日本人が教えたい新しい世界史

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  • 徳間書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (243ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784198641733

作品紹介・あらすじ

人類が誕生して文字を獲得すれば歴史が成立するというほど歴史は簡単なものではない。これまで世界で歴史と呼びうるものは、地中海文明のヘーロドトスとシナ文明の司馬遷の二人による記述しかなかった。いま世界は、それぞれの国民国家が自分たちは正しいという歴史を主張しているが、国民国家の歴史をいくら集めても世界史にはならない。国家と時代の枠組みを超える新しい世界史を日本はどのようにつくるべきか。歴史を根源に遡って考察する。

感想・レビュー・書評

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  • 結論は、絶対に正しいなどという世界史はあり得ないが、少なくとも国民国家の枠を超え、司馬遷の歴史観を超え、マルクス史観を超え、宗教の対立を超えた、比較的まともな新しい世界史をつくれるのは日本人である、というものであり、それはこの本を読めば充分に納得できる。
    順に要点をまとめていく。
    ①歴史が成立するには、直進する時間の観念と、時間を管理する技術と、文字で記録をつくる技術と、物事の因果関係の思想の4つの条件が必要である。
    ②歴史がある文明と歴史のない文明がある。輪廻転生という思想のインドには歴史はない。イスラム教も歴史の因果関係を否定する文化である。というのは、イスラム教徒は神様が一瞬一瞬、世界を創造していると考えるからである。アメリカも、過去と断絶し、憲法だけでつくられた国であり、国民全体が共有する過去はない。アメリカはヨーロッパ文明の対抗文明として成立した。
    ③世界で初めて歴史をつくったのはヘロドトスである。世界の変化は政治勢力の対立・抗争によって起き、それを語るのが歴史ということである。
    ④ヤハヴェを信仰するするものがユダヤ人というアイデンティティはバビロン捕囚時代に始まる。ユダヤ人はその時にゾロアスター教の善悪二元論の影響を受け、それは新約聖書の「ヨハネの黙示録」の主の勢力がサタン勢力に勝利して世界が終るという終末思想を生んだ。「ヨハネの黙示録」はローマのユダヤ人迫害が最高潮の時に書かれ、実はユダヤ人の運命をうたったものでる。この善悪二元論はその後のキリスト教世界を支配した。歴史が書かれるということは、何かを主張したいという理由があるからである。書かれなかったことを想像するぐらいがいい。歴史の史料は批判的に読まなければならない。
    ⑤日本への清国留学生が「日本」という立派な漢字の国号に対抗して「中国」という国号を考え出した。秦の始皇帝の戦国七国の統一からシナ史が始まった。漢字の字体を一つに決めて、残りの六つの字体の漢字で書かれた本を全部焼いたのが「焚書」である。度量衡や車輪の幅も統一した。車輪の幅の違いは、侵略してきた他国の車が真っすぐ走れないようにするためである。
    天が次の王朝の正当性を決めるという司馬遷の歴史観によってつくられたのが24のシナの正史である。
    中華人民共和国は、いま現在統治している土地は、歴史の始まりから中国に統治される運命にあったと主張して、チベットやモンゴル、ウイグルへの侵略を正当化している。チベットやモンゴル、ウイグルはもともと漢字の国ではなく、シナとは言えない。
    夏、殷は統一王朝ではなく、都市国家の一つに過ぎない。周や秦はいわゆる西戎である。隋や唐は鮮卑族、清は女真族で東夷であり、元はモンゴル族で北狄であり、皆シナではない異民族である。中国4千年というのは史記に呪縛されたまやかしである。シナでは王朝ごとに歴史は断絶し、領土も縮小拡大を繰り返したのだ。
    現代中国人と韓国人は、日本に対抗して中国人、韓国人という意識も国家も生まれた。反日を否定すれば彼らのアイデンティティは壊れてしまう。これは政治であり歴史とは言えない。
    ⑥現代中国は、識字率を上げるために漢字を簡体字にしてしまい、今になって漢字を勉強するために「論語」といっている。これを丸暗記した人たちだけがお互いに意志の疎通ができたからである。戦国七国の時代、漢字の字体がすべて違っていた。孔子学派が使っていた読み方、漢字が基準となったのだ。
    現代中国の歴史では1840年のアヘン戦争から現代と言っているが、日清戦争が与えた衝撃を隠すためである。このあと日本に大量の留学生を送って、日本を真似て本格的に近代化を始めたのだ。
    ⑦日本文明は、シナ文明に対抗してできた対抗文明である。「日本書紀」は、当時の日本を取り巻く状況への危機感からつくられた。すべて史実とは言えない。「日本書紀」で重要な存在の推古天皇と聖徳太子は、シナの漢字資料では確認できない。「随書」では当時隋に朝貢した王は男だと書いてあるのだ。どちらが正しいとは、はっきり言えない。当時の歴史は政治的な目的があって書かれたものなのであるから。
    「魏志倭人伝」の作者は大月氏国を念頭に邪馬台国を遠方の大国とした。魏に朝貢している倭を大国にして自国の面子をたてたのである。
    ⑧白村江で敗れた中大兄皇子は難波にあった都を大津に移す。唐の軍隊が瀬戸内海を攻めあがってくるのを恐れたのである。そして、日本列島に住む倭人と華僑たちは団結し、一番勢力の強い家柄の倭王に「天皇」の称号を奉った。このときに「日本」という国号もできた。天智天皇が即位したのは、白村江の敗戦から5年後の668年であるが、「日本国」という国名を唐に伝えたのは701年であった。
    「日本書紀の」の神話は、日本が外との関係なしに成立したように描かれているが、大陸との関係を持ちたくなかったということであろう。
    「古事記」には711年に書かれた序文があるが、恐らく成立したのは平安初期であろう。
    明治維新の後、降りかかる火の粉を払うために日清戦争や日露戦争を戦い、戦いに勝つたびに領土が拡大していった。それは当時の世界基準だったからである。台湾や満州、朝鮮、南方の島々を日本として統治し、多額の投資をし、インフラを整えた。こういうことも歴史で教えるべきだある。中国と韓国は、戦後しばらくは日本の援助が欲しくて何も言わなかったのに、最近になって歴史をすべて書き換えようとしている。
    ⑨フランス革命では王の資産をパリの市民たちが奪い、それを正当化するために国民が考え出され、国民国家と民主主義のイデオロギーが成立したのである。革命に干渉しようとする各国を跳ね返したのは、ナポレオン率いる国民軍であった。傭兵で構成された各国の軍隊より、自分たちの国を守ろうと必死の国民軍のほうが強かったのだ。それで、ヨーロッパの君主たちはフランス軍に対抗するため、国民国家体制を採用せざるを得なくなった。これが立憲君主制の起源である。国民国家化こそが近代化の本質であろう。
    ⑩歴史には筋道がなければならない。その人間の心理の機微に合致したのがマルクス主義であるが、間違いであったことは歴史が証明した。司馬遷の正統史観も共産主義も社会主義も単なる善悪二元論である。分かりやすい善悪二元論には気を付けなければならない。知識は力である。善である、悪である、と単純に思い込まず、それぞれ様々な事情があるということを考えることが大事である。
    ⑪その時代の世界がどのように動いていて、なぜその国の人やものが日本まで来訪したのか、日本人はそこで何を考え、どう対応したのか、エピソードの羅列の今の日本史では教えない。日本は外国とどこが違っていて、一体どういう国で、外側の世界とはどのような関係にあったのかという視点が、日本史の中にない。そして、世界史の教科書にはすっぽりと日本の記述が抜け落ちている。では、日本人が新しくつくる世界史とはどういうものなのか。
    ⑫歴史は物語であるが、マルクス史観のように分かりやすいものではない。政治の道具に堕した自虐史観になってはいけない。
    ーそして、ここで最初の結論に戻るわけである。

