グロテスク 下 (文春文庫)

  • 文藝春秋 (2006年9月5日発売)
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本 ・本 (464ページ) / ISBN・EAN: 9784167602109

感想・レビュー・書評

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  • そうそう、なんでこの作品読もうと思ったんだっけ、と思っていたくらい、悪意でびったびたにされていた上巻。
    そうだ、以前読んだ柚木麻子さんの「BUTTER」だ。
    その参考文献にあった、上野千鶴子さんらの作品「毒婦たち 東電OLと木嶋佳苗のあいだ」で本作品が東電OL殺人事件をベースにした作品であり、フェミニズムについて描かれていると知ったんだった。
    実際の事件を追うノンフィクション型フィクション。
    合計841ページにわたって込められた作家さんの思い。そして、フェミニズムやジェンダーなど、批判もくるであろうテーマに切り込んでいく覚悟。わたしには想像もつかないほどのエネルギーを費やしたんだろう。

    上巻ではメインの語り手・ユリコの姉である「わたし」が美しすぎる妹・ユリコと、同じQ女子高の同級生である和恵の、主に二人への悪意をまき散らしていく形で、一人称・ですます調で、生い立ちや学校生活が語られていく。
    悪意をまき散らされた二人は全く違う学生生活を送っていたにも関わらず、娼婦という仕事をしており、その結果何者かに殺害された。また、自宅やホテルとは異なった場所で殺害されていたのである。和恵に関しては、昼は大企業で役職のついた会社員をしていたにも関わらず、夜は娼婦という別の顔をもっていたことで、センセーショナルに取り上げられた。

    下巻は、世界観が急転。
    裁判のシーンから始まる。
    被告人の一人語りは、これまでの上巻の物語とは全く異なり、一瞬自分が何の物語を読んでいるのか分からなくなるほど別の姿をしている。そしてその、壮絶な体験と景色。冤罪事件だったこともあり、いきなりそれらを読まされ、読者は被告人に心を持っていかれる。

    上巻の山場は<ユリコの手記>、下巻の山場は<和恵の日記>にあるだろう。
    <ユリコの手記>では、姉である「わたし」視点において、決めつけられ、押し殺されてしまっているユリコの想いと、ユリコが見てきた現実、ユリコがしてきた罪の告白があった。
    <和恵の日記>では、痛々しい心理描写に、わたしは幾度となく耐えられなくなり、後半はお酒を飲みながら読んでいた。解説にも書いてあるけれど、「和恵のこのような行状を『なんて悲惨な…』と受け取ると、『グロテスク』という小説の構造を見誤ります。」
    なんと!わたしは見誤っていたのである。
    姉である「わたし」の一人語り、被告人の上申書、ユリコの告白、和恵の日記、何が本当であるのかなんて分からない。P450「信用できない語り手」による一人語りは、作中の言葉を借りるならば「憎しみと混乱」を読者に残していく。
    ラスト、事件の真相やいかに。

    それぞれが悪意でもってぶつかり合い、誰かと比較して、羨んだり蔑んだりして必死に自分を守ってる。
    作中の彼女たちのように、実際に悪意を言葉にしたりそれを相手に伝えたり、行動に移したりしなくても。
    彼女たちと似たようなことを思うことはあるのではないか。
    「悪口が嫌い」、そう言う人もいる。でも、わたしは誰かにそれを吐き出さないと、やっていけないのではないかと思っている。悪口を言う人は、結構的確で鋭い目線をもっていたりする。スパッと言い切る姿に美しさとかっこよさすら感じることもある。わたしはそういう人が好きだ。潔い。

    この作品のすごいところは、その、悪口の量と質。
    これほど悪口で埋め尽くされた作品をわたしは知らない。
    上巻だけでも胃もたれする本作品。
    下巻の、和恵の日記の中盤から徐々に、通常モードの自分ではいられなくなってくる筆致に気圧されて、軽く脳を麻痺させないと続きが読めなくなるほどの作品。それでも、最後まで読ませたのは、解説にもある、「闘争心」の強さなんだろう。
    和恵が戦っているP452「『世間の論理』。もしくは無限に張り巡らされた差別構造。あるいは競争原理に貫かれた男社会の掟」。
    わたしはよく人に「いつもnaonaonao16gは何かと戦っている」と言われる。きっとわたしは自分自身と戦っている。現実の自分と理想の自分との乖離を、必死に埋めようと足掻いている。
    和恵の日記は、わたしのこの「乖離」を絶妙に突いてくるのだ。だから、お酒なしには読み進めることができなかったのだ。
    この事件が発生した頃は、女性が社会でバリバリ働くことは異質だった。だからこそ、「東電OL殺人事件」なんて名称がついたのだろうけれど。
    社会は男社会が前提で、そこに「入って来た」「女」が「男」に合わせないといけない。一方、家の中は女社会が中心で、そこに「入って来た」「男」が「女」に合わせないといけない。いや、そのまま男社会を持ちこんだ家族構造だって根強く存在しているはずだ。
    一体、何がフェアなのか。どこかに着地点はないものだろうか。

