想像ラジオ

  • 河出書房新社
3.38
  • (179)
  • (412)
  • (504)
  • (168)
  • (51)
本棚登録 : 3626
感想 : 552
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309021720

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 人の意識、想像、思考、想い。
    それが電波という思念となってココロの真ん中の
    ふとしたチューニングがあった人だけに届く想像ラジオ。

    必要なモノはイマジネーションだけ。
    AMでもFMでもなく、IM。
    意識、無意識に関わらず、届いてしまった人は
    同じ意識のステージにいる人なのかな。

    想像することだけで繋がっているラジオだけに
    リスナーが聞いている時間も温度も環境も
    流れてくる音楽も、DJの声も、その人のイメージも
    すべてが自分の想像で成り立つ、すべてが
    自由で象られる想像ラジオ。

    私の中でもはっきりと受信しました。
    ジングルもしっかり作曲しました。
    DJアークさんのビジュアルも声の想像も完璧です。

    リクエストで流れてくる音楽も
    『デイドリーム・ビリーバー』と言われて流れてくるのは
    それぞれが想像したその曲。誰が歌った、誰が演奏した
    この曲なのかもリスナー次第。

    この世の者とあの世の者を繋ぎえるかもしれない想像ラジオ。
    大切な人を突然亡くして、ただただ茫然と現実を
    受け止めきれない、愛する人に残された人たち。
    そして、自分の身に突然起こった出来事を受け止められない
    亡くなった人たち。

    物事には両面があるように、当然のように
    愛する人を失うということは、生きている人、亡くなった人、
    それぞれの立場が違うだけで、失った悲しみは同じであること、
    現実として受け止めることに混乱していることの大きさは等しいこと、
    大切な人を失って、後に残された悲しみに包まれていたけど
    ただ、互いが生きる世界を別の次元に切り離されただけ
    ということに気付いた。

    アフター3.11を取り扱った本書。
    あの日たくさんの人の運命が大きく変わってしまった。
    私も福島が父の故郷で親戚がたくさんいたり、数々の映像で
    茫然とした日だったけれど、実際に災害に見舞われた当事者
    ではないので、軽々しく言えるほどの悲しみでも苦しみでも
    ない出来事で、心で祈ることしかできなかった2年前のこの日。

    私にとって3.11はその1年後のちょうど同じ日、
    私は息子を産み、そしてその日に息子は天国へと旅立った。
    そんなこともあって、私にとっても3.11は最愛の人を
    亡くした人生で一番苦しい日となった。

    マスコミでもたくさん取り上げられる日なので
    テレビや新聞、雑誌、インターネット、いろんな媒体で
    その日付を目にするたびに、それでなくても
    忘れる忘れないなんて出来事でなく、片時も忘れない
    事柄を必死で覆って前に向かおうとしている毎日で、
    そこにやたらな煽りで3.11、3.11と取り扱われることで
    どれだけの被災者の方はそのたびにまた現実を、傷を、
    まざまざと突き付けられて、傷を新たにしているんだろうかと…。

    亡くした経緯や状況は違えども、これだけピックアップされる
    日づけに自分の出来事も重なったからこそ、形は違えども
    その日付を目にするだけで震えるほどの苦しみを覚える1人として
    震災にあわれた方にとって、風化させないためにという名分で
    今の震災へのメディアやネットでの取り上げ方は
    本当に真意は汲み取れているのかと、関わり方を改めて考えされられた。

    大切な人を失った人が、亡くなった人の意思を受け取りたい、
    どこかで繋がりたい、話がしたいと思うと同じく、
    亡くなった人も大切な人と別れなければいけない悲しみ、
    自分の人生にやり残したことやたくさんの想いを残した苦しみ、
    たった一人では切なくて、境遇を同じくした人と
    こうやって意識という電波で繋がっていたとしたら…と考えた。

