- Amazon.co.jp ・本 (184ページ)
- / ISBN・EAN: 9784181650087
感想・レビュー・書評
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丸善ジュンク堂書店の書店員フェアから購入した。
フェアの紹介ポップどおり、まさに名著である。これを読むと、現実に「議論」と呼ばれている営みがこの本で言う議論ではないことがよく分かる。
理由はいくつも考えられるが、一番には正しさ・蓋然性を問うようなやりとりに至っていないということが挙げられるだろう。要するに事実に対する解釈を主張し合っているだけで、論理を確かめていないのである。
本としては、この本の主題が教育にあることでその価値が高まっていると思う。取り上げられる論証例に教育が多く、この分野はまさしく蓋然性をめぐる議論が尽きない分野だと思う。その分野でこのような議論が展開できることを示したことはこの本の内容が非常に実践的であることを明示している。
広く、世の中のためになる本とはこの本のようなものを言うのだろう。そう思える一冊である。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
本書は反論の技術を身につけることで、議論の能力を短期間で効率よく高めることを目的としている。
まず反論ができるようになること
議論の能力を向上させるには、反論がうまくできるようになること。議論では、ある主張が示され、それに反論することで進んでいく。反論がなければその主張が「正しい」ということになる。さらに、相手から先に出された「意見(主張)」は、それ自体がこれまで容認されてきた「先行意見」への反論となっている。これまで認められている前提に賛成であるならそもそも「意見」自体がない。
つまり、自分の「意見」を持つことがすべて「反論」になっている。なので、反論の技術を向上させることが議論能力を向上させることになる。
多くの問題は反論ありきで「正しさ」を証明している
数学の問題は、理論が証明できれば「正しい」ことが分かる。これとは違い、私たちが普段扱っている多くの問題は「正しい」ことが証明できない。意見の相違があるものは、議論を通して反論に耐えうることが確認されて、はじめて「正しさ」が承認されるもの。ある意見に反論することが、その意見の「正しさ」を確かめる唯一の方法になる。
論理的とは「異なる立場の論者による批判に対し防御力がある(スキが無い)」ことである。
反論の練習
反論の練習は、本や新聞で見つけた意見に下の手順で反論してみる。
1.相手の主張と根拠を箇条書きにして整理する
主張「○○は~だと考える」
根拠
1~ 2~ 3~
2.主張を支えている根拠を崩すものを考える
1~は××であるからおかしい 2~は・・・ 3~は・・・
3.引用と箇条書きで相手に反論する
私は○○の意見に反対である。
○○は、・・・・・(引用)・・・・・・と述べている
しかし、この論理はおかしい。(引用)の理由では「A」というが問題があるからである。
第一に~~
第二に~~
第三に~~
以上の理由により、○○の論理は成り立たない。
自分が「おもしろい」と思った反論を収集する
読書などで見つけた反論の例を、自分に分かりやすい形で収集しておく。ただし、記憶しておくだけではダメで、ノートなど形あるものにまとめておく。
特に自分が「面白い」と思ったものを収集する。なぜなら、相手はただ「論破」するのみで「説得」しなければいけないのは聴衆だから。聴衆が「面白い」と思う議論をしなければならない。
大前提に反論する
相手が表現したことしか読んでいないと失敗する。相手の主張の背後に存在している価値判断(大前提)にしっかり反論することが大事。じゃないと、言葉尻だけの反論や部分的な反論(部分的な相手の肯定)になってしまう。
3段論法で隠された大前提を見つける
「Nはドイツ語ができないから、学問研究は不可能である」という主張がある。これを3段論法に分けると
大前提「?」
小前提「Nはドイツ語ができない者である」
結論 「Nは学問研究が不可能な者である」
「?」の部分は
「ドイツ語ができない者は学問研究が不可能な者である」
となる。なので反論すると
「ドイツ語ができないからといって、学問研究が不可能な者というのは間違い」となる。
よくありがちなのは「Nはそんなことない」や「Nはがんばっている」などの反論。これだと相手は痛くもかゆくもなく、逆に論破されてしまうことになる。
日本人が議論に弱い理由
日本の学校教育で行われている意見文指導は「誰も反論しないこと」を主張させているだけ。と述べている。
「命は大切だと思います」
→読者は「命は大切だ」と知らないと思っているのだろうか。
「わたしは、1日1つごみ拾いを提案します」
→誰もやらないし、自分でさえ長くは実行できない。やったとしても問題解決にならない。
誰も反対しないような一般論のきれいごとを書いても、思考力は鍛えられない。「意見を言う」ことの難しさ、怖さを知ることが大事。教育の段階から議論力を学ぶべき。
おもしろかった反論例
本書は反論例がいろいろ紹介されており、読んでいてスカッとする。こんな的確に反論できたら気持ちがいいだろうなと感心してしまう。自分がおもしろかった反論例を紹介する。
制服廃止に反対する意見に対して
それはたまたま問題が起こったから記事になったのだ。制服を廃止しても問題の起こらなかった学校のことは、新聞記事にならない。
研究論文の発表で「この研究には○○という必読文献がありますが読みましたか?」という嫌がらせに対して