  • トピックな端的な説明と、世界史という学問とそれを教えるべく教育の裏事情を解説してくれている。
    他の歴史参考書とは少し違う感じて面白かった。

  • アジア史が専門の宮脇淳子による世界史とは何かを説いた一冊。

    歴史を作るには諸条件が必要であり、アラブ世界やアメリカは必ずしもそれに該当しないというのは目から鱗だった。
    そして日本人が授業で習う歴史と、本当の意味での歴史というのは乖離があると感じた。

  • この本は年末(2017)大掃除で部屋の隅っこに、読みかけ本として発掘されたものです。殆ど読み終えていたので、最後まで読み通しました。昨年(2017)は世界史に目覚めた年であり、何冊か読んでましたが、この本も私の期待に応えてくれました。

    以下は気になったポイントです。

    ・歴史が成立する条件として、1)直進する時間の観念、2)時間を管理する技術、3)文字で記録をつくる技術、4)物事の因果関係の思想、がある(p14)

    ・本来の歴史とは、ある物事について、なぜそういうことが起こったのか、その前にどういうことがあったからそういう出来事が起こったのだ、という因果関係を明らかにしたいという動機によって書かれるもの(p18)

    ・世界中どこにでも歴史が生まれたわけではない一番の理由は、時間をきちんと計測して記録に残すということが、非常に高度な文明にしか誕生しなかったから(p27)

    ・長江文明は漢字を発明したけれど、漢字発明が発展したのは黄河の中流の洛陽盆地、そこでは多種多様な人間集団がやってきて商売をする、交易の十字路であったから(p31)

    ・古代4文明の中で、歴史が本当に書かれたのは、シナのみ。エジプトの遺跡にもファラオの話は記録されているが、国の歴史としては書かれていない。(p32)

    ・インドの文化は輪廻転生が非常に重要、六道輪廻といい、衆生(しゅうじょう、生きもの)には6種類あって、天(神々)、阿修羅(悪魔)、人間、畜生(動物)、餓鬼(幽霊)、地獄(p35)

    ・来世でどんな種類の生物に生まれ変わるかは、今生でどのような行為を積んだかによって決まる、これを「業」という(p36)

    ・世界には2つだけ、自前の歴史文化を持った文明がある、地中海文明とシナ文明(p54)

    ・ヘロドトスの書いた「 ヒストリアイ」の中のメッセージは、1)世界は変化するもので、その変化を語るのが歴史、2)世界の変化は政治勢力の対立・抗争により起こる、3)欧州とアジアは永遠に対立する2つの勢力である(p67)

    ・ユダヤ人をどう定義するかというと、ユダヤ人の母から生まれた子供は全員ユダヤ人(p86)

    ・話し言葉はみんな違っていたのを、漢字は意味を伝える文字だったので文字の形だけは1つにしたが読み方の統一はされなかった、日本人は漢字を輸入したが、もともと日本にあった言葉が、同じ意味を持つ漢字の訓読みとなり、輸入してきたときについてきた漢字の読み方が、音読みとなった(p99)

    ・秦が統一したのは紀元前221年なので、正しくは、シナ2200年である(p101)

    ・現代中国語の7割は、実は日本人が明治時代に英語やフランス語、ドイツ語から翻訳するときにつくった組み合わせか、古典にもあるけれど意味が違うもの。(p104)

    ・戦国7国はそれぞれ隣の国との境に土を固めて作った「長城」をつくっていた、統一した秦の始皇帝は内側の境界はこわしてしまったが、遊牧民の侵略を防ぐために、北方の長城だけは残してつないだのが、万里の長城である(p112)

    ・中国の統一は、秦(前221)、隋(589)、元(1276)、清(1644)がある、現在の中華人民共和国は1949(p129)

    ・毛沢東は、ピンインだけにする計画を持っていて、その前段階として、漢字を簡単な字にした。聞く分にはわかっても、その通りに発音できるかというと全員ができない。自分の発音とおりに書いたら、きちんとしたピンインが書けない、なので毛沢東はピンインの採用をあきらめた(p131)

    ・清朝では、満州、モンゴル、チベット、イスラム教徒、漢人地帯の5つがバラバラに統治されていた(p140)

    ・日本は菅原道真が遣唐使を廃止して以降は、ほとんど大陸とは正式な関係を持っていない、唯一の例外は室町幕府の足利義満が、日本国王と称して明の皇帝と勘合貿易をしたこと、正式の外交は1871年の、日清修好条規である(p173,174)

