硫黄島 栗林中将の最期 (文春新書)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (230ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784166607617

作品紹介・あらすじ

硫黄島総指揮官・栗林忠道の「ノイローゼ→投降→部下による斬殺」説は本当なのか?『散るぞ悲しき』では描けなかった名将の最期が、新たな取材と資料によって初めて明らかになる。ミステリーのようなスリリングな謎解きと感動のドラマ。

感想・レビュー・書評

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  • 「散るぞ悲しき」の完結編
    今なお1万3千柱の遺骨が残る南海の孤島、硫黄島。両陛下が硫黄島に捧げる祈り、本書はそれで終わる。

    「散るぞ悲しき」の取材のため、私は、平成16年の12月にこの島を訪れたが、そのとき、この日本にこんな場所があったのか衝撃を受けた。

    約2万人の兵士が戦死したが、そのうち1万3千名の遺体はいまも見つかっておらず、戦闘中、米軍によって出入口がふさがれた地下壕に閉じ込められたままになっている。

      銀ネムの木木茂りゐるこの島に五十年(いそとせ)眠るみ魂(たま)かなしき 

    硫黄島で皇后が詠んだ御歌である。

    宮内庁の発表に、「両陛下がお気持ちを示した」とある場合、そこには皇后の意志もかなり含まれていると考えるべきだという。

    玉砕の島を天皇が訪れるのは、史上初めてのことだった。

    ふるさとを遠く離れて亡くなった兵士たちが、神話の中のヤマトタケルに重なった。
    皇后がヤマトタケルの神話に言及していることに気づいたのは、硫黄島から帰った後のことである。
    皇后は、「父のくれた古代の物語の中で、一つ忘れられない話がありました」として、ヤマトタケルとその后であるオトタチバナヒメの物語を紹介している。

    ヤマトタケルにとって最後となる東国への討伐の旅の途中、海が荒れて船を進めることができなくなったとき、同行していたオトタチバナヒメは、海神の怒りを鎮めるため入水する。夫に使命を遂行させるため、望んで生贄になったのである。
    そのとき、オトタチバナヒメは、こんな別れの歌をうたう。

      さねさし相武(さがむ)の小野(をの)に燃ゆる火の火中(ほなか)に立ちて問ひし君はも

    しばらく前、枯野の中で敵に火を放たれたとき、燃え盛る火の中でヤマトタケルが自分の身を気遣ってくれたときの嬉しさと感謝。それを最後に告げて、オトタチバナヒメは死んでいくのである。

      銀ネムの木木茂りゐるこの島に五十年(いそとせ)眠るみ魂(たま)かなしき 

    この歌を知ったとき、すぐに思い浮かんだのが、栗林中将の辞世である。

      国の為重きつとめを果たし得で矢弾(やだま)尽き果て散るぞ悲しき

    渡島前に硫黄島の戦いについて詳しく学ばれた両陛下は、戦史に必ずといっていいほど、引かれるこの歌を知っていたはずである。
    硫黄島で詠まれた天皇の御製は次のようなものであった。

      精魂を込め戦ひし人未だ地下に眠りて島は悲しき

    両陛下が揃って、「悲しき」で終わる歌を詠まれたことは、私には偶然と思えない。
    この御製と御歌は、49年の時をへだてた、栗林への返歌のように思えるのである。

    目次

    まえがき
    ドキュメント 1 栗林忠道 その死の真相
    ドキュメント2 三人の若き指揮官の肖像
    ドキュメント3 バロン西伝説は生きている
    ドキュメント4 父島人肉事件の封印を解く
    ドキュメント5 美智子皇后 奇跡の祈り
    わたしの硫黄島 あとがきに代えて

    ISBN:9784166607617
    出版社:文藝春秋
    判型:新書
    ページ数:232ページ
    定価:800円(本体)
    発行年月日:2010年07月
    発売日:2010年08月05日第2刷

