グロテスク 下 (文春文庫)

著者 :
  • 文藝春秋
3.51
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  • (132)
  • (31)
本棚登録 : 4781
感想 : 406
  • Amazon.co.jp ・本 (453ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167602109

作品紹介・あらすじ

就職先の一流企業でも挫折感を味わった和恵は、夜の女として渋谷の街角に立つようになる。そこでひたすらに男を求め続けて娼婦に身を落としたユリコと再会する。「今に怪物を愛でる男が現れる。きっと、そいつはあたしたちを殺すわよ」。"怪物"へと変貌し、輝きを放ちながら破滅へと突き進む、女たちの魂の軌跡。

感想・レビュー・書評

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  • そうそう、なんでこの作品読もうと思ったんだっけ、と思っていたくらい、悪意でびったびたにされていた上巻。
    そうだ、以前読んだ柚木麻子さんの「BUTTER」だ。
    その参考文献にあった、上野千鶴子さんらの作品「毒婦たち 東電OLと木嶋佳苗のあいだ」で本作品が東電OL殺人事件をベースにした作品であり、フェミニズムについて描かれていると知ったんだった。
    実際の事件を追うノンフィクション型フィクション。
    合計841ページにわたって込められた作家さんの思い。そして、フェミニズムやジェンダーなど、批判もくるであろうテーマに切り込んでいく覚悟。わたしには想像もつかないほどのエネルギーを費やしたんだろう。

    上巻ではメインの語り手・ユリコの姉である「わたし」が美しすぎる妹・ユリコと、同じQ女子高の同級生である和恵の、主に二人への悪意をまき散らしていく形で、一人称・ですます調で、生い立ちや学校生活が語られていく。
    悪意をまき散らされた二人は全く違う学生生活を送っていたにも関わらず、娼婦という仕事をしており、その結果何者かに殺害された。また、自宅やホテルとは異なった場所で殺害されていたのである。和恵に関しては、昼は大企業で役職のついた会社員をしていたにも関わらず、夜は娼婦という別の顔をもっていたことで、センセーショナルに取り上げられた。

    下巻は、世界観が急転。
    裁判のシーンから始まる。
    被告人の一人語りは、これまでの上巻の物語とは全く異なり、一瞬自分が何の物語を読んでいるのか分からなくなるほど別の姿をしている。そしてその、壮絶な体験と景色。冤罪事件だったこともあり、いきなりそれらを読まされ、読者は被告人に心を持っていかれる。

    上巻の山場は<ユリコの手記>、下巻の山場は<和恵の日記>にあるだろう。
    <ユリコの手記>では、姉である「わたし」視点において、決めつけられ、押し殺されてしまっているユリコの想いと、ユリコが見てきた現実、ユリコがしてきた罪の告白があった。
    <和恵の日記>では、痛々しい心理描写に、わたしは幾度となく耐えられなくなり、後半はお酒を飲みながら読んでいた。解説にも書いてあるけれど、「和恵のこのような行状を『なんて悲惨な…』と受け取ると、『グロテスク』という小説の構造を見誤ります。」
    なんと!わたしは見誤っていたのである。
    姉である「わたし」の一人語り、被告人の上申書、ユリコの告白、和恵の日記、何が本当であるのかなんて分からない。P450「信用できない語り手」による一人語りは、作中の言葉を借りるならば「憎しみと混乱」を読者に残していく。
    ラスト、事件の真相やいかに。

    それぞれが悪意でもってぶつかり合い、誰かと比較して、羨んだり蔑んだりして必死に自分を守ってる。
    作中の彼女たちのように、実際に悪意を言葉にしたりそれを相手に伝えたり、行動に移したりしなくても。
    彼女たちと似たようなことを思うことはあるのではないか。
    「悪口が嫌い」、そう言う人もいる。でも、わたしは誰かにそれを吐き出さないと、やっていけないのではないかと思っている。悪口を言う人は、結構的確で鋭い目線をもっていたりする。スパッと言い切る姿に美しさとかっこよさすら感じることもある。わたしはそういう人が好きだ。潔い。

