- Amazon.co.jp ・本 (323ページ)
- / ISBN・EAN: 9784150108854
感想・レビュー・書評
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実はSFも大好きなんです(なんの秘密だよ!)
SF作品を面白いと思えるかどうかってその作品の世界観(世界設定と言ってもよいです)が腑に落ちるかどうかにかかっていると思うんですよね
すとんと雑味なく受け入れられるかどうか
理屈がたくさんついて来ちゃうとダメなんですよね
100ページくらい読んだときには当たり前になってる感じ
まあ御託はこの辺にして『死者の代弁者』です
『エンダーのゲーム』の続編になるんですよね
うーん読んだことあるように思うんだけど…あまりに有名すぎてそんな風に思い込んでるだけかも
それにしてもこれ30年以上前に書かれた物語ですよ
なんか人類って30年くらいじゃあんまり進歩しないなあって思ったり
理解すること、あるいは理解し合うことの大切さ
そのために必要なのは知ることあるいは聞くことなのかも
家族間、恋人間、友人間、隣人間、異種族間で
自分の価値観の中に相手を押し込めようとしないでちょっと聞いてみればいいだけなのかも
他の誰かが決めたものに逃げ込まずに自分で考えて踏み出してみたら案外相手は笑って受け入れてくれるのかも
理解し合うことで戦争を回避できるはずなのになぜやれないと決めつけるのか
エンダーがいたら今度の戦争も止まったのかも詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
前作で失敗した、異種との相互理解を描く。エンダーが史上最悪の人物になってたり、人類がバガーと理解できなかったことを悔やんでいるのは、前作から180度の転換。それでいて、今でも少し間違えれば、異種を皆殺しにしてしまいかねない人間の愚かさ。前作で終わらず、これも読んでよかった。
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前作「エンダーのゲーム」から、一気に趣を変えた作品です。
本作には、息のむような「ゲーム」は出てきません。
もちろん、壮大な艦隊戦も出てきません。
非常に深い主題のもとで展開される、「異種」を巡る物語です。
本書では、とても印象的な分類が登場します。ちょっと長いけど引用。
ノルド語の"a"は、「a」の上に点が二つ付きます。<blockquote>「ノルド語は、異人性に四つの等級を認める。第一は<ruby><rb>異郷人</rb><rp>(</rp><rt>アザーランダー</rt><rp>)</rp></ruby>、つまり”ユートレニング (utlanning)”――わたしたちの世界のではあるが別な都市や国の人間として、わたしたちが認識する、よそ者。第二はフラムリング (framling)――デモステネスは、ノルド語の”フレムリング (framling)”から変音記号をただ落としてしまっているけれど。これは、わたしたちが、人間ではああるが別な世界のものとして認識する、よそ者よ。第三はラマン (raman)――わたしたちが、人間ではあるが別な種のものとして認識する、よそ者。第四は、真の<ruby><rb>異種族</rb><rp>(</rp><rt>エイリアン</rt><rp>)</rp></ruby>、ヴァーレルセ (varelse)、これには全ての動物が含まれる、彼らとはどんな交流も可能ではないから。彼らは生きているけれど、わたしたちには、どんな目的あるいは理由によって彼らが行動するのか、見当を付けられない。彼らは、知能を有するかもしれない、自意識があるかもしれない、けれど、わたしたちはそれを理解出来ないわけよ」</blockquote>この分類は、人間社会にそのまま当て嵌まります。
もともと人間社会で使われていた分類だから当然なのでしょう。
けれど、改めてこの分類を前にすると、ちょっと考え込んでしまいます。
人間という生物の特色のうち、最も大きいのは「分類」だと思います。
ちなみに、もうひとつの特色は「類推」です。
この二つが重なり合って、「直感」が生まれてきます。
という余談はさておき、「分類」についてです。
この分類は、自らを取り巻く環境に於いても当然のように行われます。
それを大別したものは、さきほどのものとよく似ているように感じられるのです。
まず重要なのは、「意思の疎通が可能なのか」という部分。
つまり、第三と第四の間には、あまりにも深い溝が存在しているのです。
相手が「ラマン」なのであれば、相互理解による歩み寄りは可能かもしれない。
