説教師カニバットと百人の危ない美女

著者 :
  • 河出書房新社
3.23
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本棚登録 : 106
感想 : 19
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  • Amazon.co.jp ・本 (261ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309012582

作品紹介・あらすじ

ほーっほっほっほ。美人、それがどうかしたの!?私は世界一美しいブスよっ。はてしなき結婚と容貌についての問い-芥川賞作家による空前の傑作純文学。

感想・レビュー・書評

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  • つかみにくい話。
    ありえない話なんだけど、よくある話でもある。
    たとえばブス描写。ひとつひとつの描写がぜんぜんおかしくない。普通にみかけるコンプレックスや弱点や、そんな程度のものなんだけど、全部集まると大層な、でも異形じゃないただの外れ値になる。

    無知を恥じもせず人を責めるだけの妄言を吐きまくる説教師も、それを信じる美女たちもそう。
    こんな風にケッコンケッコン恋愛彼氏清く正しく美しく女らしく男オトコ!と思い込まされて、思い込まなければ生きていけないような人ってのはよく居る。
    「!?」「~しているっ」「でもでも」などの小技が利いた文体が絶妙にイラッっとくる。

    最初は笑いながら読んだ。風刺を他人事に楽しんで。
    そのうち嫌になってきた。世界に対するフラストレーションを延々と聞かされている気になって。
    それからぞっとした。美女たちに対する切り離しと蔑視が自分と重なって。
    最終的によくわからないけどなんか疲れた。
    精神的な疲労のはずなのに感覚としては肉体疲労。
    ちょっとストレッチするつもりが気づいたら一試合終えてしまったような、消耗じゃない疲労。

    この本はどう読もうなんて考えながら読むもんじゃないかもな。
    私は純文学(はわからないけど私小説は)嫌い派なので、この人の肯定論を読んでみたくなった。食わず嫌いを覆してくれるか、少なくとも純文学好き派に納得できそうな気がする。

  • ★あふれる芸過剰★再読。前回読んだ時の記憶はないが、とにかく読み通すのに気力が必要。純文学も女性性も複数の語り口も何の知見もなく、とにかく過剰さに圧倒される。正直なところブスかどうかにこちらはそんなに関心はない。内容の先端性以上に、幻想と悪態と複層する語り口を続けられる筆者の体力と技術と自信に押されるばかり。

  • なんだろうこれは…
    純文学とはなんなんだろう。
    前回読んだ笙野さんの本よりは、まだストーリー的なものがあった気もするけど、やっぱり中身はコンプレックスの塊みたいな。
    それを描くのが目的なのかもしれないし、別にそれはいいんだけど…この本の読者はこれを読んでなにを思うんだろう。
    わからない。
    醜いってなんなんだろう。
    著者は容姿を問題にしているけど、そこじゃない気がする。
    でも著者は、「そこじゃない」部分も、容姿さえ良ければ違ったというんだろうか。
    何より、何もないのが楽と最初に書きながら、その後全てそれとは真反対な内容に感じるのが…いや、それが狙いなのかな。
    うーん。
    身内ノリ…というか、自分だけは面白いと思っている…いや、やっぱりそれも狙いなのかな。
    だとしたら…私はあんまり面白いとは思わない。

  • 文学

  • 続編にあたる『絶叫師タコグルメと百人の「普通」の男』を先に読んでしまっていたのだけれど、やっと今更カニバット。おなじみ作者の分身ともいえるブ貌の女流作家・八百木千本が、「説教師カニバット」の親衛隊「巣鴨こばと会」の残党である「強い結婚願望を持った百人の女ゾンビ」たちと過酷な戦いを繰り広げる。

    まずもってカニバットっていうネーミングが凄いよね。どっから出てきたのかわからないんだけどなんか絶妙。同じシリーズのタコグルメもなかなかのネーミングだけど、やっぱカニバットのインパクトのほうが凄い。本名:蟹鳩肉男と途中で出てきて、だから親衛隊が「こばと」なのか~と変なところで感心したり(笑)

    そもそも説教師とは何か。本文から引用すると“「女」に説教し、説教する事でご機嫌を伺うお仕事である。カニバットの場合は主に未婚女性対象で日常と恋愛、男と女について説教する。彼の親衛隊は、つまり、現実に対して、完全にずれている「内気な娘」達だ。 ”そして実質その説教内容とは“きれいごとと男尊女卑を並べたてたような「男の物の見方」講議”

    どうやらカニバットにはモデルがいるらしく、私よりもさらにずっと上の世代の女性たちがこぞって読んだ女性啓蒙(洗脳)系の人気エッセイストがいたらしい(草柳大蔵という人物が有力なようだけれどさすがに私も世代ではないのでわからない)さらに、こばと会がカニバット亡き後かつぎあげようとした悪魔ドク朗という「王子」にもモデルがいたようで、こちらは村崎百郎説が有力らしい。

    まあそこは本筋とは関係ないので置いといて。狂気そのもののFAXや履歴書郵送、恐怖しかない贈物をしてくる元・美女だけど結婚できなかった女ゾンビたちの恐ろしさときたら!よくもまあこんな悪口雑言がうまいこと言えるもんだと逆に感心してしまうほど。これほどまでに多様に「ブス」を表現する語彙があるとは、ここまでくるといっそその見事さに笑ってしまう。笑いにまで昇華された罵倒。凄まじい。