    私が息子の声を聞きたいように、息子も私の声が聞きたくて
    聞こえなくて泣いているのかもしれない。
    まだ生きるということも理解ではないままに、亡くなるという
    現実を受け止めなきゃならなくなったあの子は
    今頃どうしているんだろうかと不安にもなった。

    でも、こうやって本を通して、悼む側があるのと同時に
    当然ながら悼まれる側の意識も同時に存在していることに気づいた。
    この世の果てにあの世があるのではなく、この世もあの世も
    同じくして悲しみも喜びも等しく存在しているかもしれない。
    私が息子の声を聞きたいように、息子の笑顔が見たいように
    きっと彼は毎日泣いている私の姿など望んでいないんだろう。

    私が笑えば彼も笑い、彼が笑えば私も笑っている。
    そんな風に繋がりを感じながら、目に見えなくても
    これからも苦しいほど愛しているキモチと一緒に
    歩いていけばいいだけのことなんだ。と気づかされた。

    すべては想像すること。
    私の電波をDJアークさんのように、息子は盗聴しながら
    時に笑ったり怒ったりしてくれてるといいな。

    いろんなことを考えたり、気づいたりするきっかけをくれた
    この「想像ラジオ」を献本してくださったブクログさん、
    河出書房新社さん、そして、素晴らしい世界を見せてくれた
    いとうせいこうさん、ありがとうございました。

    • 円軌道の外さん

      心に沁みるレビューに
      亡き人との
      いろいろな記憶を
      自分も思い出しました。


      自分自身、父親や親友や恩師をはじめ
      震災や...

      心に沁みるレビューに
      亡き人との
      いろいろな記憶を
      自分も思い出しました。


      自分自身、父親や親友や恩師をはじめ
      震災や事故で
      何度となく
      大事な人ばっか失ってきたけど

      けどそこで立ち止まってるのを
      一番悲しむのは
      いなくなった人たちやと
      俺は思うんです。


      自分がもし死んじゃった立場ならどうかなって考えた時に、
      俺の死を理由に
      誰かが前に進めなくなってたら
      やっぱ悲しくなると思うんです。

      死はいなくなった人のためにも
      乗り越えていかなきゃならないことやし、
      別れを怖れずに
      生きていくことが
      死んじゃった人が一番喜んでくれることやと
      自分は思っています。


      人の縁も
      忘れたい過去も
      忘れてはいけない気持ちも
      これからの未来に
      繋がってます。


      辛い過去があるからこそ
      人は強くなろうと思うし、
      そこから何かを学ぼうとする。


      なぜ人は
      年齢を重ねるんやろうって
      よく考えるんやけど、
      俺は思うんです。


      過去に縛られ、
      生活に逃げ込んで
      ドアを閉めるためなんかじゃなくて、

      まだ見ぬ新しい人たちと出会うため。

      そして今まで出会ってきた人たちの
      恩に報いるため。


      先に逝ってしまった人たちの生きれなかった思いを胸に
      1日でも多く生きるため。


      自分自身が選んだ場所に
      自分の足で
      歩いていくためなんとちゃうんかな〜って。


      俺もかなり時間かかったけど
      自分を捨てた母親も、
      叔父さんに虐待を受けたことも、
      石を投げつけた近所の人たちも、
      自分に罪をなすりつけた教師も、

      今は全て
      手放すことができました。


      自分のせいで死んでしまった
      親友への後悔の気持ちも
      忘れることなく受け止めて、
      亡くなった人たちの思いに
      少しずつでも報いていかなきゃって
      今は思って
      日々生きてます(^^)


      山本あやさんのこのレビューが
      大切な人を失って立ちすくむ
      誰かの後押しになるよう
      切に願っています。


      長文失礼しました。

      2013/04/22
    • 山本 あやさん
      [♥óܫò]∠♡円軌道の外さん

      生きていくことって失っていくことの繰り返しで
      なんともやるせなくて、辛いなぁ…って
      思っちゃうことってあり...
      [♥óܫò]∠♡円軌道の外さん