    この作品のすごいところは、その、悪口の量と質。
    これほど悪口で埋め尽くされた作品をわたしは知らない。
    上巻だけでも胃もたれする本作品。
    下巻の、和恵の日記の中盤から徐々に、通常モードの自分ではいられなくなってくる筆致に気圧されて、軽く脳を麻痺させないと続きが読めなくなるほどの作品。それでも、最後まで読ませたのは、解説にもある、「闘争心」の強さなんだろう。
    和恵が戦っているP452「『世間の論理』。もしくは無限に張り巡らされた差別構造。あるいは競争原理に貫かれた男社会の掟」。
    わたしはよく人に「いつもnaonaonao16gは何かと戦っている」と言われる。きっとわたしは自分自身と戦っている。現実の自分と理想の自分との乖離を、必死に埋めようと足掻いている。
    和恵の日記は、わたしのこの「乖離」を絶妙に突いてくるのだ。だから、お酒なしには読み進めることができなかったのだ。
    この事件が発生した頃は、女性が社会でバリバリ働くことは異質だった。だからこそ、「東電OL殺人事件」なんて名称がついたのだろうけれど。
    社会は男社会が前提で、そこに「入って来た」「女」が「男」に合わせないといけない。一方、家の中は女社会が中心で、そこに「入って来た」「男」が「女」に合わせないといけない。いや、そのまま男社会を持ちこんだ家族構造だって根強く存在しているはずだ。
    一体、何がフェアなのか。どこかに着地点はないものだろうか。

    未だに解決しないこの事件と、未だに日本が遅れをとっているジェンダー問題。
    不思議な一致を見た気がする。

    • 本ぶらさん
      >時代背景がすごく現れた作品だな
      そうですね。
      90年代半ば~2000年頃の渋谷のあの雰囲気を知ってるのと知らないのとでは印象が違うかも...
      >時代背景がすごく現れた作品だな
      そうですね。
      90年代半ば~2000年頃の渋谷のあの雰囲気を知ってるのと知らないのとでは印象が違うかもしれませんね。
      道玄坂と東急本店通りの分かれ目のところの道端で普通にマジッ●マッシュ―ルーム売ってたり。センター街に直接出る地下鉄の出口を出ると、麻薬売ってるイラン人が何人もウロウロしてたり。もちろん、短いスカートでべたーっと地面に座ってダベってたやまんばギャルたちとか。

      あらためて読み返してみたら、あ、こんな話だったんだって、すごく面白く読んじゃいまいした(^^ゞ
      最近、読む本読む本、どーもイマイチだったんですけど、これは久しぶりに夢中になって読むことが出来て。
      そこは本当に感謝です。
      前に読んだ時は、彼女はなぜそれをしたのか?が描かれてないと思ったのに、あらためて読んだら、こんなに明確に描かれているのに、何であの時はそう思ったんだろう???って(^^;
      そこがすごく不思議でした。
      2021/08/29
    • naonaonao16gさん
      本ぶらさん

      やまんばギャル懐かしいですね…(笑)

      読み返してみたんですね!!このボリューム、大変でしたよね。
      わたしが書いた作...
      本ぶらさん

      やまんばギャル懐かしいですね…(笑)

      読み返してみたんですね!!このボリューム、大変でしたよね。
      わたしが書いた作品ではないのに、なんだかとても嬉しいです。ありがとうございます(笑)
      次に読む本もまた、夢中になれる作品だといいですね!!

