戦う動物園: 旭山動物園と到津の森公園の物語 (中公新書 1855)
- 中央公論新社 (2006年7月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (226ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121018557
作品紹介・あらすじ
旭川市の旭山動物園は、いきいきと活動する動物の姿を強烈に印象づける「行動展示」で注目を集めている。一方、北九州市・到津の森公園は、一度は閉園したにもかかわらず、愛着を持つ地域住民の活動により、市民が支える動物園として劇的な再生を遂げた。ふたつの動物園の園長は、苦難の時代にあって使命を忘れず、わずかなチャンスを形あるものに変えた。両動物園の園長が語る、人と動物と社会のおりなすドラマ。
感想・レビュー・書評
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閉園の危機に瀕した2つの動物園は、方向は違っても復活を果たしました。ある動物園は”動物園人”の不屈の精神によって。ある動物園は市民の大合唱によって。
この本の中で、動物園は子供たちのための場所だと言われています。つまり、ゾウやキリンなどの動物たちは本の中だけに存在するのではなく、いま実際に生きているものたちなのだということ……それを実感することで、驚きや感動を得る場所が動物園なのだということです。そしてそれは、子供だけでなく大人にとっても新鮮で、大切なものなのでしょう。
ちなみに個人的に面白いと思ったのは到津遊園の事例です。市民の要望を聞いて行政が民間企業から動物園を譲ってもらうという、(当時の)民営化の流れに逆らう物語が面白いと思いました。
本書は、動物園の再生劇であると同時に、到津の森公園のケースは、民間企業が出来なかったことを、行政と市民が実現していった物語でもあります。面白く読める一冊だと思います。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
いいタイトルだ、と思って読みはじめると、その密度の濃さに驚く。動物園と行政との、政治との、時代との、戦いが描かれている。旭山動物園と到津の森公園に近い諸賢は必ず来訪すべし。
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社会と動物園の関わりを考えるのに適していました。これからも動物園が社会から望まれるものでありつつ、そのことを利用して来園者に動物とのふれあい以上のことを伝えられる場所であったらなあなんて思います。きっとみんなが考えるより動物園というのは切実だから。
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廃園を意識しながらも凄まじいV字回復を果たした北海道の旭山動物園、廃園しながらも市民らのサポートで存続が決まった北九州市到津の森公園。
両園の奇軌跡をたどった作品。
旭山の小菅園長は、性格上、全て勝ったか負けたかで考えるところがある。新しい視点で見習いたい。負けない戦いができる恍惚さもある。
到津が市民に支えられた園だなんて知らなかった。現在はどうなっているのだろう。
両園の軌跡に心打たれるばかりか、印象的だったのは、最終章だった。
林間学校での一幕。
蚊に刺された子の足に親が塗り薬を塗ってやる。子はそれが終わってもありがとうのひとことさえ言わない。自分が王様だと思っているからで、それでは母親のことを自分より大切な存在だなんて思わない。
核家族では、父親が帰ってこないから、人工保育状態で、子が王様になる。それでは親への感謝なんて持てない。
人間に育てられたチンパンジーはチンパンジーではない。社会的環境でしかチンパンジーにはなれないのだ。
過保護な親によっては、子の友達を選別しようとする輩がいるが、それは違う。高度な社会関係がないと人間ではなく、化物に育ってしまう。
岩野園長「人と比べて自分は。。と思うこともあったが、これが自分のいいところだと思うのには時間がかかった。」 -
動物園って、いいよね。
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旭山動物園と到津動物園の園長たちの回想が綴られている。
良く経営学で取り上げられる題材だけれども、関係者との実際の生々しい駆け引きややり取りが記されている。この人達がしたことって一言で言えば本質を伝える工夫をしたってことだろうか。何が本質でどうすれば本質を見せることができるだろう? -
動物園で動物を見せる意義
チンパンジータワーでの事故
K大のMに批判的
手術が上手い小菅園長 -
<閲覧スタッフより>
