- Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
- / ISBN・EAN: 9784140911082
作品紹介・あらすじ
私たちは日々、このように生きたいとか、こうありたいと思うが、心は脳のような実体がなく、なぜそう願うのか、取り出すことはできなかった。しかし、フロイトは過去の欲望に規定された「無意識」を発見することで、心がエロスや自己承認の欲望によって駆り立てられる存在であることを明らかにした。現在では、汎性欲説やエディプス・コンプレックスなど、誰もが承認できる理論とは言い難く、また実証不可能な仮説群であり、治療論としては時代遅れとされている。しかし、哲学が知的営みによってある世界理解を打ち立てたように、フロイト思想は一つの決定的な人間学を二十世紀思想として打ち立てた。現象学の本質観取によってフロイトから人間学としての本質を引き出し、現代思想に影響を与え続ける優れた思想としてフロイトを読み直す。
感想・レビュー・書評
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竹田現象学の枠組みを用いて、フロイトの無意識に関する理論をとらえなおそうとする、意欲的な試みです。
フロイト自身は、みずからの精神分析を一つの科学だと考えており、実体的なエネルギー経済の理論の構築をめざしていました。しかし著者たちは、そうしたフロイト自身の精神分析理解は、19世紀的な自然科学主義の発想を無反省に受け継いだものだと断じています。
竹田現象学では、人間は身体=欲望相関的な仕方で世界と自分自身についての了解を得ていると考えられます。著者たちはフロイトの無意識に関する理論を、こうした自己と世界についてのより深い了解に至るための方法としてとらえなおそうと試みています。
さらに竹田は、われわれがみずからのエロス的原理としての「心」それ自体を対象として把握することができず、つねに世界とのエロス的関係が開示される仕方によって「了解」するほかないといい、このような「心」のあり方を「非知」と呼びます。そのうえで、こうしたわれわれの「自由」の根拠を示したことに、自我の外部としての無意識という領域がフロイトによって発見されたことの意義を見ようとしています。
フロイトの思想の客観的な解説ではありませんが、竹田現象学の展開の一例としておもしろく読みました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
共著。夢と無意識、エディプス・コンプレックス、自我・エス・超自我から成る第二極所論モデルなど耳馴染みのものを手堅く抑えた基礎部分と現象学の見地からアクロバティックな「本質観取」を試みたとされる応用部分に二分できる。一冊の中での調和が取れているとは言い難いが、異なる掛け合わせのマリアージュこそが現代的な狙いとしてあったのかもしれない。
自我心理学と対象関係論のようなポスト・フロイトの分派乱立の理由と意義を一つのテーマとして設定していたようなのだが、古典的精神分析の二者間による相互幻想共有を逸脱せぬよう釘を刺しながら且つ一般他者の視線を常に意識し一定の社会構造を保持せよというのは、本書で語られているよりずっと実践の難しいことである。承認欲求と絡めた妙なヘーゲル推しも気に掛かる。 -
近年稀なるフロイト持ち上げ本。山竹さんて面白いね。
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なんでも性に結びつけるあたりは理解できなかったけど、
無意識の話とかなかなか面白かったです。 -
「無意識」の現象学的還元により、その大もとにある人間の生の欲望(性欲のみにあらず)の向かう方向を分析する。ただ、ややフロイトの方がダシにされている気もする。