しかし、「ヴァーレルセ」であったとき、意思の疎通すらも不可能なのです。
相手が危害を加えてきたとき、その理由が分かれば、対処のしようもあるでしょう。
ねばり強く交渉することで、その行為をやめてもらえる可能性も出てきます。
けれど相手が「ヴァーレルセ」ならば、回避する方法はただ一つしかありません。
こちらが危害を受ける前に、相手が危害を加えられないようにするしかない。
それを突き詰めると、<ruby><rb>異類皆殺し</rb><rp>(</rp><rt>ゼノサイド</rt><rp>)</rp></ruby>が発生します。
エンダーが行ったのは、まさに<ruby><rb>異類皆殺し</rb><rp>(</rp><rt>ゼノサイド</rt><rp>)</rp></ruby>でした。
「殺られる前に殺る」という、極めて単純で強力な思想のもとに。
しかし、それは大いなる誤解でもあったのです。
その過ちを繰り返させないために、エンダーは「死者の代弁者」となります。
自らが滅ぼした種族を代弁した『<ruby><rb>窩巣女王</rb><rp>(</rp><rt>かそうじょうおう</rt><rp>)</rp></ruby>』を書き上げたのです。
そして続けて、世界の頂点に君臨した『<ruby><rb>覇者</rb><rp>(</rp><rt>ヘゲモン</rt><rp>)</rp></ruby>』を。
故人の人生を深く理解し、故人が為したことと為さなかったことを「代弁」する。
それが、「死者の代弁者」という存在です。
そんな「死者の代弁者」が、ルジタニアからの嘆願を受け取ります。
そこで起こってしまった悲劇を、「代弁」によって解き明かして欲しい、と。
エンダーは、そこに自らの居場所を見つけ、ルジタニアを目指します。
けれど、ルジタニアで待っていたのは、さらに複雑に成り果てた「家族」でした。
間違った方向に進んでしまったことで、どうしようもなく絡んでしまった関係。
そして、そこに存在している「ペゲニーノ」という「異星人」。
様々な要素が絡まるなかを、少しずつ解きほぐしていくエンダー。
その経緯で語られるのは、とても含蓄に充ちた、深遠で感動的な物語です。
自らとは違う生命体を前にして、それが「ラマン」だと信じること。
それが、相互理解の第一歩なのだと深く納得させられる作品でした。
問答無用で「ヴァーレルセ」なのだと断じてしまったら、そこから先へは進めません。
"discommunication"を産み出すのは、いつだって自分自身に他ならない。
その事が、結末に到るころには、読者の心に深く刻まれていることでしょう。
Double-Clownに相応しい、傑作だと思います。 -
一気に読み終えてしまった。ダブルクラウンの威力すさまじき。知的生命体と人類と死者の代弁者の関わり、物語にはいってしまうともうそれが終わらないと抜けられない。SFって面白い。
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感想は<上巻>にまとめました!
https://booklog.jp/users/kotanirico/archives/1/4150108846 -
死者の代弁者〈下〉 (ハヤカワ文庫SF)
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前同
表紙 7点加藤 直之
展開 8点1986年著作
文章 7点
内容 750点
合計 772点 -
2冊の本を読んだだけなのに、壮大な年代記を読んだような充実感がある。ピギーの生態は正面から問えばすぐ解明するものだし、ノヴィーニャは自分を不幸にするために罪のない子供たちを巻きこんでいて、どうしてもそこは許せない気がする。(せめてカンのために避妊くらいできなかったのか。カトリックだからダメなのか)一方ジェーンのように得るものがあれば失うものもある切なさや、真実の前には非情になれるエンダーの冷徹さもきちんと描いていて、好感が持てる。この先のシリーズは評価が分かれるけれど、翻訳されているぶんは読んでみたい。
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凄い。これほど文章の濃密なSFは読んだことがない。
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エンダーには幸せになってもらいたいと思った。エンダー(終わらせる者)、スター=ルッカ-(星を見る者)かっこいいなー。
主人が昔、「エンダーのゲーム」を読まずに読んだそうな。そして、途中で挫折したそうな。そりゃそうだろう。