      生きていくことって失っていくことの繰り返しで
      なんともやるせなくて、辛いなぁ…って
      思っちゃうことってありますよね。

      でも、今ある悲しみだけに囚われるのは
      それも違うし、そこに絡まってしまうと、
      他の大切な人や事柄が見えなくなって、また大切なものを
      失うことにもなりえたり、他の人も悲しませることに
      なってしまうこともあるしですよね。

      時間が解決なんて生易しいことばかりじゃないけど
      だからって前を、上を、向くことを諦める理由にはならないし、
      ゆっくりでもしっかりと進んでいきたいですよね[*Ü*]

      円軌道の外さんが葛藤したり苦しんだりしながら
      手放してきた想いが、その分強い幸せを実らせてくれる
      ことを心から祈ってます[*Ü*]
      私も、もう亡くなってしまったんですが、長い間
      実の父に苦しめられ、恨んだりもしたんですが
      憎しみを手放して、すべてを許そうと思った時に
      ほんとにキモチがらくになりました。
      でも、憎しみが消えると残るのは愛情だけで、それゆえに
      切なさは倍増しちゃったりするけど、憎しみなんて感情は
      一番必要ない感情だから、どんどん排除して
      柔らかくてあったかいキモチだけを持っていきたいですね。

      許し許され、愛し愛されて生きていくことって
      ずこく幸せで尊くて、でもその分苦しいことも
      たくさんあるけど、でもでも、苦しい時に誰かの側に
      そっといられるような生き方ができるといいですよね。
      2013/04/23
  • 東日本大震災の後、書かれた最も大切な文学だといえるだろう。人はどのようにして死と、死者に向き合うことができるか、ということへの挑戦。想像ラジオ、それはやさしく平易な言葉で語られる、今は失われてしまった日常の姿である。そのDJの言葉でのみ語られるこの小説はおそらく今、ここでしか書かれ得ないものだろう。あの震災が、やっと文学を得たという感動。限りない哀しみと愛おしさが、心の深いところまでしみこんでくる。圧倒的である。

  • いとうせいこうさんの『想像ラジオ』を読んだ。
    わけられない二つの間の微かな電波のローカルラジオ
    何処かにあったけど、言葉にならなかった、胸のなか忘れかけてた、奥深い透明な静かな名無しのラジオ局。
    こんな描き方もあるんだな、素晴らしい一冊だな。

  • 心の準備もないままに命が一瞬にして奪われ、意識というものが残されたならどんなことを想うのだろう。この世の未練、繫がっていた人への想い。そんなものが泉のように湧き起こるのか。この本の主人公のように想像ラジオを発信して自分の身に起こった出来事を探るのだろうか。そして悲しみと共に真実を知る。その真実を受け入れることで気持ちを前に向かせていくしかないのか。東日本大震災という不幸をどのように受け止めていくか、整理のつかない事実を受け止めていくしかない多くの人がいる。その中の一人の自分。他人事ではなく自分のこととしていつまでも心にとどめて置くことと思う。生きている自分がどうこれからを歩んでいくのか。奪われた命への鎮魂の書。

  • 始まりから、ただただ明るいくらいにカラッとした導入や設定。
    聴こえない音楽が聴こえないのに鳴っている、不思議。
    進行するにつれ、なぜか自分が目を向けることをしないままでいる事に、次第にリアルが追いついて、重なっていくようだ。
    それは、恐怖や悲しみなどといった言葉では一括りにはできない、その瞬間での断片的な切れ端、または、置き去りにした当たり前の日常のことなのか。
    拾い集められることによって、重層的に、紛れもない一つの物語となって読む人のなかで動き出す。物語をかたち作れるのは、境界線など存在しない世界の住人たち。
    それらをこの小説では、「耳を澄ます-想像する」ことによって「聴こえる」としているところに、新鮮さを覚えながら読み終えた。
    音もなく読書している自分を意識してしまうような読書体験だった。

  • 献本ありがとうございました。

    いろんな趣向でその後の思いを綴った本が
    それこそ、雨後の竹の子のごとく出版されていますが、
    こんなに爽やかな声で(想像)こんなに明るく(想像)
    軽やかに(想像)事もなく語られてしまっていいのでしょうか?

