- Amazon.co.jp ・本 (277ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163906478
作品紹介・あらすじ
この世のみちづれとなって――十一通の絵手紙をもらったのが最初だった。直木賞受賞、強迫神経症、お遍路、不意の死別。異色の私小説作家を支えぬいた詩人の回想。【本文より】長吉は二階の書斎で原稿を書き上げると、それを両手にもって階段を降りてきた。「順子さん、原稿読んでください」とうれしそうな声をだして私の書斎をのぞく。私は何をしていても手をやすめて、立ち上がる。食卓に新聞紙を敷き、その上にワープロのインキの匂いのする原稿を載せて、読ませてもらう。 (中略)それは私たちのいちばん大切な時間になった。原稿が汚れないように新聞紙を敷くことも、二十年来変わらなかった。相手が読んでいる間中、かしこまって側にいるのだった。緊張して、うれしく、怖いような生の時間だった。いまは至福の時間だったといえる。 (本文より)
感想・レビュー・書評
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2015年に亡くなった私小説作家・車谷長吉の思い出を、妻で優れた詩人である著者が振り返ったもの。2人の出会いから永訣までが、ほぼ時系列で綴られている。
もう10年以上前だが、私はこのご夫妻を某誌の「おしどり夫婦特集」で取材させていただいたことがある。そのときのことを思い出しつつ読んだ。
2人は共に40代後半で晩い結婚をしたから、夫婦として過ごしたのは約20年。
その間、車谷の直木賞・川端康成文学賞受賞、高橋の読売文学賞・藤村記念歴程賞受賞などがあり、思えば華々しい年月である。
だが、その一方で、車谷の病や、私小説に描いた人から名誉毀損で訴えられるなどの筆禍が続き、波乱万丈の20年でもあった。
本書は全体が6つのパートに分かれている。そのうち、愛の物語として最も胸を打つのは、結婚に至るまでの日々を綴った「Ⅰ」の部分である。
高橋の詩「木肌がすこしあたたかいとき」に深く感動した車谷は、計11通もの絵手紙を一方的に送りつけるなどして、彼女への思慕をつのらせていく。
それは、高橋を自らの「ミューズ(芸術の女神)」として渇仰するような、特異な恋のありようであった。
一方、高橋も、車谷の小説を読んで次のように思う。
《これほどの小説を書く人が世に埋もれているのは、よほど頑固で風変わりな人ではないかと思った。それとともに、この人はおろそかにできない、という気持ちが湧いてきた》
2人の結びつきは、互いの才能を認め合うところから始まったのだ。
その意味で、与謝野晶子と鉄幹、パティ・スミスとロバート・メイプルソープの恋のような、表現者同士の恋の物語として強い印象を残す。
本書には言及がないが、車谷が高橋について書いた「みみず」という名エッセイがある(『錢金について』所収)。
作家として「埋もれて」いた車谷は、高橋との出会いを機に、三島賞を受賞するなどして脚光を浴びる。そのことで「あなたは私のミューズだった」と讃えると、高橋は「私なんて蚯蚓(みみず)ですよ。でも、蚯蚓は土の滋養になるのよ」と答えたという。
車谷長吉にとってのミューズ・高橋順子が、万感の思いを込めて亡き夫との年月を綴った書。車谷作品の愛読者なら必読だ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
長吉さんは良くも悪くも子供のような人だった。
これほど手の掛かる夫を亡くされた奥様の寂寥は如何許りか。 -
3.95/101
メディア掲載レビューほか
『作家・車谷長吉を支えた妻が振り返る「結婚生活は修行のようでした」
作家・車谷長吉さんが、誤嚥による窒息のため69歳で亡くなったのは、2015年のことだった。
稀代の小説家を看取ったのは妻で詩人の高橋順子さん。2人の出会いは29年前、車谷さんから突然届いた1枚の絵手紙に遡る。
「古風な出会いでした。絵手紙は毎月1通ずつ計11通届いたんですが、独り言のようなことが書いてあったりして、受け取るたび薄気味悪い気持ちでいました」
その後、紆余曲折を経て、1990年の大晦日に、初めて車谷さんと会った。
「ああいう絵手紙を寄こすのは、どういう人かなぁという興味で会ったんです。でも何にも喋らなくてやっぱり薄気味悪いな、と(笑)。ただ、喫茶店を出て表で見ると、とても綺麗な目をしている人だと思いました」
翌年、小説集を自費出版したいと相談を受け、2人は頻繁に会うようになる。93年、「生前の遺稿」として書いた『鹽壺(しおつぼ)の匙(さじ)』が2つの文学賞を受賞。その受賞エッセイには、愛の告白めいた言葉があった。それを読んだ高橋さんは、この作品を最後に出家するつもりだった車谷さんに「この期におよんで、あなたのことを好きになってしまいました」と手紙を書き、車谷さんは「こなな男でよければ、どうかこの世のみちづれにして下され」と答えた。