      たまにありますよね…核の部分が全然頭に入っていない時。
      本ぶらさんの想像力や経験値が以前読んた時よりも向上して、「明確に描かれている」と感じたのではないでしょうか。
      失礼なこと言ってたらすみませんm(__)m
      2021/08/29
    • 本ぶらさん
      いえいえ。
      全然失礼じゃなくて、まさにnaonaonao16gさんの書いた通りだと思います。
      前、一緒に仕事をすることが多かった会社に和...
      いえいえ。
      全然失礼じゃなくて、まさにnaonaonao16gさんの書いた通りだと思います。
      前、一緒に仕事をすることが多かった会社に和恵に似た女性(ただし、性格はすごくいいw)がいたんですよ。
      仕事やその他諸々のストレスからエッチの依存症みたくなっちゃって。
      同僚に次々と手を出しちゃって、職場がいろいろ気まずくなっていって、結局退職。その後は和恵みたく街に立たないまでも、週末になると街に出て男漁りしてたらしいんです(^^;
      その人って、よく遊んだ友だちだったんですけど。
      でも、そういう状況を傍で見ていて、たんに「依存症」という異常って思ってたんです。
      でも、ネットを通じての趣味の集まりで、今まで自分が接してなかった人たちとも知り合う機会があったりで。そういう人って、実は意外と普通にいるんだなーってわかってきたんですよ。
      それこそ、気が合って話をしていたら、「実はバイトで男娼してるんです」なんて人もいたりで(゜o゜)
      そういう人たちと話をすることで、実際の事件のあの人も結局同じで。決して、自分とは全然違う人ではなかったんだろうなーって思うようになったんだと思います。
      2021/09/12
  • 主に主体となる4人の女達の話と、チャンという中国人の生い立ちで話は進む。ほぼ全員の自らの告白にシフトする。

    物語のゴールが何処にあるのかが終始わからない状態でが続く。「誰が犯人なのか」 が重要ではなく、ひたすらと過去や現在を語られる。

    野卑 俗悪 忸怩 放埓... 等々 似たような難しい言葉が羅列されがちだ。読みにくい。物語の区切りがほとんど無いので 語り手が早口に感じてしまう。

  • 桐野夏生の世界
    途中で挫折しそうになりながら読み続けた。、
    だけど惹かれる

  • 上下巻を通じて、特にわたし(ユリコの姉)と和恵から醸し出されるえぐみを存分に感じ取った。2人とも、他人の目が気になって気になってしょうがないように見えるが、実際は周りからの視線すら正しく受け取れてない、ある種の独りよがり人間なんじゃないかなと思った。特に和恵の狂っていくさまは本当にえげつなすぎて気分が悪くなるほど。自暴自棄などと陳腐な言い方はできない。この物語の結末を作ったのは和恵だと思うし解説もそう言っている。和恵さん、この本でいちばん世界に爪痕残してるよ。嬉しい?

    そして逆に、ユリコやミツルの印象はあまり残らなかった。それは私の考え方が近いからなのか、それとも、ユリコの姉や和恵に近いからなのか………

    というか、なんとなくの印象でわたし&和恵・ユリコ&ミツルというグループ分けをしているけど、これもなんだか違う気がする…。とにかく、この本を読みながら思ったことが多すぎてまとめられない。小説をよんでここまで自分という人間について考えたことがあっただろうか?読後にムカムカ考えさせられる本は良い本、これは私の持論です。

    どうでもいいことだけど、ユリコって名前を見て何度か小池都知事を想像してしまい、そのたびにかき消すのが大変だった笑。

  • 東電OL殺人事件を題材にしたフィクション。カルト教団もプロットし、当時の被害者報道の過熱さを問う内容。競争社会、スクールカースト、ラベル貼り、冤罪...。かなり重いテーマを手記や回想の手法で描き切った秀作。
    ここまで人の悪意、孤独感、焦燥感を詳らかにした作品はそうはない。グロテスクという様式美がここにある。

  • ★は5つでもいいと思うのだけれど、一つ減らしたのは最後の「わたし」の章がややピンとこなかったから。
    「わたし」に百合雄は「薄いです。僕はもっとディープな方がいい」と言うわけだけど、世の中とディープに関わったからこそ/関わらざるを得なかったからこそ、ユリコと和恵はああいう風になってしまったわけだ。
    そうならないためには和恵の同僚の山本やアシスタントの子のように生きるのが最善なのだから、その部分と矛盾しているように感じてしまったのだ。
    もっとも、著者はそれが最善だとは著者は言っていないし。なにより、著者がそれを最善だとは思っていないような気がする。
    たんに、“カエルの子はカエル。カエルの姉もカエル”というオチなのかもしれないけれど。
    でも、こういう内容の話でそのオチ?とも思ってしまう。
    和恵がなぜそれをしたのか?は描かれていても、始めたのがなぜそれだったのか?はないわけで、それを「わたし」で表したのかとも思うけど、和恵の場合は独りでそれをやり始めたわけだしなぁー。

