読書の価値 (NHK出版新書 547)

著者 :
  • NHK出版
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感想 : 136
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784140885475

感想・レビュー・書評

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  • -108

  • 現実とは違う世界ってわくわくする。そんな好奇心から小説を読み初めて、ファンタジー、ミステリー、恋愛もの、時代小説割りと色々読んだけれど、半分くらいは覚えていない。
    そのときは面白かったのかも知れないが、心に刻まれるほどではなかったのかも。確かに衝撃だったり胸がざわついたものは何年たってもぼんやりだけど残ってる。
    読みやすかったものは、さらっと溶けて無くなる確率が高い。速読、多読が流行って、何か自分に課してしまった時もあったけど、その時期は自分に取り込むというより、ひたすら目の前の文字をこなしていた気がする。
    最近は宇宙、経済にも興味があってなるべくゆっくりと噛みしめながら読むようにしている。消化不良が起きないように。
    森さんは自分とは違う視点なので、これまた読む価値がある。

  • 2018年9月19日購入。

  • 森博嗣による『読書論』。
    特に大きなトピックとしては「人から勧められた本は読むな」という主張(どうしてそうなのかは本書を読もう)。
    それにしても森博嗣の「知との出会い」の記述は、他の本でも度々読むけれどその度に感動してしまう……。
    インターネットに感想書くマンとしては耳が痛くなる記述もかなりあった。

  • 好きな本を好きなように読書すればいい、他人のお勧めの本は読むな、と自信を与えてくれます。読書は人(作者)と出会い、未知の場所、未知の時間との経験。速読せず、時間をかけて楽しもう。15分の小刻みの読書でもいい。そしてどんな本も面白い▼本は人と同じ様な存在。新しい人との出会いに似ている。本選びのたった一つの原則は「あなたが自分で選ぶ」こと。次に、その本を手に入れるために自分のお金を出すこと▼本を読んだときの経験は、人それぞれで違っている。自分と同じものを他者も見ているわけではない。そして、その自分だけの世界を思い描くことこそが、読書をする価値です。それは、世界で自分だけが見ることができた世界▼ベストセラーを避ける理由は、自分の読書の価値を高めるため、だそうです。

  • レビュー省略

  • 読書に対する心構えなどを書いた本。
    読むのが遅いのは良いことだ、的なことを書いてあるのは励みになった。

    さらーっと読めた本

  • 3.7

    memo
    一般に、院生くらいまでは、課題は上の先生から与えられる。このテーマについて考えてみてはどうか、と提案されるのだ。これは、恵まれている。文字どおり、恵んでもらっている状況だ。問題を解決することは、院生レベルでもできる。一流の研究者というのは、問題を見つける人のことなのである。自分でテーマを見つけることができれば、もう一人前の研究者だといって良い。(p115)

    ...頭の中に知識をインプットするのは何故だろう?...今は、みんながスマホを持っていて、なんでも手軽に検索できるのだから、...ネットに依存している現代人の多くが、これに近い方針で生きているようにも見えてしまう。
    しかし、そうではない。知識を頭の中に入れる意味は、その知識を出し入れするというだけではないのだ。頭の中で考えるときに、この知識が用いられる。じっくりと時間をかけて考えるならば、使えるデータがないかと外部のものを参照できるし、人にきいたり議論することもできるが、一人で頭を使う場合には、そういった外部に頼れない。では、どんなときに一人で頭を使うだろうか?
    それは、「思いつく」ときである。
    ...現在か過去にインプットしたものが、頭の中にあって、そこから、どれかとどれかが結びついて、ふと新しいものが生まれるのである。
    ...いつでも検索できるのだからと頭の中に入れずにいる人は、このような発想をしない。やはり、自分の知識、あるいはその知識から自身が構築した理屈、といったものがあって、初めて生まれてくるものだ。そういう意味では、頭の中に入れてやることは意味がある。テストに出るからとか、知識を人に語れるからとか、そういった理由以上に、頭の中に入った知識は、重要な人間の能力の一つとなるのである。
    また、発想というのは、連想から生まれることが多い。これは、直接的な関連ではなく、なんとなく似ているものなどから引き出される。現在受けた刺激に対して、「なにか似たようなものがあったな」といって具合にリンクが引き出される。人間の頭脳には、これがかなり頻繁にあるのではないか、と僕は感じている。(p155〜157)