    ・7世紀末の天智天皇、天武天皇の直系の祖先からは、はっきりと男系で継承されていることが史料に残っている、1300年以上続いている(p184)

    2018年1月2日作成

  • 内容的にはいいのですが、妙にご主人を褒めてばかりで何か気持ち悪い感じがしたのですが、最後まで読んで、これがテレビ番組から文字に起こしたものと知り、そのせいで、やや文字だけで見ると気持ち悪さにつながっているのかとやや納得。
    内容に戻ると、日本すごいとか、世界すごいとかではなく、極めて中立的に世界史教育や歴史対立の問題点を指摘していて、勉強になりました。私のようにこの手の話には疎い人でも読める。そもそも、歴史とはから学ぶにはいいと思います。

  • 読了。
    政治ポジションとしてニュートラルとは言い難いものの、歴史に対峙する際の心構えに関して、示唆に富んだ一冊。
    「歴史書が書かれたということには必ず目的があり、書かれたことをただ無批判に受け入れるのではなく、何故そのようなことが書かれたのか、という背景に思いを巡らせる必要がある。」
    確かに絶対的に正しい歴史など存在せず、それは観方や立場で如何様にも形を変え得る。米国から見ればジョージ・ワシントンは建国の父だが、英国から見れば反乱軍の親玉だと言える(笑)。

  • 旦那様であられる岡田英弘先生の副教本、解説本でしょう。 岡田先生の理論・お仕事を実にわかりやすくかみ砕いて書き下しておられます。世界史の教養本としてお勧めです。とても解りやすくて骨のある歴史書でもあります。

  • 日本人が教えたい新しい世界史

    1章 「歴史とは何か」という大問題

    歴史が成立するためには、どういう条件が必要なのでしょうか。直進する時間の観念と、時間を管理する技術と、文字で記録をつくる技術と、物事の因果関係の思想の四つの条件が必要だというのが、私の歴史の先生であり夫でもある岡田英弘が言い出した説です。

    その条件の一つ目は、直進する時間の観念です。
    時間が太古の時代からずっと直線的に現代まで流れてきており、それぞれの時間はすべて等価値で、古い時代から順帯に新しい時代になるという考え方がないと、歴史という概念自体が成り立ちません。

    2つ目の条件は、時間をどう管理するかということです。
    時間を管理するためには、時間を測る技術が必要だし、そもそも時間を測ろうと考える文化が必要になります。

    三つ目に、文字がないと歴史を書き留めることはできません。文字のないところに歴史が成立するのかというと、これはたいへん微妙な問題です。
    歴史の成立にとって非常に重要な条件は、事件と事件の間には因果関係があるという感覚です。そもそも、歴史上起こったある事件と次の事件の間には因果関係があると考えるのは、世界中の人類共通の文化ではないということです。

    「歴史とは、人間の住む世界を、時間と空間の両方の軸に沿って、それも一個人が直接体験できる範囲を越えた尺度で、把握し、解釈し、理解し、説明し、叙述する営みのことである」( 岡田英弘『世界史の誕生』)

    岡田英弘はまたこうも言っています。歴史は、時間と空間の両方にまたがって人間の世界を説明するものであり、はじめから自然界に存在するものではなく、文化の一つである。人間の集団によって文化は違うから、それぞれが「歴史」と思う内容が違ったり、歴史そのものに価値をおかない文化もある。

    だれも書いていないことは、ないことになってしまうのです。記録がないことはことは書きようがないからです。ファラオがいなくなった後のエジプトは、どうなっていたのか。わからないでしょう?書いたものがないからです。

    歴史というのは、いま私たちが生きている也界がなぜこうなのか、昔何があったからいまこうなってきたのかを自分たち自身が理解する、そういう必要のためにあるということです。過去の出来事から現在を意味づけて、みんなが理解するために書かれるものなのです。
    したがって、時代が変われば、そこから過去を見るわけだから整理の仕方が変わってくる。結果が違うから、そこから見ていくと説明も違ってくるのが実はふつうなのです。

    イエス・キリストは実際には紀元前六年から四年の間に生まれたということがわかってしまった。しかし、すでに各地で年号として使い続けてきていたので、それをいまさら変えられなくてそのまま使われているのです。世界中どこにでも歴史が生まれたわけではない一番大きな理由は、時間をきちんと計測して記録に残すということが、非常に高度な文明にしか誕生しなかったからです。

    2章 歴史のある文明と歴史のない文明

    文明と言っているのは、 都市文明のことです。都市に人間がたくさん住んでいれば、記録を取る必要が出てきます。とくに商業活動には、記録が欠かせません。倉価に入れた品物がどれだけあるのかを数字で表す必要がある。記録はまず数字を書くことから始まっています。
    さらに、王様の名前を記録するとか、違う集団同士で契約をしたり、外交文を書きとめるなど、文字がなければ文明とは言えません。旧大陸の四大文明にはすべて文字がありました。

    しかし、古代四大文明の中で、歴史が本当に書かれたのはシナだけです。エジプトの逍跡にもファラオの話はたくさん記録されていますが、国の歴史としては書かれていない。エジプトを継承したと言われている地中海の北のギリシア文明まで行かないと歴史は生まれなかった。
    歴史の有無について注目されるのはインド文明です。実はインドは歴史のない文明だと言ってもいいからです。

    仏教はインドで生まれて、北伝仏教は、ガンダーラに入ってからシルクロードを伝わってシナに入ります。日本にはシナ経由で入ってきました。ガンダーラというのは、紀元前四世紀にアレクサンダー大王が地中海からギリシア文明を持ってやってきて、ギリシア文明とインド文明が出会ったところです。
    実は、仏教がガンダーラに伝わるまで仏像は存在していません。お釈迦様の足跡が残る石とか、チャクラ(輪) をまわす、すぐれた指導者を転輪聖王と呼ぶのですけど、だから丸い輪でお釈迦様を表したり、そういうシンボルのようなものはありましたが、彫像としての仏像はありませんでした。お釈迦様を人間の形の像にするのは畏れ多かったからです。