    和恵がなぜそれをしたのか?というのはわかる。
    前に読んだ時、自分がなぜそれで納得しなかったんだろう?と不思議なくらい、それは明確に描かれている。
    それでも、和恵がそれを始めた経緯と、初めてそれをしたことがこの話に出てこないのは不自然に感じる。
    (ついでに言えば、初めてそれをした、つまり、初めてエッチをした「わたし」がそれをどう思ったのかが出てこないのも不自然に思う)
    描かれていないといえば、ミツルのエピソードを読みたかったな―。

    この話って。
    結局、人は、他人の目というストレスにある程度晒されないとどんどんおかしくなっていく、つまり、“♪ありのままのぉ~”になっては絶対いけない、という話だと思うのだ(爆)
    それは一つには、厳然たる内側のルールで暮らしているQ女子高の生徒であり、そこでつまはじきにされた「わたし」や和恵であり、和恵の家庭であり、ユリコの特異な成長過程でもあるわけだ。
    その構造は、ミツルが入信した宗教団体も全く同じなわけだ。
    もっとも、それを描いてしまったら、話のスケールが全然違ってくるだろうから、しょうがないんだろうな―と思うんだけど。
    でも、じゃあ「第五章:私がやったわるいこと」で語られるチャンのエピソードはどういう位置づけなんだろう?と思ったのだ。

    というのも、実はこの本。上巻はそんなに面白く読んでなかった。
    下巻になって、いきなりチャンの話になり。(後で絡んでくるとはいえ)全然関係のない人物であるチャンの話に面食らいつつ、話が進まないことにウンザリしながら読んでいたのだ。
    ただ、どの辺だかは憶えていない。チャンの話にいつの間にか夢中になっていて。気づいたら、最後まで読んでいた。
    そして、読み終わった後、元となった事件が起きた頃や、この本が書かれた2000年頃を思い返していた時だった。
    なるほど。日本自体も他人の目というストレスにある程度晒されてないでどんどんおかしくなっていくという意味で、Q女子高や「わたし」や和恵の世界、あるいはミツルの入信した宗教団体と同じだ(った)と著者は言いたいのかな?と思ったのだ。
    この本が書かれた2000年前後といえば、暗かったあの90年代が終るということで、世の中にちょっと明るさが見えていた頃だと思う。
    ただ、それは気持ちの明るさであって。実際は、90年代不況のリアルなしわ寄せが我々末端にまで感じられる頃だった。
    ただ、大企業等は景気の回復をうっすら感じていたようで。2002年からは、“実感なき景気回復”と言われる「いざなみ景気」が始まるわけだ。
    でも、日本の大企業の多くがそこで舵取りを誤った。
    時の経団連会長が「雇用や給料アップより、新興国企業に負けないように設備投資や研究開発が優先」と言ったくせして、結果は新興国企業にボロ負け。
    そこに2008年のリーマンショックが起きて、雇用や給料を後回しにされた一般庶民を直撃。
    90年代不況以降日本人に染みついたデフレマインドをさらに進ませてしまったことで、回り回って企業は商品やサービスを値上げできずに収益を圧迫。
    結果、給料は上がらないから、さらにデフレが進むという状況に陥って。
    いつの間にかGDPはチャンの母国である中国に抜かれていて、しかも、その差は開いていくばかり。
    このままいったら、20年後くらいにはチャンのエピソードがそっくりそのまま私たち日本人の身に起きている…、かもしれない(^^;
    もっとも、著者がそこまで見越して、チャンのエピソードを描いたかはわからない。
    たぶん、日本の中だけ見がちな私たち日本人を、さらに「わたし」や和恵を、その外に住む他人の目に晒してみたということなのだろう。


    第六章でミツルが言っていた、「宗教は修行すればするほどステージが上がっていく。わたしに向いていると思ったわ」というのは、なるほど!と思った。
    あの宗教団体の信者の多くは、詰め込み教育時代の受験勉強世代だけど、そういうわかりやすさがあればこそなのかなーと。

