「あの日」からぼくが考えている「正しさ」について

著者 :
  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (339ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309020921

感想・レビュー・書評

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  • 高橋源一郎さんのツイート集。と、後半はエッセイです。
    タイトルの「あの日」とは、東日本大震災であり、それ以降に氏が考えてきたことを雑誌や新聞からそのまままとめた本。
    この本にはあまり結論めいたことも書いてないし、まとまりもある本ではないように思える。要するに、あとがきに書かれているように、高橋さん自身も自分のこれまで考えてきたことを追いたい、自分が震災以降、どのような気持ちになっていたのか知りたい、そういう狙いから生まれた本なんだろうな、と思う。
    中でも「祝辞」が圧倒的におもしろかった。この節は何度も読みたいです。
    本書を読んで、高橋源一郎さんにけっこう興味が出てきた。

  • 午前0時の小説ラジオ「分断線」が良かったです。例えば、東北への支援に重きをおく人と、原発に関わる問題に重点を置く人たちの間の線。「あの日」からの分断線。説得を受け入れて変わる。こういう分断線があちこちにひかれてしまったが、自分と違う考え方の人がいて良かったと自分たちでこの線を消していこうという内容です。

  • 送辞がとてもいい。

  • 震災以降、自分の中でもやもやしていた部分を書いてくれているような気がした。
    Twitterでの卒業生への祝辞、「正さ」への同調圧力の話や原発への4つの立場など。

    Twitterでの日記の章とコラムなど執筆なさった文章で構成された章に別れて掲載されている。Twitterでの作者が遭遇したことが、文章になる(影響される)様が伺えるのもおもしろいところ。
    ただ、文章は冒頭だけというものもあるので続きが気になります。。

  • [2012.03.27]

  • 泣かされるポイントが多かった。タカハシさんは真摯だなあ、と思った。そして我々は誰しも紳士で真摯でないといけない。強くなければ生きていけないしやさしくなければ生きていく資格はないという言葉を思い出した。

  • 「祝辞」収録。
    これを手元に置いておけるだけでも購入の価値があると私は思っている。

    【祝辞】
    P29・・・「祝辞」2・いまから四十二年前、わたしが大学に入学した頃、日本中のほとんどの大学は学生の手によって封鎖されていて、入学式はありませんでした。それから八年後、わたしのところに大学から「満期除籍」の通知が来ました。それが、わたしの「卒業式」でした。

    「祝辞」3・ですから、わたしは、大学に関して、「正式」には「入学式」も「卒業式」も経験していません。けれど、そのことは、わたしにとって大きな財産になったのです。

    「祝辞」4・あなたたちに、「公」の「卒業式」はありません。それは、特別な経験になることでしょう。あなたたちが生まれた1988年は、昭和の最後の年でした。翌年、戦争と、そしてそこからの復興と繁栄の時代であった昭和は終わり、それからずっと、なにもかもが緩やかに後退してゆきました。
    ・・・・・・・・(省略)

    「祝辞」15・わたしは、二つのことを、あなたたちにいいたいと思っています。一つは、これが特殊な事件ではないということです。幸いなことに、わたしは、あなたたちよりずっと年上で、だから、たくさんの本を黄泉、まったく同じことが、繰り返し起こったことを知っています。

    「祝辞」16・明治の戦争でも、昭和の戦争が始まった頃にも、それが終わって民主主義の世界に変わった時にも、今回と同じことが起こり、人々は今回と同じように、時には美しいことばで、「不謹慎」や「非国民」や「反動」を排撃し、「正しさ」への同調を熱狂的に主張したのです。

    「祝辞」17・「正しさ」の中身は変わります。けれど、「正しさ」のあり方に、変わりはありません。気をつけてください。「不正」への抵抗は、じつは簡単です。けれど、「正しさ」に抵抗することは、ひどく難しいのです。