行動展示の旭山動物園。市民の動物園、到津の森公園。北と南に位置する、2つの動物園の“復活”までの軌跡。苦難にたたされた園長2人の話から、動物園の実態や取り組み、そこで働く職員の姿を垣間見ることができます。何を思い、どんな動物園を目指してきたのか。
その足取りを追います。
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所在記号:新書||480.7||シマ
資料番号:20083532
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旭山動物園の元園長さんと到津の森公園の園長さんが何回か対談したものを、到津の森公園の実兄でサルの専門家である人が、雑感も交えて編集したもの。性格の異なる二人の園長の、動物園人としての思いが、2つの動物園の歴史と併せて語られる。
旭山動物園の方は6年前に1度行ったことがあって、その後に本も2冊読んだので、ドラマチックなその歴史についてはそれなりに知っていたが、もう1つの到津の森の方は、この本の中盤に差し掛かっても、読み方なんだっけ?という感じで、聞いたこともない動物園の話だった。正直、知っている分だけ旭山動物園の方の話の方が面白いと思ってしまうが、到津の森の園長さんの人柄がまた面白そうだなと思った。
「戦う動物園」の「戦う」とは、「あるべき動物園の姿」に向けての戦いということで、「人間が管理するのに都合のよい特性をもち合わせていない」(p.32)野生動物と、もともと野生の環境を実現できないという性質を内在している動物園がどう折り合いをつけていくかという、野生動物と飼育員との戦いがある。動物園とは「野生生物を人間とともに生かしつづけるための戦場である」(同)。そして、動物園の経営をめぐる行政との対立という意味での戦いがあったり、エキノコックスを悪意を持って報道したり、あるいは「立つレッサーパンダ」や「アシカショー」など、見せ物でありショーとして動物を利用しようとするメディアや一般大衆との戦いがあったりする。そんな数々の戦いを交えて来た2人から、「本物になるためには『これほどつらいものか』と思うほどの試練がある。人は自分の好きなことを実現するためには、針の目をくぐる努力をしなくてはならない。」(p.96)という「思いもよらない不運に立ち向かう覚悟」(同)について、「勝負をかけたら、負けてはいけない」(p.124)という「負けない」戦をする必要について教えられる。
動物園そのものよりも、二人の職業人としての姿勢が勉強になる本。(16/05/08) -
さすがは『安田講堂』の島先生。感情を揺さぶる熱い文章である。
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進路支援図書「はたらく人びと」
2009/6/10更新 004号 紹介図書
http://www.nvlu.ac.jp/library/workers/workers-004.html/ -
動物園のあり方――自然の動物のリアル(猛威)に触れる、あるいは学ぶ、という――を、徹底的に磨き、追い求めていく。そしてそれを、市民を味方にしながら(あるいは大組織や役所とドンパチしながら)、推し進めていく姿は、あらゆる仕事人にとって良き参考として映るだろう。
そんな中で「こういう仕事は役所(役人)にはできない」とか「役所はこういう提案は(来ても)受け流すだけ」とかいった記述がときどき出てくるのには、ありがちな役所嫌いな性格(いっしょに何かしようという姿勢の欠如)が見え隠れして、微妙な気分にはなるのだが。 -
両動物園の素晴らしさを一生懸命に伝えようとする作品。どちらの動物園にも行ったことがない僕としては、動物園の内容・全体像がいまいちつかめず、もどかしい気持ちにもなったが、新書のテーマ上、開業から挫折、復興に至る過程に着目して話を進めていくしかなかっただろうと思う。たとえば、到津の森公園が地元にいかに愛されているかということが強調されているが、なぜそうなったかはよくわからなかったり・・・。また、著者と園長の関係上、仕方のないことかもしれないが、やや身内自慢のような雰囲気を感じてしまったことも残念だった。
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旭山動物園と到津の森公園の再生から成功へ。なかなか良かった。
どちらもドン底があったのね。ハードよりソフトが大事なのだ。 -
旭川市の「旭山動物園」の園長小菅正夫さんと、北九州市の「到津の森公園」の園長岩野俊郎さんが、開園→不況→復活のエピソードを通して動物園の在り方や存在意義などを語ってくれる。
去年の夏に旭山動物園に行った時、この歳で動物園なんて…と思っていたが、実際に行ってみるとあまりの新しさに、一緒に行っていた彼女よりも興奮してしまったことを思い出した。