    つまり、自分の時間と空間内では経験できないことであっても、他者と出会うことによって、擬似的に体験できる。人を通して知ることができるのだ。これが、群れを成している最大のメリットだといえる。沢山で集まっているほど、この情報収集能力が高まる。....
    この言葉によるコミュニケーションが、文字に代わったものが本なのである。(p74〜75)

  • 作者の読書の仕方や今までの経歴などを語った本。
    つまらないと思う作品にも面白さがあるという考え方には同意したけど、やはり本を読む意味などは人それぞれだと改めて。

  • 本選びは軽い気持ちで選ぶものではない。そのためには自分のお金で購入しなければならない。そうすると真剣が違ってくる。お金に対する対価として価値があるかどうかを真剣に考えることになる。
    そのためには、本選びは自分で行うべきであり、推薦本だからと安易に選ぶべきではない。
    読書の姿勢として、自分の価値観を塗り替えられることを期待して読む。
    同調を求めるのではなく、相手の意見を受け入れる姿勢で読む。これはコミュニケーションでも同様だ。
    つまらないと思った本からでも得るものは必ずある。それを探し出す技術が身に付く。
    人の教養や品格は、周囲の人との関係、そして読書によって形作られる。
    関心のある分野であれば、一冊読んだら、別の著者の本を読む。できるだけ複数の本を読んで客観性を高める。
    何か新しいことを求めている時は、ジャンルを選ばずに「面白そうだ」という自分の眼力を信じて選ぶ。
    読書によってインプットされた知識は、何かを思いつくときに最も効果を発揮する。引き出しが多いほど、思いつくきっかけが多い。
    インプットは読書だけでなく、旅行も有効だ。しかし、最も手軽で誰にでも有効な手段は読書だと思う。
    アウトプットとしてネットにアップする時には、あらすじではなく「どう感じたのか」をアウトプットすべきだ。
    そもそも速読ではなく遅読(じっくり時間をかけて考えながら読む)すれば、そんなことをしなくても頭の中に知識として残しておくことができるはずである。


    ・本選びは、結局は、人選びであり、つまりは、友達を選ぶ感覚に近いものだと思える。一つは、「未知」である。あいつは、自分の知らないことを知っていそうだ。なにかにやにやして面白そうな表情をしている。きっと、楽しい出来事に遭遇したのだ。それを教えてもらおう、といった感じで本を選ぶ。この方向性は、若いときには主流だったのではないだろうか。若者には、ほとんどのものが未知だからである。
    もう一つは、「確認」だろう。自分が考えていることに同調してほしい、そういう友達がほしい。だから、だいたい自分と同じものが好きで、同じ興味を持っている人と知り合いになりたい。この傾向は最近では特に顕著で、ネットで検索が楽になったこともあってか、自分と相性がぴったりの人と出会いたい、と大勢が望んでいるようだ。同様に、本についても、自分の意見を後押ししてくれるものを読みたい。本を読んで、「そうだ、そうだ、やつまり思ったとおりだ。これで良かったのだ」と思いたい。読むことで自身を承認してもらいたい、という心理で本が選ばれるのである。

    ・本の選び方として、僕が指摘したいのはその一点だけ。とにかく、本は自分で選べ。それだけだ。リアル書店でも良いし、ネット書店でも良い。とにかく、面白そうな本がないかな、と選ぶ時間が大切だということもある。人から聞いたから読むとか、誰かがすすめていたから読むとかではなく、自分の判断で選ぶこと。これがもの凄く重要なのだ。

    ・たとえば、子供に対してもそうだ。子供に本を選ばせる方が良い。幼稚園児になるくらないの年齢なら、つまり、言葉がしゃべれるようになったら、自分で選ばせる。絶対に大人自らが「これが面白そうだよ」などと言ってはいけない。自分で選ぶことが、本を読むことの大部分の意義だといって良い。

    ・その次に大事なことは、その本を手に入れるために、自分の金を出すことである。これは、金を自分で稼ぐようにならないと無意味かもしれないが、子供のお小遣いも擬似的な給料のようなものだから、だいたい、子供の場合も同様である。
    ・自分で稼いだのなら、金の価値がわかっているはずだ。どれくらいの時間、どの程度の労力でそれが得られるのか、それが「価値」の意味でもある。だから、それと交換して本を手に入れるということは、それだけ自分の持っているものを犠牲にする行為だから、さきほど書いた「自分で選ぶ」という点において真剣さが違ってくる。本を選ぶことが、読書の大半の価値だと書いたが、金を出して交換しようと決意した瞬間が、その焦点となる。まさに真剣勝負といっても過言ではないだろう。