    ところが、ギリシア人は昔からゼウスなど、人間とそっくりな神様の彫刻像をつくっていましたから、ガンダーラでお釈迦様の姿を仏像にした。このときにギリシア人は文字や年代などを持ち込みました。

    インドでは王様の名前はあっても、年代の記録がなかったのです。古い時代にウパニシャド哲学や『マハーバーラタ』や『ラーマーヤナ』などの物語が書かれて本当に文明度は高かった。ヨガはもちろん、エステまであったにもかかわらず、歴史学はなかったのです。
    インドに歴史がなかったのは、インド文明に特有な輪廻の思想のためだというのが岡川英弘が出した結論です。

    こういう輪廻・転生の思想があるところでは、人間界だけに範囲をかぎつた歴史は成り立ちません。人間界で起きた事件は、天上界の事件の結果かもしれないし、魔界の事件の結果かもしれない。因果関係が人間社会だけで終わらないからです

    イスラム教が入ってから以降は、何年何月に何が起こったのかが記録されるようになりました。もちろんイギリスがインドを植民地にしたあとは、本当にはっきりとしてくるので、近現代史になると世界の他の国と同じような歴史が書かれるようになります。

    イスラム教の教義からすると、イスラム文明では歴史は成り立たないはずなのに、教祖ムハンマドの亡くなった直後から記録があり、本格的な歴史も書かれています。その理由は、歴史には自分の立場を正当化する「武器」になるという重要な機能があるからです。
    しかし、もともと歴史が成立するための条件が欠けているため、イスラム文明は歴史の取り扱いが苦手で、歴史のある文明にことごとに出し抜かれています。だから、原理主義的になるのかもしれません

    イスラムのような文明を「対抗文明」と呼びます。文明が本当に必要にせまられて自分たちの中から出てきたものではない。相手の文明に対抗して、自分たちのアイデンティティ、自分たちは何者かを言わなければいけない。正統性を訴えなければいけないから、まねをしてつくりましたということです。
    実は日本も対抗文明の国です。シナには歴史をふくめてたくさんの文書があったので、それに対抗して自らの文明をつくる必要があったからです。

    アメリカ合衆国は、それまでの歴史的経緯を無視してできた国家です。憲法と宣言だけでつくった国が、憲法と宣言だけでずっといままで生き続けているのです。国民こそが国家の主人であるとする国民国家は、このアメリカの独立戦争によって生まれました。フランス革命から国民国家が始まったと思われていますが、じつはアメリカが最初だったのです。

    アメリカの独立とフランス革命という大きな歴史の転換の中から生まれたのが国民国家(ネイション・スティト) だったのです。
    これがなぜ世界中に影響を与えて、世界中がネイション・スティトだらけになったかというと、国民国家は国民が社会契約によってつくった国ですから、 自分たちの国は自分たちで守るということで、戦争に強かったからです。

    ネイション・スティトというのは、二百何十年かの歴史しかなくて、それ以前の世界を国民国家史で説明するのには非常に無理がある。
    ところが、いま世界中にある国民国家は、自分たちの上地は昔から自分たちに与えられるために存在したというふうに言いたい。そうでないと、正統性がなくなる。そして、それが国家の歴史になるので、どうしても無理が出てきます。

    アメリカだけは「過去をご破算にする」文化です。しかも困るのは、アメリカ人はそれが世界中、どの国でも同じだと思っていることです。世界の国は、みな国民国家( ネイション・スティト) になったからには、アメリカと同じように考えるし、行動するものと思い込んでいる。
    そのアメリカがいまは世界で一番軍^I 力があって、アメリカの考える理念がグローバリゼーションとして世界中を覆っているので、自分たちが特異だということに思いがいたらないところがあります。

    3章 世界で初めて歴史をつくったへ— ロドトス

    歴史という文化を非常に強く持った文明とはどのようなものなのか。世界には二つだけ、自前の歴史文化を持った文明があります。それが地中海文明とシナ文明です

    人類で最初の歴史であるヘーロドトスの『ヒストリアイ』は、いまの世界にこれほど大きく影響していますが、その中には大事なメッセージが三つあります。
    その一つは、世界は変化するものであり、その変化を語るのが歴史であるということです。
    二つ目は、世界の変化は政治勢力の対立・抗争によって起こるということです。
    もう一つ、二一世紀のアジアに生きるわれわれにとってもきわめて重大な問題は、ヨーロッパとアジアは永遠に対立する二つの勢力だとヘーロドトスが書いたということです。

    よく知られているように、近代オリンピックは、クーベルタンという人が提唱しました。近代になって戦争が絶えないから、ヨーロッパをなんとかまとめたい。昔、ギリシャの都市国家が戦争ばかりしていたころ、オリンピックのときだけは戦争をやめて、みんなで代表を出して競技をした。あの競技をもう一度やろうじゃないか、というのが、近代オリンピックの始まりです。

    そのときに何か目玉の競技をつくろうというので思い出したのが、ペルシアがギリシアに攻めてきたときの戦争の話でした。
    オリンピックのマラソンというのは、実はヨーロッパがアジアに勝った記念の競技です。われわれは喜んで参加していますが、本当はアジアを敵視し、ヨーロッパをまとめるための競技であって、決して世界のためではなかった

    4章 キリスト教文明が地中海文明に加わった

    ゾロアスター教は善悪二元論からできています。良い者と悪い者の対立です。非常にわかりやすく人口に膾炙しやすい考え方ですから、ヨーロッパからアメリカに伝わって、ハリウッド映画の基本的骨格になっています。

    ペルシア帝国やマケドニア帝国の支配下に入り、ロ—マの属州となっても、なおユダヤ人であり続けた理由は何なのか。それはヤハウェへの信仰、それだけなのです。ヤハヴェだけを唯一神として信仰するようになったあとのイスラエルの人たち、これがユダヤ人なわけですが、この人たちはそれから以後、どのような国の支配下に入ろうが、奴隸になろうが、私はユダヤ人であるという、いまで言うアイデンティティをなくすことはなかった。