    未だに解決しないこの事件と、未だに日本が遅れをとっているジェンダー問題。
    不思議な一致を見た気がする。

    • 本ぶらさん
      いえいえ。
      全然失礼じゃなくて、まさにnaonaonao16gさんの書いた通りだと思います。
      前、一緒に仕事をすることが多かった会社に和...
      いえいえ。
      全然失礼じゃなくて、まさにnaonaonao16gさんの書いた通りだと思います。
      前、一緒に仕事をすることが多かった会社に和恵に似た女性(ただし、性格はすごくいいw)がいたんですよ。
      仕事やその他諸々のストレスからエッチの依存症みたくなっちゃって。
      同僚に次々と手を出しちゃって、職場がいろいろ気まずくなっていって、結局退職。その後は和恵みたく街に立たないまでも、週末になると街に出て男漁りしてたらしいんです(^^;
      その人って、よく遊んだ友だちだったんですけど。
      でも、そういう状況を傍で見ていて、たんに「依存症」という異常って思ってたんです。
      でも、ネットを通じての趣味の集まりで、今まで自分が接してなかった人たちとも知り合う機会があったりで。そういう人って、実は意外と普通にいるんだなーってわかってきたんですよ。
      それこそ、気が合って話をしていたら、「実はバイトで男娼してるんです」なんて人もいたりで(゜o゜)
      そういう人たちと話をすることで、実際の事件のあの人も結局同じで。決して、自分とは全然違う人ではなかったんだろうなーって思うようになったんだと思います。
      2021/09/12
    • タロさん
      若い時は、作者の本を読むパワーがあったのですが、年をとって、自分が傷つくことに耐えられなくなって、桐野さんからは遠ざかってしまいました

      で...
      若い時は、作者の本を読むパワーがあったのですが、年をとって、自分が傷つくことに耐えられなくなって、桐野さんからは遠ざかってしまいました

      でも、感想を読ませていただいて、柔らかな頬、OUT、グロテスク、と脈々と続く女性の内面を描き切る作品群を産み出す作者のエネルギーの果てしなさに圧倒されるばかりです

      また、新作を読むパワーが出ればと、感想を読んで、かつて自分も悪意を抱えて、悪意と闘っていた時のことを思い出して、コメントしてしまいました

      場違いで、ごめんなさい
      2023/07/27
    • naonaonao16gさん
      タロさん

      おはようございます。
      コメントありがとうございます!
      場違いだなんて、そんなことないですよ~
      コメント、とても嬉しく拝見しました...
      タロさん

      おはようございます。
      コメントありがとうございます!
      場違いだなんて、そんなことないですよ~
      コメント、とても嬉しく拝見しました!!

      エネルギーを使う読書ってありますよね~
      中でも、桐野さんの作品は特に多くのエネルギーを使う作品が多いですよね…

      わたしも最近は読書のペースが落ちてしまい、エネルギーを使う読書からは遠ざかり気味です…
      以前自分が描いたレビューがこうしてタロさんに届いたことを、とても嬉しく思います。

      暑い日が続きますので、体調など崩さぬようお過ごしください。

      改めてになりますが、コメント本当にありがとうございました!
      2023/07/28
  • 重い重い。でもこれぞ文学。女性という生き物をこれでもかとグロテスクに描き、絶妙に私の何かを突いてくる。凄みがあり素晴らしかった。

    下巻ではチャンの上申書から始まり、グッと惹きつけられた。この目線が後からかなり効いてくる。木島先生の手紙パートも味わい深くて良い。
    このグロテスクさを味わうには今の年齢じゃないと読みきれなかったんじゃないかなーと思う。

    桐野夏生さん他も読みたい。
    でも一旦美しいものに触れるぞー!バランスが大事。



    「わたしが考えるに、水とは、女の場合、男なのです。
    わたしはユリコと違って男という生物が大嫌いです。男と好き合うこともなければ、抱き合うこともない。だから、発酵も腐敗もせずにこうやって生きています。ええ。わたしは乾燥してしまった木なのです。ユリコは生まれついての男好きですから、長い発酵を経て腐敗した。ミツルは結婚して道を誤って腐敗し、和恵は歳を取るに従って自分の生活になかった潤いが欲しくなって腐敗して滅んだのです。違いますか。」

    「水を得た女は皆、居丈高になるのです。」

    「誇れるものと恥ずべきものは実は表裏一体で、あたしを苦しめたり、喜ばせたりするのだ。」

  • 主に主体となる4人の女達の話と、チャンという中国人の生い立ちで話は進む。ほぼ全員の自らの告白にシフトする。

    物語のゴールが何処にあるのかが終始わからない状態でが続く。「誰が犯人なのか」 が重要ではなく、ひたすらと過去や現在を語られる。

    野卑 俗悪 忸怩 放埓... 等々 似たような難しい言葉が羅列されがちだ。読みにくい。物語の区切りがほとんど無いので 語り手が早口に感じてしまう。

  • 登場人物全員が歪んだ欲望や劣等感に囚われていて、誰一人として共感しにくい。
    上巻では登場人物の背景が丁寧に描かれ、貧富や美醜の差がもたらす格差、自己顕示欲や悪意に満ちた人間関係が浮き彫りになり、下巻では、彼女たちが壊れていく過程が克明に描かれ、社会の闇に翻弄される姿が痛々しく映る。
    終始、負のエネルギーが渦巻き、女性であるがゆえに逃れられない運命に支配された彼女たちの生き様を、ヒリヒリする様な思いで追いかけた時間だった。