    と、まず思いました。
    こっちの側に残されてしまった私たちには
    まさしく想像するしかないのでしょうが、
    あちらの側に予期せず行ってしまった方たちは
    それこそ、何をどう語っているのでしょう。
    語っても語っても尽くせぬ、そして互いに言いたかったこと
    もっと、話したかったことたくさんあったのでしょうね。

    そんな声を聞かせてくれてありがとうという気持ちですが、
    切なくて人にお勧めするのはまだちょっとできそうにありません。

  • 想像の中でしか聞こえないラジオ。お相手は中年男性DJアーク。途中彼の薦めてくれた曲を聞きながら読了した。しんとした中で進む、ほの暗い夜更けのような、うっすらと明るい夜明けのような物語。
    読み終えて数日たった今でも2章が特に印象に残っている。あの議論に正解はない気がする。どう感じるかは人それぞれだけど、自分は、想像することは大切だと思う。

  • 生まれて生きて死ぬ。ただのひと連なりの現象に過ぎないはずなのに、なぜ人は死を悼むのだろう。なぜ届かないとわかっていて届かない彼岸に呼びかけるのだろう。虫けらのようにコロリと死んで何事もなかったかのように土に還っていけたならどれだけ気が楽か知れないのに。──神様の気まぐれか、未曾有の災害に攫われた命が投げる届けたい呼びかけと此岸の我々を繋ぐのは、一縷の絶えざる想像力だけ。狂おしく胸を掻き毟るような渾身の想像力だけが、何が自分を今ここに繋ぎ止めているのかを「聴かせて」くれるだろう。

  • 想像ラジオ、タイトルからそれこそ想像してなかったような展開。唐突に始まるDJアークの想像ラジオ。ジングル「想ー像ーラジオ―」やすごい曖昧な挨拶に訝しみながらも読み進めていくとなるほどそういうことか・・・とわかる。ポスト3・11という言葉の意味を理解できる頃にはDJアークのトークに引き込まれているはず。すばらしい作品でした

  • 公共図書館で予約していたのですが、予約した理由を忘れた頃に貸出可能になりました。

    あらすじすらよく知らないまま、読みました。

    不思議な話ですが、ぜひ多くの人に読んでほしいと思います。

  • 東日本大震災のあと、大きな杉の木の上の方の枝に引っかかったままになっている死者の魂魄が、あの世にイケナイでまだ漂っている他の人達の魂魄のために1人でラジオのDJをやり続けるお話。
    かなり心に応える。

  • いとうせいこうって、ビットワールドのセイコーのファンでよく見ているのだけど、この作品は、そういうことを抜きにして、いいなあ、って思えた。
    わたしも一応東北に住んでいるけれど、沿岸部の被害なんか想像もできない。だけども、この本を読んで、亡くなられた方に想いを馳せて、名前も知らないその方々を、そっと悼むのも必要かな、って思った。

  • 不思議なラジオだなって、何にも知らないで読み始めたら思うと思う。
    これは3/11の震災文学なんだけど、悲愴感が漂うでもなく、ヒーローがいるでもなく、誰かが困ってたりもしない震災文学。
    一番優しいあの地震の物語なんじゃないかなあ。
    それを傲慢と呼ぶ人もいるだろうし、同情と見る人もいるだろうけど、わたしはとても優しい追悼のお話だと感じました。
    そうだね、そうだね、仕方のないことだったね、って亡くなった方々の声が聞こえて来るみたい。
    何も責めない、誰も悪くない。
    あれは原発さえ巻き込まれなければ、ただの災害で済んだのに、と嘆くこともない。
    静かな追悼でした。
    読んでよかった。

  • いとうせいこうさんが久しぶりに書いた小説と言う事で読んでみました。
    なぜ今小説を書きたくなったのか・・・
    これを読んで何となくわかるような気がしました。あえて小説と言う形で東日本大震災を書き残す。亡くなってしまった多くの人達の魂を慰めるため。あまりにも大きな災害の中で起こった混乱や問題も提起しながら。
    こんな風にラジオのDJの軽いノリなら、悲惨すぎる状況も最後まで読み進めることが出来ます。その想像力に拍手します!

