- Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
- / ISBN・EAN: 9784152100160
感想・レビュー・書評
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マイケル・サンデルにずっと興味を持っていたので、手に取ってみた。
現代社会に蔓延している実力主義が正義に則っているかどうかを、様々な政治哲学思想から議論していく話。
自分も学力偏重的な考え方を持っている。その一方で、私は世界の多様性を尊重したいとも考える。しかし、それはサンデルからすると、矛盾している。学歴もまた、多様性としてみなさなければならない。また、私たちは謙虚であり続け、共通善のために働き続けなければならない。 -
アメリカにおいて、学歴ベースのメリトクラシーがいかにして非大卒労働者から労働の尊厳を奪い、結果としてトランプ政権を誕生させたかが分かった。絶望死といったトピックがメリトクラシーと連結しているということもはじめて認識した。
能力における評価をなくしましょうというわけではなく、能力を評価してしまうシステムの中に運要素を介在させる事により、成功者の過剰な自意識を抑え、たまたまシステムに評価されてうまくいった人とそうでない人の間の尊厳における距離を小さくするという考え方はなるほどと思った。
解説にあるように、ここではじめて能力主義と訳されているメリトクラシーは原語では功績主義に近いもので、スキルや功績、能力がごちゃ混ぜになって「能力主義」として語られている日本では、より困難な課題に直面している可能性があるなと思った-
2022/07/10
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アメリカの大学はかなりの高額の学費で、もはや裕福な家庭の子供しか通えないと、アメリカに住む親戚から聞いていた。
そして根強い差別意識が蔓延っているのも事実。
ハンク・アーロンがメジャーリーグで実力で本塁打王をとり能力主義を体現したのではなく、本塁打を打つ事でしか乗り越えられない差別主義があったという指摘は深い考察だ。 -
能力主義を当たり前のものとして生きてきたことに気付かされた。”エッセンシャルワーカー”という言葉の使われ方も、上からの目線であることがわかる。
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The Tyranny of Merit: What's Become of the Common Good?
https://www.hayakawa-online.co.jp/shopdetail/000000014804/ -
もしいま、何かしらの社会的な地位や栄誉を得ているとしたら、少なくとも貧困ではないとしたら、それは何故だろうか。
成功者の多くは、それを自分の手柄であり、自らの努力や才能のおかげだと考えるという。しかし、はたしてその考えは正しいのだろうか。サンデルは読者に問いかける。単に恵まれた家庭に育ったからではないのか。親や友人、周りの者が惜しみない愛情を与えてくれたからではないのか。あなたが才能と呼ぶものも、たまたま今の社会でマッチしただけではないのか。それは幸運に過ぎないのではないか。
才能があり努力さえすれば、出世できる。あなたはそれに値する。政治家は口を揃えてバラ色の能力主義を語る。大学に進学し教育を受けるべきだ。高等教育こそが社会的地位向上への近道だ。こうして学歴偏重社会が到来する。「出自は関係ありません。懸命に努力すれば報われるのです!」
しかし、それはグローバル化の流れにのれていない者、学歴のない者を不当に貶め、自信を失わせることとなった。実際のところ、学歴が平等の象徴とはほど遠いことをサンデルは膨大な事例を挙げて解説していく。名門大学のほとんどの生徒が富裕層に属し、身分は流動化どころか固定化していた。富める者はより富を増やし、格差は桁違いになった。アメリカンドリームは、文字通りのドリームとなってしまった。アメリカの大学のレガシー制度とは少し違うが、日本でも有名大学に通う生徒の家庭は富裕層が多いことはよく指摘される。この問題に対して、自身も教育者であるサンデルはなかなかエキセントリックな解決策を提示している。
本書は、能力主義の是非について、承認、評価、功績、幸運、尊厳等、さまざまなキーワードで解説している。お馴染みの説得力ある語り口は健在である。自然と自分で考えるように仕向けられるていることに気がつく。英語力があれば、サンデル先生の講義も受けてみたいなぁ。 -
「実力も運のうち 能力主義は正義か?」と問いかけるタイトル。当然、本書の主張ではNoだということだ。
まず、能力とは何か。
能の力、すなわち才能の大きさのことだろう。では、才能とは何か。才能は、多様である。誰もが才能を持っている。トレーダーとしての才能がある人がある人もいれば、大道芸の才能がある人も。つまり、「才能の大きさ」を、万人を比較するための物差しとして使用している「能力主義」は欠陥の多いシステムなのだ。
現在の社会において、人の処遇を決めている能力は、学歴である。学歴を能力の証明として使用しているのが現代社会だ。学歴が高いと、能力が高いとみなされ、多くの金銭的報酬を受け取ることができる。このような恩恵を受けられた大人は、自分の子供の教育には労力や金銭を惜しまない。
ハーバードの学生の親の2/3は米国の所得規模で上位20%の家庭の出身だ。日本の東大でも似たような調査があった気がする。裕福な親は子供に良い大学に行かせられるよう潤沢な資金を投じて教育を受けさせることができる。そして、そうした親は総じて学歴も高い。
しかし、子供側からすれば、1点を競う大学入試競争を勝ち抜き、入学資格を手に入れたことは、「自分が努力したから」に他ならない。つまり、「努力して、良い大学の入学資格を手に入れた自分は、能力が高い」という驕りを生んでしまう。子供は、自分の学歴の背景には、勉強を応援してくれる家庭環境や潤沢な資金があったことなどの様々な幸運に気づくことができない。
これによって、子供は学歴を能力を判断する物差しとして持つようになり、学歴が低い人を「能力が低い」と判断するようになる。子供からしたら、「大学入試競争を勝ち抜けなかった人」だからだ。大学入試競争が、親の経済力や家庭環境によって「勝ちやすさ」が変わる不平等なものではなく、子供自身の能力を平等に競うものだと思っているからだ。
このような子供はすでに大人になり、「裕福な親」として子供に潤沢な教育を施している。そして、大企業社長や政治家など社会に対して大きな影響力を持つ人々が、学歴を人を判断する物差しとして使っているので、現在では学歴が人の処遇を決めているのである。
学歴偏重主義は、現在では「容認されている最後の偏見」である。今は、障害者やLGBTへの差別は「あり得ない」時代。しかし、学歴による「区別」は明確に行われている。学歴だけは「誰もが才能の許す限り」得られるものだとされているからだ。
よって、学歴の高い人は能力が高いと考えられ、報酬の高い仕事に「値する」とされる。医者・弁護士・企業役員など。
サンデルはこの「能力主義」に疑問を呈している。 -
書き方は難しいけど割とタイトル通りのことを言っていて腑に落ちます。能力(功績)主義が労働者の尊厳を傷つけてきた結果、いまの不平等や絶望が蔓延する社会となった
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サンデルの新作てあり、また、仕事で大企業の幹部育成を担当していることもあり、能力主義に対する理解を深めたく、すぐ購入しました。
しばらく積読状態が続き、やっと読むタイミングがきて、読了。
サンデルの他の著書でのテーマと同様に、共通善や道徳を基盤した内容となっています。
能力は、出自や時代による影響が大きく、努力だけではどうにもならない部分があることは理解できたものの、解決策についての納得感は低かったです。
もちろん、能力主義の問題点を踏まえ、答えを本書に求めるのではなく、改めて能力主義に対するオルタナティブを考えるためのベースとして、気づくをもらえる機会として、価値のある内容だったと感じた。