    やっぱり第六章で、木島がミツルに「ユリコも知らない男に殺されちゃいましたけど、言うなれば本望だったんじゃないでしょうか」、「前から言ってましたよ。いつか客の男に殺されるんじゃないかって。怖いけど、それを待っているところもある」というのを読んだ時は、
    あー、そういう人って意外と普通にいるよね、と思った。
    ただ、なんでユリコはそうなんだろう?とも思う。
    ユリコは上巻で手記が出てくるんだけど、それを踏まえても謎の人物なんだよなー。
    「わたし」や和恵、あるいはミツルに比べても、役割を与えられたキャラクター感が強いような気がする。


    第七章の和恵の語りに、“地下鉄が外に出た。渋谷駅。あたしはこの瞬間が好きだ。地底から地表へ。ようやく身内に開放感が溢れてくる”とあるが、たぶん、これこそが「あの事件のその人がそれをしていた」の理由なのだろう。
    ま、売春はともかく、その感覚は自分もわかる。
    というか、この感覚って、ウィークディに会社勤めている人なら誰しも金曜の夜、会社を出た瞬間、それに近いものを味わっているんじゃないだろうか?
    いやいや。金曜の夜なんて、疲れ切ってて。一刻も早く帰って寝たいとしか思わないから、なんて人は本気で転職を考えた方がいいと思う(^^ゞ
    和恵の語りは、さらに“さあ、これから夜の街を行く。泥の真っただ中へ。亀井の行けない世界に。バイトとアシスタントのたじろぐ世界に。室長の想像もできない世界に”と続く。
    これなんかは、ティーンエイジャーの時、渋谷や表参道辺りで遊ぶようになった時の感覚と同じなんだろうな―と思う。
    一方で、和恵が客の新井の言ったことに対して思う、“わたしは復讐してやる。会社の面子を潰し、母親の見栄を嘲笑し、妹の名誉を汚し、自分自身を損ねてやるのだ”っていうのは、あくまでその場の強がりであって。それをした理由ではないように思う。
    確かに、新井の言う“そういう気持ち(復讐)は誰にでもあるけど、復讐なんかしたって自分が傷つくだけでしょ。
    淡々とやるしかないんじゃない”を、Q女子高時代にあれだけ痛い目みても学べないのが和恵なんだとは思う。
    でも、一方で、和恵と同じく四大卒として入社した山本がデートしているのを見て、“あたしが求めても得られないものを山本は持っているのだ。いや、山本だけじゃない。仕事ができないと馬鹿にしている女子アシスタントも、無礼極まりない同期の男も……至極当然のように持っているのに、あたしだけが持てないものがある。それが人間関係だった”とあるように、和恵だって、それは心のどこかではをわかっているように思う。
    人というのは他人に可愛がってもらわないと幸せになれない。可愛がってもらうには、自分が相手に役に立つ存在と思わせることではなく、なにより相手の気分にそぐうようにすること。和恵や「わたし」のように剣呑でいたら、ミツルのように好意を持ってくれる人まで離れていってしまう。
    それは、自分を顧みても、そうだよなーって思うのだ(爆)

