- Amazon.co.jp ・本 (206ページ)
- / ISBN・EAN: 9784166604753
作品紹介・あらすじ
昭和史の分水嶺となった尊皇クーデターに少年・三島が視たものは何か。昭和天皇、北一輝の思念の錯綜をたどりつつ、ルサンチマンの視座から、三島世界を新たに読み換える。
感想・レビュー・書評
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三島由紀夫といえばノーベル文学賞候補にも上がるなど戦後日本を代表する小説家・随筆家であり、その代表作には『潮騒』『金閣寺』『豊穣の海』など古典劇を基調にしつつ、美しい日本語と文体で書き上げた数々の作品が多くの人を魅了し続けている。石原慎太郎や小池百合子、山田詠美や浅田次郎など多くの人気作家、政治家までもその影響を与えている。ご存知の通り、1970年に自衛隊市谷駐屯地で割腹自殺を遂げた。
自害にあたり「天皇陛下万歳」を口にしたと言われ、日本の天皇制、当時の天皇といえば昭和天皇であるが、天皇陛下に対する思い入れが強かった。その始まりは、三島が幼い頃(11歳)に見聞きした2.26事件にあり、同事件で蹶起(決起)した青年将校たちの想いや行動に同調すると共に、自身の中にあるべき天皇像と現実の差異がその後の人生に深く影響を与えている。彼が事件について描いた『英霊の聲』『憂国』などを読めばその想いを感じ取ることができるだろう。有名な一文「などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし」(何故、天皇あなたは人間になんかお成りになられてしまったのでしょうか)は神から人間になった(堕ちた)天皇陛下その人への三島の再三の問いかけである。
2.26事件は昭和11年(三島が11歳の時だから昭和と三島は同じ時を歩んでいる)に起こり、青年将校達が1500名弱の兵士を引き連れ、天皇中心の体制「一君万民」の復活を目指したクーデター未遂事件である。奸臣とされた時の首相岡田啓介や大蔵大臣の高橋是清、内大臣の斎藤実、侍従長の鈴木貫太郎等が殺害対象とされ、首相以外の数名が実際に殺害されたり重傷を負った。首班となった野中四郎、安藤輝三、磯部浅一など多くは事件平定後に自害や軍法会議による処刑で果てている。なお事件の黒幕とされる真崎甚三郎は天皇の意思を汲み取り、翻って事件討伐側を指揮するなど天皇の在り方、天皇の存在が注目される事件であると共に、ダメな上司の典型例である姿(指示しておきながら社長の一声で、「だからダメって言ったろ!」的な振る舞い)と現代会社組織にもつながる問題として興味深い。
話は逸れたが、本書では事件の思想的支柱とされた北一輝(事件後逮捕、銃殺刑)の思想について三島由紀夫と比較して論じられており、二人の関係性や考え方をざっくり知る上では良い。しに直面し一方は「天皇陛下万歳」を唱え、片一方は「その必要はないでしょう」と断じる。そうした対比を挙げつつ三島由紀夫という純粋で美しすぎる、かつ計算尽くで死後の影響までも大きく残した一人の人間を知る事のできる一冊となっている。個人的には学生時代に「金閣寺」と数冊程度しか読んでこなかった三島作品について、本書で知る三島の人間性と考え方を持った上で改めて読んでみたいと思った。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
三島由紀夫、北一輝、昭和天皇のそれぞれの立場と思想の交錯するありようを、二・二六事件を舞台にして浮き彫りにしています。
二・二六事件を引き起こした青年将校たちは、「自分の純粋行為」(至情)と「価値の根源である天皇」を直結させることを願っていたと著者は言います。しかし、北一輝自身は天皇を「価値の根源」と考えておらず、むしろ天皇は国民=国歌(ネーション・ステート)のための「機関」だと考えていました。
そしてこの点に、三島由紀夫は違和感を覚えたのだと、著者は指摘します。三島は『英霊の声』などの作品を通して、二・二六事件の青年将校たちを描きました。三島は、磯部浅一という青年将校の心情おける「待つこと」の意義に触れています。そこに三島は、みずからと同じロマン主義的な精神を読み取ろうとしたのでした。
一方、そうした三島のロマン主義に対して、鋭い批判を提起したのが橋川文三でした。橋川は、三島の求める「文化概念としての天皇」が、近代国家における「政治概念としての天皇」と齟齬することを突いたのです。しかし三島は、この橋川の批判に対して、これこそが「私ではなくて、天皇その御方が、不断に問われてきた論理的矛盾ではなかったでしょうか」と問い返します。ここから著者は、三島によって二・二六事件の本質が露にされたと主張します。二・二六事件とはひっきょう、天皇自身が西欧的立憲君主という「政治的概念」となることで、青年将校たちの求めた「美の総覧者」としての天皇を討伐した事件でした。
天皇が単に「空虚な中心」ではなく「政治概念」でもあるという二重性と、その二重性に絡み取られた三島由紀夫、北一輝、そして昭和天皇自身の三者の姿が見事に解き明かされており、おもしろく読みました。 -
三島由紀夫と昭和天皇、北一輝。
2.26事件を題材に3人の関係を語る本。
2.26事件の青年将校たちの思想的・理論的バックボーンは北一輝(の「日本改造法案大綱」)
「奸臣ともこれ討ってよし」という気概で臨んだ青年将校を「反乱軍」と規定し鎮圧を指示したのは昭和天皇。
青年将校に心情的に加担し、昭和天皇をある意味批判したのが三島由紀夫。
ただし、三島は北については「凄い」と認めつつ共感はしていない。
たぶん、天皇に対する感覚の違い。
「天皇機関説」の北と「文化概念としての天皇」という三島の違い。
