- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309227375
感想・レビュー・書評
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「サピエンス全史」が人類の過去なら、「ホモ・デウス」は未来。
人類至上主義からデータ至上主義になったら、幸せはどう定義されるのだろう。どう定義するべきなのか。
相変わらず読み応えのある本。以下は備忘録で、気になったとこ。
・エピクロスによれば、神々の崇拝は時間の無駄であり、死後は存在せず、幸福こそが人生の唯一の目的である。
・快感は刹那的であり、それを渇望する限り満足することはないという点で仏教の幸福観と生化学的な見方は共通する。生化学的な解決策は快感を絶えず共有すること、仏教の解決策はそもそも快感を望まないこと。
・芝生は富裕の象徴。貧民はメンテナンスできない。
・社会を形成する上で、虚構(物語)は欠かせない。ただ、物語は道具に過ぎず、目標や基準にしてはいけない。私達は物語が虚構であることを忘れたら現実を見失ってしまう。すると、「企業に収益をもたらすため」「国益を守るため」に戦争を始めてしまう。
・人間至上主義の世の中では「自分がどう考えるか」が重要となる。
・人間至上主義の人生における最高の目的は、多種多様な知的経験や情動的経験や身体的経験を通じて知識をめいっぱい深めること。
・自由意志は存在するのか。意志とは突き詰めれば脳髄の電気信号であり、ラボでラットに電気信号を与えて持たせたものは意志なのか。 -
上巻で言及された人間至上主義から自由主義への変遷とそこからテクノロジーの進化を背景とした未来予想。
AI等のテクノロジーに使われる人間と使う人間によって社会構造が変わる。ただ変化の仕方はこれからの人間次第。 -
前著、ホモ・サピエンス全史もそうだったけど、上巻は新しい視点、事実がズラッと並べられて、心地良い歯切れの良さにふむふむと感心してしまうわけだけど、下巻になると上巻を受けて、だから未来はこうなっちゃうかもよ、って延々と同じような話が続くのが辛い。著者も書いてあるが、書かれているのはあくまでひとつの可能性であり、事実に基づいているので、真実味もあるのだけど、やはり仮定を前提の話が延々と続くのは、読み物としては辛いものだ。
ただ、うっすら感じている不気味さを明確にしてくれる点や、自分の子供が大人になる頃にはどうなっちゃうのかなとか、子供を導くための視点の強化になればいいなと思って、読んでた感じ。どうなるのかね、未来。 -
6章
ぼくらは資本主義の手のひらで遊ばれているだけなのかもしれない。経済弱者が救われる手段は経済的成長、富裕層の欲望はとどまることを知らないために経済的成長が加速する。
この2つの理由から成長が神格化され、もはや宗教と化している。経済成長が絶対的なものと確信されているため、成長による資源の枯渇や生態系の破壊ら科学の進歩によって抑えられると盲信されている。しかしそれはあまりに危険な思い込みだ。
もちろん成長がもたらした功績は大きい。戦争、飢饉、疫病を克服するなど近代以前にはあり得なかった。しかしこのまま成長を続けていいものだろうか。成長の信者でいていいものだろうか。
最近耳に聞くミニマリストの生き方は、1つの答えを示しているのかもしれない。
7章
人間至上主義が相対的なものだとしたら、と考えるとゾッとする。前近代の信仰対象であった神や自然が、人間至上主義という宗教に入れ替わっただけだとしたら。
たしかに、個人の意見が過剰に尊重されている気はする。その人がそう思っているのならそれでいいじゃないかという風潮が蔓延している。しかしこのことによって、主張することに恐れを抱くようになってしまってはいないだろうか。つまり、他人の感想を重視するあまり、自分の意見によって他人の価値観を変えることを恐れている。
だが、何かを主張するということは他人に影響を与えるということだ。他人の価値観を揺さぶりたくない、敵を作りたくないなんてモチベーションでアウトプットを行なっても、誰にも届かないではないか。
逆に、影響力の強い意見に対する当たりが強くなっているのが現代である。自らの価値観を絶対視するあまり、それに違うものへの攻撃が盛んに行われている。無思考に批判するだけの人もいれば、それをうまく利用するインフルエンサーも現れてきた。
8章
自由意志が無いとしたらぼくがホモデウスを欲しいと思った理由はどこからやってきたのか。権威?ベストセラーだという社会的証明?自分が歴史学科だから?だったらなんで歴史を学びたいと思った?欲求に従うことを自由意志と言うが、欲求を選ぶことはできないとは恐ろしい発想だ。
そもそもぼくらが自由意志と呼んでいるものは、ダニエルカーネマンの言う「記憶する自己」である。人は過去について語るとき、象徴的な瞬間と最後の瞬間の記憶しか持ち合わせていない。一瞬一瞬の経験は無かったことになるのだ。そうであるならば、揺るぎない一つの「私」というものは存在するだろうか?
ちなみにちょうど同時進行で「ファストアンドスロー 」を読んでいてこの話が出てきた時は感動した。壮大な伏線が回収されるのを目の当たりにした気分だ。 -
・現代の世界は、成長を至高の価値として掲げている。
・たとえ現状で十分満足しているときでさえ、更に上を目指して奮闘するべきなのだ。
・歴史を通して、求人市場は3つの部門に分かれていた。農業、工業、サービス業だ。
・人間が専門化し、得意な分野が非常に限られているので、AIに置き換えやすいのだ。
・人間が取り残されないためには、一生を通して学び続け、繰り返し自分を作り変えるしかなくなるだろう。
・人間の心や経験に関する科学研究の大半は、WEIRD社会の人々を対象に行われてきており、彼らは決して人類を代表するサンプルではない。
・データ至上主義という新宗教が信奉する至高の価値は「情報の流れ」だ。
・人間は「すべてのモノのインターネット」を創造するための単なる道具に過ぎない。 -
十分に発達した科学技術がホモサピエンスをネアンデルタール人の地位に追いやり、一握りの富裕層・エリート層から新たなホモ・デウスが誕生する。人間=プロセッサ論はダグラス・アダムスのようでもあり。データ至上主義への移行は従来のプライバシーや著作権の枠組みを無にし、感情や経験という人間的価値を否定するが、そのために必要な暫定的社会システムはどのようなものか。生物の進化の果てがデータ化であるならば、それが、異星人が見つからない理由なのか。
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今まで読んだ本全部の中でもトップ10の面白さ、特に下巻の凄まじさたるや。
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少し前の本だけど、その分書かれている未来の可能性の1つが近付いている感じがより現実味を帯びているように感じる面もあった。
人間を人間たらしめているものは何か、とか、人間として生きていくとはどういうことか、とかちょっと考えちゃう。書かれている未来は全然突飛には感じられず、確度高くそうなりそうに思えるくらい。私が、この頃特に今の現実世界を生きていくの居心地悪い・息苦しく感じることが増えたんだけど、それってこの未来の可能性に向かって進んでいる過程がしんどく感じるからなんだろうな。
現代生きてくの、ほんとに人生ハードモードすぎる....と遠い気持ちにもなっちゃうのに、面白く読めたのが作品としてすごいと思った。