べつの言葉で (Crest books)

  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (136ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105901202

感想・レビュー・書評

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  • 私には日本語という確固とした母国語があり、日本人で日本に生まれ育っているので、彼女とは環境も背景も全く異なるのだけれど、大人になってからフランスでフランス語を学び、更に英語を学んだ経験があるので、共感できるところもあり、興味深く読んだ。これまで彼女の小説が好きでずっと読んできたけれど、今回のエッセイでは小説から伝わってきたもの以上に彼女の抱えるものが直接的に伝わってきた。

  • 外国語を勉強している時に感じる情熱や疎外感を思い出した。使いたい時に逃げてしまい、わたしの記憶に逆らう頑固な単語。それでいて説明がつかないほどの親近感を覚え、わたしの奥深くを揺さぶる。著者の第一言語であり、それに依存し、それによって作家となった英語から離れ、イタリア語に専念しようとする衝動はどこから来たか? それは不完全さや不自由さにあるという。自分と一体化できる言語を欠くという不完全さが刺激をもたらし、創造性に手がかりを与え、かえって自由を感じさせる。新たなアプローチは、それほど驚きに満ちた経験だった。

    翻訳で読む限り、著者のこの新たなアプローチは感じ取れないかと思っていたが、そんなことはなかった。掌編を読む限り、まるで別人のような、新たな作家に生まれ変わったかのようだ。もちろんイタリア語で読めば、本書はもっと別の顔を見せるはずだ。エッセイでは状況説明を豊富にするため、メタファーが多用される。小さな湖を泳いで渡るというメタファー、鏡としての言葉のメタファー、母親のメタファーなどである。

  • とことん深く「読んだ」文章を、言葉を選び、ふるいにかけて「べつの言葉」に置き換える、それが「翻訳」するということ。
    著者は「翻訳することは何かを読む最も深く内面的な方法」だと言う。
    拙かったり、ちょっとした間違いもあるイタリア語の文章。そのニュアンスを美しく簡潔、作者らしい日本語の言葉に校正、翻訳する。
    気が遠くなるような仕事のおかげで、この作者の内面に日本語で触れることができる。

    幸せな読書体験でした。

  • 母語であるベンガル語でも、これまで自由に使いこなしてきた英語でもなく、自らの意志で習い覚えたイタリア語で書いたエッセイと短編2編。英語でさえ習得できなかった私にはよく分からないけれど、家庭では親がベンガル語で話し、外では皆と違うと思われないよう英語を完璧にマスターするラヒリが、どちらも本当の自分の言葉と思えない心境は少し想像できる。押し付けられたものでなく、自ら選んだというところが大事なのかな。夫よりも上手にイタリア語を話せるのに、外見のせいで夫の方がイタリア人に見られるごとに憤慨するラヒリが切ない。

  •  ベンガル人の両親をもつアメリカ育ちの成功した作家が、アメリカからイタリアに移住して、イタリア語、つまり「べつの言葉で」作品を書く――興味深くはあるものの、なぜそんなことをするのだろう?

     それはどうやら、イタリア語への愛情に加えて、変化への希求が関係しているらしい。ジュンパ・ラヒリは変わりつづけることにこだわっており、人間としても作家としても自分を変えたい、との思いが原動力のひとつになったようだ。とかく変化を嫌ったという母親とは対照的だ。
     アメリカからイタリアに移住するのは、イタリア語を身につけるためであり、生きかたを変えるためでもある。考えようによっては、両親の移民としての人生をたどる形にもなっていて、そこがまたおもしろい。
     「べつの言葉」への傾倒は、著者のなかで長くつづいてきた、ベンガル語と英語の対立ともかかわっている。両親の言語で「母」たるベンガル語。生まれ育った土地の言語で「継母」たる英語。どちらからも離れて、新たな言語を自分の意志で学ぶのは、要するに自立の道なのだ。

     書くこと、なかでも書いたものを徹底的に推敲することは、内省的な行為だ。曖昧だったことが明瞭になり、知ったつもりになっていたことを、どれほど知らなかったのか知るきっかけになる。
     新しい言語の勉強にうちこみ、その言葉で表現することもまた、内省的な行為だろう。第一言語以外では、修辞による際限のない粉飾も難しくなる。堪能でないがゆえにより直截な物言いしかできず、それが結果的に身も蓋もない明快さにつながり、自分がじっさいに何を主張しているのか明々白々になるはずだ。自らのレトリックにほかでもない自分自身がごまかされる、なんてこともなくなるだろう。あるいは第一言語ではないからこそ、率直に言えることだってあるかもしれない。

     表現しようと苦心すること、とりわけ新たな言語でそうすることは、自身のなかのさまざまなことをあきらかにする。これまでは見えなかった一面、新しい自分が顔を出すといってもいい。その意味で「べつの言葉」の習得とは、一種の変身なのだろう。

