。オチも好きでした。
胸に痛みが残ったセリフを引用しておきます。
(ゴミ拾いをしてるのを見て、地元の人が話しかけて来たというのを踏まえて)
「確かに、そんなことはみな打算的に始めるのかも知らんわ。でもな、今回はたまたま運が良かったけども、打算っちゅうのは十中八九、空振るもんや。大半の人間はそこでやめてまうから打算に留まるんやで。それを空振りしてなお続けてみんかい。打算でやっとったら割に合わんことばっかりなんやから、そんな考えはすぐに消え失せるわ。積み重なる行為の前には、思考や論理なんてやわなもんやで。損得勘定しかできん初手でやめてまうアホは、そんなことも理解できんと、死ぬまで打算の苦しみの中で生き続けるんやけどなー」
はぁ、痛い……
男とぼくのバディものがまたあったらいいな。
読みたいです。
装丁も好きです。
真っ青な空の下、結構大きなペンギンが眺めてる…?白い、なんだろう建物にしては窓がない。
壁?謎です。 -
男子高校生と中年男が幻の書を探しながら郷土歴史の謎を解いていく。結局「皆のあらばしり」は存在したのか。中年男は関西弁、夢を叶えるゾウのガネーシャを彷彿とさせるような人柄で、会話も軽妙でおもしろい。最後の展開は予想外だった。
関心を持つこと、知ろうとすること。何より学ぶことの尊さ。学生時代に培った知識は社会に出た後に活きることもあるだろうし、身近な花や木、鳥などの名前を知っているだけでも、人生はより豊かになる。著者は人生の奥深さや楽しみ方をよく知っている方なのだろう。
それにしても、待ち合わせが素数の木曜だなんて洒落てるなぁ。 -
今作は第166回芥川賞の候補作の一つで、一つの幻の蔵書「皆のあらばしり」をめぐる高校生と少し変わった関西弁の男性のお話です。最初私的には 関西弁がちょっと変だなと感じたのですが、読み進めていくうちに、リズムよく読めて気になる事もありませんでした。歴史の勉強にもなります。
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高校の歴史研究部に所属する「ぼく」は皆川城址で大阪弁をしゃべる怪しい中年男と出会う。旧家に伝わる謎の本は「皆のあらばしり」。小津安二郎の親戚にあたる小津久足が著した本かもしれず、まだ世に出ていない。見つかれば大発見の代物らしい。
架空の場所かと思いきや、読みだして調べると、栃木県にあり、小津久足も実在の人物で興味津々。本に纏わる歴史謎解きに、大阪弁を喋る謎の男と青臭い高校生浮田との会話に絶妙な味わいがある。
中年男のうさん臭さが鼻に付くのだがまあ良しとしよう。
ラストの大逆転より、中年男が浮田に語るエピグラムにハッとさせられた。「打算っちゅうのは十中八九、空ぶるもんや。大半の人間はそこでやめてしまうから打算に留まるんやで。それを空振りしてなお続けてみんかい。打算でやっとったら割に合わんことばっかりなんやから、そんな考えはすぐに消え失せるわ。積み重なる行為の前には、思考や論理なんてやわなもんやで。損得勘定しかできん初手でやめてしまうアホは、そんなことも理解できんと、死ぬまで打算の苦しみの中で生き続けるんやけどな!」
一見軽薄な処世術に聴こえるが、何とも深い洞察に満ちた言葉に思えないか。
「この世はな、知らんことには、自分が知らんという理由だけで興味を持たれへん、それを開き直るような間抜けで埋め尽くされとんえん。せやから、自分の知っとる過去しか知らずに死んでいきよる。八十でくたばる時に考えるんは八十年間のこと、つまり頭からケツまで己のことや。己のことを考えるから苦しむっちゅうことに気付かず、今に通用する身の振り方だけを考えて、それを賢いと合点して生きとんねん。情けない話やの! 青年が、そんな退屈な奴らを歯牙にもかけんと生きていけるよう、わしは願うばかりやで」
これに、私は鹿児島弁交じりの長崎弁で返そう。
「そげんよ、男はん。良う言わした! じゃけん、こん年になってん、あたい(私)もバタバタしちょるとさ」 -
歴史研究部に所属する少年と大阪弁を話す胡散臭い男が出会い、「皆のあらばしり」という存在するかも分からない未刊の本を探す物語。
この男は一体何者なのか?なぜそんなにもその本に執着するのか?細かい描写はなく、疑問点も残る。
でも、それはこの本の伝えたい本質がそこではないからなのだろう。
最初は胡散臭い男を怪しい目で見ていた少年。知らない人に付いていってはいけはいことは十分理解している。それでも、この男と行動を共にしたのは彼の知識力や佇まいに憧れと尊敬の念を抱いたからだろう。
「能ある鷹は爪を隠す」とはよく言うが、この男はまさにそれだ。知識を振りかざすわけでも偉ぶるわけでもない。ただ己の興味や欲望のためだけに静かにその知識を使う。
この男は面白い!知識があるって面白い!
少年がきっと感じたであろうその気持ちを私も一緒に感じ取ることができた。
自らの知識が乏しいと事象を推察することも、物事の真理に触れることも出来ない。知識が広がると世界が広がる。そんなことを感じた読書だった。
いつか少年が相棒として活躍できたら良いな。 -
この不思議な読書体験をどう表現したらいいのだろう。
「旅する練習」とは全く違う、知的好奇心を掘り起こされるような古書探しというテーマ設定。「旅する練習」よりもこちらの方がずっと好き。面白かったな。
高校生と、大阪弁を操る博識の謎の人物が、知識を得ることの喜びで繋がっていく。この「友情」の出来上がり方はとても新鮮だった。
乗代雄介、面白い人が出てきたなあ。
新作出たらすぐに読もうと思う。
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面白かった。語りも読みやすい。
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おもしろかった!タイトルからして学生が何人か出て来るのかなと何となく思ってたけれど、関西弁の中年のおじさんと歴史研究部の高校生しかほぼ出てこなかった。その2人の探り合いのような会話が面白くて笑いながら読んだ。話は『皆のあらばしり』という古書を巡っての2人のやり取り。最後までおじさんの名前分からなかったし、職業もほんとかなと思わされたまま終わり、誰も殺されないけれどほんのりミステリー感と高校生のおじさんに対する気持ちに共感した。著者の『本物の読書家』のような雰囲気だけれど、より読みやすい1冊。
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歴史の隙間に落っこちてしまっている様な物に調査と推理で迫っていく過程はとんでもなくスリリング。
ラストも痛快。
ゆかりのある地名も多く、より楽しめた。