  • 僕らが死者について想像を巡らすとき、死者も同じく生者について想像を巡らしているのかもしれない。そしてそれだけのことを思いめぐらせることで、なんと救いになることだろう。
    リスナーと連帯感を感じながらも孤独にしゃべり続けるDJ。その連帯を孤独の間を結ぶのが想像だ。リスナーにとっても。

  • 先の震災を図らずもライブ映像で、家が車が、しかもさっきまで道路を走っていた車が次々と津波にのまれていくをみることになった。

    衝撃すぎてあの時の気持ちを言葉に表すのは難しい。

    多くの方が亡くなった事をうけいれる。寄り添う。声を聞く。悼む。どうしたらいいかわからないものを想像ラジオという形で表現している。

    どうかなくなった方々がこの本のように時間がかかっても穏やかに納得して旅立ってくれます様にと祈ります。

  • 言葉の流れが気持ち良く、するする身体に染み込む感じがした。まさかあの震災をテーマにしていると思わず、読みながら心の柔らかい部分を嫌がらせのようにつつかれた。でもそれは、決して痛いだけでなく。

  • 今だからこそ読まなくてはならない1冊だと思った。
    思いをどうやって沈め、認め、送るか。
    深く、重く、じっと考えて考えて読み終わった。

    それぞれリクエストされている曲が、また想いを強くさせてくれる。
    じっくり、耳を澄ませて、想いをこめて聴いてみたくなった。

    できれば、日本人皆が読めたら、もしくは聴けたら(DJアークの番組として)と思う。

    とても大切にしたい小説。

  • 『想ー像ーラジオー。』
    このジングルが頭から離れません。

    ブクログ様のキャンペーンにて献本をいただきましたので早速拝読させていただきました。


    『想像ラジオ』のパーソナリティ、DJアークの語り口調は軽快でとても好感が持てる。でも何故か放送している場所は高い杉の木の上。しかも逆さま。

    ラジオの内容はDJアークの身の上話からリスナーの投稿と様々。でも想像。
    リスナーの想像次第で流れる曲も変わってくるし、聞ける時間帯も自由。DJアークの声自体リスナーによって違っている。

    そんな不思議なラジオ放送を中心に展開される物語です。




    とても深いお話です。

    震災を題材にした作品ですが、ラジオというメディアを通じて語り言葉として展開される事で、より心に染みる作品に仕上がっているような気がします。

    今後、末永く読まれ続けて欲しい作品でした。

  • 献本2冊目。読み進めていくうちに
    ある出来事が元になっていることに気づきました。
    そして思うとこの本、何かつながっているように思えるのです。

    そう、登場人物の名前が
    私の名前と一字一句違わず同じ。
    何か因果を感じずに入られませんでした。

    私たちにはこの「想像ラジオ」の世界を
    感じることはできないと思います。
    ただし人によっては感じることは可能なのかな。
    でも…

    DJアークの明るいけれども
    どこか闇を感じさせるトークには
    引き込まれました。
    きっとラストは、ああ…と感じることでしょう。
    きちんと読んだ読者に対する一種のプレゼント。7

  • おもしろかったとも違う(でもおもしろかった)
    感動したとも違う(たぶん感動した)
    すごく複雑な気持ち。
    悲しくて辛くて怖くて、止めたいに止められなかった。

    でも、全部、想像。

    DJアークがCORINNE BAILEY RAEの"the sea"を紹介をしたときに、iPodからちょうど流れてくるという冗談のようなことがあって、電車のなかで涙腺が崩壊するかと…。
    しかも最後の数ページを読んでいるときは”is this love”
    この相乗効果で泣けてしまった。