  • 桐野夏生の世界
    途中で挫折しそうになりながら読み続けた。、
    だけど惹かれる

  • 上巻が女子高生の話だと思ったら、下巻前半は中国からの難民の話になり、振り幅に度肝を抜かれた。下巻後半はほぼ円山町の怪談話のような展開で、心を打つ言葉が多々あり、ただただ最高であった。

  • 上下巻を通じて、特にわたし(ユリコの姉)と和恵から醸し出されるえぐみを存分に感じ取った。2人とも、他人の目が気になって気になってしょうがないように見えるが、実際は周りからの視線すら正しく受け取れてない、ある種の独りよがり人間なんじゃないかなと思った。特に和恵の狂っていくさまは本当にえげつなすぎて気分が悪くなるほど。自暴自棄などと陳腐な言い方はできない。この物語の結末を作ったのは和恵だと思うし解説もそう言っている。和恵さん、この本でいちばん世界に爪痕残してるよ。嬉しい?

    そして逆に、ユリコやミツルの印象はあまり残らなかった。それは私の考え方が近いからなのか、それとも、ユリコの姉や和恵に近いからなのか………

    というか、なんとなくの印象でわたし&和恵・ユリコ&ミツルというグループ分けをしているけど、これもなんだか違う気がする…。とにかく、この本を読みながら思ったことが多すぎてまとめられない。小説をよんでここまで自分という人間について考えたことがあっただろうか?読後にムカムカ考えさせられる本は良い本、これは私の持論です。

    どうでもいいことだけど、ユリコって名前を見て何度か小池都知事を想像してしまい、そのたびにかき消すのが大変だった笑。

  • 下巻読了。最初は何を読まされているのか?とはてなが飛ぶ下巻の始まり。
    犯人、張のこれまでの独白となるのだけど、この部分いる?と最初は思ってしまった。
    ちょっと胡散臭いと思った原因はやはり自分で見目が良いなどと言うから。後々他の人たちに完全否定されるのが、ちょっとおかしい。ついでにひどい悪党とも言われている。
    これと同じく、「わたし」の話もミツル、ユリコ、和恵の話も日記や手記、独白によるものだから、どれも信用ならない。
    ただ、ふと現実に置き換えたときに、もしかしたら人の見えかたなんてこんなものなのかもしれないと思ってしまった。
    上巻を読んでいるときは、ユリコと「わたし」の話だと思っていたけど、下巻で和恵の話だったのかなとも思った。
    なぜ和恵が随時どんどん痩せているのだろうと思ったら、「わたし」の言葉があったからなのかと愕然。
    全然周りが見えていないし、自分のこともわかってないのだけど、ほんとに素直な人というのがしっくりきたかもしれない。
    そして最後は「わたし」は結局そこへ行くのかと。
    読みながらしんどいなあと思うところも多々あったけど、読みごたえも十分あったと思う。

  • 東電OL殺人事件を題材にしたフィクション。カルト教団もプロットし、当時の被害者報道の過熱さを問う内容。競争社会、スクールカースト、ラベル貼り、冤罪...。かなり重いテーマを手記や回想の手法で描き切った秀作。
    ここまで人の悪意、孤独感、焦燥感を詳らかにした作品はそうはない。グロテスクという様式美がここにある。

  • 東電OL殺人事件をヒントに描かれた作品。 美貌の妹に生涯コンプレックスを持ち続ける姉、その同級生でやはり美貌と富にコンプレックスを抱える一流企業OL。 こんなにも人生を狂わせるコンプレックスがあるのかと恐怖を覚える。和恵のような不器用な子はたくさんいる。特別おかしな子供ということはなかったのに、何がここまで人生を歪ませてしまったか。誰かに優しくされたい、認めてもらいたい、自分は特別だと思いたい気持ちは誰にでもあるが、その気持ちが余りにも大きくなると壊れてしまうのだろうか?

    「わたし」の末路も、滑稽かつグロテスクで恐ろしかった。

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著者プロフィール

1951年金沢市生まれ。1993年『顔に降りかかる雨』で「江戸川乱歩賞」、98年『OUT』で「日本推理作家協会賞」、99年『柔らかな頬』で「直木賞」、03年『グロテスク』で「泉鏡花文学賞」、04年『残虐記』で「柴田錬三郎賞」、05年『魂萌え!』で「婦人公論文芸賞」、08年『東京島』で「谷崎潤一郎賞」、09年『女神記』で「紫式部文学賞」、10年・11年『ナニカアル』で、「島清恋愛文学賞」「読売文学賞」をW受賞する。15年「紫綬褒章」を受章、21年「早稲田大学坪内逍遥大賞」を受賞。23年『燕は戻ってこない』で、「毎日芸術賞」「吉川英治文学賞」の2賞を受賞する。日本ペンクラブ会長を務める。

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