こうして遅い結婚をした2人だったが、高橋さんは、
「結婚生活は、それは楽しいこともありましたが、修行のようなものでしたね」
と言う。結婚から2年後に車谷さんが強迫神経症を発症、夫婦が共倒れする危険が常にあったからだ。
「でも不思議と、離婚しよう、と言う気にはなりませんでした。それを言ったら、あの人は絶対『はい、わかりました』と言うと思った。試そうとすら思いませんでしたし、あの人も一度も離婚を口にしませんでした」
低迷期から『赤目四十八瀧心中未遂』での直木賞受賞、ピースボートでの世界一周旅行やお遍路などについて書かれるが、その間、2人は片時も離れずにいた。
2人が最も大切にしたのは、原稿を互いに見せ合う時間だったという。
「そうしないと編集者に渡さない、儀式のような時間でした。車谷は命にかえても書きたいと思っていたし、私にとっても、詩を書くことはこの上ない喜びでした。互いに一番大切なものを最初に読んでもらい、読ませてもらう。それは本当に幸せなことでした」
まさに「この世のみちづれ」として、2つの魂が深く交流した夫婦関係だった。
評者:「週刊文春」編集部
(週刊文春 2017.07.13号 掲載)』
冒頭
『車谷嘉彦と署名のある絵手紙をもらったのが、最初だった。一九八八年九月十二日、東京本郷の消印がある。私は四十四歳、長吉は四十三歳だった。』
『夫・車谷長吉』
著者:高橋順子
出版社 : 文藝春秋
単行本 : 277ページ -
妻であり詩人でもある高橋順子が車谷長吉との結婚生活と死別を描いたエッセイ集。「結婚生活は修行のようでした」という一文が表すように、結婚生活の間に売れない私小説作家である車谷長吉は直木賞を受賞することで文士としての生計が立つものの、自身の精神を病み、結果的には生のイカを飲み込んだことが直接の死因としてこの世を去ることになるわけだが、この浮き沈みを常に支えた妻としての心労はいかほどであっただろうか、と思わせる。
もっとも本書は全体的に明るいタッチで描かれており、車谷長吉との結婚生活がそれはそれとして楽しいものであったように見える。さらに車谷長吉の作品の中ではひどい悪妻のように描かれる場面も多いが、それは本書を読めば私小説作家である彼の虚構であるということが良くわかる(もっと作品で酷い描かれ方をする車谷の実母に関しても、妻である著者が紹介する人となりは極めて良識人である)。
車谷長吉のような毒を持った作家というのは恐らく出てこないだろう。稀有な作家が作品からは見せない別の一面を理解でき、かつ夫婦関係というものの複雑さと面白さを伝えてくれる。 -
姫路出身の小説家 車谷長吉
数々の文学賞に輝く人だけれど
その家庭生活はなかなか厳しいものだったようだ
その日々をこれまた数々の賞に輝く詩人の奥様が
やさしい冷静な目線で綴っている。
彼の著作をまた読みたいと思わせる
それにしてもお疲れさまでした
≪ お互いの 作品見せあう 至福の日 ≫ -
なかなか、大変だったんだな。肉体的にも精神的にも、もうちょっと強かったらよかったのに。
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ファンにとっては良書となるのではないでしょうか! 長吉さんの奥さんが書かれたものです。それにしても奥さん、70歳過ぎての独り身…少々、辛いと言うか、寂しい感じがするような気がしますけれども、どうなのでしょう…。
それはともかく…長吉さんの人柄が伺えるような本でしたねぇ…いやはや、本当に変人…いや、自分に正直なだけか?? 強迫神経症になってしまった長吉さん…こういう人との生活は大変だとお見受けしますけれども、奥様、よく耐えましたね…!
という感じでまあ、長吉さんの人柄を伺うのには最適な一冊だと思いました…さようなら。
ヽ(・ω・)/ズコー -
2018/02/08
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車谷長吉氏は姫路が誇る小説家。
『灘の男』や『赤目四十八滝心中未遂』などでどろどろした心の中を見せつけてくれるところが大好きです。
結婚して間もなく長吉氏は神経症を患い、愛の巣は修羅の場に。でもそれなのに文章は、順子さんは穏やかで、これこそが愛なのか⁉︎と思わざるを得ない。
書いたばかりの原稿を互いに見せ、感想を述べあう、そういう、二人にしか分かり得ない幸せのひととき。
結婚とはひとりの人の生き様を見届けること、とても尊く、とても困難なことなんだとわかった。