  • 硫黄島関連の本をまたしても読んでしまった。
    本のタイトルにある、栗林中将の最後は本書の1篇でしかなく、他は硫黄島にまつわる独立した外伝ともいえる4編で構成されている。
    いつもの綿密な取材と膨大な資料の読み込みに裏付けされた、80年前に何があったのかを多角的に掘り下げ、その全体像をあぶり出す内容で、改めて梯さんの仕事ぶりに感心する。
    なかでもとりわけタブー視され忌避されているであろう、捕虜を殺して食べた事件に迫る「ドキュメント4、父島人肉事件の封印を解く」はショッキングだ。
    戦意高揚のため敵を食ってやるくらいの気持ちでなければ勝てないという現場のリーダーとしての立場や信念もわからなくもない。グアムの軍事裁判での開き直った首謀者の態度はいかにも軍人らしく、嘘をつく部下や罪をなすりつける卑怯者もいる。戦争という極限状態に置かれた人間だから仕方ないと割り切ることなどできず、今も昔も会社や組織内で、立場やパワーバランスと私的な感情が絡み合う中で、人がどう振る舞い、どう行動するかが当時と全く変わっていないと感じる箇所が多々あり、少々恐ろしくなる。

  • 「散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官栗林忠道」2005年新潮社では描けなかった名将の最期が、新たな取材と資料によって初めて明らかになる。

    硫黄島からの生還者、大山純は復員したあと昭和21年8月3日付で硫黄島で栗林中将とともに最後の総攻撃をした模様を栗林家に手紙で知らせていた。またその後直接夫人と息子に会い死の状況を語っていた、それを長男の太郎氏はメモしていた。

    それをまとめると、米軍上陸後1カ月以上ひたすら耐えて守りに徹した末、最後の拠点を敵に包囲されて栗林が決意した、ただ一度の総攻撃。総攻撃の10日ほど前に司令本部から第145連隊本部壕を出て、西海岸の断崖絶壁にそって南へ向かう。大山軍曹は栗林の後になり先になり進んだ。途中敵の砲火を浴び部隊は散会する。大山軍曹はその時「狙撃をして攻撃せんか」と傍らの高石参謀長に命じるのを耳にした。それが最後に聞いた栗林の声だった。大山軍曹は散弾に倒れそれ以後栗林を見失った。しばらく彷徨い戦闘指揮所に着くと「兵団長戦死」との報を聞いた。栗林は足に被弾しある軍曹の肩を借りて前進していたが、出血多量で絶命したという。出撃前に「私の屍を敵に渡すな」との命通り、高石参謀長が近くにあった木の根元の弾痕に埋めたという。

    今回映画、生還者の手記、後世の取材記、と見たり読んだりしてみた。いずれも当時を振り返っているものだが、戦争の因果関係などの歴史的考察は別として、事、戦場の生生しさ、空虚さでは生還者の手記に及ぶものは無いと感じた

    2010.7.20発行 2010.8.25第3刷 図書館

  • 硫黄島戦の専門家である著者による、「散るぞ悲しき」の続編。硫黄島に関する5つのドキュメントが記載されている。梯久美子氏の記述は極めて正確で、表現に違和感がない。厳格、誠実な分析が行われており、洗練された文章に感動した。

  • あとがきの司令部壕を訪れた時の話が印象に残った。
    死んだ、のではなく、生きた。
    生きた時間、空間に心を寄せて、知る、学ぶ。
    でんでんむしの悲しみも読まねばと思った。

  • クリントイーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」で栗林忠道中将を知った方も多いだろう。かなり上映から時間は経過したが今なお心に深く刻まれている。著者の「散るぞ悲しき」を読まれた方も多いと思うが、本書はその後、更に調査された異説や登場しなかった人物にもフォーカスしたアナザーストーリーと呼ぶに相応しい。
    太平洋の孤島「硫黄島」は太平洋戦争終盤に、死傷者数が日本よりアメリカが上回った激戦地として知られる様になった。これは前述の映画などのお陰だろう。双方合わせて2万7千人近くの死者が出て今なお遺骨は全て回収されていない。徹底的なゲリラ戦を張り巡らされた地下壕から展開して、アメリカを苦しめたのが栗林中将だ。戦前は知米・親米派だった事から懲罰的な側面で派遣されたという意見もあるが、敵(アメリカ)を知り、自分たち(編成や実力)がその場所でどの様な戦いを展開出来るか(己を知り)、さらに日本の防波堤となるという曇りのない信念。これらが揃った武将でなければならなかった。彼を知れば知るほどその赴任は必然的にも思えてくる。
    映画では「予は常に諸子の先頭に有り」で最後の突撃を敢行し率先垂範の将として描かれる。恐らくそうしたであろう人物像について、その後描かれた数々の書物を読めば疑う余地は無い。とは言えそんな定説的な人物像に一石を投じる様な死に際にまつわる噂、それらの検証に始まり、同島で戦後に表舞台に出ることもなく散っていった多くの英霊、長く伏せられてきた父島(小笠原兵団の管轄地)での捕虜に対する非人道的な扱いなどに触れる。表の文面だけに触れてきた私には非常にショッキングであり、反面非常に興味深い内容でもあった。できれば「散るぞ…」は先に読んだ方が良いが、戦時下での異常性を知るという意味では本書から読むのもありだろう。そして読み進める中で出くわすバロン西こと西竹一中佐の死にまつわる話は涙なしには読めない。
    最後に硫黄島を訪れた両陛下の詠まれた歌は、ページをめくる手が震えてしまう。筆者は死の島のイメージから確かにそこに命を輝かせた「兵」たちの姿を白鳥の姿に見る。この流れる様な構成には涙を拭うこともできず、ただ身を任せるだけだった。心震える。

  • 私にとって最近になく読みごたえのある骨太新書。梯さん「散るぞ悲しき…」を読んだ方は是非!

  • 2017年8月31日読了

  • この本の中に収録されている出来事は、
    あまりにも重くつらい。
    衝撃的なことも収められている。

    平常時であればあり得ないだろう出来事も書かれている。

    戦争は、実際に関わった人も、残された人々にとっても
    長く深い傷を残す。

    未だ癒えぬ傷を持っているのは外国の方々ばかりではない。
    私達のすぐ側で、今でも祈り、慟哭している方々がいる。
    そのことを忘れてはならない。

    外国から非難されるのを避けるために、
    慰霊や鎮魂を祈るのではなくて

    自国で犠牲になられた方々、ご遺族となられた方々
    本来なら巻き添えになるはずも無かった方々
    (国籍を問わず、外国の方も含めて)
    全ての方の心が少しでも安らかならんと祈る姿勢を
    忘れてはいけないと思うのだ。

    自国の犠牲者の苦しみを真剣に
    悼むことも出来ない人間に、他国への苦しみを
    思いやれるはずも無い。

    国内での犠牲(軍人だった方も含めて)に対して
    祈ろうとすると、すぐ国粋的な評価をされてしまうのは
    とても残念だ。

    戦争で命を奪い、あるいは奪われた人や
    愛する人を失った人はみな、同じように
    大きな痛みと傷を負っていると思う。
    傷を受けた状況が違うだけで。

    だからこそ、絶対にもう戦争などあってはいけないのだ。
    誰ももう、傷つけないために。

  • 『散るぞ悲しき』の完結編とみるべきかもしれないが、これ自身は独立して読むことも可能である。

    5部構成で、ドキュメント1が『散るぞ悲しき』の補遺。ドキュメント2〜4はその余録。ドキュメント5は皇室とりわけ皇后陛下と戦没者たちをめぐるルポでこの本の白眉と言えよう。というか、皇室を巡るルポの中でも最も本質に迫る素晴らしい一編であろう。

    いまさら硫黄島で何があったかは繰り返さないが、戦争とは何かとともに、兵士とは、軍人とは何だったのかを考えさせられる。著者はジャーナリストとして、『散るぞ悲しき』以上に抑制の利いた文章運びを心がけているのだと思うけれど、それゆえに涙があふれた。

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著者プロフィール

ノンフィクション作家。1961(昭和36)年、熊本市生まれ。北海道大学文学部卒業後、編集者を経て文筆業に。2005年のデビュー作『散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。同書は米、英、仏、伊など世界8か国で翻訳出版されている。著書に『昭和二十年夏、僕は兵士だった』、『狂うひと 「死の棘」の妻・島尾ミホ』(読売文学賞、芸術選奨文部科学大臣賞、講談社ノンフィクション賞受賞)、『原民喜 死と愛と孤独の肖像』、『この父ありて 娘たちの歳月』などがある。

「2023年 『サガレン 樺太/サハリン 境界を旅する』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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