残像に口紅を (中公文庫 つ 6-14)

  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (337ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122022874

作品紹介・あらすじ

「あ」が使えなくなると、「愛」も「あなた」も消えてしまった。世界からひとつ、またひとつと、ことばが消えてゆく。愛するものを失うことは、とても哀しい…。言語が消滅するなかで、執筆し、飲食し、講演し、交情する小説家を描き、その後の著者自身の断筆状況を予感させる、究極の実験的長篇小説。

感想・レビュー・書評

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  • 言葉が消えると、物も消える。

    最初に消えたのは「あ」だった。
    「あ」が消えると、「朝日新聞」も配達されなくなった。
    定食屋からは「からあげ」がなくなっただろうし、
    「綾瀬はるか」「芦田愛菜」「阿部寛」なども見れなくなってしまう。
    次に「ぱ」が消えたので、「朝」「パン」を食べることができなくなる。

    「芦田愛菜」は「愛菜ちゃん」に、「パン」は「トースト」に言い換えればOKだが不便でしょうがない。

    「あ」が消えると「ヴァ」や「ふぁ」も消える。
    音は全部で152個としてあり、3分の2くらい消えても使える言葉だけでさほど違和感なく読める。
    4分の3ほど消えると、さすがに日本語として苦しくなるし、言い換えことばに聞いたことがない表現も増えてくる。

    本書は限られた言葉だけで、どこまで表現できるかの実験なので、小説の内容には気持ちが入り込めなかった。

    先日の朝日新聞の夕刊に、核をなくすというマンガがあって、セリフに「か」と「く」が使えなくなっていた。
    本書と同じような言葉遊び満載の作品は探せば他にもありそうだ。

  • ストーリーを求めてる方には薦めない。
    これは、あくまでも狂気的な実験をした本。

    この作品は読み進めるほど
    言葉を失っていく作品であ、い、う、え、お
    など表現できる文字に制限を掛けていく。
    どの作家も手をつけないであろうテーマだ。

    ただ、表現を狭まれたり中で紡がれるワードセンスはもの凄い。
    内容というより限られた言葉でもどこまで小説として成立していくのか?
    ということを目指しているように感じ
    まだいけるのか、もう無理ではないのか。
    そう言う言い回しをしてくるか...
    というやりとりが続き面白さというよりは
    凄い!という感想が全面的にくる。

  • 語彙力を鍛える方法として、制限をつけてみることもひとつの手であると思います。

    例えば、普段何気なく使っている書き癖のようなもの、自分であれば、「確かに」という言葉が多く使われることがあるので、それを代用するかたちで、違う単語を考えてみる。

    文を書くときに意識的に書いているつもりでも、実は半意識的な部分があって、何を書くかという点については、頭で考えているが、日頃使っているフレーズを、無意識のうちに使いまわしたように創作してしまう。

    今こうして、同じ単語をなるべく使わないよう、気を使いながら並び替えてみるだけでも、日本語の文法そのものが危うくなるかもしれませんが、「捻り出す」という作業が生まれるのです。


    さて、感想を書く前に、ゴタゴタと戯言を書いてしまいました。

    この本は、単語ではなく、ひらがなが一文字ずつ消えていく世界で過ごすという話です。
    消えていった「かな」は2度と復活することはなく、最初は「あ」から消えていく。

    「あ」が消えたら、それだけでも相当苦労するのではないか、と思いきや、そんな心配をよそに、どんどん消えていく。

    あまり使われていない「かな」から消えているという前提はあれど、普通に話が進んでいく様子を眺めて、改めて日本語の語彙の多さと、自分の手持ちの少なさを感じさせられます。

    消していくにあたって、なぜかルールを作ったり、例外を使ったりしているのをみて、なんだか物語に巻き込まれた感があり、その制限の中で言葉を選ぶ世界に、ちょっとうっとりしながらも、実際にそうなったら面倒だなと。

    そんなふうにして、この本にハマって、テンポよく読み切ることができました。

    タイトルから中身が想像できない本は、クチコミからきっかけで読むことが多く、この本もそのひとつでした。

    ついタイトル買いしてしまう自分にとって、見落としている名作が他にもあるかもしれない、とこういう本を読むと毎回思うのです。

  • じわじわと襲う喪失感と焦燥感、切なさと虚しさ。
    大事なものは失ってから気づくと言うように、音が揃って存在する世界は「満ち足りた世界」だと、この実験を経て気づくことができました。

  • ◯文字が徐々に消えていく小説で、いかなる内容を描写していくのか、興味深く読んでいたが、いささか小説として何をか感じるのは難しかった。
    ◯文字が減っていく中で、豊富な語彙力を駆使して文書を紡いでいく様は圧巻。また、物語としても展開が小説的に自然に進んでいくのも凄みを感じる。
    ◯少ない単語の中で展開されるシーンの一つ一つにも、少ない故に選ばれており、演出もそれに応じたものになっていると思われる。例えば、講演での
    尊大な語り口や、言葉が足りないからこそ、悲しい伝記など、さすがと思う。
    ◯やはり表現の自由な小説を読みたい。他者への影響は多々あるかもしれないが、それをそれだけで受け取ることなく、読む側にとっても小説では自由でありたい。

  • 凄まじい。言葉(音?)が減っていく世界で、物語は成立するのか?という実験的な作品を成立させる筒井康隆。本当に化け物かな?
    読みながら、検証していたが途中からそれすらもできなくなってしまった。

    途中、情事のあたりは読むのに疲れて辛かったのが本音だが、文字が消えていく際に、「え?この文字消していいの?攻めるなぁ」など、ツッコミを入れるくらいのめり込んでいた。

    段落の初めに消える文字を明かしているのだが、これをなくして、ミステリー風に読んだらもっと、面白いのかなと思ったり。

    最後の不自由な雰囲気はアルジャーノンを思い浮かばせる。

    幽遊白書の海堂戦はこれのオマージュなんだよね?

