死では終わらない物語について書こうと思う

著者 :
  • 文藝春秋
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感想 : 8
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  • Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163903309

作品紹介・あらすじ

日本人はこうやって死んできた!僧侶でもある著者が、庶民から高僧までさまざまな時代の人々の死にざまを読み解き、「死=終わり」ではない日本人の死生観に迫る。「死に関する情報」はあふれているのに「死に関する物語」は貧弱な社会に生きる、現代人必読の書。【目次】第一章 日本人はこうやって死んできた第二章 〈物語る〉仏教第三章 臨終にも行儀作法がある第四章 〈物語り〉を取りもどす終章 帰るところのある人生を生きる

感想・レビュー・書評

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  • ぼんやり読み進めていたが、終わり近くのやよさんのエピソードでキリッとなった。死ぬ時はこのようでありたいと思った。
    もう少し後の、梅原猛さんの「キミたちは、浄土へ往生してからもう一度、生きとし生けるものを救うためにこの世界へもどってくる覚悟はあるか」と聴衆に向かって問いかけ、自分はその覚悟があると答えられたエピソードにも、こういうところを目指したいと思わせられた。
    そして、あとがきの釈先生自身の迷い(と言っていいのか)には安心させられた。

    ぼちぼち考えていきたい。

  • 釈徹宗さんの本は分かり易いが、本書は共感を感じなかった。平安時代から種々書かれてきた往生伝を紹介し、市井のあるいは高僧の臨終の様子を紹介している。基本は亡くなるまで一心に、ときには愚鈍に称名を続けることによって、安らかな浄土往生を遂げるという話。私的にはもうひとつ。でも納得することもあった。僧の話が「本人ひとりに」語られていると感じて開悟する話は、仏様との出遇いの瞬間である。また、臨終に際して良寛の歌「うらを見せおもてを見せて散るもみじ」。「死ぬ時は一人ではない阿弥陀仏とともに」など。112頁で中断。

  •  情報というのは、新しいものが手に入れば、それまでのものはいらなくなります。役に立たなくなるからです。使い捨てです。役に立つか立たないかがひとつの目安となります。
     これに対し物語は「一度それと出会ってしまうと、もはや実現することはできなくなる」、そんな性質をもっています。たとえば、死後の世界や幽霊の話などを聞いてしまうと、もうそれを意識せざるを得なくなります時がありますよね。トイレの階段を聞いてしまうと、その晩からトイレが怖くなる。昨夜までは平気だったのに、誰しもそんな経験をもっています。
    知らない時なら気にならなかったのに、一度それと出会ってしまった限りは意識せざるを得ない。それが物語です。時には「こんなことなら知らない方が良かった」と痛感することさえあります。(pp.117-118)

     物語とは、数多くの意味によって編み上げられた織物です。我々は織物となった物語から発せられるメッセージ(物語り)を全身でキャッチします。そして、ある物語を「これは私のために編み上げられたのだ」と実感したとき、その物語は他のものでは代用できなくなります。(p.120)

     注目すべき点は、臨終を通して、死の日本文化は独特の発達を遂げていったところです。阿弥陀仏信仰によって、死を直視して、生を再読する、という人々の態度が成熟していったことは「往生伝」や臨終行儀書からもひしひしと感じることができます。そこには宗教的情緒あふれる営みと、真摯な歩みがありました。(p.143)

     帰る世界としての浄土は日本における死の文化を豊穣にしました。來迎の物語、臨終行儀、山越しの阿弥陀図像、いずれを取り上げても強烈な “死の一線を超える装置”だといえるでしょう。死は一面冷徹な現象ですが、他方では暖かく豊かな文化でもあります。生と死が交錯する物語によって、死はさまざまな姿を見せます。その諸相を通して、我々は自分自身の生を見つめ直すことになるのです。(p.146)

  • 「ものがたり」という言葉がささりました。

  • 死に方。死んだ後は。そういう話がきになる。死生観についての本も結構たくさんあるが、日本人の死生観、仏教の死生観、原文引用しながらの解説わかりやすい。
    臨終の際に、念仏を唱え、苦しみを和らげつつも、妻子や身内に合わせたり、だべたいものは?などといわゆる欲の部分を遠ざける。
    なるほどとも思いつつ、なかなかそういう逝かせ方、逝き方というのは難しいなあ。。

    かなり面白かった。
    納棺夫日記、おくりびとの原案(原作とならないのは著者が事態、宗教的部分がそがれたから)の話も。


    目次
    第1章 日本人はこうやって死んできた(「往生伝」の語り
    『日本往生極楽記』を読む
    『読本朝往生伝』を読む)
    第2章 “物語る”仏教(仏教説話の“物語り”
    法然・親鸞の浄土往生
    一休・良寛の臨終
    二百年前の日本人の死に方
    宗教的ナラティブへ)
    第3章 臨終にも行儀作法がある(臨終の作法
    臨終行儀の系譜
    密教系・日蓮宗系・禅系の臨終行儀
    西に想う)
    第4章 “物語り”を取りもどす(「どんな人も死ねばわかる」
    現代の「往生伝」
    薄められた死の物語
    説教者の語り
    “物語り”を取りもどす)
    終章 帰るところのある人生を生きる

  • 「死では終わらない物語について」往生伝や
    終活、いかに死ぬか。宗教と死。をテーマに
    書かれた本。
    久しぶりに読んだ釈氏の本でもあります。
    まだまだ、死について具体的に近しく感じたことは
    今のところありません。
    一度危ないといわれていた時はあるようですが、
    その時は本人は全くわかっていませんでしたので。
    ただ、この本を読んで。先に死んでいった人たちと
    会えるのであればそれはほんとに少しだけ、
    前向きになる感じがします。親父に会いたいなあと
    少し思います。
    怖かったし、そんなに仲好というような関係では
    なかったけど。今の現状を話ができればいいなと
    思います。

  • 15/09/11。

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著者プロフィール

1961年大阪生まれ。僧侶。専門は宗教学。相愛大学学長。論文「不干斎ハビアン論」で涙骨賞優秀賞(第5回)、『落語に花咲く仏教』で河合隼雄学芸賞(第5回)、また仏教伝道文化賞・沼田奨励賞(第51回)を受賞している。著書に『お世話され上手』(ミシマ社)、『不干斎ハビアン』『法然親鸞一遍』『歎異抄 救いのことば』など。

「2023年 『日本宗教のクセ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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