葵の残葉 (文春文庫 お 63-2)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (347ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167914011

感想・レビュー・書評

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  • 幕末維新を尾張藩主・徳川慶勝、慶喜将軍就任後に一橋家当主となる徳川茂栄(もちはる)、会津藩主・松平容保、桑名藩主・松平定敬(さだあき)の四兄弟の視点から描いた時代小説。周知のように、今、ちょうど大河ドラマ『青天を衝け』で同じ時代が慶喜・渋沢を中心に描かれているが、対比しながら読めてなお一層面白かった。

    第37回新田次郎文学賞、本屋が選ぶ時代小説大賞受賞作品。

  • 維新において、徳川家を支えた高杉松平家の四兄弟を主人公として、幕末の動乱期を描く。尾張藩主徳川慶勝、一橋家当主一橋茂栄、会津藩主松平容保、桑名藩主松平定敬。
    兄弟が敵味方にわかれながらも、葵に生まれた者の宿命として、必死に生き抜いた人生に感動を覚えます。

  • 幕末に小藩に生まれた4兄弟が、明治維新に人生を翻弄されるさまを描いた2017年の小説。新田次郎文学賞受賞。
    幕末の小説は良く読んでいるが、会津藩や桑名藩という幕末の舞台で有名な藩の藩主が、尾張高須藩という名前も聞いたことのない藩からの養子だった、という事実を知らなかった。なので、新しい視点が得られると期待して読んだが、今一歩、内容が浅かったかなという感想。
    4人の兄弟が養子により幕府側と新政府側に分かれてしまうのだが、話し手の視点がうち2人に絞られていて、残りの2人の考えがよく見えないまま、中途半端に終わってしまった印象が強い。それぞれの立場、苦悩なんかをもっと、読みたかった。

  • 内容(「BOOK」データベースより)
    兄弟の誰か一人でも欠けていれば、幕末の歴史は変わった―。石高わずか三万石の尾張高須の家に生まれた四兄弟は、縁ある家の養子となる。それぞれ尾張藩慶勝、会津藩容保、桑名藩定敬、そして慶勝の後を継いだ茂栄。幕末の激動期、官軍・幕府に別れて戦う運命に。埋もれた歴史を活写する傑作長篇小説!新田次郎文学賞、本屋が選ぶ時代小説大賞、W受賞!

  • 予想通りの物悲しさや暗さを含む物語。徳川慶勝といえば城山三郎の『冬の派閥』が有名か?大きな違いとしては写真愛好家の一面が描かれるところ。人との会話の駆け引き、本音と建前。写真で撮ることができるもの、実像と虚像。この2つが物語の肝になる。おもしろかった。
    ※評価はすべて3にしています

  • 読み終わった後、しばしボーッとするほど感動しました。時代に引き裂かれた兄弟でしたが、その絆、切れないでよかった。

  • 定敬、容保、慶勝、全員性格が同じに思える。それぞれになんのキャラ付けもなくて、淡々とお決まりの歴史イベントが起き、時間が経過してゆき、盛り上がりもなく、とても退屈。他の方のコメントを読んで、期待して買いましたが、残念です。途中で読むのはやめました。

  • 徳川慶勝、徳川茂栄、松平容保、松平定敬の高須四兄弟の幕末を慶勝を中心に描く歴史小説。高須四兄弟や青松葉事件というのを知らなかったので勉強になった。なかなかの力作という感じで、そこそこ楽しめた。

  • 葵の残葉

    奥山景布子著
    2017年12月15日発行
    文芸春秋

    幕末~維新の時、尾張藩当主、一橋家当主、会津藩主、桑名藩主だった4人は、兄弟だった。知らなかった。
    尾張徳川の分家である美濃高須から、それぞれ諸家に養子入りした。

    ・次男慶勝(よしかつ):尾張徳川14代当主となるも、井伊直弼独裁の中でクビになる。当主は弟の茂栄がつぐが、彼もクビになり、慶勝の嫡男慶宣が当主になるが、幼かったため実質的に慶勝が当主として復活
    ・五男茂栄(もちはる):兄の失脚で一度は尾張徳川の藩主となるが、中央の命を受けなかったことでクビになり、後、一橋家の当主に
    ・六男容保(かたもり):最後まで新政府と戦った会津藩主に(養子)
    ・八男定敬(さだあき):やはり新政府に逆らった桑名藩主に(婿養子)

    5月に続いて、またも珍しく小説を読んだけど、この作品は時代ものでたぶん史実に沿って書かれているため、なかなか勉強にもなる。
    図書館の予約、何ヶ月も待たされてやっと読めた。
    確かに、なかなか面白かった。

    安政5(1858)年~明治11(1878)年までが描かれている。冒頭は、4人が集まり、慶勝の趣味である写真に収まる様子から。慶勝の写真好きは有名で(まだガラスに焼き付ける方式)、名古屋城が再建できたのも、彼が残した多くの名古屋城の写真があったからこそと言われている。

    (以下、メモ)
    ・8代将軍吉宗が質素倹約を説いていた折、真っ向から反発して経済も風俗も自由を掲げて華やかな名古屋城下を作り上げたのは、尾張7代当主、宗春。(80)
    ・慶勝は穀物を領外へ持ち出すことを禁じ、同時に城下の最も繁華な地である広小路通にお救い小屋を作った(161)
    ・慶勝が京から離れている間に京を動かしていたのは「一会桑」。一橋、会津、桑名のこと。(163)
    ・青松場事件とは、慶応4年、京で大政奉還後の処理をしていた慶勝のもとへ、尾張から部下が来て嫡男の慶宣が狙われている、幕府に味方する連中が連れ去って人質にしようとしていると報告、慌てて尾張に戻る慶勝。しかし、途中でそれが企みであることに気づく。結局、倒幕派の企みに半分のり、14名の斬首はじめ粛正を行う(212)
    ・会津で新政府が作れるのでは?先の帝の義弟にもあたる輪王寺宮が、榎本艦隊の軍艦長鯨丸に乗って平潟の港に着き、その後会津に入ったという知らせは、会津や桑名をはじめとする渦中の戦いの目的を、「新政府への抵抗」から「新たな別の政権の樹立」に変えつつあった。(230)
    ・一橋をついだ茂栄は、いずこからも棚上げされたような相続であったため、いわゆる政局に巻き込まれずにすんだ(239)
    ・「尾張大納言さんの 金の鯱鉾の言うこと聞けば 文明開化の世となりて 高い城から下ろされて 咎ないわたしに縄をかけ 離ればなれの箱の内 蒸気船にと乗せられて 東京までも送られて 博覧会にさらされて いっそ死んだがましかいな 一人で死ぬのはよけれども おまえと二人で死んだなら 人が心中じゃというであろう」
    金の純度が落ちた鯱の色は心中色で、心中とひっかけている(267)
    ・定敬は容保と分かれてから9ヶ月間、行方不明に。会津→米沢→仙台→函館→清国の上海へ(244)

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著者プロフィール

1966年愛知県生まれ。名古屋大学大学院国文学研究科博士課程修了。文学博士<br>2007年第87回オール讀物新人賞を受賞してデビュー<br>2018年『葵の残葉』(文藝春秋)が第37回新田次郎文学賞と第8回本屋が選ぶ時代小説大 賞を受賞

「2023年 『元の黙阿弥』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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