- Amazon.co.jp ・本 (332ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167502041
感想・レビュー・書評
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善の方が怖いということ
現実社会にうまく適応していけない人の受け皿の必要性
被害の内部と外部の結びつき、河合さんは日常生活では愛想悪くしている
村上春樹の人に対する興味 -
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オウム真理教の信者,元信者へのインタビュー。
俗世ではどのように生きていたのか,なぜ信仰の道を選んだのか,サリン事件についてどう考えているのか,出家したことを後悔していないか。
いわゆる「社会」にうまくはまり込めない人たちの安全ネットがない,という点を,村上さんは強く危惧している。そういう人々にとって,オウムというのは良い容れ物だったのだ,と。自分を受容してくれ,論理的で,分かりやすい指示を出してくれ,悪を駆逐するという目標を与えてくれるのだから。社会が異質なものを排除しようとする限り,オウムのような存在は,必ずまた現れる。
信者たちは「いいやつ」が多い。素直で,正しさや善意を求め,「煩悩」がない。一方で,平面的な見方が強く,少ない軸で自分の世界を構成し,それに合わないものは排除する。
河合先生との対談では,「悪」を肯定する世界の重要性についてが面白かった。
善にはすでに悪が組み込まれている。この脱構築を前提として置けなければ,世界は窮屈になっていくばかりとなる。 -
「善き動機」ほど恐いものはないのかもしれない。
そして、盲目的に何かを信じることはとても恐い。
それが「善きもの」であったとしても。
河合隼雄氏との対談の中で「善と悪について」の考察が中心を占めている。
世の中にどちらかふたつしか存在しないとなると、相対的に善の反対は悪になってしまう。
そして、何を「善」とするかの明確な定義や決まりごとが全世界共通であるわけなどない。かろうじて「悪」については法律で決められている。
ただ、罰せられるべき事柄全てが「悪」ではなく、そのために司法制度が存在している。
が、もしも子供に、人を殺す事はいけなくて、戦争をすることは善いことなのかと聞かれたら答えられる自信が、ない。
もちろん、オウムのしたことは許されることではないし、アンダーグラウンドの中で被害に合われた方達の人となりを知るとともにその思いはより強くなる。
その中で、一体オウム真理教とは何だったのか?批判的側面だけでなく、その問いをできる限り多くの側面から捉えようとした本書。
オウムの成り立ちやその信者の人となりや背景を知っていくと、あくまで「善きもの」を求めていたことがわかる。「善きもの」を求める奥底には「箱に入ること」も同時に求めている。箱に入る=絶対帰依だと対談の中で語られている。
ーでもね、全部説明がつく論理なんてものは絶対にだめなんです。(中略)普通の人は全部説明できるものが好きなんですよ。
宗教に限ったことだけではない。「箱に入ること」はある種の思考停止の状態。その身近に潜む危険性。
ーあれだけ純粋な、極端な形をとった集団になりますと、問題は必ず起きてきます。あれだけ純粋なものが内側にしっかり集まっていると、外側に殺してもいいようなものすごく悪い奴がいないと、うまくバランスがとれません。(中略)ナチズムが戦争を起こさないわけにはいかない理屈と同じですね。膨らめば膨らむほど、中の集約点みたいなところでの圧力が強くなって、それ自体が爆発してしまう。
本書を読んで痛烈に感じたのは、善も悪もいろんなものがないまぜになって混沌としているそれが現実であり、いま自分自身がいる場所なのだということ。いわゆる、煩悩の多さに自己嫌悪になったり、嫌気がさすこともあるけれど、それはつまり生きているということにつながるということ。
ー現実というのは、もともとが混乱や矛盾を孕んで成立しているものであるのだし、混乱や矛盾を排除してしまえば、それはもはや現実ではないのです。そして、一見整合的に見える言葉や論理に従って、うまく現実の一部を排除できたと思っても、その排除された現実は、必ずどこかで待ち伏せしてあなたに復讐するでしょう。
2001年7月10日 文藝春秋
マーク・ストランド
「一人の老人が自らの死の中で目覚める」 -
またもや熟読した。素晴らしい著作だ。河合氏との対談も、著者のあとがきも、秀逸だ。これは「アンダーグラウンド」とセットで読むべきだ。
いい著作に出会うと、想いが溢れて、ポイントを絞って感想を書くのが難しい。
村上氏の仕事のスタンスの広さ(小説、ノンフィクション、外国文学の翻訳、ウェブサイトを通じての一般読者との交流、講演、まだあるかもしれないが)は知れば知るほど驚くばかりだが、同時に村上氏の思想の奥の深さをあらためて知り、尊敬しつつある今日この頃だ。 -
1995年前半、この期間に一生忘れられない出来事に出会った人が何人いることでしょう。はじめは阪神大震災。その悲しみから抜けきらないうちにあの痛ましい事件は起こりました。地下鉄サリン事件。ほどなくオウム真理教という宗教団体の一部の人間によってなされたということが判明します。著者は2年前、60人ほどの被害者のインタビューを1冊の本にまとめました。「アンダーグラウンド」。その後、オウム真理教とはいったい何だったのかを突きとめるため、今度は元信者など8人にインタビューを行いました。それをまとめたのが本書です。読んでいると、それぞれの人が非常に深く物事を考える人であることがわかります。だからこそ現実の世の中では生きていけなくなったのでしょう。本書の最後に河合隼雄氏との対談が掲載されています。オウム的なものがなぜ現れてきたのかを語っている中で、教育についてもふれられています。そこで河合氏は「今の教育はもうぜんぜん駄目です。一人ひとりをもっと強くする教育を考えないかんです。」と言っています。私たちにも何かできることはないか、常に考えていたいと思います。
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再読、やはり前作ほどは響いてこない。
何処か「おかしい」人達の妄想には最終的には共振できないということかと。育った環境なのか、日本社会そのものの質なのか、この人達と自分の間にはそれほど大きな壁があるようには思えなくもないが、やはりどんなに薄くても突き破れないものが確かにある。
多分向こうが思っている以上に当方含めた凡人はこの人達を相手にしておらず、それがサリンの惨劇含めて執信者の独り相撲をより深刻なものにしているような気がする。
うーん、彼らと折り合う必要はないと思うが、余計なことをさせないってのもなかなかに難しい、、、 -
オウム事件被害者のインタビューをまとめた「アンダーグラウンド」の続編で、こちらはオウム信者のインタビュー。
もう随分前に読んだ作品ですが、強烈に心に残っています。
特別悪い存在ではなく、どちらかと言えば優等生で素直で少しの自己顕示欲がある、どこにでもいる人々。
もしかしたら私がそこにいたかもしれない。きっかけや出会いがあれば私がサリンをまいていたのかもしれない。
そう思うと恐怖で体が震えました。
何か事件が起きた時、犯人や所属している団体が悪であるという無意識。悪であって欲しいという願望。
その感情に気付かされた本であり、善と悪の境目や正義の定義に興味を持つきっかけになりました。 -
前作に引き続き、知識が偏らないようにと考えで読む。
世の中には色々な考え方の人が居ることを、改めて知る。
マスコミにより、捻じ曲げられた(自分たちが載せたいことしか載せない)言葉より
真実に近い言葉を知ることが出来て良かったと思う。
色々なことを知るためには、偏った知識を得ないために色々なところから情報を得る必要が出てきた(ネットで検索するのも容易になったし、本も中身の薄いものがやたらと出版されている)
そんな中で、唯一信じて良いのではないかと思う本に出会えて良かったと思った。(もちろんこれが全てではないが)