監獄の誕生 ― 監視と処罰

制作 : Michel Foucault  田村 俶 
  • 新潮社
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レビュー : 46
  • Amazon.co.jp ・本 (372ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105067038

感想・レビュー・書評

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  • 大学新入生に薦める101冊の本 新版 (岩波書店/2009) で気になった本。

    1757年のパリで一人の男が処刑された。本書はその様子を克明に描くことから始まる。残酷極まるこの身体刑は群衆の前で、公開で行われた。公開処刑のスペクタクル性は、ただ大勢をいうしかない、匿名の人々を集める力を持っていた。見せしめの効果によって、群衆は法と、法の背後に控える君主の権力を思い知る。秩序の維持は死を人に与えることによってはかられたのだ。
     この「死の権力」に代わる、新しい統治モデルとしてフーコーが提出したのが、パノプティコンだ。ベンサム(1748-1831)Michel Foucault(1926-84)は初期の『狂気の歴史』で狂気と非理性の排除・監禁を語った。『監獄の誕生』では、この排除・監禁という発想がどのようにして規律・訓練的な権力の行使に置き換わったのかを分析している。本書には「排除空間へ、規律・訓練的な基盤づくりに特有な権力技術が適用されたのが19世紀の特色である」という言葉も見える。本書によって提示された「微視的権力」のアイデアが、のちに出された「性の歴史」の第一巻『知への意志」でより精緻に展開されて、「生権力」すなわち人を生かす権力の作用を解明するのに役立てられている。

  • 罪と罰。その罰は本当にその罪にふさわしいのか・・・?

    *冒頭から蛇足ですみません。ちょっと説明というか、言い訳です。『悪魔のささやき「オレオレ、オレ」』を読んでいて、ふと思ったのです。
    オレオレ詐欺第1号グループと言われる犯罪集団にいた著者。この著者にとっては刑務所暮らしが大変堪えたことから、懲役刑は処罰として働き、また家族もよくサポートしてくれる様子なので、再犯も防止される方向に働いていると思われます。が。
    拘束ってそもそも、なぜ、罪に対する罰になっているのでしょう? これって本当に妥当なのかな? 例えば「盗みをしたから閉じ込めとけ」(「悪い子は押し入れ(or土蔵)に入れるぞ!」・・・?)とかって、発想として自然なのかな? その罪に対して、その罰は過不足なく適当なものなんだろうか・・・? なんてことをつらつら考えていたら、とある記事でこの本に目が留まり、「ふむ、この本か・・・?」と思ったのです。
    もう少し軽めの本にすべきだったのかもしれませんが、アマゾンでミシェル・フーコーの本の中では「わかりやすい」との評だったのでちょっと挑戦。

    という前提で、閑話休題。

    『監獄の誕生』、副題「監視と処罰」。
    本書の主眼は主に、フランスの18世紀以降の、比較的狭い地域および比較的短いタイムスパンに置かれている。この範囲での、「監獄」というものの成り立ちに関して、膨大な文献を読み解き、深く重厚な考察を行ったものである。

    18世紀半ばは「みせしめ」とも言える、過酷な刑罰が主流だった。見世物の性格もあるような、四つ裂き等の公開処罰である。冒頭はその詳細な記述であり、その苛烈さに眉をひそめずにいられない。

    わずか3/4世紀後、こうした「みせしめ」刑は陰を潜め、監獄への監禁刑に変わってきている。この間に、残虐な犯罪が少なくなり、罪と刑の乖離が問題になってきたのが一因という。

    監獄における監視は、集団の統率という意味では、学校の寄宿舎や軍隊などとも通じるところがある。
    功利主義者ベンサム(マイケル・サンデルの著述でも出てきた)が考案したという、一望監視施設(少ない監視者が多くの非拘束者を監視できる設計の施設)は、注目を集め、大きな関心の的となり、議論の対象になったという。
    こうした施設はつまり、権力者による非支配者の統率を意味することになる。

    処罰という点では、監獄に入った場合、(特にかつては)一度監獄に入った者が一般的な社会生活に戻ることが困難であった。ここから、非行性(犯罪行為)を特殊なものとすること=みせしめとの共通点を見ることが可能である。平たくいえば「あいつは犯罪者」というレッテルを貼る意味があると言えようか。

    ただ、禁固・拘束に関しては、最適ではないという意見も古くからあり、犯罪者を拘束するコストは社会全体が負わなかればならないという問題もきちんと解決はされていないようである。

    社会が個人を裁くということ。そしてある罪にある罰を与えると決めること。
    もう少し、気長に考えていこうと思う。


    *頑張って読んではみたが、すみません、我ながらちょっと背伸びをしすぎました。どなたかもう少しふさわしい方の書評が読みたい・・・。

    *シニフィアン・シニフィエとか、「音」でだけは覚えていて、ふんふん、学生時代にちびっと囓った(多分、フーコーじゃないと思うけど)のだな(^^;)と我ながら思ったり。

    *同じくフーコーの『狂気の歴史』もタイトルだけ見るとおもしろそう、と思うけれど、この本がフーコーの中では読みやすいといわれているのだとすると、ちょっと手を出しにくいなぁ・・・(^^;)

    *図書館本だったのですが、別の人の予約が入っていて延長不能。返却期限を気にしながら読むには向かない本だった。ちょっと反省。
    この主題、個人的にはまだまだ宿題です。考えてナニが変わるというものでもないのでしょうが。
    素人的には、現状、罪に対して妥当な罰が与えられているとはいいにくいだけに、量刑をどうするというときに、別個に定めた「きまり」や「前例」を参考にするしかなくなってしまうんじゃないかという気もします。
    そういう意味では「目には目を」の方が「わかりやす」くはあるよな・・・。
    次は日本の事例&もう少し軽いものを読んでみたいかなぁ。
    お江戸の牢獄あたりでとっつきやすそうなものを探してみるかな・・・?