    ユダヤ人をどう定義するかというと、一つの定義に、ユダヤ人の母から生まれた子供は全員ユダヤ人だというものがあります。これは、女性がレイプされてもユダヤの血は途絶えないということです。それぐらいひどい目に遭ってきたわけです。
    また、自発的にユダヤ教の信仰を受け入れた人は、どんな血筋でもユダヤ人になる。ユダヤ人は人種概念ではないからです

    だから、自分でユダヤ人になる人がユダヤ人なのです。いまでも、 ユダヤ人をやめるのは自由です。それだけ神との契約を大切にする人たちなのです。神と約束をしたからには、試練は神から与えられるものだから、かまわない。苦労すればするほど神様に認められていると思う人たちなのです。だからユダヤ人は自分という実感が強いのです。与えられたものではなく、自らが選び取っているからです。

    そういうわけで、ユダヤ人から見れば、神様はエホバだけ、ヤハヴェだけと決めたのに、皇帝を拝むわけにはいかなかったのです。皇帝の銅像などは異教徒の悪魔だとなる。このために本当に迫害を受け続けました。

    キリスト教は、唯一神であるエホバだけを信仰して皇帝礼拝を拒否したユダヤ人の中から生まれた宗教ですが、ヘレニズム文化を受け入れ、ユダヤ人以外でもキリストさえメシアと認めた人は皆、キリスト教徒だという風に世界宗教化していきました。

    やがてローマ帝国の属民、臣民たち非ユダヤ人の間でキリスト教の布教が拡大し、ローマ帝国内でキリスト教徒が増えていったために、ローマ帝国はコンスタンティヌス帝の三一三年にキリスト教を公認。テオドシウス帝は三九二年にキリスト教を国教とするようになりました。

    当初はイエス・キリストやペテロは、ユダヤ教の中の異端派でしたが、キリスト教のほうが大きくなると、「ユダヤ人はキリストを迫害した」と言って逆になります。ずいぶんあとのことになりますが、第一次十字軍が始まった1906年には、いまのドイツのラインラントにいたユダヤ人をまず虐殺してからイエルサレムに進軍したと言われます。つまり、キリスト教徒はイスラム教徒よりもユダヤ人のほうが憎かったのです。
    キリスト教が国教となったために、ユダヤ教は邪悪な宗教とされ、古いもとの宗教にこだわるユダヤ人を近親憎悪のように憎み迫害するようになります。

    むしろキリスト教徒のほうが自己中心的で異端を排除し続けてきました。それに比べて、イスラム教も仏教も非常に緩やかな世界観を持っています。キリスト教ほど原理主義的にならない世界をつくってきた歴史があります。ただ、キリスト教文明が非常に強く世界を覆ってしまった。

    日本人はとても素直で性格がいい人たちなので、書いてあることをまず信じようとします。しかし、書くということは書きたい理由があるということです。だから、 むしろ書かれなかったことを想像するくらいの読み方が必要です。

    だれが、なぜ、いつ、これを書いたのか。当時の世界情勢はどうだったのか、だれに向けて主張した文書なのか。つねにそういうことを知る努力が求められるのです。これを史料批判と呼びます。
    史料を批判的に読みながら、できるだけ史実に近づいていくことが求められています。

    5章 中国は日本人がつくった

    そもそも中国という国が何千年も変わらずにあったわけではなく 、王朝もひんぱんに交代し、領土そのものも変わりました。秦が統一したのは紀元前221年なので、「中国五〇〇〇年」は誤りで、正しくは「シナニニ〇〇年」です。

    では、「中国五〇〇〇年」はいっできたかというと、1911年の辛亥革命のときからです。支那に代わる漢字は何がいいかと考えたあげく、自分たちは世界の真ん中の国、中心だというので、ー九世紀末に「中国」を考え出して使、つようになる。二〇世紀に辛亥革命を起こして中華民国をつくった人たちは、ほとんどが日本への留学生です。それで国をつくったときに、これでいこうということで中国は生まれることになった。ですから、中国という国家は実は日本がモデルなのです。

    始皇帝が戦国七国を統一したあと、漢字の字体を一つに決めて、残りの六つが書いてある本を全部焼いた。これを「焚書」と言うのです。文字を共通にしないと、統一国家として統治できないからです。
    さらに、始皇帝は度量衡を統一した。重さや秤を統一したのです。それまでは同じ一升でも国によって重さや容虽が違っていたからです。
    車輪の幅も七国で全部違っていた。というのは、侵略してきた他国の車をまっすぐ走れないようにするためです。

    秦の始皇帝が、 文字通り、本当の意味のシナの始まりなのです。シナにおいて股初の統一国家をつくった。たくさんあった都市国家を一つにして、すべての町に自分の直轄の軍隊と直轄の知事を送り込んで統治した。初めて皇帝を名乗ったのも始皇帝です。これ以後、シナ皇帝は、別の一族が皇帝になったり、前の皇帝を殺して次の皇帝が立つことはあっても、仕組みは同じでした。だからシナ2200年なのです。

    シナ文明というのは、日本人が思うようなきちんとした官僚組織があったのではなく、実は皇帝を頂点とする商業文明から出発しています。広い地域に住む異民族を一つに束ねるための組織、仕組みで、束ねるときに使ったのが漢字だったわけです。漢字のできる人たちだけが支配階級で、地方を統治しました。

    ようやく統一した始皇帝が支配していた土地を、自分が仕えた漢の武帝が全部奪ったことになる。もちろん、そんな説明をするわけにはいかない。そこで、司馬遷が考えたのは、すべては天が決めるという歷史だった。いまの王朝の正統性は天が保証しているということにしたのです。

    それまでの伝統としては、実は世襲がいいのはわかっていた。しかし、皇帝の徳が衰えてくると世の中が混乱する。だから、天が次のふさわしい王朝、ふさわしい皇帝を選んだのだということにした。これが『史記』の全休の枠組みです。本当にその枠組みですべてを説明したので、とてもわかりやすいのです。

    ヨーロッパ文明のレボリューションは、人間が力で改革していく、横に転がって新しい王朝ができて、国が興って滅びるというイメ ージです。
    ところが、シナ文明では、革命の主語は天で、天が変える。革命はすべて店名によって起こる。この歴史観が実は現在の中華人民共和国まで続いているのです。

