- Amazon.co.jp ・本 (453ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167602109
作品紹介・あらすじ
就職先の一流企業でも挫折感を味わった和恵は、夜の女として渋谷の街角に立つようになる。そこでひたすらに男を求め続けて娼婦に身を落としたユリコと再会する。「今に怪物を愛でる男が現れる。きっと、そいつはあたしたちを殺すわよ」。"怪物"へと変貌し、輝きを放ちながら破滅へと突き進む、女たちの魂の軌跡。
感想・レビュー・書評
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そうそう、なんでこの作品読もうと思ったんだっけ、と思っていたくらい、悪意でびったびたにされていた上巻。
そうだ、以前読んだ柚木麻子さんの「BUTTER」だ。
その参考文献にあった、上野千鶴子さんらの作品「毒婦たち 東電OLと木嶋佳苗のあいだ」で本作品が東電OL殺人事件をベースにした作品であり、フェミニズムについて描かれていると知ったんだった。
実際の事件を追うノンフィクション型フィクション。
合計841ページにわたって込められた作家さんの思い。そして、フェミニズムやジェンダーなど、批判もくるであろうテーマに切り込んでいく覚悟。わたしには想像もつかないほどのエネルギーを費やしたんだろう。
上巻ではメインの語り手・ユリコの姉である「わたし」が美しすぎる妹・ユリコと、同じQ女子高の同級生である和恵の、主に二人への悪意をまき散らしていく形で、一人称・ですます調で、生い立ちや学校生活が語られていく。
悪意をまき散らされた二人は全く違う学生生活を送っていたにも関わらず、娼婦という仕事をしており、その結果何者かに殺害された。また、自宅やホテルとは異なった場所で殺害されていたのである。和恵に関しては、昼は大企業で役職のついた会社員をしていたにも関わらず、夜は娼婦という別の顔をもっていたことで、センセーショナルに取り上げられた。
下巻は、世界観が急転。
裁判のシーンから始まる。
被告人の一人語りは、これまでの上巻の物語とは全く異なり、一瞬自分が何の物語を読んでいるのか分からなくなるほど別の姿をしている。そしてその、壮絶な体験と景色。冤罪事件だったこともあり、いきなりそれらを読まされ、読者は被告人に心を持っていかれる。
上巻の山場は<ユリコの手記>、下巻の山場は<和恵の日記>にあるだろう。
<ユリコの手記>では、姉である「わたし」視点において、決めつけられ、押し殺されてしまっているユリコの想いと、ユリコが見てきた現実、ユリコがしてきた罪の告白があった。
<和恵の日記>では、痛々しい心理描写に、わたしは幾度となく耐えられなくなり、後半はお酒を飲みながら読んでいた。解説にも書いてあるけれど、「和恵のこのような行状を『なんて悲惨な…』と受け取ると、『グロテスク』という小説の構造を見誤ります。」
なんと!わたしは見誤っていたのである。
姉である「わたし」の一人語り、被告人の上申書、ユリコの告白、和恵の日記、何が本当であるのかなんて分からない。P450「信用できない語り手」による一人語りは、作中の言葉を借りるならば「憎しみと混乱」を読者に残していく。
ラスト、事件の真相やいかに。
それぞれが悪意でもってぶつかり合い、誰かと比較して、羨んだり蔑んだりして必死に自分を守ってる。
作中の彼女たちのように、実際に悪意を言葉にしたりそれを相手に伝えたり、行動に移したりしなくても。
彼女たちと似たようなことを思うことはあるのではないか。
「悪口が嫌い」、そう言う人もいる。でも、わたしは誰かにそれを吐き出さないと、やっていけないのではないかと思っている。悪口を言う人は、結構的確で鋭い目線をもっていたりする。スパッと言い切る姿に美しさとかっこよさすら感じることもある。わたしはそういう人が好きだ。潔い。
この作品のすごいところは、その、悪口の量と質。
これほど悪口で埋め尽くされた作品をわたしは知らない。
上巻だけでも胃もたれする本作品。
下巻の、和恵の日記の中盤から徐々に、通常モードの自分ではいられなくなってくる筆致に気圧されて、軽く脳を麻痺させないと続きが読めなくなるほどの作品。それでも、最後まで読ませたのは、解説にもある、「闘争心」の強さなんだろう。
和恵が戦っているP452「『世間の論理』。もしくは無限に張り巡らされた差別構造。あるいは競争原理に貫かれた男社会の掟」。
わたしはよく人に「いつもnaonaonao16gは何かと戦っている」と言われる。きっとわたしは自分自身と戦っている。現実の自分と理想の自分との乖離を、必死に埋めようと足掻いている。