  • 第2部の途中まで読んで中断していただのが、せっかく途中まで読んだのだからと、自分で今年の「夏休み課題図書」に指定して、少しずつ読み進めてきたが、夏休みも終わり9月に入ってようやく読了。
    第3部からがおもしろい。
    自分も教育に携わる仕事をしているが、権力は学校の隅々にまで、そして日々そこで仕事をしている自分自身にまで深く浸透している。システムの内部にこれだけ深く食い込んでいると、なかなかそれには抗うことは難しいであろうが、そのことに自覚的であることで、少しは権力的なふるまいから逃れる小道を発見できるかもしれない。

  • 記録として残酷な執行について、淡々と書いているところが面白い。たんに「監獄の誕生」の背景を知るというだけでなく、過去の刑務の実際を知る本しても面白い。

  • 再々読。ドゥルーズの『フーコー』(新しい地図作成者)に触れて第三章パノティプコンを冒頭から読み、言葉を失いました。身体、知、権力をうんぬんする教科書で紹介される標本としてのフーコーは、残念ながらその躍動を残してはいないと思います。フーコーは近代・理性を批判していたのか、ということさえ覚束なく思えてきます。少なくともそんなことで満足してはいなかったはずです。彼はむしろ、どのような条件下であれ人間がそこで営む生について書きたかったのでは…。入門書や概説書の説く理解に安心する危険を思いました。まして、自分で読んだ本ですらこうなのですから。終わったと思っていたこの本と私のつきあいは、始まってすらいなかったのかもしれません。

  • FM2a

  • 読んだときの感触は男性版アーレントって感じ。教養がすごい。確かに学校の本性は監獄って意識は,教員として自分は持つべきだと思う。そうでないと刑務官としての自覚がなくなって謙虚さがなくなり同僚の目にカレー入れるような人間になってしまうからな。ただ正直この本の論調は苦手。ニーチェのいやな部分を切り取って拡大してる感じが。複雑な人生や社会をひとつの概念(権力)に還元しようとする憎悪を感じる。「世の中は所詮金だ」「すべては人格で決まる」「筋トレが一切を解決する」みたいな。フーコーがそんな単純でないのは知ってるけど。

  • wired・近代と社会・1位

    mmsn01-

    【要約】


    【ノート】
    (wired)
    「監獄」の歴史を通じて、近代における規律、管理の問題と、それによって人間がどのように変わっていくのかを精緻に論じ、近代の病理を浮き彫りにする。

    ※全体で10位

    ◆ユーザーからのコメント
    実名でのソーシャルメディア社会を読み解く上でフーコーの洞察は極めて重要/私と社会の座標軸。フーコーと言えばこれ。全部読んでないけどさ/「近代」といったらやはり。現在につながる近代、という意味で投票しました/やはり「いま」を考えるには、これを読んでおくべきかと/パノプティコーン!!!(必殺技風に)/パノプティコン。監視される者の心理を利用するなんて寒気がする/パノプティコンという音の響きは一生忘れないだろうな/フーコーの思索のなかで、いちばん好きな書/まずはOZファンとしてはこれに興味がわくわv/監視社会論の先鞭/視線を内面化し規律訓練させる近代社会のロジックを説く。主体とは何かへの従属である

  • パノムティコン。一つの監視塔から全体見える円形の監獄。

  • 高校へ入学したばかりのころ、英語の先生が「フーコー」を読みなさい。と盛んに勧めていた。当時はまさにポストモダン全盛期で、浅田彰の「構造と力」が話題になっていたが、読んでも何のことかさっぱりわからず、途方に暮れたことを覚えている。数年前に同書を再読したが、やはり全く理解できなかった。特にその方面の勉強をした訳ではないから当たり前だが。
    勧められて以来40年近く経過して初めて手にしたフーコーであるが、最も読みやすいといういわれているだけに完読することはできた。内容は、主に処罰論であり、監獄はそのシンボルというところだろうか。かつては犯罪者に対する刑罰が身体刑があたりまえであったが、王権の衰退とともに死刑を除き身体刑が廃止され、代わりに拘束のうえ労働へと変化した。これを、更生を視野に入れた倫理的要請とみる論に対して、フーコーは新たな権力の現れとみている。多くの事例に裏打ちされた論文であるからなるほどと感じるのだが、本書においては拘束される人々は、客体化された階層としてのみ登場するので、更に理解を深めるためには、他の著書を読む以外なさそうだ。

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著者プロフィール

1926-1984。フランスのポワチエに生まれる。高等師範学校およびソルボンヌ大学で哲学と心理学を専攻。1955年からスウェーデン・ウプサラのフランス学院院長、つづいて1960年まで、ワルシャワ、ハンブルクのフランス学院院長を歴任。クレルモン=フェラン大学、チュニス大学、ヴァンセンヌ実験大学の哲学教授を経て、1970年よりコレージュ・ド・フランス「思考システムの歴史」講座教授。1970年と1978年の二度来日。1970年代後半から80年代にかけて、しばしばアメリカ滞在(特にカリフォルニア大学バークリー校で講義)。1984年6月25日、パリのサルペトリエール病院でエイズにより没。

「2020年 『精神疾患と心理学 新装版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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