- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784105901929
作品紹介・あらすじ
この美しいダム湖の底に、忘れてはいけない村の歴史が沈んでいる。北イタリアチロル地方、ドイツ語圏の一帯はムッソリーニの台頭によりイタリア語を強制され、ヒトラーの移住政策によって村は分断された。母語を愛し、言葉の力を信じるトリーナは、地下で子どもたちにドイツ語を教え、ダム建設に反対する夫とともに生きてゆくのだが……。イタリア文学界の最高峰、ストレーガ賞の最終候補作。
感想・レビュー・書評
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舞台は、北イタリア、チロル地方のクロン村。かつては、オーストリア領だったドイツ語圏の小さな村では、ファシズムの台頭によりイタリア化政策が推し進められる。やがて、ヒトラーの移住政策によって、ドイツ国の領土に移住するか、村にとどまってイタリアに同化するかの選択を迫られ、住民の間に深い分断が生じてしまう。
翻弄され、戦後のダム計画で湖の底に消えた村の歴史。主人公のトリーナが、生き別れになった娘に対して語りかける、出されるあてはない手紙の形をとっている。抑制の利いた語りからは、悲しみや怒りがひしひしと感じられる。
読み終わった後、レジア湖を検索してみた。教会の鐘楼の上半分だけが姿を見せる、美しい、幻想的な写真が数多く見られる。何も知らなければ、アルプスの夢のように美しい風景という印象を受ける。
著者はあるインタビューで“人の心の機微に焦点を当てる文学は、まさにその、歴史から欠け落ちた人間性を補う役割を果たすものだと思う”と語っているそうだ。
この物語の登場人物たちは実在の人物ではなく、フィクションである。けれども、ひとりひとりの生きた人間としての彼らの人生がたしかなものとして感じられた。
一番印象的だったのは、友人のバルバラとの別れだ。抑制された文章からも彼女に対する愛情が強く感じられた。
ダム建設の出稼ぎ労働者たちが奴隷のごとく働かされ、塵肺症に罹って死んでいくと書かれていたことも忘れてはならないとおもった。
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やっぱり、関口英子訳にハズレなし、だった。ダムに沈もうとしている村、奪われた母語、戦争、出て行った娘…。誰にもそれぞれ苦しみはあるけれど、そうだよね、私たちが前に進むよう、神様は前に目をつけた。静かで小さい、だけど確かに存在した人々。
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戦争も、出ていった娘も、すべての悲しみはダムの中に沈む。
神は、それでも前を向くために、両の目を正面に付けたのだから。 -
訳者あとがきを読むと、著者は綿密に取材したうえでわざわざ小説にしたのがわかる。小説仕立てだからこそ多くの読者を得た本なのだろう。だが私にとっては、あの村がダムに沈んだ史実を読むほうが感じ入るものがあったのではないかという気がした。
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ちょっと読めませんが(見出しで分かりますので)?…選(浅)評を…。
舞台は…ルーテル(,マルティン)の言語革命以降に根付いたドイツ語とイタリア語絡みの先の大戦中の起こった実話羅思虧(らしき)物語ですから…。 -
ダム湖に沈んだ村、教会の鐘楼だけが、湖面から突き抜けている。写真で見て不思議な光景だなと。だがその背景にあった村の歴史を、生き別れた娘に語りかける文体で淡々と。最後、娘と会えるのかの答えも知りたくて物語に引き込まれた。
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静かな語り口で物語は始まる。静かな語り口に反比例するかのように、のちに続く物語への期待感は膨らむ。
もともとオーストリアにルーツがありドイツ語を母語としているが、第2次世界大戦の頃にはイタリア領として線引きをされた小さな村が舞台だ。
戦時下にあってはイタリア派・ドイツ派により村に対立が生まれ、さらにダム建設を巡り完全に分断される。戦争の混乱、ダム建設の混乱にあって、娘を手放し、また息子はナチス兵として偏狭的な思想に囚われてしまう。この時代に生きた主人公夫婦の生活と人生が描かれている。
人生って誰のものだろう?個人のもののようで、時代のものかもしれない。じゃあ、時代ってなんだ?為政者が作り出す空気かもしれない。
ダム建設に反対していた主人公たちの活動の甲斐なく、村はダムに飲み込まれてしまう。
物語を読みながら、表紙の写真を何度も見返す、こんな読書経験は初めてだ。
読者である僕の心は完全に物語の中にあったんだと思う。涙がボロボロと止まらない