和恵の日記は、わたしのこの「乖離」を絶妙に突いてくるのだ。だから、お酒なしには読み進めることができなかったのだ。
この事件が発生した頃は、女性が社会でバリバリ働くことは異質だった。だからこそ、「東電OL殺人事件」なんて名称がついたのだろうけれど。
社会は男社会が前提で、そこに「入って来た」「女」が「男」に合わせないといけない。一方、家の中は女社会が中心で、そこに「入って来た」「男」が「女」に合わせないといけない。いや、そのまま男社会を持ちこんだ家族構造だって根強く存在しているはずだ。
一体、何がフェアなのか。どこかに着地点はないものだろうか。
未だに解決しないこの事件と、未だに日本が遅れをとっているジェンダー問題。
不思議な一致を見た気がする。 -
主に主体となる4人の女達の話と、チャンという中国人の生い立ちで話は進む。ほぼ全員の自らの告白にシフトする。
物語のゴールが何処にあるのかが終始わからない状態でが続く。「誰が犯人なのか」 が重要ではなく、ひたすらと過去や現在を語られる。
野卑 俗悪 忸怩 放埓... 等々 似たような難しい言葉が羅列されがちだ。読みにくい。物語の区切りがほとんど無いので 語り手が早口に感じてしまう。 -
桐野夏生の世界
途中で挫折しそうになりながら読み続けた。、
だけど惹かれる -
東電OL殺人事件を題材にしたフィクション。カルト教団もプロットし、当時の被害者報道の過熱さを問う内容。競争社会、スクールカースト、ラベル貼り、冤罪...。かなり重いテーマを手記や回想の手法で描き切った秀作。
ここまで人の悪意、孤独感、焦燥感を詳らかにした作品はそうはない。グロテスクという様式美がここにある。 -
誰かに必要とされている実感や、誰かが自分を愛してくれていることを感じられていることがどれ程人の心を救うのか…
三人の女性たち…
それぞれにグロテスクなまでにイビツに歪んだ内面に支配され続けて苦しみ抜いてきた。けれど、一番幸せだったのは妹ではなかろうかと感じた。同級生は他者との共生に苦しみ続け最後に小さな希望を見出して死んだ。姉は否定し続けてきた妹と同じ道を辿ることで光を得た。
読んでいて、とても苦しい人生だったけれど、なんだか読後感は軽かった気がする。悪いモノを見続けたことで、小さな小さな光にも大きな希望を見たのかもしれない。
面白い作品でしたが、かなり重いし、長いので読む前に覚悟がいるような物語でした。 -
グロテスクの下巻は、ユリコを殺害したチャンという中国人の回想から始まる。
農村で生まれて都市部に出稼ぎに来たチャンの壮絶な半生が語られるのだけど、これが驚くほど引き込まれた。
この小説は、東電OL殺害事件をモチーフにしているようだけど、チャンの話を差し込むことによって、中国の貧困問題や移民問題までも扱っているようで、社会派小説としての重みが増していた。
そして、物語の主観はチャンから再び主人公へ。
チャンの裁判の後、同窓会のごとく再会した主人公とミツルと木島。
変わり果てたミツルは以前のように言い淀む癖を捨てて、主人公の弱さと惨めさを面と向かって指摘する。
一周回ったミツルは達観しており、この物語の中では比較的穏当な妥結点を見出だせているかもしれない。
ミツル自身が語った「自分と向き合うこと」は、主人公と和恵には圧倒的に足りていない部分だった。
そんなミツルから渡された晩年の和恵の日記を主人公は読むことになる。
この和恵の日記がまた濃すぎて…。終盤にこんな盛り上がりを見せるのかと、とにかく最後まで惹きつけられた。
学生時代の和恵と言えば空回りして完全に浮いていたのだけど、日記の中で明かされる大人になってからの和恵がとにかく痛々しい。
その痛々しさは言動や振る舞いだけでなく、存在自体が社会から撥ね付けられているような、どうしようもないレベルに達している。
異常な父の元で育てられ、承認欲求が満たされることがないまま大人になってしまった人間の終局を見ているようで、あまりにも辛かった。
とにかく、グロテスクの下巻は、全編を通して悲しい気持ちにさせられた。社会通念や超えがたい階級のもとで、人間が傷つきボロボロになりながら孤独になっていく様がありありと描かれる。
だけど、老いたユリコの本音を聴いたのは和恵だった。
チャンたちとの性行為の中で、初めて絶対的な手応えを感じたのも和恵だった。
社会的に見れば孤独で下層にいるような和恵だけど、そんな中でも救いに出会えたかのようで、胸が熱くなった。
そして最終章にて、ミツルの言葉と和恵の日記を通じて、ようやく主人公は変わり始める。ユリコが聡明で恐ろしく達観していたことを認め、新しい扉を開く。
それは少しポジティブだけど、あの終わり方はホラーってことでいいのかな?