三島が「文化防衛論」などで唱えていた「政治概念としての天皇をではなく、文化概念としての天皇」という主張は、
共感しつつわかりにくいことがあったのだが、この本を読むことである程度納得できた。
橋川文三との論争を補助線として用いれば、三島本人が自分の主張の矛盾に気付いていて、
しかし、それを克服できるのは自分ではなく照和天皇ご自身である、と考えていたことがわかる。
三島は、最後の自決のみが突出して取り上げられて、完全に誤解されている、という気がする。 -
近頃三島由紀夫に関しての評伝・評論を続けて読んでいるが、そこに浮かび上がってくるのは、三島由紀夫と北一輝、昭和天皇、そして出口王仁三郎という四人の複雑な関係性である。これに加えて有栖川宮が影を落とす。
この四人は各々直接の出逢いはなかったものの(北は昭和天皇の皇太子時代に謁見しているらしいが)、二・二六事件と三島の市ヶ谷での事件において思想や愛憎がぶつかり合っていた。いや、思想や愛憎の衝突の果てに、この2つの事件が起き昭和史に刻まれたのだろう。
この四者のモザイクのように絡み合った人生から昭和史を俯瞰することも興味をそそる題材かもしれない。 -
大本教と北一輝との関わりについては面白いが、後は、この著者の癖?である自著引用と、どうも著者の立ち位置が判らんことが難点。ルサンチマンだけでは、最後の自決において再び「待つ」という姿勢に恃んだことが判らない。
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長年にわたって右翼思想や北一輝について語り続けてきた著者による三島由紀夫論。
ただ、三島についての記述よりも、出口王仁三郎・北一輝・昭和天皇についての記述のほうが印書に残る。
アウトラインとして読むには良いと思う。
オススメ度 ☆☆☆☆ 4つ
内容(「BOOK」データベースより)
昭和史の分水嶺となった尊皇クーデターに少年・三島が視たものは何か。昭和天皇、北一輝の思念の錯綜をたどりつつ、ルサンチマンの視座から、三島世界を新たに読み換える。
内容(「MARC」データベースより)
「美しい天皇」を恋慕し続けた三島由紀夫。天子になることを夢想した北一輝。ふたりを終生、許さなかった昭和天皇。3人は壮絶な物語を織りなしていく…。ルサンチマンの視座から、三島世界を新たに読み換える!
[目次]
序章 昭和史への大いなる影
第1章 三島由紀夫の北一輝
第2章 二・二六事件と三島由紀夫
第3章 大本教の幻の影
第 4章 北一輝と昭和天皇
第5章 二・二六事件における天皇
第6章 日米戦争と天皇、および北一輝
終章 畏るべき天皇 -
単に『英霊の声』などから読み解く三島の二・ニ六観かと思っていたら二・ニ六を三島、北一輝、昭和天皇の三者の関係から捉えなおすという内容。
「二・ニ六に対する関わりかたは、北と三島と昭和天皇とで、それぞれに時と所が異なっている。にもかかわらず、二・ニ六事件をめぐる北と三島と昭和天皇との関係は、わたしにはあたかも三つ巴のようにからまって、非常な緊張関係を形づくっているように感じられるのだ」(p.10から引用)
最初のページから北一輝の話が出てきて??だったんだけど、 読み進めてみるとなかなか興味深く。 天皇に絶対の価値を置くと考える三島と、天皇を単なる国家機関とする北。 両者の関係は、昭和天皇のこちら側と向こう側で対立、という単純な関係ではなくて。
二人の異なる天皇観から出発し、三島が11歳の頃実際に体験した二・ニ六、 三島の北への評価、「英霊の声」「豊饒の海」などの作品にあらわれた二・ニ六観などから、 改めて「三島由紀夫の二・ニ六事件」を論じていく著作。
・・・と思いきや、読み終わってみると「三島の」というよりも結局は北一輝がメインじゃないか!という何だか腑に落ちないような、著者が北研究の第一人者ということでそれもアリなのかというような、もやもや感。
それでも、北一輝+昭和天皇といういわば事件の当事者に三島の視点・思想を絡め、「三つ巴の緊張関係」を解きほぐしつつ二・ニ六を改めて論じるという点で目新しく、面白かったです。
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三島由紀夫が昭和天皇に敗れ去ったのだと言う一文が非常に印象的な一冊。北一輝・昭和天皇・三島由紀夫と、生きて来た時間の違う三人をクローズアップしながら興味深いお話が展開されています。三島好きとニ・二六事件に興味のある方は読んで損はないかと!
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二・二六事件から70年が経過する。それまでに読もうと思った一冊。著者の思惑としては、北一輝を補助線に、少年期に二・二六事件に遭遇した三島由紀夫の天皇観というか、自決へ到る心の軌跡を描こうとしたと考えられる。ところが、読後感としては北がメインになってしまっている感が否めない。その辺がこの著者らしいといえばそれまでだが。
内容は大本教との関わりなどを含めて、なかなか興味深いのだが、やはり新書である。著者が北一輝・三島由紀夫、そして昭和天皇についてこれまで書いてきたものの重複部分を整理して水割りにした感じがする。しかし、うまい原酒で作った水割りはそれなりにうまい。だから読者は、より刺激を味わいたければ、それぞれの興味関心に沿って、それぞれの原酒(原典)に当たればいい。そういう意味でのイントロダクションにはなっている。
しかし、ビックスの『昭和天皇』批判はともかく、昭和天皇は著者がいうほど平和主義的だったのだろうか?平和主義でないから戦犯だというつもりはないが、そこが読んでいて気にかかった。