    地震の後にとあるライブを見た時、本当はこれを見るはずの人がいたんだよな、って思った事があって、その事実にガーンと思ったんだけど(それが何かはうまく言えない)、5章に出てくる”21歳 女子”が繰り返し頭に浮かべる1日の描写を読んだ気持ちは、まさにこのときのガーン、に似てる。

    でも、それも想像。

    あと、私の頭のなかで”想ー像ーラジオー。”は女性の声。

  • 序盤から、もうずっとひたすらに揺さぶられた…

  • 震災を経て生まれた文学作品の中でも、とても大切にしたいと思わせてくれる作品だった。
    読み進めるにつれて物語の輪郭がはっきり見えててきて、この物語が「言いたい事」を伝えるために、どれだけ慎重に組み立てられているかがよく解る。

    こんな表現の仕方があるんだなあ。

  • 死者は死者の生を生きる。

    空を見上げ耳を澄ましました。

  • すごいものを読んだ気がした。小説だからこそ表せる世界。ノンフィクションはもちろんいいのだけれど、小説ならではの世界。生者と死者が交流するとか、死者が語るとか、個人的に苦手なジャンルで、だからこそ今まで読めてなかったのだが、どういえばいいのか…すばらしかった。全然言葉になってない…

  • 震災があった年の冬、空港そばに立つ高い木に人の衣服が絡みついているのを見ていた。この作品を読んでいる最中、脳裏に浮かんだのはその記憶。ラジオの「声」の内実は想像力を掻き立てつつ、記憶をも刺激したのだ。こんなに遠く離れている私の想像力を喚起する、ラジオの声の強さに色々なことを思う。

  • 想像ラジオとは、いわばレクイエムであり、エールであり、遺言であったりする。それは一方的なものではなく死者と生者との間の相互的なもの。あの悲劇を忘れずにいつまでも死者と手を携えて生きていくために絶対に忘れてはならないこと。それは死者の声に耳を傾けること。ここまで言ってしまうと何をモチーフにした物語か分かるはず。

  • まるで本当にラジオを聞いているような、そんな気分になる本です。東日本大震災を背景に書かれたものですが、話し言葉で書かれていて、分かりやすく、穏やかに、亡くなった人や残された人の気持ちを想像させられて、何度も読み返したくなるような名作です。

  • 東日本大震災を意識した一冊。ですが、読みやすい良著。

    東北の死生感を反映した一作で。そういう世界があるのかないのかはさておき、あるとしてもそれは「人の想像力」を介してしか形にならないなにか。それをこういう形で作品化したことは興味深い。

    「口語体主体の小節」という意味でも興味深い一作。ラジオである、という設定の下、口語体で話が進んでいく。それが、この作品を取っつきやすくしている。

    震災が過去になりつつあり、ともすれば想像することを止めてしまいがち。そんな自分を省みる機会になった一作でした。

  • ああ、ああ。泣ける染みる。霊と電波は似ているかも知れない。目に見えないけど存在していて。見えないものしか信じない、のは違うってことで。受信する人がいるから存在できる。我思うゆえに我あり的な。死を覚悟したときにまた読んで救われたい。

著者プロフィール

1961年生まれ。編集者を経て、作家、クリエイターとして、活字・映像・音楽・テレビ・舞台など、様々な分野で活躍。1988年、小説『ノーライフキング』(河出文庫)で作家デビュー。『ボタニカル・ライフ―植物生活―』(新潮文庫)で第15回講談社エッセイ賞受賞。『想像ラジオ』(河出文庫)で第35回野間文芸新人賞を受賞。近著に『「国境なき医師団」になろう!』(講談社現代新書)など。

「2020年 『ど忘れ書道』 で使われていた紹介文から引用しています。」

いとうせいこうの作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
三島由紀夫
三浦 しをん
村上 春樹
村上 春樹
朝井リョウ
村上 春樹
村上 春樹
クラフト・エヴィ...
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×