    それにしても、やはり文豪。言葉のプロは凄まじいと思った。

    • もっかもかさん
      はじめまして^ ^
      コメント失礼します!
      幽遊白書、オマージュだったのですねー

      こちらの小説、途中でうっかり一文字くらい使っちゃってるんじ...
      はじめまして^ ^
      コメント失礼します!
      幽遊白書、オマージュだったのですねー

      こちらの小説、途中でうっかり一文字くらい使っちゃってるんじゃないのー?(笑)と粗探しとかしてしまって集中できず、今の私には難しかったですが
      シュンさんの感想を読んでまたいつか読み返して
      みたいと思いました^ ^
      2024/08/07
  • マンガ「幽遊白書」で、私がいちばん好きな戦闘…それは、蔵馬と海藤の言葉によるバトルです。
    確か1分につき、使えるひらがなが1文字ずつ消えていくなかでの戦いで、言葉遊びがすごく面白かったのです。

    その元ネタになった小説がこちらの「口紅に残像を」だと知り、読んでみました。

    なんとも実験的な小説で、ストーリーはかなり無理がありますが、それでも、だんだん少なくなる文字数で、ここまで書けるんだ…とおどろきました。
    特に、主人公の情事シーンが圧巻…
    たとえの応酬ばかりなのに、それがかえってものすごく色っぽくなっていて、もう降参!という感じでした。

    ストーリーを求めたい人には向いていませんが、言葉と表現と小説の限界をみたい方は、一度その世界をのぞいてみてもよいかもしれません。
    ただし、後半にいけばいくほど辞書は必須です。

  • 「あ」が使えなくなると「愛」も「あなた」も使えなくなった。
    文字が1文字ずつ消えてゆき、最終的には何も無くなるという斬新な小説。

    驚くべきことに、この文字だらけの小説には最初から「あ」がないのだ。
    愛、あなた、表す、あれ、あの、〜ある、明日… そんな馬鹿な!
    よーし、私も「あ」抜きで行こう!

    最初に消える文字が「ぱ」なら分かる。
    『だって〝ぱ〟なら普通に文章を書くに◯たり、登場頻度が少ないのは◯きらか!』
    もとい…
    『だって、〝ぱ〟なら普通に文章を書きつづるに、登場頻度が少ないのは比較的に常』
    つまり、こういうこと。

    文字が消えると,語彙も失われる。
    変わる語彙が必要となる。
    1文字ずつ消えてゆく世界で、どんな物語が紡がれるのだろうと、読み出すと止まらなくなるけど、物語という物語は実はない。小説、壮大な言葉の戯れとして楽しむ一冊。
    ただただ、作者の裁量に驚くことしかり。

    1部でワクワクし、2部でからかわれているような気になり、3部で関心の唸りを発する。

    今年の23冊目

  • 新しいジャンルに当てはまるような小説。
    読者も巻き込みながら実験しているような感じが面白い。しかし、正直言ってしまうと、読んでいて心地良い作品とは言い難い。というのも、音が消えるたびに言い回しがくどくなってしまったり、難解な言葉がどうしても増える。だから、読む側も読む側で、考慮したり寄り添う努力が必要だと感じた。

    途中の交情するシーンは困惑してしまった。
    音が消えていく状況の中で、どのように連ねることができるのかという実験ではあると分かっていた。分かっていたけれど、反応しにくいというか、四苦八苦している感覚が得られなかった。

    第3章に突入してからは、音の性質のリズミカルさが特に目立っていた。とても好みであった。
    最初に音が消えた時から、最後に消える音は何であろうかと予想しながら読んでいたので、最後の最後まで消える音に着目しながら読むことができた。

  • 最後に残る音はオノマトペしか残らないことに考えさせられました。言葉を伝えるとは長い年月を経て文章として形を残してるのだと思いました。
    音が無くなると同時に普段使わない言葉を使うようになる。私はのちのち作者の新しい言葉ができるんじゃないかなと思いました。失われつつも増えていく言葉に違和感を抱いたのは、それが言葉ができる過程でもあると作者は伝えたかったのではないかと考えさせられました。
    この本は現在→古代
    の言葉の過程だと思います。オノマトペから次々と新しい言葉ができ文章が作り上げられる。
    後ろから読んでも面白いと思います

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著者プロフィール

筒井康隆……作家、俳優。1934(昭和9)年、大阪市生まれ。同志社大学卒。1960年、弟3人とSF同人誌〈NULL〉を創刊。この雑誌が江戸川乱歩に認められ「お助け」が〈宝石〉に転載される。1965年、処女作品集『東海道戦争』を刊行。1981年、『虚人たち』で泉鏡花文学賞、1987年、『夢の木坂分岐点』で谷崎潤一郎賞、1989(平成元)年、「ヨッパ谷への降下」で川端康成文学賞、1992年、『朝のガスパール』で日本SF大賞をそれぞれ受賞。1997年、パゾリーニ賞受賞。他に『家族八景』『邪眼鳥』『敵』『銀齢の果て』『ダンシング・ヴァニティ』など著書多数。1996年12月、3年3カ月に及んだ断筆を解除。2000年、『わたしのグランパ』で読売文学賞を受賞。

「2024年 『三丁目が戦争です』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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