とにかく最後まで内容が濃くてアップダウンが激しい、紛れもない傑作だった。
著者プロフィール
桐野夏生の作品






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そうですね。
90年代半ば~2000年頃の渋谷のあの雰囲気を知ってるのと知らないのとでは印象が違うかも...
そうですね。
90年代半ば~2000年頃の渋谷のあの雰囲気を知ってるのと知らないのとでは印象が違うかもしれませんね。
道玄坂と東急本店通りの分かれ目のところの道端で普通にマジッ●マッシュ―ルーム売ってたり。センター街に直接出る地下鉄の出口を出ると、麻薬売ってるイラン人が何人もウロウロしてたり。もちろん、短いスカートでべたーっと地面に座ってダベってたやまんばギャルたちとか。
あらためて読み返してみたら、あ、こんな話だったんだって、すごく面白く読んじゃいまいした(^^ゞ
最近、読む本読む本、どーもイマイチだったんですけど、これは久しぶりに夢中になって読むことが出来て。
そこは本当に感謝です。
前に読んだ時は、彼女はなぜそれをしたのか?が描かれてないと思ったのに、あらためて読んだら、こんなに明確に描かれているのに、何であの時はそう思ったんだろう???って(^^;
そこがすごく不思議でした。
やまんばギャル懐かしいですね…(笑)
読み返してみたんですね!!このボリューム、大変でしたよね。
わたしが書いた作...
やまんばギャル懐かしいですね…(笑)
読み返してみたんですね!!このボリューム、大変でしたよね。
わたしが書いた作品ではないのに、なんだかとても嬉しいです。ありがとうございます(笑)
次に読む本もまた、夢中になれる作品だといいですね!!
たまにありますよね…核の部分が全然頭に入っていない時。
本ぶらさんの想像力や経験値が以前読んた時よりも向上して、「明確に描かれている」と感じたのではないでしょうか。
失礼なこと言ってたらすみませんm(__)m
全然失礼じゃなくて、まさにnaonaonao16gさんの書いた通りだと思います。
前、一緒に仕事をすることが多かった会社に和...
全然失礼じゃなくて、まさにnaonaonao16gさんの書いた通りだと思います。
前、一緒に仕事をすることが多かった会社に和恵に似た女性(ただし、性格はすごくいいw)がいたんですよ。
仕事やその他諸々のストレスからエッチの依存症みたくなっちゃって。
同僚に次々と手を出しちゃって、職場がいろいろ気まずくなっていって、結局退職。その後は和恵みたく街に立たないまでも、週末になると街に出て男漁りしてたらしいんです(^^;
その人って、よく遊んだ友だちだったんですけど。
でも、そういう状況を傍で見ていて、たんに「依存症」という異常って思ってたんです。
でも、ネットを通じての趣味の集まりで、今まで自分が接してなかった人たちとも知り合う機会があったりで。そういう人って、実は意外と普通にいるんだなーってわかってきたんですよ。
それこそ、気が合って話をしていたら、「実はバイトで男娼してるんです」なんて人もいたりで(゜o゜)
そういう人たちと話をすることで、実際の事件のあの人も結局同じで。決して、自分とは全然違う人ではなかったんだろうなーって思うようになったんだと思います。