- Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
- / ISBN・EAN: 9784152100160
感想・レビュー・書評
-
翻訳者が語られている中身を理解していなければ、読者は不安になる。中身がすっと入ってこなくなる。
学歴による社会の分断が起きている。労働者の政党が今や高学歴者の政党になっており、それが米英仏と異なる国で同時期に起きた。
能力主義は、貴族主義が社会的地位が偶然によるものでその個人の能力に応じたものではないのと違い、社会的地位がその個人の能力に応じたものであると考えさせるもので、社会的地位が高い者にはおごりを、低い者には惨めさを抱かせる。これが社会に深い分断を生み出している。
ハイエクは経済的報酬はあくまで価値に過ぎず、功績すなわち道徳的な手柄を反映しているという考え方を拒否していた。これは再分配を否定する論拠だが、ロールズは同じ論拠を再分配への論拠としていた。
運の平等主義は救貧法の復活で、無責任とレッテルを貼った人には援助せず、生まれつき劣っているとレッテルを貼った人には屈辱的な援助を提供するものであるとするアンダーソンの主張。
社会的流動性を保つ選別装置としての大学も逆に格差固定化の役割を果たしてしまっていた。能力の専制により学生の魂が削り取られてしまっているので、むしろ入試の選抜プロセスにくじ引きを取り入れるよう提言。
いかに労働に尊厳を取り戻すか、これが重要だな。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
アファーマティブアクション(積極的差別是正処置)、共通善を唱えるマイケル=サンデルの格調高い一冊である。格差社会において才能を認めてくれたのは実力や努力ではなく幸運のおかげで自分の手柄ではないと新たに気付かされる。能力主義、共通善が消費者の幸福の最大化等今の社会の状況を鋭く描いてみせたところに驚きを感じさせる。
-
功績主義=メリトクラシーを批判的に書いた本。日本は周回遅れをとっている領域の議論。
メリット(功績)が評価されることが徹底された社会において、功績を出した人と、功績を出せていないとされた人々との断絶が起きている。お互いの人々は日々の生活において交わらない。
メリットは果たしてその人だけの手柄なのかと。
その人が生まれ育った環境というアドバンテージがあったはずなのに、メリトクラシーは、功績は全てその人の手柄で賞賛すべきに値する、という勘違いや思い上がりをうむ。
もっと謙虚になるべきという議論。
オバマ大統領なども例示として出てきて、「スマート」を多用した、meritocracyの体現者として出てくる。
オバマによる環境問題を議論しない人は、前提知識が欠如したスマートでない人たちという論理展開も、結局は、環境問題以前に自分達のアイデンティティが脅かされていることの優先度が高いという人たちを理解しない、功績者とそれ以外の断絶を物語っていると。
経済社会は、消費が目的であり目標だと言う、国富論以後の理論は間違っている。
消費ではなく労働自体も目的である。
つまり、働くことで共通善に対して貢献している(貢献的正義)と同胞から評価されること自体が労働の意味でもある。
つまり「金のためだけに働いてるんじゃない!」って話である。 -
原著はTyranny of Meritocracyで直訳すると、能力主義の専制である。「やればできる」「努力と才能があれば、だれしも成功できる」という耳障りの良い言葉が溢れているが、著者はこうした過度な能力主義に対して痛烈に批判する。なぜなら、能力主義は自身の成功や失敗を全て自責論として捉えるため、勝者は自身の成功が積み上げた努力の結果であると驕り、敗者は努力不足による失敗を認め屈辱感を覚えることになる。例えば、東京大学に合格した学生は日々の努力こそが合格へ繋がったと考える一方で、不合格で浪人した学生は努力不足によって受験に失敗したと自分を責めるだろう。しかし、実際の東大合格者を詳細に見ると、幼少の頃から進学塾に通っていたり、教育レベルの高い両親がいたり、周囲のサポートがあるからこそ、合格している。それにも関わらず、過度な能力主義は、合格の要因を自分自身にのみ起因させ、勝者に驕り、そして敗者に屈辱感を与える。
能力主義は、グローバル資本主義の推進によって加速された。国境を超えた経済活動が行われ、国家の市場への介入は最小化され、経済成長を最優先としてきた。その結果、資本主義の恩恵を預かることができた勝者と、資本主義によって労働機会を失った敗者に分断されてしまう。この分断を巧みに利用し、敗者からの支持を集めたのがトランプ大統領だ。白人至上主義、移民排斥、雇用機会の創出は、グローバル資本主義で市場から弾かれた敗者に向けられたものだ。
市場価値が高い人は、彼ら自身の能力が優れているだけでなく、たまたま市場規模が大きく、たまたま需要の高いスキルを持っているからに過ぎない。メッシはプロサッカー選手として年間50億円は稼ぐが、これは彼が比類なきプレイヤーであるだけでなく、サッカー市場が巨大であるからだ。そのため、決して、メッシが他の人よりも「社会に貢献している」という訳ではない。 -
p. 41
運命の偶然性を実感することは、一定の謙虚さをもたらす。「神の恩寵がなければ、つまり幸運な偶然がなければ、私もああなっていただろう」と。
ところが、完全な能力主義は恵とか恩寵といった感覚を全て追い払ってしまう。
p. 43
民主党はかつて、特権階級に対抗して農民や労働者のために闘っていた。いまや能力主義の時代にあっては、敗北した民主党指導者(H. クリントン)は、国内でも裕福で意識の進んだ地域住民が自分に投票したと自慢していたのだ('18, ムンバイでの集会にて)。
p. 51
自由概念:自分の運命は自分の手中にある、自分の成功は自負に制御できない力によるものでない、成功は自分のおかげである、と言う考え方。
p. 66
摂理主義:人々は、自分が値するものを手に入れるという考え方。ひとつは傲慢な形('08金融危機)、ひとつは懲罰的な形(9.11, カトリーナ,3.11日本の物質主義)として。
石原慎太郎のいう、日本の物質主義に対する天罰とは?
物質主義:たとえば、広島カープの黒田をイメージするとわかりやすい。
単純な物質主義では、単純に給料の高い球団と契約するという考え方です。高い給料をもらう=野球選手の幸福、という主義です。
しかし精神主義では、野球選手の幸福=給料の金額、ではないという思想です。広島カープの球団オーナーやスカウトの態度、姿勢、広島ファンの心意気、そういったものを給料の金額より優先する、それを男として評価する、というのは明らかに一種の精神主義です。
p. 102
出世のレトリックとオバマ元大統領
"功績"や"〜に値する"という表現
p. 116
プラトンの"高貴な嘘"のアメリカ版
→富者と貧者のあいだに極めて大きな格差があるものの、底辺にいる人びとでさえ、"やればできるのだ"。
-
アメリカが、イギリスが、これほどまでに分断されていること、その理由が貧富の差であることを、全く知らなかった。
アメリカで起こることはやがて日本でも起こる。日本でも、非正規と金持ちの対立が起こるのだろうか?
能力主義に変わるシステムが現れない限り、富の偏在は続くのだろう。
どんなシステムであれ、皆が平等にはならない。それでも、時代とともに良くなってはいるのだと思う。
直近の未来が暗くても、大きな流れでは少しずつ良くなっていると思いたい。 -
自らが能力主義、功利主義に囚われていた事に気づくきっかけになった
自惚れていた
謙虚さ、寛容さを身に付けたい -
努力をすれば必ず報われる、という考え方は本当に正しいのか?という事を論じた本。
今のアメリカの実例を交え、社会の不平等さなどがひしひしと伝わってきた気がする、、、