一人の男が飛行機から飛び降りる

  • 新潮社
3.34
  • (10)
  • (10)
  • (39)
  • (2)
  • (3)
本棚登録 : 152
感想 : 19
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (316ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105334017

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 悪夢のいろいろ。
    よくこんなにも思いつけるなぁ
    自分は、目が覚めると夢のことはすぐ忘れてしまう

  • 微妙に辻褄が合わない感じとか、明らかにおかしい前提を平然と受け入れて行動してしまう感じとか、絶妙に夢らしい話が多い。
    最近自分では滅多に夢を見なくなってしまっていて懐かしさすら感じる。

    飛び降りる話は漱石の夢十夜の第七夜を思い出した、落下する夢には何か共通する背景があるのだろうか。

  • 不可思議な短編がぎっしりの自分好みの本。はじめはふーんという感じでパラパラ見ていたが、だんだん世界にはまっていき楽しく読んだ。前半「一人の男が~」はナンセンスな夢の話みたいだが、後半「父の頭~」は勝手な父とマイペースな母の間でおろおろする息子という家庭をベースにした複雑な幻想譚。とくに母親との関係を描いた話は痛ましさと滑稽さがない交ぜになっていて、自分の母に似ている母親像なので心に刺さってくる感じがした。魅力的な作家だと思う。

  • 2012年10月26日

    <A MAN JUMPS OUT OF AN AIRPLANE>
      
    題字/柴田元幸
    装画/GLEN BAXTER 1995
    装幀/新潮社装幀室

  • 支離滅裂なようでいて、筋が通っている気もしなくもない。なにやら深い含蓄がありそうだが、手の赴くままに書いた感もある。
    これ以上どちらかに振れたら興ざめ、というラインを守ったままこれだけの量を書いていくことがまずすごい。どの短編も最後の文章を読み終えるたび不思議とひとつの物語が完結した気持ちになります。

  • つじつまを考えて読んではいけない。
    シュールで不条理なショートストーリー。
    まさに、『たのしい悪夢』である。
    細かい描写なのでイメージしやすいとは思う。
    ただ毎日少しずつ読むのはいいけど、連続して読むと疲れる…ww

  • 柴田元幸さんのあとがきより。

    ~引用~
    トーキング・ヘッズのデイヴィッド・バーンは、ユアグローの小説について、「デューク・エリントンの曲のなかでも僕がとりわけ気に入っている一連の歌のように、そこでは崇高と滑稽が合体している」「自分の夢をどうしても覚えていられない僕にとって、ユアグロー氏の小説は格好の代用品である」といったコメントを寄せている。あるいは、「フランツ・カフカとモーリス・センダックとモンティ・パイソンが一緒になって夢を見ているような」という出版社の宣伝文句にしても、売り込み側のホラとしては、結構説得力のある部類に属すと思う。(p.313)

  • 自分にはあまり合わなかったみたい。

  • ショート・ショート

  • アガサ・クリスティの創造したミス・マープル程ではないけれど、何かが身近なものに似ているなあと思うことが多い。ひょっとすると他人よりもそう思うことが多いのかも知れない。本を読んでも、ああこれは誰々のあの本に似ているなあ、と思ってばかりいる。もっとも、自分が似ていると思う感覚はどうも少しずれているらしくて、ある人を見て誰それに似ているよね、と周りの人々に賛同を求めても、すっきりとした同意を得られることはまれである。自分はなんでも、うっすらとした類似性を取り立てて、似ている、ということが多いらしい。そんな風だから、自分が何かに似ているなあという時、その感覚が万人の賛同を得られない感覚であることは、一応認識している。

    まして小説については、自分はまじめな文学愛好者であったことはないと自覚しているし、充分な読書量がある訳でもないので、自分が誰かの何かに似ているという時、極々限られた見識の中のかなり穿った意見ではあると思う。そう断った上でやはり思うのだ。バリー・ユアグローの「一人の男が飛行機から飛び降りる」はミシェル・レリスの「夜なき夜、昼なき昼」に似ていると。

    決してバリー・ユアグローがシュルレアリスム(頭の中にこびりついている言葉としてはシュールレアリズムなんだけれども)に連なる作家であると言っている訳ではない(もちろんこの本はほんとうにシュールだけれど)。レリスの「夜なき夜、昼なき昼」に収められた文章群が一つとしてどこへも行かないように(だから、自分は時々眠れない夜にこの本をパラパラめくってみたりする)、ユアグローのこの超短篇たちも決してどこかへ向かって行くことがない。ある意味でこれはアネクドートのように、それが再現された空間でのみ生まれ、ぱっと消えていく定めを持ったものだとも思うのだ。

    エリスが「夜なき夜、昼なき昼」で、夢を見たことをなるべく脚色せずに「そのまま」書くことを意図していたとしても、出来上がった文章たちは、無意識のうちにベッドを抜け出てきちんと着替えをしている印象がある。もちろん、エリスが生の身体を理性のようなもので隠してしまう、あるいはあいまいにしてしまう、のに対して、ユアグローはわざわざ無意識の着衣をひきはがして、これでもかと生の身体を目の前にさらけ出そうとするので、随分異なっていると言えば言えるのだけれど。それでも、無意識のうちに隠そうとしているか、意図的にさらけ出そうとしているかの違いはあるけれども、二人の作家が書いていることの根源は同じ事だろうと思うのだ。それは、アネクドートが生まれる理由とも同じなんだろうと思う。

    そう言えばどこかで村上春樹が、風俗は善でナチュラル、って言っていたような気がするけれど、それもきっと同じことを言っているようにも思う。

    どの話も教訓めいたところもなく、起承転結がある訳でもない。むしろ結はどの話にもない。一つ一つ読み終わる度に訳が解らずあれこれと思っている内に、頁は進みますます訳が解らなくなる。でも、一見するととても特殊な世界の話のようでいて、そこにあるものはいずれも人間の根源的な衝動が仮面を被っているだけであることが見えてくる。ユアグローを読んでいると、人間というものが以下に日頃、様々なリビドーを抑え込んで生きているのが意識させられる。何とも厄介なことであることよ。

    そういえば、レリスの「夜なき夜、昼なき昼」も、ユアグローの「一人の男が飛行機から飛び降りる」も、読むきっかけは川上弘美の書いた文章だったのだが、彼女の異界の話、特に「溺レる」(例えば海岸でたこに「おもられる」話など)なんて、どこかしらユアグローと似た手触りがある気がする。って、また誰の賛同も得られないだろうけれど。

全19件中 1 - 10件を表示

バリー・ユアグローの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×