    社員の湯呑を洗っている山本を見て、和恵は言う。
    「どうしてあなたがお茶汲みするの。あたしたちはそんなことのために雇われたんじゃないでしょう」と。
    「わたしがしなきゃアシスタントの子たちがしなきゃならない。そういうのは嫌だ」と言う山本に、和恵はさらに言う。
    「させときゃいい。それしか仕事がないんだから。あの子たちって、寄ると触ると男の噂話か、服とか化粧のことばっか」と。
    すると、山本は言うのだ。
    「そうかな。あたしはああいう風に生きたい、と思うことあるな」と。
    さらに、「あたしはアシスタントみたいに気楽に勤めたい。そして、時期が来たらこんな会社辞めたい」と続ける。
    いやいや。20代前半でそう言ってしまう山本の感覚は、さすがにまだちょっと早いんじゃない?とは思う(^^ゞ
    ただ、会社勤めをしていて、20代とか、もしくは30代の前半くらいまで?
    そのくらいの頃って、体力があるから。仕事について自分に色々なことを課したり、具体的に言っちゃえば能力主義や成果主義が絶対いいと思いがちだけど。
    でも、例えば、ある時、徹夜が出来なくなっていることに気づいて愕然としたりと、人は確実に老いていくわけだ。
    それは体力気力が続かなくなっていくだけでなく、病気で入院しなきゃならないことだってあると思うのだ。
    そして、それが子供の受験等お金が入用な時と重なったりすることだってあるわけだ。
    昔の日本は年功序列終身雇用だったから、たとえそうなったとしても、まだ安心できるところがあったと思うのだ。
    安心できるからこそ、誰もが仕事に専念出来て、誰もが仕事に専念したからこそ、日本がここまで経済発展できたという面は間違いなくあると思うのだ。
    でも、今、日本の会社は、あるいは日本人は能力主義や成果主義に舵を切ろうとしている。
    若い時は一晩で何百万も稼いでいたユリコが、年を経たら和恵と一緒に立ちんぼやってたというエピソード、あるいはチャンのエピソードを、今の、そして、これからの日本人はちゃんと考えた方がいいように思うのだが、ま、それはそれとしてw、和恵というのは、つまり頭でっかちの、今で言う「意識高い系」なのだろう。
    論文を書いて、それが新聞に載っても、お客さん相手に仕事をさせてもらえない社員。
    仕事というのは屁理屈でもなく、知識でもなく。あんがい、ニコッと笑えるか笑えないかだったりするのかもしれないなーなんて思った。

    “誰か声をかけて。
     あたしを誘ってください。
     お願いだから、あたしに優しい言葉をかけてください。
     綺麗だって言って。可愛いって言って。
     お茶でも飲まないかって囁いて。”
    上記は、帯にもある和恵の独白なのだが。
    でも、和恵が思うほど、世間は学歴重視でもないし、一流企業か否かで差別したりしない。
    また、見た目の良し悪しだけで女性の好き嫌いを決めたりしない。
    もちろん、そういう人はいるし。その傾向があるのも間違いない。
    でも、和恵が思っているほどではないと思うのだ。
    ただ、根性が捻じ曲がった女性に対して世間や男が冷たいのは確かだと思う。
    世間にとって、あるいは男にとって。女性というのは、ニコッと笑ってくれるか否かなんじゃないだろうか?
    そういうことを言うと、今は短絡的に「セクハラだ」と言う人も多いけど(^^;
    でも、ナントカのひとつ覚えwのようにそういう前に、もしかしたら、自分はいつの間にかこの話の「わたし」や和恵に近づいているのかもしれない?と思った方がいいように思う。
    というか。ニコっと笑うか否かというのは、男にも言えることだろう(^^;


    第七章の終わりで、和恵はチャンに言う。
    「ねぇ、あたしはしちゃいけないことをしているのかしら」と。
    すると、チャンは「この世に、そんなことはひとつもないです」と言うのだが、ここはゾワっときた。
    しちゃいけないことはない。でも、それをしたら、まともな世界の住人でいられなくなる。これは、そういう意味なんだろうなーって(^^;
    ただ、その“それ”って、和恵の何だったのだろう?
    ていうか、その“それ”をするかしないかって、誰の身にも訪れることなのかもしれない。
    もしかしたら、自分が気づかないだけで、すでに自分は“それ”をしてしまったのかもしれないし、これからしてまうのかもしれない。
    ただ、自分が今いる世界って、本当にまともな世界なんだろうか?とも思ったり(^^ゞ

    世の中の間違ったことや理不尽なことを正すのは大事なことだとは思う。
    そのために過剰なタテマエを声高に叫ばなきゃならないことだってあるとは思う。
    でも、タテマエばかりでがんじがらめになっちゃったら、人はどこかで壊れてしまう。
    世間の人は壊れた人を見て、「あの人は何であんなことをしたんだろう?」と嘲笑することでストレスを癒す。
    でも、その嘲笑によって新たなタテマエが生まれることで、自分たちがさらに生き辛くなることには気づかない。



    最近、手に取る本がどれもイマイチで。
    ちょっと読んでは眠くなって…という感じだったんだけど、これは久しぶりに夢中になって読むことができた。
    教えてくれた方に感謝!感謝!(^^)/

