ねこと友だち

著者 :
  • 徳間書店
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本棚登録 : 145
感想 : 19
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  • Amazon.co.jp ・本 (109ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784198602369

感想・レビュー・書評

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  • 伊東寛
     徳間書店 (1995/01)
       (BOOKS FOR CHILDREN)


    もう何度も読んでいます
    大好きなんです
    このやわらかい絵と文
    でも深い なんかいとしくてジーンとくるのです
    ラストのいいこと

    登場(動)物がべたべたせずにくっきりしているところも大好きです

    もうずいぶん以前の出版ですが大切な本です

    ≪ この命 頂いてまた 命へと ≫

  • 小学生の頃に初めて読書感想文を書いたいろいろ思い出深い本。
    本を読んで泣いたのもこれがはじめてで、ねこが泣きながら土を食べるシーンは今でも鮮明に覚えてる。

  • みにぴ 2011.02.05

  • かけがえのない友達になることができたねことおさかな。けれど、やがてねこは魚をどうしても食べたくなってしまう自分に気づいてしまい、自分のことが嫌になってしまう。最後は一応、ハッピーエンドといえるのでしょうが、やはりちょっぴり切ない物語。自分自身でもどうしようもない気持ちというものがある、ということを気づかせてくれる本なのではないでしょうか。

  • 表紙のねこは、大きな目を見開いて、
    金魚ばちのおさかなを見つめています。

    大きな目は真剣で、ちょっと悲しげ。

    ねこは、今はひとりぐらしのおばさんに
    飼われている元ノラネコです。

    ねこの絵は、大きな目でぼーっとしています。

    ねこは打てば響くようなすばしっこいねこではなくて、
    ゆっくりじんわりと感じて、
    ゆっくりゆっくり、自分に何が起こっているのかを
    理解しようとするタイプのようです。

    おばさんは、ねこのほかにおさかなを二匹かっていました。

    一匹はおすで、もう一匹はめすで夫婦でした。

    おばさんはねこがおさかなにいたずらをするのではないか
    と心配していましたが、
    ねこが興味があるのはゴミバケツだけだったので、
    金魚ばちの魚はどうでもよかったのでした。

    おばさんは、えさをくれるので好き、
    おさかなもテレビも、えさを横どりしないのできらいじゃない
    というだけのことでした。

    ところが、その関係が急激に変化するのです。

    誰かが誰かと友だちになるときって、
    こういうスパークが確かに起こりますよね。

    あとにも先にも、
    なぜその日その瞬間に
    そんなことが起こったのか説明できないのですが、
    確かにその瞬間、0が1になるのです。

      ところが、ある月夜の晩です。

      ねこの目玉があおみどりに光りました。

      おさかなはそれを見て、同じ仲間がいると思ったのでしょう。

    おさかなのだんなさんが、「やあ」と話しかけ、
    ねこも思わず「やあ」と返事をします。

      はじめはたったそれだけでした。

      でもそれだけのことが、仲よくなるきっかけになったのです。

      おさかなの夫婦は、自分たちのほかにも
      あおみどりに光るものがいることを知りました。

      ねこは、けんかや恋じゃなくても
      おしゃべりは楽しいことを知りました。

    おさかなとねこは、互いの世界のことを語り合います。

      おさかなは、水の中にしずかに浮かんでいるのも好きでした。

      水と体がつりあうと、時間が止まります。

      そのままじっとしていると、
      生まれるまえにもどっていくような気持ちになります。

    こんなことがさらりと書いてあるのです。

    こんなおさかなとねこの語り合いの関係も少しずつ変化していきます。

    ある日ねこはけがをして帰ってくるのですが、その原因が他のねこと
    道ばたに落ちていたタイヤキを取り合ってのけんかだったのです。

    おさかなにタイヤキを説明するときになかなか伝わらなかったために、
    ねこはとうとう「つまり、きみたちそっくりのおかしだよ」と言ってしまいます。

    おさかなのおくさんは「あたしたちを食べるの?」とつぶやきます。

    ねこは必死にきみたちを食べるのではないと弁解しますが、
    なんとなく気まずくなり、
    ねこはおさかなに隠れてごはんをたべるようになりました。

    このときまでは、おさかなと自分が食べている魚を
    結び付けて考えてはいなかったねこですが、
    つながってしまったのでしょう。

    そして、事件が起こります。

    おさかなのだんなさんが水から飛び出して
    金魚ばちの外に出てしまっているのをねこは見つけます。

    ねこはおさかなを助けようとするのですが、
    とうとう本能が呼び覚まされてしまうのです。

      おなかのおくで知らないだれかが目をさましたようでした。

      そのだれかはゆっくりと体ぜんたいに広がっていきます。

      どこからか気持ちのいい子守歌が聞こえてきました。

      それにつれて、おぼえているはずのない
      おかあさんのおっぱいのあまさがよみがえりました。

    その日、ねこは旅に出る決意をするのです。

    ぼくたちは友だちだけど、ここにいると、食べてしまうからと。

    できるだけ遠く、できれば魚のいない国まで行こうと
    砂漠を目指しました。

    ところが着いたところは・・・。

      夜明けまえの海が、しずかにねこのまえに広がっていました。

      こわいような、なつかしいような、不思議な広がりです。

      遠くの遠く、空につながるあたりから、
      ゆったりとしたうねりがやってきます。

      それはやがて白い帯にかわり、波となってうちよせてきます。

    ここでねこが何を学ぶのか、
    この幻想的な描写に込められているかのようです。

    ねこは考えます。

      魚は海から持ってくるとおばさんは言っていました。
      
      でも、あのおさかなが生まれたのも海です。

      それもどうやら同じ海のようなのです。

      ひとつの海でおさかなが生まれて魚ができる。

      それなら、おさかなと魚はどこがちがうのでしょう。

    自分のお友だちの「おさかな」と食べるものとしての「魚」。

    ねこは葛藤します。

    そして、ねこに答えをもたらしたのもまた魚でした。

    魚を食べることで、ねこは自分の中の
    おさかながいなくなってしまったように感じるのですが、
    「おまえ、なかなかいいやつだな。
    あんなにうまそうに食ってもらえば、魚もきっとよろこんでるだろうよ」
    と言われるほどに魚を食べることで、何かが突き抜けていくのです。

      歩いているうちに元気が出てきました。

      さっき食べた魚のおかげです。

      魚がねこの体になったのです。

      ねこはうれしくなりました。

      おなかの魚に、ありがとうと言ってみました。

    命をいただいて、そして自分の身にしていくこと。

    生きている限り逃れることのできない命の営みです。

    その本能的な原始的なものを味わったとき、答えが見えてきます。

    生きている限り逃れることのできない命の営みとしては、肉体の死があります。

    ねこはそれをも感覚的に受け止めました。

    味覚と嗅覚というもっとも近感覚が死を理解しました。

    もしも、旅立った抜け殻としての体が残っていれば、触覚を使ったでしょうが、
    それさえなくなった存在の死を理解するために、
    ねこが取った行動の意味が私はわかる気がしました。

    死を理解するのは、視覚、聴覚のような遠感覚ではなかったのでしょう。

    そして、死の向こうに、受け継がれた命が確かに、残ったのです。

    母親の強さも表現されていました。

    誰かが自分の特別になることによって起こる
    あらゆる出来事や思いが凝縮されているような作品でした。

  • ともだちのおさかなが、いつも食べてる魚と同じで「魚」であることに気付いてしまったねこのおはなし

  • 「ねこくんに食べてもらえばよかったなぁ…」泣けます。

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