    しかし基本的にはゾンビたちの攻撃にうんざりし、早く解放されたいと思っていた八百木千本は、ある一定ラインを越えたときに、いつのまにかこのゾンビたちに共感し、彼女たちをうっかり見下していた自分の愚挙を反省し、あることに気づいてしまう。

    「最悪のこばと会よりも凶悪なもの、それはごく普通の善良な男性」であるという事実に。女の敵は女、なんて、したり顔で女同士を戦わせようとする人たちがいるけれど、やっぱり女の敵は男、なのだと思う。敵、という言葉は穏当ではないかもしれないけれど、つまり、女性を美醜で差別する点で最も残酷なのは誰かという一点についてだけは間違いなくそれは「普通の男」でしょう。なるほど続編の敵が『百人の「普通」の男』になるわけだ。

    100人の女ゾンビたちが攻撃を終えて去って行ったあと、不思議と一抹の寂しさが残る。わかりあえたかもしれないのに。彼女たちも犠牲者であったのに、という奇妙な同志感。この作品が発表されたのはほぼ20年前だけど、女性と結婚をめぐる状況は残念ながら今も根っこの部分では何も解決していないなと思う。とはいえ、やっぱり100人の女ゾンビに襲われるのはイヤなので迂闊な発言はしないようにしよう。そして、泉鏡花のお墓に参ろうなんて間違ってもしないように(苦笑)

  • 心に響く言葉皆無

  •  醜貌を自認し一人で穏やかに暮らす作家に、結婚第一で男尊女卑全開の女ゾンビたちが次々と襲いかかるお話。本作が書かれたのは90年代後半だけど、現代も「モテ」や「男ウケ」などの言葉が溢れ、それらに食傷気味である私にとっては恐ろしくも痛快な小説で面白かった。時代は変わっても女性が背負う他からの先入観や偏見、理想像はなかなかなくならないし、それを受け入れた方が生きやすいこともあると思うので、私は八百木寄りではあれど、女ゾンビ成分ゼロとも言えないのが現実だと思う。

  • 某氏からオススメいただき。最初はあまりにお下劣というかお下品というか。(お食事前には薦めません)勘違い老女達の爛れた妄想が炸裂。こんなに赤裸々にしなくても・・・せめてこの辺のコトは殿方には内緒にしておこうよ、みたいな ^^;;

    何よりこんなに「ブス」「ブス」「結婚できない」と執拗に繰り返されると・・・・思わずわが身に引き比べてテンション下がるんですが、凄いページターナーでやめられなくって。読んじゃいました。

  • ブスブスブス
    私はこんなに素晴しい女性なの!
    お料理だって、お掃除だって、家事はもちろんお手の物。
    それに言葉遣いだって美しいし、自分を常に高めようと努力しているの。
    美しいし、心根だって優れているし、あとは素晴しい殿方だけ。
    ね、なんで結婚できないのだと思う?
    それはね、あなたみたいなブスが、殿方を手練手管でたぶらかしているからよ、ね、いいこと、カニバット様のおっしゃる通りにしていたのよ、だから私は、

    哀れというのでもなく、可笑しいというのでもなく、ただただ呆然とする。
    ブスブスブスと連呼しながら頭に渦巻く疑問。
    それを結婚という幻想に覆い隠しながら、連呼する。
    そうでなければ自らの思いを何に託すことができようか!

    フェミニズムを否定し、結婚を理想郷のように崇めている彼女らは一見恐ろしく何とも馬鹿げているように思える。
    しかしそこにあるのは、行き場を失った「自分」を求める人間の姿。

    本書の感想を述べるのはとても難しい。
    評するのも同様に。
    迫りくる言葉は、「こばと会」の正気の沙汰とは思えない彼女らの思い込み、あるいは正義。
    結婚と女と容姿という、普遍的でありそうで実は現代特有の問題について、読む者は頭を撹乱、いや、ミキサーにかけられたようになる。
    面白いとか面白くないとか、そういうことを考える前に訳がわからなくなるのだ。

  • 初めて笙野頼子の小説を読んだが、圧倒された。
    強烈なメタと攻撃的文体で独特のフェミニズムが書いてある。しかし実際はそんな生やさしいものではなく、罵詈雑言の暴風雨が吹き荒れる。勘弁してくれと泣き言をいっても止まらない。勿論それは自分に対して言われているのではないのだが、受け止めるのは自分(読者)の言語中枢である。正直疲れた。
    読む人を選ぶ小説だが、ハマったら相当に面白いものとなるだろう。

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著者プロフィール

笙野頼子(しょうの よりこ)
1956年三重県生まれ。立命館大学法学部卒業。
81年「極楽」で群像新人文学賞受賞。91年『なにもしてない』で野間文芸新人賞、94年『二百回忌』で三島由紀夫賞、同年「タイムスリップ・コンビナート」で芥川龍之介賞、2001年『幽界森娘異聞』で泉鏡花文学賞、04年『水晶内制度』でセンス・オブ・ジェンダー大賞、05年『金毘羅』で伊藤整文学賞、14年『未闘病記―膠原病、「混合性結合組織病」の』で野間文芸賞をそれぞれ受賞。
著書に『ひょうすべの国―植民人喰い条約』『さあ、文学で戦争を止めよう 猫キッチン荒神』『ウラミズモ奴隷選挙』『会いに行って 静流藤娘紀行』『猫沼』『笙野頼子発禁小説集』『女肉男食 ジェンダーの怖い話』など多数。11年から16年まで立教大学大学院特任教授。

「2024年 『解禁随筆集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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