    司馬遷は戦国七国がそれぞれ都市国家で、それを大統一したのが秦の始里帝だという史実を書くことにはあまり興味がなく、歴史書としてどうしても天命と正統性に重点を置きたかった。したがって、『史記』に書いてあることはすべて、本当のことであるとは思わないほうがいい。それが歴史書の宿命だからです。

    6章 『史記』に呪縛された中華圏の歴史観

    歴史というのは、あるがままがそのまま書かれているのではなく、まず歴史書が書かれるという時点で一つ、大きな理由があるわけです。その時代の要請があって、何かの目的をもって書かれるものです。だからその主旨に沿った文献だけが残って、その意図からはずれる文献は残らないことが多いのです。

    歴史認識について歴史学者同士で話し合う会議を持ったとしても、合意ができるようなものではありません。歴史とはそもそも過去をどう見たいかという、非常に主観的な動機から始まるものだからです。

    シナ大陸における王朝の興亡は苛烈です。易姓革命の国ですから、王朝が滅びたら前の王朝は、天命がなくなったということで全否定されます。皇帝たちはもちろん、臣下の人間も皆殺しにする。指導者たちは子供にいたるまで根絶やしにされる。まったく新しい王朝をーからつくるという、リセットばかりしてきたのがシナの歴史です。

    シナ大陸では、二〇〇〇年の間に非常にたくさんの王朝が興亡して人間が入れ枠わっています。人口そのものが大きく減少して、また新しい人たちが入ってくる。シナではそうやって住民がどんどん入れ替わっていったのです。

    7章 日本文明はいかにして成立したか

    日本は中国とはまったく違う歴史を歩んできました。それは縄文時代の縄文人と呼ばれている人たちに端を発しています。縄文人は現在のわれわれが思うよりもはるかに文化が高く、長い年月を平和に暮らしていた。それが考古学の発掘資料として出てきています。

    実は『日本書紀』の歴史観も、やはりいまの私たちに本当に強い影響を与え続けている。歴史の始まり、最初の歴史が麥かれたときの枠組みを無条件に私たちは受け入れて世界を見ているのです。

    縄文時代は山のふもとの平地が広がる扇状地で、川の水が流れていて、山に行けば食ベ物があり、川でも魚が採れるというところに集落がつくられたのです。ところが、この時代からは海沿いの土地が開けていきます。その理由は、海から何かがやって来たからです 海から商人が来て、 商売をするようになったからだと思われるのです。

    日本の歴史を考えるうえでさらに重要な問題は、推古天皇と聖徳太子の名前が漢字史料には出てこないことです。日本の歴史の始まりにとって、この二人は非常に大切な存在で、『日本書紀』は熱心にその業績に触れています

    『日本書紀』ができたのは、遣脩使から一〇〇年以上後ですから、日本書紀が成立したときの日本側の事情も考えなければいけません。そうなると残念ながら、『日本書紀』が書いたことがすべて史実だとも言えないのです。

    日本がつくった『日本書紀』も、当時の日本を取り巻く状況から、日本列島に住む人たちを一つにして外に対抗しなければいけないという危機感からできています。それがその当時、日本で最初の歴史書がつくられた理由です。

    8章 『日本書紀』の歴史とは何か

    『日本書紀』は、紀元前六六〇年に神武天皇が即位してから、日本天皇は万世一系で、同じ男系の血筋が続いてきたと書いています。この編幕を命じたのは天武天皇で、六八一年のことです。しかし、『日本書紀』が完成したのは天武天皇が亡くなったあとの七二〇年で、三九年もたっていました。

    『日本書紀』はすべて漢文で書かれています。その主題となっているのは、太陽神である犬照大神の子孫が九州に下りてきて、 その子孫が畿内に入って紀元前六六〇年に神武天皇として即位し、これを初代として日本の天皇は代々男系で父子相続が行なわれて、それが天智転倒、天武天皇に至ったという物語です

    百済王との同盟関係があったので、それまでに漢字や仏教が入ってきていたはずです。渡来人はどこから来たのかという問題もある。ところが、『日本書紀』はそのことにはまったく触れていない。日本の中だけで歴史が完結していて、ずいぶんあとの第一五代の神功皇后になってから、海のかなたに国があることを知り、新羅征伐に出たという筋書きで書かれています

    このことは何を意味しているのか。つまり、シナ文明とは無関係に日本国が誕生した。日本という国の中だけが天下であって、外は知らない。だから、 影響を受けていないと宣言しているわけです。

    私はこう思います。これは大陸で起きた戦乱があまりにひどくて、日本に逃げてきた人たちが二度と大陸との関係を持ちたくなかったので、自分たちの故郷とも縁を切った。日本列島の中だけでこれからはずっと平和に暮らしていきたい、と主張した歴史書が『日本書紀紀』だったのではないかということです

    江戸幕府が鎖国したことはよく知られていますが、基本的に日本は、菅原道真が遣唐使を廃止して以降は、ほとんど大陸とは正式な関係を断っています。唯一例外だったのが、室町幕府の三代将軍だった足利義満が、日本国王と称して明の皇帝と勘合貿易をしたことです

    実際には江戸時代に本居宣長が、 当時流行っていた儒教とシナ学に対抗して、日本古来の学問として持ち出すまでは、『古事記』はまったく重視されていない本でした。それを明治時代になってからさらに、『古事記』のほうが日本の気持ちをよくあらわしているということで、『古事記』を重んじるようになったのです。国民国家の統合アジアのなかで生き残るための神話として大きく扱われたわけです。

    日本だけは特別な国だとか、神国だとか、情緒的、感情的なことで歷史を見るようでは、かえって自らを中国・韓国と同じレベルに貶めることになってしまいます。

    9章 国民国家が世界史を変えた

    フランス王はヨーロッパ中の王家と婚姻関係があったので、ヨーロッパの王族たちは、「パリ市民は王様を殺した加害者で、王の財産は親戚であるわれわれに継承する権利がある」と言ってフランス革命に干渉して、軍隊を送ろうとします。