その必読文献を読んでいないために、私の研究のどこがどのようにおかしくなっていますか?具体的にご指摘願います。
高校中退者は自らの不心得によって不利益を受けるのだから救済する必要がないという意見に対して
それだと遊泳禁止の場所で溺れている人を見つけても、知らぬ振りをしておけばいいことになってしまう。ましてや相手は未成年で失敗もあるだろうに。
著者は他人からの借用に関して”借用はどんどんしてよい。イングも「独創とは人に知られぬ盗作である」と述べている”と語っている。
感想
本書は反論の例を説明してくれているので、とても分かりやすかった。しかし注意点もあり、著者は本の方法で議論能力を向上できたとしても、現実の議論で勝てるとは限らない。現実の議論では「場外乱闘」になりがち。ある程度「場慣れ」が必要になる。と述べていた。確かにその通りだと思う。これまで議論に苦手意識があったので、やり方が少しわかっただけでも大きな学びになった。 -
議論が苦手で、会議やプレゼンが大嫌いですが、逃れることは出来ませんので、どうせなら勉強してみようと思い購入。議論の本質に気づかせてモラエタ気がし、私にとっては、とても勉強になりました。
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修辞学の先駆者である香西秀信による修辞学の基礎。大学でも使われるテキストらしい。
意見を述べる(立論)とは、すでに想定された反論に対する先回りの反論である、などおもしろい気づきがもりだくさんの弁論術の最高峰テキスト。 -
4.8
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ちょっと前に読んだこれの「資料編」がひどかったので、「本編」を再読。
やっぱこれは名著なんだよなあ。著者がかなり力を入れて書いたことがよくわかるし、数ページに1か所は「なるほど!」「確かに!」とうなずける。知的興奮に満ちたスリリングな書。
世の論理好きなら必携の本だと思うな。 -
とてもよくできた本だった。反論の意義からはじまり、反論の指導法に進んでいくという全体の構成も大変すっきりしており、目次にもそれは一目瞭然だ。明瞭でありながら、かつわかりきったことをただ整理するというのではなく、次々と常識への反駁の議論が展開され、しかも説得力がある。いくつか興味深い点について。
著者は意見とは本質的に反論である、という主張に基づき「誰も反対しないことを主張させる現行の意見文指導」がいかに空疎であるかを訴える。
僕も常々そう思っていたのだが、それでも実際この国の教育はそれでまわっていて、学生に意見を出させればそのようなものばかりが出てくる。新聞やテレビ(特にNHK)などのマスコミも、「命の大切さ」や「平和の大切さ」など、誰もが当然だと思っていることをただ繰り返すだけに相当な時間を割いている。挙句のはてには、政治など、そこで議論をせずにどこで議論をするのだ、というような場においてさえ、政党の主張を見れば、「税金の無駄遣いを減らす」などというそれ自体には何の異論もありえないようなものが公約にならぶ。しかし本来の論点は、「何を無駄だと考えるか(あるいはどのような優先順位をつけるか」というところにこそあるはずなのだ。
著者も私も、こんな状態に我慢がならぬという点では一致しているのだが、ではあらためて、なぜそんな無意味な「意見」が世の中に横溢しているのかに著者は触れない。
自明といえば自明なのかもしれないが、このことについて触れずに、反論の意義を一方的に述べても、現状に一石を投ずることはできないのだろうか。
なぜ、日本の教育は「だれも反対しないことを主張する」意見の再生産を繰り返すのか。それは誰かが反対するようなことを「意見する」ことのリスクを、個人的にも・社会的にも重く見ているからだろう。社会全体の理念としては、他者への反論がなされることで、集団に波風が立ち、その和が崩れることは望ましくないと考えているのだろう。個人的には、反論を口に出すことで、その個人が「敵」の代表と目されて集中攻撃を浴びるのが怖いのだ。マナーの悪い人間に、多くのものが腹を立てていながらも、誰も注意できないのと同じ構図である。
日本はずっとこのような国であった。こうした無反論体制の中で、かつて日本は、無謀な戦争に突き進み、天皇が出てくるまでそれを終わらせることもできなかった。当時の政治リーダーの多くが、こんな戦争とても勝てるわけないと考えていたにも関わらず、いったんできあがった「正論」の空気にのまれていき、判断を先延ばしにしていった挙句、結果どうにもならない事態へと進んでいったのだ。
無反論の国、日本の体質がもっとも悪く出た出来事だったが、その後も日本社会のこうした性格は何も変わらず今に続いている。
もう一つ興味深かったのは、「反論の目的は、議論の相手の説得ではない。議論の相手は論破するのみであり、説得の相手はその議論を聞く聴衆である。だから、反論は面白くなくてはならない」という筆者の主張である(pp.95-97)。
上記の議論と組み合わせれば、反論によって立つ波風が問題になりがちな日本においては、論争相手のメンツをつぶさない配慮や、対立をより高次元なレベルに昇華するユーモアが、欧米における議論の場以上に重視する必要がある、ということになるのだろう。 -
議論の基本は反論にあり、それを練習するにはまず型からはいろう、という主張。なるほど、勉強になる(と鵜呑みにしてしまうと反論の技術を学んでないということになるパラドクスw)