  • 子供時代から、家では両親の話すベンガル語、外では英語を使ってきた彼女が20年間イタリア語を勉強してきてついにはローマに移住し、初めてイタリア語で書いたというエッセイ。

    おもしろかった。「三角形」と「変身」のあたりがとくに。

    最近英語を勉強し始めたわたしにとって、「べつの言葉」を学ぶという内容はなかなかタイムリーでした。
    ベンガル語にも英語にもアイデンティファイすることができず、イタリア語という縁もゆかりもない第三の言語の習得によりその空白を埋めようとするというのは日本人にはなかなか理解しがたいけど、わたしは何となくわかるような気がした。
    ルーツは大分県で、三重県の四日市と横浜で育ったけど、どちらにもアイデンティファイすることができない感じ。規模はぜんぜん違うけど、根っこを求めるところはわかるような気がする。
    こういうテーマに弱いというか興味があるなあ。

    去年「流」で直木賞を受賞した東山彰良さんも、ルーツを求めていたけれど、結局今の家族が根っこということなんじゃないか、みたいなことを言っているのを新聞か何かで読んで、すっと腑に落ちたのでした。
    わたしも今の家族が自分の居場所なんだ、って。それでいいんだって。


    以下は引用。

    「三角形」より(p96)
    「わたしは二つの言語のどちらとも一体になれなかった。一つはいつももう一つのうしろに隠れていたが、完全に隠れることは決してなかった。満月がほとんど一晩中厚い雲のうしろに隠れていて、突然まぶしい姿を現すことがあるように。家族とはベンガル語しか話さなかったが、路上や本のページの中など、あたりにはいつでも英語があった。別の言い方をすれば、毎日教室で何時間も英語で話したあと、英語のない場所である家に帰るのだった。どちらの言語もとても上手に話さなければいけないことはよく承知していた。一つは両親を満足させるため、もう一つはアメリカで生き残るために。わたしはこの二つの言語の間で迷い、苦悩していた。二つの言語を行ったり来たりすることで混乱していた。自分では解決できない矛盾のように思われた。」

    「わたしの家族にとって、英語は染まりたくない他国文化を象徴していた。ベンガル語はわたしの中の両親に属している部分、アメリカに属していない部分の象徴だった。学校の先生も友だちも、誰一人わたしがほかの言語を話すことに関心を示さなかった。そのことを誰も評価してくれなかったし、わたしに何もたずねなかった。そんなわたしの部分、そんな能力などまるで存在しないかのように、興味がなかったのだ。両親にとっての英語と同じように、わたしが小さいころから知っているアメリカ人にとっては、ベンガル語は遠方の、えたいの知れない怪しげな文化の象徴だった。いや、実は彼らにとっては何の象徴でもなかったのだろう。英語をよく知っていた両親とは違い、アメリカ人はわたしたちが家で話している言語についてまったく無知だった。彼らにとって、ベンガル語はあっさり無視できるものだったのだ。」

    なるほど、これはなかなかに辛い状況だろうと容易に推察できる。
    この二つの言語は仲が悪い。どちらかと仲良くすれば、どちらかが嫌な顔をする。
    しかし英語ともベンガル語とも仲良くしなくてはならない。自分自身が二つに裂かれるような苦しい状況。
    そこに現れたのが第三の言語、イタリア語というわけだ。

    (p99)
    イタリア語を勉強するのは、わたしの人生における英語とベンガル語の長い対立から逃れることだと思う。母も継母も拒否すること。自立した道だ。


    「変身」より
    (p103)
    「このエッセイを書きはじめる少し前、ローマの友人で作家のドメニコ・スタルノーネから一通のメールを受け取った。(略)「新しい言語は新しい人生のようなもので、文法とシンタックスがあなたを作り変えてくれます。別の論理、別の感覚の中にすっと入り込んでください」この言葉がわたしをどれだけ勇気づけてくれたことか。ローマに着いてから、そしてイタリア語で書きはじめてからの心境がそっくりそのまま言い表されているようだった。わたしの不安、戸惑いがすべて含まれていた。」

    (p108)
    「変化を拒否することが母の反抗だったのに対して、わたしの反抗は変化への欲求だ。「別の人間になりたいと願う…女がいた」わたしがイタリア語で書いた初めての短編『取り違え』がこの文で始まっているのは偶然ではない。わたしは生まれてからずっと、自分の原点の空白から離れようとしてきた。その空白に愕然とし、そこから逃れてきた。自分に決して満足できなかったのはそのためだ。自分自身を変えることがただ一つの解決法のように思えた。ものを書いているうちに、登場人物の中に隠れ、自分自身から逃れる方法を見つけた。次から次へと自分を変化させるというやり方だ。」

    (p109)
    「芸術の力というのは、わたしたちを目覚めさせ、徹底的に衝撃を与え、変化させる力だと思う。わたしたちは小説を読んだり、映画を見たり、音楽を聴いたりしながら、何を求めているのだろう? それまで気づかずにいた、自分たちを変えてくれる何かを求めている。オウディウスの傑作がわたしを変えたように、わたしたちは変わることを願っている。」