    ナポレオンのフランス軍の兵士たちは、「自分たちの財産は自分で守る。自分の国を自分で守る。自分たちの妻や子供、娘を守る」という国民軍だったから、それまで王様たちに金で雇われていた備兵とは違っていた。軍隊に参加した多数のフランス市民は、自分たちの财産、自分たちの国家を守るというハ覚をもって集まってきた兵隊でしたから、ナポレオンの国民軍は本当に掩かった。自分の財産や家族は真剣に守ろうとするからです。

    さらに、ナポレオンはローマ法とフランス全土の憤習法をもとに法制度を整えて、ナポレオン法典もつくりました。ここから本当の国民国家が始まります。暴力で乗っ取った王の財産の所有権を正当化するために、国民が考え出され、こうして国民国家と民主主義のイデオロギーが誕生したのです。さらに国民の範囲を確定するために国境が引かれて国土が囲い込まれ、国民の国籍が制定され、国民は国語と国史を共冇することが強制されました。

    それで、ヨーロッパの君主たちはフランス軍の猛威に対抗するため、国民国家体制を採用せざるをえなくなる。これが立憲君主制の起源になったのです。この国民国家化こそが、近代化の本質だといってもいいでしょう。

    それでは国民国家が誕生する以前のヨーロッパの政治、社会はどうだったのか。中世のヨーロッパは数多くの領主によって領土が分断されていたからです。もともとはゲルマン民族の部族が基礎になっていて、かつては部族長だった領主が家臣と君臣関係を結んで領土を支配していた。さらに領、王は自分たちの勢力を伸ばすために、遠方の領主と婚姻関係を結ぶ。それが領土を広げる一番の道でした。

    こうした結婚関係の積み重ねで、ヨーロッパの土地は村や小さな地域ごとに君主が違うといったことが普通になりました。君主のほうでも、領地があちらにもこちらにもあるということになります。君主は何種類もの土地を持っていて、ヨーロッパ中で、支配権が入り組んだ関係になっていた。したがって、国境という概念で国境線を引くことができなかったのです。

    一方で自治考市もありました。「都市は人を自由にする」という言葉があるように、 都市は自治権をもち、独立した組織である商人組合のギルドが税金を取るなどして、都市の城壁のなかは違うルールになっていた。領主はそれに文句は言えない代わりに、たとえば契約した領主にある程度の税金を払うというようなしくみになっていました。

    ナポレオン以前の傭兵同士の戦争は、形勢が決まったらやめてしまい、負けたほうは領地を差し出して終わりという、人もあまり死なないというような戦争でした。それが、アメリカの独立から、フランス革命とナポレオンが出てきて近代化が始まったことにより、歴史が一変することになったのです。

    国民国家の国境の内側は、みんな同じ権利があるというのが建前です。そこで、国民全員が豊かになるために、国境の外側のアフリカやアジアに進出して、国民の財産を増やして、それを持ち帰って国民で分配した。平等なのは同じ国の国民の間だけです。他の地域や民族はどんなに搾取しても平気なのです。こうして国民国家化が進むとともに、帝国主義による植民地化があっという間に世界中に広がっていきました。

    なぜ日本人は「国民主義」としなかったのか。第一次のナショナリズム運動が、このころ東ヨーロッパで生まれます。言語を共通にする人たちは同じ国民として国家を持つ権利があるというのが、ナショナリズム運動でした。しかし、まだ国がないのに国民主義と言うのはおかしいと日本人は考えた。だから、国家を持ちたい人の運動を「民族主義」とし、国家を持ちたい人を「民族」というふうに使い分けたのです。言葉に関して、日本人は厳密なのです。

    10章 マルクスに騙され続けている世界史

    カール・マルクスは、社会主義、共産主義を提唱し、ドイツからロンドンに亡命して著作活動をしたユダヤ系ドイツ人でした。マルクス主義の特徴は、「下部構造が上部構造を決定する」として、人間社会をすべて経済で説明しようとするところにあります。ですから、各時代の歴史を経済の発展段階と考えたのです。

    まず最初に、人類の歴史の始めには探取や不平等などまったくない理想的な原始共産制社会があったとします。人間の社会はもともと共産制だった。人間はみな平等に働き、分配も公平に行なわれていた。その次に社会の生産手段としてどれいが使われた古代のどれい制国家の時代になる。さらに領主と家来が契約を結ぶ封建制が始まり中世になる。

    この中世封建側が成立したヨーロッパ地域から、資本主義が生まれた。資本主義は、労働者を搾取することで資本家が利潤を得る仕組みだとする。搾取されている労働者は貧乏だけれども、未来はまた働いた人たちが公平に分配を受ける共産制になる。現代の資本主義が生まれ、未来は共産主義になるというように歴史は発展するという説です。
    各時代の経済の仕組みが政治制度を決定する。だから歴史は一定の方向に段階的に発展するというのです。史的唯物論や唯物史観という言い方もされます。

    このように、マルクスの発展段階説を歴史に当てはめようとすると、本当に矛盾だらけになってきちんとした説明になりません。にもかかわらず、いまだに歴史教科書が、占代、中世、近世、近代、現代と時代区分するのはなぜでしょうか。
    過去から歴史はずっと現在まで流れてきて世界は進化し続けているという思想に、私たち日本人も含めて、二〇世紀の人間はすっかり洗脳されてきたからです。

    医療も技術も進歩して人類の生活は豊かになり、人間は宇宙にも行けるようになった。古代から現代に至るまでに人間は進歩してきたという進歩史観が背景にあるからです。
    この進歩史観は、実はー九世紀にヨーロッパで流行していたダ—ウィンの進化論に大きく影響されています。生物がアメーバから段階的に複雑な生命体となつて、最後に哺乳類が生まれて、その一番進化した生物が人間だというのは、キリスト教の神様が最後に自分に似せて人間をつくったという思想の影響もあるからでしょう。

