音楽の危機-《第九》が歌えなくなった日 (中公新書)

著者 :
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (235ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121026064

感想・レビュー・書評

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  • 第九が歌えないというのは実際集まれないというだけではない。第九が作られたフランス革命後の「大きな物語」が本来的に変わったコロナ以降にあらたな物語を探るようなボリューム感ある内容。「録楽」と音楽の違いは聞き流しと聴き入りの違いより大きいとも限らないようにも思う。

  • 2021/3/27

    現代人の沈黙恐怖症をベートーヴェンとモーツァルトを比較しながら論じるところはなるほどな、と。

  • 後世の研究者たちがコロナ禍における文化論として参照するであろう良作
    人間にとって文化とは?音楽とは?それらが向かうべき先は?これらの問いに対して考えるにはとても良き本、

  • 社会・経済・哲学・歴史と音楽を結びつける論考はなかなか興味深い。同時に、いくらなんでもこじつけが過ぎる部分も多い。

  • なるほどと言うのと、ほんとかなと思うところはあるが、音楽を愛するものとしていろいろ考えさせられた。

  • ■一橋大学所在情報(HERMES-catalogへのリンク)
    【書籍】
    https://opac.lib.hit-u.ac.jp/opac/opac_link/bibid/1001173871

  • コロナ禍の今コンサート活動はもとより、そも人が集って何かを為すことが憚られる。何とも音楽にとって不幸な状況を通して、社会にとって音楽とは何かを考察する。
    音楽だけでなく美術や演劇も「閉じた空間で見知らぬ人と肩を寄せ合う営み」で、まさに三密そのもの。衛生観念の前には屈服するしかない。そんな中でもネットの力を利用して、新しい音楽の演奏スタイルや、配信といった発表の場が講じられている。けどこれによって、音楽自体も変わっていくのかもしれない(変わって欲しくないけど)。

  • 現在のコロナ渦にあって、3密のより被っているクラシック音楽のダメージを分籍すると共に、3密を逆手に利用して新たな音楽ないしは芸術を創造できない物かという提案が書かれている。提案にはなかなか興味深い点はあるのだが、現代音楽の紹介的な側面も持っていることは否定できない。
    我々は、今まで聴いてきた音楽では無く、新たな音楽を望むばかりではない。これからも、ベートーヴェンやバッハやシューベルトやワーグナーが聴きたいのだ。そのための3密防止下での演奏可能・鑑賞可能な方法論の提案を本書に期待していたのだが、どうも演奏空間の問題として論じられていて現実性に乏しい感があったことは否定できない、ちょっと残念な一冊であった。

  • コロナ禍で密集した場で聴く音楽は大きな打撃を受けた.もう音楽は昔のようには響かないのかもしれない.それを逆手に取って新しいスタイルの音楽と聴衆のあり方へ進めと,著者は訴える.
    さて,緊急事態宣言解除後,わたしが生音楽に触れたのはただ一度.オルガンを聞いただけ.それでも会場は厳戒態勢.やはり昔の雰囲気とは違う.個人でブースに入って舞台と向き合っているような気さへする.一蘭でもあるまいに.
    確かに大音響のオーケストラ,大合唱は今聴く気がしなくなってしまったな.家でも音楽を聴く時間はコロナ以降減った.さて今後はいかに.われわれは忘れるのも早いからワクチンができたら全く普通に戻るかもしれないかもしれないかもしれない.うーん,そんな気はしない.実は.

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著者プロフィール

1960年京都生まれ。京都大学人文科学研究所教授。専門は近代西洋音楽史。著書に『リヒャルト・シュトラウス 人と作品』(音楽之友社、2014)、『音楽の危機』(中公新書、2020、小林秀雄賞受賞)、『音楽の聴き方』(中公新書、2009、吉田秀和賞受賞)、『西洋音楽史』(中公新書、2005)、『オペラの運命』(中公新書、2001、サントリー学芸賞受賞)、共著に『すごいジャズには理由がある』(アルテスパブリッシング、2014)など。

「2023年 『配信芸術論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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