  • 下巻読了。最初は何を読まされているのか?とはてなが飛ぶ下巻の始まり。
    犯人、張のこれまでの独白となるのだけど、この部分いる?と最初は思ってしまった。
    ちょっと胡散臭いと思った原因はやはり自分で見目が良いなどと言うから。後々他の人たちに完全否定されるのが、ちょっとおかしい。ついでにひどい悪党とも言われている。
    これと同じく、「わたし」の話もミツル、ユリコ、和恵の話も日記や手記、独白によるものだから、どれも信用ならない。
    ただ、ふと現実に置き換えたときに、もしかしたら人の見えかたなんてこんなものなのかもしれないと思ってしまった。
    上巻を読んでいるときは、ユリコと「わたし」の話だと思っていたけど、下巻で和恵の話だったのかなとも思った。
    なぜ和恵が随時どんどん痩せているのだろうと思ったら、「わたし」の言葉があったからなのかと愕然。
    全然周りが見えていないし、自分のこともわかってないのだけど、ほんとに素直な人というのがしっくりきたかもしれない。
    そして最後は「わたし」は結局そこへ行くのかと。
    読みながらしんどいなあと思うところも多々あったけど、読みごたえも十分あったと思う。

  • この作者の桐野夏生さんのことは、名前は聞いたことあるけど全然知らなくて、「なつお」というから男性だと思っていたら女性作家だった。
    で、この小説、いかにも女性同士の世界の暗部という、泥沼ぐちゃぐちゃな話なのかと予想していたが、実際そういう面もあるものの、意外なまでに読んだ感触は爽やかなのである。これは湊かなえさんの描く世界とは全然違う。何だろう?
    主人公の「異常なまでに美しすぎる妹(ユリコ)」を巡る物語が第一の骨子としてあり、次いで、一流名門の小中高大一貫校という「階級社会」の奇妙さを描きつつ、佐藤和恵やミツルという2人の個性を確立する。
    話し手である「ユリコの姉」を含めた4人の女性のそれぞれの人生、というか、破局の物語である。
    優等生ミツルはオウム真理教を思わせるカルト宗教にはまり殺人に加担したカドで刑務所入りし、他の3人はみんな娼婦になる。
    救いがないような話なのだが、あくまでも爽やかな、むしろユーモアを漂わせつつ、楽しく一気に読ませるのは語りの魔力だろう。
    「ユリコの姉」の語りは結構奔放で、1章の長短もまちまちであり、読書人としては「あれ? この章長いぞ・・・、どこで休んだらいいの?」となってしまうのだが、このような形式上の「破れ」がむしろ、「噴出する物語の奔流」の力強い「手に負えなさ」を証しており、これが非常に魅力的なのだ。
    プイグのように手紙だの日記だの、「ユリコの姉」以外のテクストも自在に織り込まれているのだが、真ん中へんにある殺人者「チャン」の供述書は、本編とは直接関係のなさそうな波乱に富んだ冒険物語のようで、ここでも自己生成的に勝手に細胞増殖してゆく「物語」の自律性が露骨に表れていて楽しい。(実はこの供述内容はどうも大嘘だったらしいと後で分かる)
    こうした「身勝手に動き回る物語」の凄まじさは、私の知るところでは武田泰淳が強烈に具現しているが、それはほとんど作者のコントロールさえ及ばないような「生き物」として深部から浮かび上がって、形式を打ち破ってぬめぬめと動くのである。久野夢作の『ドグラ・マグラ』もそうだと思うし、谷崎潤一郎にもちょっとその気があるかもしれない。深沢七郎もこの系統だろう。海外の古典で言うと、ラブレーだ。
    立ち止まって「この状態を(哲学的に)どう捉えるべきか」なんて考えるヒマもないほど、面白く物語は突き進む。しかも味わいは奇妙にも爽やかで、深刻なのにユーモラス。
    テクニックでは宮部みゆきさんの方がずっと上かもしれないが、破綻するほどに「狂気じみた」芸術を愛好する私としては、桐野夏生さんの本書『グロテスク』の方がずっと素晴らしい「文学作品」だと断言したい。
    もっとも、この作家については本当に何も知らないので、他にも幾つか読んでみたいと思っている。
    ちなみに、一気に読み通してしまったのは、自分が一週間ほど病床に伏していて睡眠の合間にベッドで読み続けたからだ。

