往古来今 (文春文庫 い 94-1)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (205ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167904715

作品紹介・あらすじ

泉鏡花文学賞を受賞した傑作中篇集。語り手の「私」が、自分の子供のころの母親の思い出を語りだす。と思いきや、突然思い出を断ち切るように、二十歳ごろのうらぶれた京都旅行の話が始まる。線路で泣いている仔犬を救おうとした話、田舎の郵便局で働く巨漢の元力士、千年前の源平時代の領主の話、裸の大将・山下清の話、そして行き着くのは百年前にハワイに移民した日本人の話――自在に空間と時間を往来する、「私」を巡る五つの物語。タイトルになった〈往古来今〉とは、「綿々と続く時間の流れ。また、昔から今まで」を表す中国の四字熟語。時空がなだらかに転調していくこれまでのスタイルを踏襲しながらも、新しい挑戦に挑んだ意欲作である。解説・金井美恵子

感想・レビュー・書評

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  • 連作っぽい短編集。とある50歳男性のとりとめのない回想からスタートし、突然思いがけない方向に話が転がり出すので、どこに連れていかれるのかわからない感覚が面白かった。

    いちばん面白かったのは「脱走」50歳男性は何もかも捨てて見知らぬ温泉街に行き、泊まったホテルで「ここで働かせてほしい」と言い出す。そこでは断られるが突然見覚えのない白髪の老婆が元同級生と名乗り彼女の経営する温泉宿で働かせてくれるが毎日は同じことの繰り返しで…。

    ある日気ままに旅に出て、お金が尽きたら泊まっていた宿に「ここで働かせてほしい」というの、小説やドラマでよくみるけれど(サスペンスドラマに出てくるワケアリの仲居さん的なの)実際にやってみた人はどれくらいいるんだろう。たぶん50歳男性の現実逃避の妄想かなあと思いつつ、絡められる山下清のエピソードなども面白く読んだ。

    最後の「恩寵」だけは、なぜかルポ風の、明治時代にハワイに移民した日本人たちの話で、これはこれで興味深かった。金井美恵子の解説がとてもわかりやすかったので以下引用しておきます。金井美恵子自身の小説もこれですよね。

    「小説を読むということは(あるいは書くということは)、私たちの持っている様々な記憶の中の、言葉で書かれた本や、映画や、町や公園や川や山やといった空間で出来た世界の、無数の輝いてざらついていて、しかも平板な断面が、今読んでいる小説と、何枚もの布地としてところどころで縫いあわされ、混りあいつながっていることを(それは、裏返しだったり、重なり具合がずれて、幾重ものヒダになっていたりもする)確認することだ。」

    ※収録
    過去の話/アメリカ/見張りの男/脱走/恩寵/解説:金井美恵子

  • 正直に感想を述べると「訳がわからない」の一言に尽きる。

    車で見送ってくれた母親。京都を一人旅した記憶。トラックの荷台に乗った太った女性。ハワイの虹。ドバイの超高層ビルの窓拭き。娘を連れて失踪した男。寡黙な元力士の郵便配達人の同級生。家も家族も捨てて流れ着いた先の旅館で働く男。嘘をつき続け放浪した山下清。ハワイに移民した明治の日本人たち。
    誰についての話で誰が現在で過去なのか曖昧としたまま、時間と空間が自在に往き来する。意味が分からない。

    しかし、意味が分からないからつまらないかというと、これが全く違う。むしろ頁をめくる手が止まらないほどだった。意味が分からないなりに個人的な解釈を述べれば、この小説は逃避を描いたのではないか。脈略のない記憶の断片とその集積の物語で、孤独や哀しみが至る所に滲むのだが、逃げるとはこうも爽快かと読後に強く印象に残った。そうだった。逃げるって楽しい。

    加えて磯崎さんの文章は読むと心が落ち着く。読む者を平穏な気持ちにさせる文体はどこで培われたのだろうか。書いたものをずっと読んでいたい。そう思わせる稀有な作家である。

  • 「過去の話」
    旅行というのは日常からの逃避で
    その意味では一種の祝祭で
    擬似的な冥途旅と言うこともできる
    それに行った人は、つまらない日常のありがたみを思い
    新たに生きる活力を得るわけだ
    そのまま帰ってこられない旅もあるんだけどな、本当はな

    「アメリカ」
    四次元的な直感能力を発揮して
    生粋のアメリカ人に生まれた、もうひとつの自分の人生を幻視してみると
    現実と同じく、幼かった頃の娘に対して威厳を見せようとしていた
    恋人みたいに

    「見張りの男」
    凡庸でない人間はいない
    己の凡庸さを認める人間と、認めない人間がいるだけ

    「脱走」
    孤独でない人間もいないだろう
    己の孤独さを認める人間と認めない人間がいるだけで

    「恩寵」
    幕末から明治のはじめにかけて、ハワイに移民した日本人の話
    サトウキビ栽培の労働に耐えられず、いじめられていた夫婦が
    養豚に成功して村人との立場を逆転させる

  • 突然山下清が出てきてびっくりした

  • 磯崎憲一郎作品のほんの一部しか読んでいないけれど、この作家の「時間」というものの捉え方、特に「過去」というものを見つめるまなざしはとても特徴的だと思う。一種の「温かさ」というか、「目線」や「視線」というよりも「まなざし」と表現すべき、人の肌の温度や意思のようなものを感じる。
    まるで自分の子どもを見つめるそれのような。

    それは多分、過去の「切り取り方」によるものなんじゃないかと思う。
    仰々しい前置きや有り難い後日談なんか無しにして、無限に続く時間軸の一部を、無造作に切り取ってそのまま記述するだけの。

    「時間軸」という言葉を遣うと、人は大体、「過去があって、その上に今があって、その先に未来がある」という捉え方をするのだろう。そこには因果律的な「原因と結果」の思想があって、あくまで「今」を支点とした発想だ。
    一方、この本で言えば最後の「恩寵」の一篇や、またはデビュー作の「肝心の子供」が分かり易いと思うのだけれど、磯崎さんは「過去」というものを無造作に切り取ることでそのまま手元に引き寄せて、(虚実綯い交ぜにして)見えたものを直接書き記しているのではないかと思う。時間軸上のそれぞれを、独立した個別の存在としてとらえているのだろう。

    「終の住処」では、自分の妻や子どもを「他人」としか捉えられない男が描かれていて、著者自身も「自分の子供とはいえ結局は別の生き物なのだ」というようなことを何かのインタビューで言っていた(と思う)。
    これもつまり、自分の子供(言うなれば「未来」)を、自分(「今」)が生み出したものではなく、独立した一つの存在として見ている、とは言えないだろうか。
    けれどそこにはやはり断ち切りがたい「繋がり」があって、だからこそ、切り取られた時間軸の両端にある無限の広がりを感じるのではないだろうか。

  • 5編収録の短編集。
    時間も空間も超えてゆるゆると行き来するような内容で、読んでいると不思議と心が安らぐ。タイトルの語感もいい。
    解説が金井美恵子だったのもちょっと嬉しかった。

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著者プロフィール

1965年生まれ。商社勤務の傍ら40歳を前に小説を書き始め、2007年に「肝心の子供」で第44回文藝賞受賞。2008年の「眼と太陽」(第139回芥川賞候補)、「世紀の発見」などを経て、2009年、「終の住処」で第141回芥川賞受賞。その他の著書に『赤の他人の瓜二つ』(講談社)がある。

「2011年 『小説家の饒舌 12のトーク・セッション』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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