公共動物園の経営は非常に厳しいらしく、また評価も難しい。そういう問題に対して、動物の餌代を「サポーター制度」で、動物園の運営費を「友の会」の会費で、動物の購入などを「基金」で、などのアイデアによって市民からの寄付を集めることによって成果を出したそうだ。市民参加が上手く取り入れられた例として学ぶことは多い。
旭山動物園の魅力の一つは、展示のおもしろさにある。円筒通路を歩きながらペンギンがまるで泳いでいる姿を見て楽しむことができる。しかし、この裏には非常に大切なことが隠れている。つまり、管理という問題だ。そのためには、職員の献身だけでなく、設備の保守・管理には、技術がなくてはならない。
P.32「管理する人間の都合に合わせれば、野生の動物は簡単に死ぬことによって仕返しをする。…しかし、野生の動物の都合に合わせることは、もともとできない仕組みを動物園は持っている。…それは、戦争である。異なる生存原理を持つものの間の、小さな戦争である。…指揮官の資質はそこで実に明瞭になる。戦争に勝つか負けるかは、指導者の資質によるからである。…誰もが旭山のハードを真似れば客が来ると思っているけれど、そうじゃない。ソフトが問題なんだ。」
P.39
ペンギンたちの生活をできるだけ豊かにするために、動物園という限られた空間でペンギンたちが場所を選ぶことが出来るように、生活場所のバラエティを考え抜いて、用意している。動物たちの側に選ぶ自由を与えるという考え方は旭山動物園の基本であり、あらゆる施設にその配慮がある。それが、動物たちの自由さを演出している。そして、それが動物たちを見る側の人間たちに自由さを感じさせるのである。
P.69
人は者の最後の効果にだけ熱心になりがちである。そして物からは最後の結果に打たれるものだと錯誤しがちである。しかし実は、直接に物とは縁遠い背後のものに一番打たれているのだ。
P.82
ストーリーとは、動物園を作る側の存在証明のことである。…ストーリーがなければ、ただの野生動物収容所になってしまう。
P.122
幸運は自ら作りあげるもので、そのチャンスが幸運になるかどうかは、一回一回の機会について、一回ずつの勝負である。男の人生は最後の最後まで、つまりは勝つか負けるかだけだ。「努力しました」だけでは、子供のお使いである。そこには、結果が必要になる。たとえ勝てなくても、負けてはいけない。だから、駆け引きもいる。だから、先制攻撃もいる。だから、いつまでも待つ忍耐もいる。(全てを勝ち負けで判断するのはあんまり好きじゃないなあ。)
P.173
動物園は「生命」の学習の場である。
P.205
高度な社会を営む動物は、密な社会関係によってしか育てられない。…社会的動物と呼ばれている動物たちは、「社会を持ってもやっていける」のではなく、「社会的にしか生きられない」。その社会が高度であればある程、その社会的動物の子供は、密な社会的関係なしには正常に育たない。この場合の「正常に」とは、社会的に正常に、生理的に正常に、心理的正常に、ということだ。 -
北海道の旭山動物園はいまとても有名な動物園だ。そしてもうひとつ取り上げられているのは福岡の到津の森公園。この二つの動物園は有名になる前は経営の危機にあった。なぜこんなにもゆうめいになったのかが書かれている。
自分もぜひ一度でいいからこの二つの動物園に訪れてみたい。 -
ぷらっと寄った本屋で目に付いたので購入。
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ご存知旭山動物園と到津の森公園の開園→不況→復活のエピソード。
ご存知…と冒頭に書いてしまったが、実は到津の森公園は今回初めて知った。
僕は水族館でも海獣や海鳥コーナーを飛ばすくらい魚の方が好きなので、実は動物園本を読んでもあまり興味が沸かない。
が、この本を読んでいると、ついつい動物園に行きたくなる。
旭山動物園のバックヤードツアーなどすごく楽しそうではないか。
ところで水族館にもこういう『熱い』エピソードがあると思うのだが、ぜひとも書籍にして欲しいものである。
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旭山動物園に行くことになった。行く前に関連本を読もうと探していたら、川端裕人という方が本書を薦めており、買って読む。どん底から這い上がって、考え抜いて、知恵を絞って関係者を説得し、自分たちのやりたいことをあきらめずに実践してきた動物園人たちの熱い物語であった。「ストーリーの欠如」が本質的な課題であること、共感大。
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到津の森公園を初めて知った。動物園にもいろいろ哲学とか思いがあって、がんばっているんだなあ、とプロジェクトX的な感動。
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久しぶり、動物園に行きたくなりもうした。異なったった角度から見てみたく候。