    そう、変わることを恐れないどころではなく、「変わることを願っている」。

    安定の中に安住していては創作などできない。

    「もしすべてが可能だったら、人生に何の意味や楽しさがあるだろうか?」(63頁)
     「不完全さは構想、想像、創造性に手がかりを与えてくれる。刺激してくれる。不完全であると感じれば感じるほど、私は生きていると実感する」(74頁)

  • 書店で手にした時、翻訳者が変わっていて「あれ!?」と思ったら、著者はアメリカからローマへ移住して、イタリア語でこの本を書いたと知って驚きました。
    エッセイでは、そんな著者の心情が語られています。
    同時収録されている短編2作では、現在の著者の心情を写しつつ、やはり著者らしく、でも今までとはどこか違った味わいの作品でした。

  • ラヒリこう来たか、と驚く一冊。インド系米国作家枠からの逸脱は、前作の「低地」でその片鱗を見せていたが、今やイタリアに移り住みイタリア語で書いている。本書には、イタリア語(=べつの言葉)で書くこと自体についての断想が収められている。新たな言語に恋し、夢中で取組み、違和感に立ち向かう、イタリア語に対してのラブレターかつ決意表明のようだ。
    ラヒリの言語感覚は、一般の日本人とはずいぶん異なっているようだ。最初に身に着いたのは両親の喋るベンガル語で英語は後付けで最初は違和感が大きかったが、米国社会で成長するに伴い、英語が主要言語になっていく。ベンガル語は読み書きが完全にはできない。英語は自在に操れるが、完全に母語とはいえない。その二つの言葉は相性が悪いと感じる。イタリア語は、そんなラヒリが自ら選んで学んだ言葉だ。英語がイタリア語の学習を助け、ベンガル語が発音を助ける。作家は、3つの言葉のトライアングルにおいて、ようやく居心地が良く解放されたと感じている。
    作家として、第三の言語で書くとは大きな決断だ。ラヒリのヴォイスは失われないだろうが、次にはまったく異なる「イタリア語小説」を読ませてくれるのだろう。

  • 考えようによってはジュンパ・ラヒリの新作はこれまでと趣が全く異なるとも言えるし、これまで通りだとも言える。異なるのは何より書かれた言語の違いだけではなく、小説という様式ではなくエッセイという語りかけの方法を選んだこと。同じなのは、ジュンパ・ラヒリがこれまで書いてきた主題である二つの異なる文化の隙間に落ち込んで自己同一性の確信を持てないことに対する思い。誰かが悪いという訳ではないことは理性では解っていても、拳を振り上げたくなる感情は否定できない。よしんば降り下ろす先が無いことが分かっていたとしても。

    ジュンパ・ラヒリがイタリアに移住し執筆をしているということは「低地」のあとがきで知らされていたし、次回作は異なる趣となると予告されてもいたので、遂にジュンパ・ラヒリも彼女自身の内に抱え込んでいた二つの故郷の間を往き来する振り子のテーマについては大部の「低地」で書き切り、異なるテーマを採用するのかと、実は本の少しだけ勝手に残念に思っていた。その勝手な思い込みはよい意味で裏切られた。ジュンパ・ラヒリは、書きたいことを虚構を通して投影するという間接的なやり方ではなく、直接自身の言葉で語る道を選んだのだ。しかしややこしいのは、自身の言葉で、といいながら、今度は自然に操れる言語ではない、第三の言葉でそれを表現していること。虚構というベールではないけれど、内に抱え込んだ葛藤は、やはり一枚薄皮を被ってしかさらけ出せないことの証明であるようにも思う。但し、別の言葉で書くと言いたいことをより直接的に表現し勝ちだと作家が述べているところに、何故、に対する答えはあるのかも知れないとも思うけれど。

    一方で、より表層的なことではあるものの、ジュンパ・ラヒリが扱う言葉を変えて書くことによって産み出される違いは、英語と伊語の両方に堪能でなければ本当には味わえないのだろうと思うと、追いかけても決して辿り着かない虹のふもとを自分は追い求めているという絶望的な思いも湧く。せめてもの救いは、翻訳者に付随する日本語の表現の差異を日本語を理解するモノとしては辛うじて感じられること。そのことによって、同じ主題を聴きながら異なる音楽の響きを耳にしたような擬似的な体験を追従することができる。小川さんの翻訳なくしてジュンパ・ラヒリの小説に耽ることは叶わないように、イタリア語の響きのするジュンパ・ラヒリは、今後中嶋さんなしにはあり得なくなるのかという予感に捉われる。

  • ベンガル・英・伊、3つの言語がかたどる三角形の中に自画像を見出していこうとするラヒリの冒険。そのひたむきさ、実に感動的。英語・日本語・米子弁の3つの言語で人格を織りなした私にも大いに共感できるのだ。ホントかww?

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