構造主義的日本論 こんな日本でよかったね (文春文庫 う 19-5)
- 文藝春秋 (2009年9月4日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (307ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167773076
作品紹介・あらすじ
時間的に後から来たものがすべてを支配する、というのは歴史主義的な考え方で、構造主義は時間の広がりと深みを重んじます。「私とは違う時間の中に生きている人に世界はどのように見えているのか私にはよくわからない」-。そんな謙抑的な知性で、内田センセイと一緒に、こんな日本について考えてみませんか。
感想・レビュー・書評
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買い置きしていたが、濡れかかっていたので急きょ読み通す。この人の本、やはり面白い。 2000年代の空気感がよくわかる。
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久しぶりに内田先生の本を購読。なにしろ、著作がどんどん増えるので、この本読んだかな、と本屋で考えることも度々。
発語主体は発語という行為の事後的効果と云う。言いたいことは言葉の後に存在する。「我思う、ゆえに我あり」というコギトでは主体しか確実なものはないというが、内田先生によれば主体は事後的に遡及的に確定される、あやふやなものになってしまう。
昔読んだ構造主義の入門では、親族構造のような構造の存在がコギト神話の否定とあったけど、内田先生の言葉論の方が納得するなあ。
2005~2008年にブログに掲載したものをまとめたものだが、改めて読み直すと、考えることが多い。ミスはある人の「責任範囲」と別の人の「責任範囲」の中間に広がる広大なグレーゾーンにおいて発生する。だから、予防はマニュアル化できない、とか。
いやーホントそうだよな。「オレがやっとくよ」という評価されない行為でしか救いの手はないとのこと。
忘れないよう、ブクログのレビューに書いとこ。 -
サブタイトルにあるとおり「構造主義」的な観点から日本の問題(とされている)格差社会、少子化問題、言葉の力、社保庁問題などを考察している。
少子化問題については本当にその通りだと思う。
減っても全然問題ない。
少子化は「問題」ではなく一種の「解答」である。
格差社会についてもすごくすっきりとした良い捕らえ方を知ることが出来た。
「格差社会というのは、格差が拡大し、固定化した社会というよりはむしろ、金の全能性が過大評価されたせいで人間を序列化する基準として金以外のものさしがなくなった社会のことではないか。」
あとは「親族の基本構造」が面白かった。
フェミニストと男女の「価値」にまで言及できる。
レヴィ=ストロース読もう。 -
外国語を学ぶ時に、私たちはまずストックフレーズ丸暗記から入る。それは外国語運用の最初の実践的目標が、もうわかったよ、君の言いたいことは、と相手に言わせて、コミュニケーションを打ち切ることだからである。
人生とはそういうことの連続だから。シンプルでクリアカットで矛盾的な行動規範だけを与えられて育った子供はそういうことに対処できない。どうふるまっていいかわからないときに、子供はフリーズしてしまう。フリーズするかしないかはハードでタフな状況においては生死の分かれ目となる。
労働するのが人間なのだ。だから労働しない人間は存在しない。
強い個体とは礼儀正しい個体である。この理論はわかる人にはわかるし、わからない人にはわからない。
労働者=消費者を性差にも国籍にも人種にも信教にも無関係に全部同一規格で揃えてしまうことがグローバル資本主義の夢である。
ナチスの仮説が正しければ、ドイツ支配地域のユダヤ人がほぼ全滅した時点で真にドイツ的なドイツが顕現してドイツはその絶頂期を迎えるはずだったのだが、どういうわけか戦況は悪化した。この反証事例の説明に窮したナチスは、スターリンもチャーチルもルーズベルトもすべてユダヤ人の手先であるという説明を採用して破たんを粉飾した。
東アジアにはかつて中国を中華として、モンゴル、朝鮮、インドシナ半島、日本に及ぶ巨大な儒教圏が存在した。 -
pp.24-5
発話の起点は、発話の起点にあるのではなく、発話が終わった後に訴求的に定位される以外には存在しないものなのである。
……
発話主体がまず存在して、それが何かを発語するわけではない。発話主体は発話という行為の事後的効果なのである。
……
「言いたいこと」は「言葉」のあと存在し始める。「私」は、「私が発した言葉」の事後的効果として存在し始める。
p.155
人生はミスマッチである。
私たちは学校の選択を間違え、就職先を間違え、配偶者の選択を間違う。
それでも結構幸福に生きることができる。
pp272
愚かしい幻想が合理的な分析よりも強い力を持つことがある。そして、「本当のリアリスト」は、この「愚かしい幻想」の持つ政治的なポテンシャルを決して過小評価しない。「愚かしい幻想」を鼻で笑うのは「三流のリアリスト」 だけである。
例えば、マルクスはそういう意味で「本当のリアリスト」だったと私は思う。マルクスは「幻想」の力について、次のようなみごとな文章を書き起こしている。
(以下『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』からの引用) -
【感想】
・内田による「日本文化論」のうちの一冊。
・ブログ記事から収集された短文を再構成したもの。
・着目点と用語が独特。
・本書の用語の独特さのうち六割は無駄な修飾にすぎないので、一般的な用語や表現に変更した方が論旨が明快になる(と私は考えている)。
・たとえば「……は日本の奇習なのだ」という言い回しは、複数の書籍で好んで使用されている。残念ながら読者をすこし驚かせる効果しかないので、これを読者側で「マイナールール」等に置換して読んでも問題ない。
・レヴィ=ストロースやレヴィナスからの抜粋が多いことからわかるように、構造主義や現象学の知見を部分的に引っ張ってきて、あるテーマを(日本文化論的に)論じるスタイル。
・議論が片面的なので説得力は高くない。その反面で面白くはある。
・何かを主張する文章の体裁は整っており、高校生向けの「現代文(随筆)」の材料にできる程度のレベルはクリアしている。
・それゆえに、日本の作問者たちは堂々と内田樹を現代文に登板させつづけるのだろう。
【書誌情報】
こんな日本でよかったね――構造主義的日本論
著者:内田 樹
出版社:文藝春秋
レーベル:文春文庫
定価:692円(税込)
発売日:2009年09月04日
ページ数:320
判型・造本:文庫判
発行日:2009年09月10日
ISBN:978-4-16-777307-6
Cコード 0195
[https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167773076]
【簡易目次】
1章 制度の起源に向かってーー言語、親族、儀礼、贈与
2章 ニッポン精神分析ーー平和と安全の国ゆえの精神病理
3章 生き延びる力ーーコミュニケーションの感度
4章 日本辺境論ーーこれが日本の生きる道? -
1章■制度の起源に向かって
言語、親族、儀礼、贈与
2章■ニッポン精神分析
平和と安全の国ゆえの精神病理
3章■生き延びる力
コミュニケーションの感度
4章■日本辺境論
これが日本の生きる道?
ブログのまとめ -
内田樹のエッセイをまとめた本。日本の様々な問題点について独自の視点で意見を述べていますが、いろんなメディアに書いたエッセイであるため、一貫性があまりない。読んでいるととても面白いし、分かりやすいけれども、あまり記憶に残らない感じ。
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Vol.81
コミュニケーション感度と生き延びる力の関係性?
http://www.shirayu.com/letter/2010/000159.html