    ・面白いものを探して読めば面白い点を見つけられるし、つまらないように読めばたいていのものがつまらない。そのときの気分というか、読み手の状況や姿勢によって評価は一転するといっても良い。

    ・僕は、本を読むときに、まず、この本を読んで自分の意見や知識が塗り変えられることがあれば、と願っている。影響を受けたいという気持ちで読む。どんなものも素直に受け入れたい、と思って読む。これは、人と話をするときも同じで、まずは、説得されたい、この人の意見に同調したい、という気持ちで聞く。そういった姿勢
    で受け入れることカ相手への礼儀だと考えている。つまり、話を聞くのは、尊敬できる人だ、と思うことと等しい。本であれば、これは傑作にちがいない、と意識して読む。

    ・間違っていると思った情報や意見であっても、そういったものの存在を知ることは有意義だ。また、間違っていたものから、なんらかの教訓や、新しい発想が生まれることも少なくない。どんなものでも、刺激になるし、きっかけになる。であれば、その出会いに感謝するべきだろう。結果的に、自分が得をする、恵まれるのだから。

    ・つまらないな、と感じても、とりあえず最後まで読む努力をする。その、うえでやはりどうしてもつまらない場合は、次から同様の本には慎重に、という教訓になる。同様の本とというのは、同じ作者、同じようなジャンル、同じようなタイトル、あるいは似たキャッチコピーの本などである。それよりも、つまらないものならば、何がつまらないのか、という理由を探した方が良い。また、どこかに、もしかして気づかなかった面白い部分があるかもしれない。ものの見方というものがある。なかには、砂金を取り出すくらい苦労しないと価値が見つからなをいものもあるにはある。それでも、なにかは得られるし、それを探す技術が身につく。結果的に自分が成長できるのだから、これは明らかに得をしていることになるのだ。

    ・人の教養や品格というものは、ある程度、その人の周辺の人々との関係によって形成されるだろう。どんな人間とつき合いがあるのか、誰の影響を受けたのか、といったことが基本となり、積み重なって、その人物が作られていく。これと同様に、読んだ本によって、やはり教養や品格が作られるだろう。

    ・現在の関心事に沿ったものが読みたい場合。一冊読んだら、次は別の著者によるものを読んでみる。これは、情報の客観性を求めるためである。事実について語られているものであっても、観察者によってずいぶん見方が変わってくる。そもそもどこに注目するのか、何を取り上げるのかで、まったく別のものになることだってある。できるかぎり複数の本を参考にするべきで、間違っても、一冊読んでそれを鵜呑みにしないことが大切。

    ・なんとなく、新しいことを求めているとき、今までになかった面白そうなことはないか、と探しているとき、そんな場合は、むしろ自分が知っている関連ではなく、遠く離れた他分野へいきなり飛び込むことをおすすめする。こういったことが比較的手軽にできるのが、本のよいところでもある。
    これは、実は僕の本の選び方だ。タイトルくらいは見るけれど、まず作者は無関係で、偶然手に取ったものを読むこと力とても多い。ノンフィクションであれば、歴史、社会、人間、心理、政治、科学、経済、芸能、スポーヅ、事件、取材記録などなど、なんでも読む。何が書いてあるのだろう、とわくわくするほど、知らないものは面白い。
    ・変化に富んだ、バラつき豊かな偶然性を活用するのに、本ほどうってつけのものはない。その恩恵を最大限享受するには、とにかく、なんでもかんでも読んでみること。自分の勘を信じて、背表紙のタイトルだけで手に取ってみること。それが大事な姿勢だということになる。「面白そうだ」という抽象的な判断で箭にかけるしかないだろう。この箭が、個人の勘であり眼力だ。ジャンルを選んではいけない。どんな分野へも飛び込んでいく姿勢が優先される。

