- Amazon.co.jp ・本 (207ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122042209
感想・レビュー・書評
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病をテーマにしたアンソロジー。なので本書に収録されていない作品への言及なども多い。自分の病への向き合い方がやはり独特で味わいがある。
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百閒先生の「病自慢」
心臓神経症に喘息など、死に至る病ではないものの発作が起きればその苦しさは半端ない持病を持っていたと言う百閒先生。「一病息災で結構であるからその一病を大切にし、一病の道の果てを目の届く限り眺めるように心掛けたい。」として、自身の病人生を綴る随筆集。
世の中には死に至る病と闘っている人、生まれ持ってきた難病に苦しむ人、病と一口に言っても人それぞれに違うから百閒先生の心持をあるいは、死ぬほどの病ではないから気楽なのだと見る向きもあるかもしれない。だがどんな持病も患っている当人にとっては、常に自分の生活から切り離せないものであり、それぞれのレベルでの悩み苦しみになっているものだろう。
百閒先生を悩ましていたのは結滞や不整脈といった心臓系の疾患。脈拍が異常に速くなったり、脈が飛んだりする病らしい。脈の異常というのは自覚症状もあるだろうから、発作が起きればさぞかし気持ちの悪いものであったろうと思うが、そういうときの応急処置として百閒先生はなんと酒を飲む。そうすると血管が開いて胸の中が広がるような気持ちになってその場が落ち着くというのだから、びっくりである。
長年の持病にまつわるあれこれから見えてくるのは、百閒先生が己の病を自身の人生の道連れと考えていたらしいということ。持病には確かにある種のパターンがあり、患者はその長年の経験値から場合によっては医者以上にその病に精通するということもあり得るだろう。そういうことを他人に語る時、その病に関しては自分が一番わかっているという気持ち、また自分の患っている病はこんなに大変なものであるのだという、微妙な自負が多かれ少なかれ溶け込んでいるような気がする。
それを「病自慢」と言い切ってしまうのは不謹慎に過ぎるかもしれないが、本書の巻末に寄せられた吉行淳之介の「百閒の喘息」の中には「子供が自慢しているような少し嬉しそうな気配もある。」とはっきりと書かれている。そういう気配も含めて内田百閒という人は何事も隠してはおけない人だったのだろう。愛猫ノラの出奔にべそをかく百閒先生を思った。 -
百閒先生のお話は,どれも一々腑に落ちる.
3年連続で人間ドックで再検査になった今読む本としては,まことにふさわしい.百閒節全開であるが,百閒先生がこんなに持病に苦しんでいたとは知らなかった.毎日昼まで寝ているのも宜なるかな,という感じである.
しかし,百閒先生のわがままを,単なる幼児性の現れ,と見てはいけない.それと表裏一体で存在する達観,その両者の微妙なバランスが百閒先生の文章の魅力であるのだろう. -
内田百閒さんらしい文章。
病気とともに生きてゆく。そんな姿が描かれる。
しかし、日常生活や自分の内面への鋭い観察。
感服
2018年8月27日。再読了。
内田百閒先生、ほんとうに喘息、心臓疾患…、と多くの病気を抱えておられた。
しかし、多くの病気を持ちながらも、病気とともに生きていく、共生というべきか、なんともいえない飄々とした姿が窺える。
あっけらかんとしているのか、前向きなのか、とぼけているのか、つかみどころのないような心持ち。
そして、82歳で老衰で亡くなったとは驚きである。
『御馳走帖』など他の随筆と読みたい一冊。 -
病をテーマにした、内田百閒のアンソロジー。
サクサク読めて、面白かった。
長年、心臓病に悩まされながらも82歳まで長生きした彼のことを思うと、「一病息災」という言葉にも、説得力が増すものである。 -
百?先生の病気に関する随筆集です。
いやあ、百?先生は面白いですよ。
先生が牛肉を食すのを止められたときの記述がもう。
百?先生曰く、
『牛は冬の間は藁しか食っていない。牛の本質は藁である。藁を牛の体内に入れて蒸すと牛肉になる』
と言うわけで百?先生宅のすき焼きは藁鍋、と言う名称に変わったらしいですよ。
しばらく牛肉を食べると藁、とか思いそうです。 -
\105
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同じ話の繰り返しがやや見受けられます。まあ、初出は全然違うところに出ていたものなので仕方ないところではあるんでしょうが。さまざまな病を抱えた作者の随筆を集めたアンソロジーです。