    普遍的な「歴史」というからには、自分一人の経験だけに頼るのではなくて、他人の経験も取り込まなくては、歴史は書けない。そうすると、個人個人で違っている、「いま」と「むかし」の分け方を、そのままにしておいたのでは、歴史にはならない。そこで、何か普遍的な、「現代」と「古代」の分かれ目を、便宜上、どこかに設定しなければならない。これが歴史の時代区分の難しさです。しかし、その間に中世を入れるのは、過去から順番に世界は一定の方向に進んでいると思いたいという進歩史観に影響されているからです。

    しかし、いま目の前にある世界の現実は、一定の方向に向かって着実に進歩していて、最終的に理想の未来が到来するという歴史観は、凡人たる人間にとっては救いになります。
    人間は基本的に救いを求める弱い存在ですから、こうしたマルクス主義の彩響を無意識に受けてしまうのです。古代と現代の間に中世を入れるのは、人間の社会が一定の方向に進歩しているというイデオロギーのせいなのです。

    国民国家づくりで先行したヨーロッパは、アフリカやアジアを植民地化して、植民地の住民を搾取することで富を獲得していった。だから、労働している側、搾取されている側に正義があるとしたマルクス主義が熱狂的に受け入れられたのでしょう。なぜならマルクス主義が、金持ちは悪で、持たざる無産階級に正義があると、既存の価値を転倒させたからです。

    二元論と歴史は違うということを、私は繰り返し言ってきました。マルクス主義などのイデオロギーや、キリスト教やゾロアスタ—教などの宗教は、善悪の判断と社会の方向性を決めるので大衆を大きく動かすことになります。とりわけ各極のメディアが発達した19世紀末以降は、大衆運動によって社会は大きく変動してきました。

    11章 日本の歴史教育の大問題

    西洋史と東洋史では、基本となる歴史観がはっきり二つに分かれてしまっているのです。この二つを合体させたところで、筋書きがまとまるはずがありません。日本の世界史教育の大きな問題点がここにあるのです。

    実際には地中海文明の源流は、ヘーロドトス自身が言っている通り、エジプトにあります。これはギリシア人にとってだけでなく、ユダヤ人にとってもそうです。それにもかかわらず、エジプトのことはエピソードとしてしか扱われていません。
    なぜエジプトではなくてメソポタミアから始まったとするのかというと、『旧約聖芯』のエデンの園やノアの洪水やバベルの塔の印象が強いので、西洋史を書いた後世のキリスト教徒が文明の発祥の地をメソポタミアに求めたからでしょう。

    いまでは世界中の国々やさまざまな地域の歴史研究も増えているので、アフリカや中近東、インドなどであったことを、世界史教科書ではすべてを平等に同じ年代に詰め込む倾向にあります。そうなると、覚えるべき固有名詞ばかりが多くなって、相互関係もよくわからず、 ますます全体が理解できなくなる。だから世界史は丸暗記の教科になってしまっているのです。

    いまの歴史教科書は、一見すると、公平に世界を記述した歴史に見えます。しかし、 狭義の歴史、つまり過去を解釈して物語るという歴史の本来のあり方からはほど遠いのです。世界のさまざまな地域の過去がバラバラに羅列されているだけです。それがいまの日本の世界史教科書です。
    しかも、世界史の教科書には日本の記述が抜け落ちているので、まるで日本は世界ではないかのように思える。これが最大の問題です。

    12章 日本人がつくる世界史

    ー九世紀以来、一世を風靡したマルクス主義は、原始共産制、古代奴隸制、中世封建制、近代資本主義を経て未来共谁制、これが歴史だと教えました。前述したように、これは歴史ではなく政治理論で、人間世界も生物と同じように進化してきたという発展段階説なので、その当時はやったダーウィンの進化論の影響を色濃く受けています。

    何度も述べていますが、文献があるということは、書かれた当時に世の中に知らせたい、あるいは書いて残そうとする目的があったからです。ー〇〇〇年、二〇〇〇年後の日本人に本当のことを知らせたくて文献がつくられたわけではありません。だから、歴史史料としての文献は、だれがいつの時代に何の目的で書いたのかということを、まずきちんと理解して、史料批判を十分にした上で利用するしか方法はありません。

    だいたい一つだけですべてが解決することなど、人間の社会にあるわけがない。それでも自信を持って言われると、つい信じてしま、つ。しかし、自信を持って完全に正しいと言い切ったその反対側には、切り捨てられたものがたくさんあると思うべきなのです。

    日本の自虐史観はなぜ始まったのか。マルクス主義と社会主義革命の存在を抜きには考えられません。日本の社会は、社会主義化・共産主義化は免れましたが、教育に関しては日教組を中心に、戦前の日本はすべて間違っていたとする考えは続きました。

    国民国家になった順番、時代は、フランスやアメリカが一番早く、次にヨーロッパの諸国が続きます。いま世界の国連加盟国は一九七カ国ですが、そのほとんどが第二次世界大戦後にようやく独立して国民国家になった国々ばかりです。

    だから、国民国家の歴史は世界史にはならないのです。一国一国の歴史がどんなに詳細に書かれていても、それらをどんなにたくさん集めても世界史にはならない。だから、日本人も日本史という国民国家の歴史を離れて、一歩離れて自分の国を客観化するという、民度の高さを示してほしいのです。

  • 歴史は文明のなせること
    ①空間場所 地図
    ②時間   暦
    ③文字
    ④物語

    「歴史」意図・思惑がある 正当性

  • 岡田英弘さんの「歴史とはなにか」を宮脇先生の言葉で分かりやすく解説し直した本。
    私は岡田先生の文章は取っつきにくかったのでとても分かりやすかった。

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著者プロフィール

1952年和歌山県生まれ。京都大学文学部卒、大阪大学大学院博士課程修了。博士(学術)。東京外国語大学・常磐大学・国士舘大学・東京大学などの非常勤講師を歴任。最近は、ケーブルテレビやインターネット動画で、モンゴル史、中国史、韓国史、日本近現代史等の講義をしている。
著書に『モンゴルの歴史』(刀水書房)、『最後の遊牧帝国』(講談社)、『世界史のなかの満洲帝国と日本』(以上、ワック)、『真実の中国史』(李白社)、『真実の満洲史』(ビジネス社)など多数。

「2016年 『教科書で教えたい 真実の中国近現代史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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