- Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122034198
感想・レビュー・書評
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★★★★★
古典(落語)を解釈する、とはこういうことだったのか。
僕は決して落語に明るい方ではないが、落語に古典と新作があるくらいのことは知っている。
古典はクラシック音楽みたいなものなので、基本的なスジは変えずに細部をちょっと変えてみたり、演じ方を工夫したりして落語家各自が独自性を出すのだろうと思っていた。
その理解は(他の落語家のことはよく知らないが)立川談志に関しては間違っていた。ごめんなさい。
談志の解釈はそんな水遊びみたいなものではない。
彼は自分で立てた落語が落語たるための条件「業の肯定」という柱にそって山ほどある古典落語を再解釈していく。
本書を読んでいるときにたまたま聴いた古典落語のひとつ「やかん」において、その違いが明らかだと実感できた。
「やかん」は、長屋に住む八公がいろいろな質問をし、それにご隠居が独自の解答を返していく落語で、二人のやりとりの妙が見所だ。
名人三遊亭圓生の「やかん」は、八公が子供のようにする「なぜ」「どうして」という質問に、物知りを自認するご隠居が困りだす様子が面白い。
おそらくこれがオーソドックスな「やかん」なのだろうが、談志のはこれがひっくり返る。
談志の「やかん」では、八公が子供のように質問を繰り返すのは同じだが、ご隠居の方が完全に一枚上手なのだ。
「雷は電気だっていいますけど」
「電気なわけねぇじゃねぇか、ランプの時代からあったよ」
「海はなんで大きいんです?」
「小さいと池と間違われちゃうからね」
「そういうことでいいんですか?」
「何が悪いの」
圓生版と談志版では登場人物の立ち位置がまるっきり違う。
ちょっとやそっと細部をいじるのではなく、ここまで根本からやり直すのが談志の解釈なのだ。
その分析力、解析力たるや凄まじいものがあるのだが、ただの理屈に終わらず、ちゃんと体感を捕まえているのがなお凄い。
あとがきで爆笑問題の太田光が談志の落語をセックスに例えているが、これもまた言い得て妙というか、大した慧眼だ。
物語を構造物として捉えるのは分析する上では大切なのだけれど、いざやるとなったらそれを一連の流れ、運動として捉えなければライブ感が消えてしまう。
僕はそれを宮崎駿や出崎統の作品から学んだけれども、立川談志にも同じものがあると感じた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
立川談志追悼という帯につられ買ってしまったが、おもしろかった。
読んでいると彼の姿が目に浮かんでくるようだ。 -
前半で噺のすじを語り、後半であらを語る。なんつって。
ま、概ね、そんなカンジ。後半の解釈はまちまちだけど、前半のすじはさらっと書いてるのにわかりやすい。さすが。
伝統をそのまま演るのではなく、自分の頭と心でちゃんと向き合ってから、演る。
解説風に言うならばヤる。落語もセックス。古典と交わりイカせたり、イカせられたり。神を降ろす、なんつーと、巫女っぽい。落語家ってーのは古典と交わる様を見せて、客を陶酔させてくれる、ストリッパーみたいなもんとかね。蛇足か。
しかし、あれだね。好きじゃないけど、さすがに上手いね。太田光。よーわからんもんを、こう、くっと捕まえる力がさ。 -
何度読み返しても愉快でいーや。
落語はやっぱ最高だね。
落語は人生豊かにするね、間違いない。
人間的にも幅が広がるとおもーよ。 -
談志家元は、天才だ。<br>
天才というのはきっと、世の「了見」について目が利き鼻が利く人のことなのだろう。<br>
この本を読んで改めて感じる。家元、見事なり。 -
よむよむ第56回
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落語をもしかしたら好きになれるかもしれないと思った。
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書かれた落語なのに面白い。
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面白い。落語ハマった。
著者プロフィール
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