    【父としてのあたたかなまなざし】
    P68 …この子が、ここにいるとき、ほかのどんな子も、かさなって、いることは、できない。そしてそれは、ほかの子を排除するのではなく、同時にすべての『この子』を受け入れることでもある。マメのような赤ん坊がミルクを飲み、ご飯を食べてどんどん成長し、小さなゾウのようになっていく…

    …そのとき、それをいとおしく思う自分さえ消えて、世界は世界だけで、たくさんのなずなを抱えたまま大きくなっていくのではないか

    まど・みちおの詩にも、堀江さんの小説にも、共通してあるのは、「自分を中心とはしない」考え方だ、とぼくは思う。ぼくたちは、「ぼくはなに」「ぼくはなんのために生きている」という考え方から、なかなか逃れられない。けれど、子どもを見ている時、そのことをすっかり忘れているのである。

    ぼくもまた、一日中、子どもを見つめている。そんなに熱心に他人を見ることは、ほかにはない。おそらく、恋愛がもっとも燃え上がっている時の恋人を見る時以外に、そんな風に見ることはないだろう。そのような視線だけが「いること」を確認できるのである。


    ツイッター公表時から、ひとつも文章を変えてないらしい。「見られる」ということを常に意識して書かれた文章には、常に、緊張感と社会的責任がにじみ出ているように思うんだけど、全然、説教くさいとは感じないのです。やさしくて、あたたかくて、好ましいと、感じさせる。言葉の力とか、そんな陳腐なもんじゃない。言葉で食っている人はやはりすごいということを再確認した一冊でした。

  • リアルタイムで読んでいたtweetの数々。既読のtweetだが、時間を置いて活字として読むとまた違った意味が見えてきた。しばらくしてまた読んでみたい。その時何を感じ、何を感じないのか楽しみ。今はレンちゃん、シンちゃんの健やかな成長を祈る気持ちでいっぱいです。

  • 親鸞にかかわる部分は掲載されていないが、東日本大震災からの作者のTwitter、エッセイなどが収録されています。
    あの事件を普通の人でもあり、作家がどのように毎日を送っていたのか、リアルタイムで記述されており、あの震災を忘れないためにとてもよい本だと思います。

  • twitterで書かれたことや、ここ1年で書いたエッセイなどを集めたものである。twitterか… 周りでもやっている人はけっこういるけど自分は乗り遅れているな…

    それにしても巧みな引用をして自論を展開される方だと思う。

    高橋さんが引用されたものを読みたくなることが多い。高橋さんなりのしっかりとした咀嚼があるからなのだろうと思う。自分に都合のいい引用とか、何となく書かれたような文章が見当たらないような気がする。本当に「フェア」な人。また、昔から姿勢があまりぶれていない、と感じられる。

    今回、惹きつけられたのは鶴見俊輔さんの言葉について述べているところだった。
    ご自身では、謙遜気味に「自分にはできないかもしれない」と引用の後に続けているが、これは逆説的な気もする。本当にできないと思っている人は、こんな真っすぐな文章を引っ張り出してくることすらできないのではないかと、なんとなくそんな心地がするのである。

    しかし、いつも同時に私が覚えるのは文章のはしばしに少し哀しさをなぜか感じ取ってしまうことだ。なんとなくなのだが、高橋さんというのはひどく孤独な人だ、という印象をたまに受けてしまう。声を発している裏に「自分の言っていることは届かないかもしれない」という副音声みたいなものを感じるのは私だけだろうか。

    『恋する原発』という題名からして一歩引いてしまうような本をこの一年で上梓した高橋さん。書き上げた後、軽い失語に陥られたという。『恋する原発』は未読だが、何となく「不謹慎だ」とも「真っ当な文学だ」ともどちらにとられるのも(どちらの言葉を挙げられるのも)本意ではないのではないかと、何となく思いあたった。ただの思い付きなんだけど。

    それに対しては言葉を費やさず、別の言葉を(もしくは行動を)促すために存在するようなもの。これは何かに似ていないだろうか?

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著者プロフィール

作家・元明治学院大学教授

「2020年 『弱さの研究ー弱さで読み解くコロナの時代』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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