  • 誰かに必要とされている実感や、誰かが自分を愛してくれていることを感じられていることがどれ程人の心を救うのか…
    三人の女性たち…
    それぞれにグロテスクなまでにイビツに歪んだ内面に支配され続けて苦しみ抜いてきた。けれど、一番幸せだったのは妹ではなかろうかと感じた。同級生は他者との共生に苦しみ続け最後に小さな希望を見出して死んだ。姉は否定し続けてきた妹と同じ道を辿ることで光を得た。
    読んでいて、とても苦しい人生だったけれど、なんだか読後感は軽かった気がする。悪いモノを見続けたことで、小さな小さな光にも大きな希望を見たのかもしれない。
    面白い作品でしたが、かなり重いし、長いので読む前に覚悟がいるような物語でした。

  • グロテスクの下巻は、ユリコを殺害したチャンという中国人の回想から始まる。
    農村で生まれて都市部に出稼ぎに来たチャンの壮絶な半生が語られるのだけど、これが驚くほど引き込まれた。

    この小説は、東電OL殺害事件をモチーフにしているようだけど、チャンの話を差し込むことによって、中国の貧困問題や移民問題までも扱っているようで、社会派小説としての重みが増していた。


    そして、物語の主観はチャンから再び主人公へ。
    チャンの裁判の後、同窓会のごとく再会した主人公とミツルと木島。

    変わり果てたミツルは以前のように言い淀む癖を捨てて、主人公の弱さと惨めさを面と向かって指摘する。

    一周回ったミツルは達観しており、この物語の中では比較的穏当な妥結点を見出だせているかもしれない。
    ミツル自身が語った「自分と向き合うこと」は、主人公と和恵には圧倒的に足りていない部分だった。

    そんなミツルから渡された晩年の和恵の日記を主人公は読むことになる。
    この和恵の日記がまた濃すぎて…。終盤にこんな盛り上がりを見せるのかと、とにかく最後まで惹きつけられた。

    学生時代の和恵と言えば空回りして完全に浮いていたのだけど、日記の中で明かされる大人になってからの和恵がとにかく痛々しい。
    その痛々しさは言動や振る舞いだけでなく、存在自体が社会から撥ね付けられているような、どうしようもないレベルに達している。

    異常な父の元で育てられ、承認欲求が満たされることがないまま大人になってしまった人間の終局を見ているようで、あまりにも辛かった。
    とにかく、グロテスクの下巻は、全編を通して悲しい気持ちにさせられた。社会通念や超えがたい階級のもとで、人間が傷つきボロボロになりながら孤独になっていく様がありありと描かれる。

    だけど、老いたユリコの本音を聴いたのは和恵だった。
    チャンたちとの性行為の中で、初めて絶対的な手応えを感じたのも和恵だった。

    社会的に見れば孤独で下層にいるような和恵だけど、そんな中でも救いに出会えたかのようで、胸が熱くなった。

    そして最終章にて、ミツルの言葉と和恵の日記を通じて、ようやく主人公は変わり始める。ユリコが聡明で恐ろしく達観していたことを認め、新しい扉を開く。
    それは少しポジティブだけど、あの終わり方はホラーってことでいいのかな?


    とにかく最後まで内容が濃くてアップダウンが激しい、紛れもない傑作だった。

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著者プロフィール

1951年金沢生まれ。成蹊大学卒。93年『顔に降りかかる雨』で江戸川乱歩賞を受賞。99年『柔らかな頬』で直木賞、2003年『グロテスク』で泉鏡花文学賞、04年『残虐記』で柴田錬三郎賞、05年『魂萌え!』で婦人公論文芸賞、08年『東京島』で谷崎潤一郎賞、09年『女神記』で紫式部文学賞、10年、11年に『ナニカアル』で島清恋愛文学賞と読売文学賞をダブル受賞。15年紫綬褒章を受章。

「2023年 『私たちの金曜日』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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