    ・知識を頭の中に入れる意味は、その知識を出し入れするというだけではないのだ。頭の中で考えるときに、この知識が用いられる。じっくりと時間をかけて考えるならば、使えるデータがないかと外部のものを参照できるし、人にきいたり議論をすることもできるが、一人で頭を使う場合には、そういった外部に頼れない。では、どんなときに一人で頭を使うだろうか?それは、「思いつく」ときである。
    ・一般に、アイデアが豊かな人というのは、なにごとにも興味を示す、好奇心旺盛な人であることが多い。これは、日頃からインプットに積極的だということだ。ただ、だからといって、本を沢山読んでいれば新しい発想が湧いてくるのか、というとどうもそれほど簡単ではない。おそらく、それくらいのことは、ある程度長く人生を積んできた人ならご存じだろう。
    ・いずれにしても、いつでも検索できるのだからと頭の中に入れずにいる人は、このような発想をしない。やはり、自分の知識、あるいはその知識から自身が構築した理屈、といったものがあって、初めて生まれでくるものだ。そういう意味では、頭の中に入れてやることは意味がある。テストに出るからとか、知識を人に語れるからとか、そついった理由以上に、頭の中に入った知識は、重要な人間の能力の一つとなるのである。

    ・日頃人間はそんなに多くを経験するわけではない。自分の生活や仕事の範囲であれば、毎日はさほど変化はない。ときどき、旅行をすると刺激的なインプットがあるように感じるのは、それらが日常のものとは違っているから、いわば自分から遠く離れた情報だからである。距離的に遠く離れるという意味ではない。知識的、興味的に遠いということである。

    ・連想のきっかけとなる刺激は、日常から離れたインプットの量と質に依存している。そして、その種のインプットとして最も効率が良いのが、おそらく読書だ、と僕は考えているのだ。
    ・読書以外にももちろんある。僕の場合は、自然の観察や、手を使った工作なども、まとんど同じくらい刺激がある。これは個人差があるだろう。電車に乗って、車窓の流れる風景を眺めているときも、いろいろ思いつくが、目で見ている数々のもの、街や村、看板、人々、構造物、地形なども刺激になるようだ。
    ・しかし、誰にでも共通して効果があるのは、やはり読書だと思う。それは、そこにあるものが、人間の個人の頭から出てきた言葉であり、その集合は、人間の英知の結晶だからである。本には、日常から距離を取る機能がある。本を開き、活字を読み始めるだけで、一瞬にして遠くまで行ける感覚がある。時間を遡ることも容易だし、自分以外の人物の視点でものを見ることもできる。経験したことのない感情も知ることができるし、人の思考の流れを辿ることだってできる。

    ・そういった連想や発想を期待する読書において注意が必要なのは、ゆっくりと読むことだと思う。速読しないことである。文字や文章だけを辿るのではなく、そこからイメージされるものを頭の中で充分に「展開」する。それが可能な時間を取りながら読むのが良い。遅い方が良い読書だということ。
    ・本を読みながら付箋を貼ったり、文章に傍線を引いたりする人も多い。若いとき、僕はたいていボールべンでラインを引いていた。また、思いついたことを、そのべージに書き込んでいた。本が汚れるので嫌う人が多いようだが、自分で買った本なのだから問題はない。これは、電子書籍にも同様の機能がある。ぺージの端を折ることもある(ドッグイヤと呼ばれている)。そのべージに連想のきっかけになるようなことが書いてあった、誰かに教えたいような良い文章があった、とあとから探せるからだ。
    こういうた反応は、ある意味でアウトプットといえる。読書をしているときは明らかにインプットなのだが、そこにあるものを、別のものに利用したい、他者に伝えたい、未来の自分のために残しておきたい、という行為だから、外に向かっている。

    ・本を沢山読む人は、この頃はネットで感想をいちいち書いてアウトプットしている。そうすることで、自分が読んだという記録を残したいのだろう。ただ、感想といっても、九割以上があらすじである。つまり、あとであらすじを読んで、ああ、それは読んだな、と思い出せるようにしているみたいである。
    もし、共感を得たいのならば、もう少し「どう感じたのか」という点をアウトプットした方が良いと僕には思えるのだが、ほとんどそうは語られていない。ただ、どこが良かった、どこが印象的だった、という「場所」だけが示されている。

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著者プロフィール

工学博士。1996年『すべてがFになる』で第1回メフィスト賞を受賞しデビュー。怜悧で知的な作風で人気を博する。「S&Mシリーズ」「Vシリーズ」(ともに講談社文庫)などのミステリィのほか「Wシリーズ」(講談社タイガ)や『スカイ・クロラ』(中公文庫)などのSF作品、エッセィ、新書も多数刊行。

「2023年 『馬鹿と嘘の弓 Fool Lie Bow』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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