寝ても覚めても (河出文庫 し 6-7)

著者 :
  • 河出書房新社
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本棚登録 : 384
感想 : 52
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  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309412931

感想・レビュー・書評

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  • なんだかよく分からず読むのに時間がかかってしまった。

    朝子も麦も何考えてるのか、考えてないのかよくわからん。関西弁の会話も馴染みがないからか、どの登場人物にも親近感がわかず、途中から苦痛だった。電車の中で読んだら頭痛くなった。

    唐田エリカさんは朝子にあってるかも。
    普通ぽくて、地味で、だけどなぜか彼氏が途切れなそうな。そして突拍子もない決断をしてくれそうな。

  • 途中で読むのやめた

  • なかなか読めずに積まれていた一冊。
    うーん、私には、この主人公の女性の考えていることはよくわからなかったし、最後もよくかわらなかった。

  • 好きな男が突然目の前から姿を消したら。
    そりゃ、探すわな。ちょっとしたことを必死で思い出して。
    次に好きになった男はその彼に似ていた。似ているのか? 似ているように感じるのか?
    好みはそう大きく変わらないということか、前の彼を忘れられないということか……。
    好みはそう変わらない、かな。
    映画になってるのね、知らなかった。

  • 見たものを描く感じとその文体が心地よい。カメラやテレビの越境は冒頭の雨から。でもちょっとそういうのが多いので疲れた。

  •  映画館で「寝ても覚めても」という作品の予告編を観て、まず原作を読み直そうと思って、読みなおした。

    《この場所の全体が雲の影に入っていた。

    厚い雲の下に、街があった。海との境目は埋め立て地に工場が並び、そこから広がる街には建物がびっしり建っていた。建物の隙間に延びる道路には車が走っていて、あまりにもなめらかに動いているからスローモーションのようだった。その全体が、巨大な曇りの日だった。だけど、街を歩いている人たちにとっては、ただの曇りの日だった。

    今は、雲と地面の中間にいる。

    四月だった。》

    《雨宿りしていたカラスが飛び立った。わたしが見上げるのよりも速いスピードで上昇し、数秒で二十メートルの高さに達した。建物から出てきた人たちが、最初に出会った人に大雨と突風のことを話す姿が、小さな黒い点のようになって、あっちにもこっちにも見えた。どこまでも埋め尽くす建物の屋根や屋上は濡れて、街の全体が水浸しになったように鈍く光っていた。

    積乱雲は北へ移動し、西にはもう雲の隙間ができた。隙間はどんどん大きくなり、やがて街を越えて海まで雲のない場所が広がっていった。》

    文庫本で312ページある。7ページが最初だから、305ページの小説の冒頭と結末に置かれたフレーズを引用した。二つのフレーズはあたかも描きつづけられた同じシーンのようによく似ている。

    引用部分を語っているのは泉谷朝子、通称「アサちゃん・サーちゃん」。大学を出て、働き始めたばかりで、二十歳すぎだった女性が三十歳を越えるまでの十年間を一人称で語り続ける。

    一人称で語るということの特徴は何か。

    「私」は「私」がいない場所については語れない。主人公がいつもカメラを持っていることは象徴的かもしれない。小説の舞台で起こる出来事はすべて「私」の目と耳で体験した出来事だということだ。

    こう書くと、「なんと不自由な」と思う人もいるかもしれないが、教科書でおなじみの「こころ」(教科書引用部分)も「舞姫」も「富岳百景」もすべて一人称小説だ。この国の近代文学はここから「私小説」というジャンルを生み出してきたが、柴崎はその文体を踏襲している。しかし、「私小説」ではない、語り手が一人称の「私」で、かつ、カメラを持った「私」であることが、結末に至るまで変わらないだけだ。これが、一つ目の特徴だ。

    二つ目の特徴は接続詞。この主人公の「語り」には文章語として使われる「しかし」・「なぜなら」といった接続詞がほとんど使われない。接続詞は描写対象を意識が文脈として整理するためのツールだと考えると、この「私」は文字通り世界をそのまま受け入れてきたことになる。その世界とは、一つ目の特徴が示す通り、「私」が見たり、聞いたり、感じたり、考えあたりすることが出来る世界であって、決して超越的な、つまり「私」が不在であっても勝手に動きだしたり、「私」を外側からとらえて裁断したりする世界ではない。こうした世界観は幼児的だと言える。この小説の文章としての印象は実際、幼児的、子供的だ。

    しかし、例えば「つまり」を使うことによって、あらかじめ世界を文脈的に理解し始めて以来、ぼくたちは何かを失ってはいないだろうか。

    それにこたえる三つ目の特徴が時制だ。一つ目の引用に「今」という言葉がある。残りが、普通の過去時制で語られている中の現在形の「今」はいったいいつ、どこなのだろう。これも幼児的時制の混乱として読むことが出来ないわけではない。そうだろうか。

    語り手の「今」が、歴史的現在、過去のその時である「今」とすり替わることを、作家は企んでいないだろうか。

    ぼくは「ショートカット」について、「今このとき」が書かれている小説といったが、この小説では十年の歳月を「今このとき」のありさまとして描くことで、何かを越えて見せたのではないか。そこに、この作品の輝きがないだろうか。

    文庫解説の豊崎由美はこういっている。

    《ラスト三十ページの展開がもたらす驚きとおぞましさは超ド級。何回読み返してもそのたびに目がテンになる朝子の恐ろしいまでのエゴイストぶりは、読者をして「もう二度と恋なんてしない」と震撼させるほどの破壊力を持っているのだ。》

    引用前後の文脈を読めば、どうも、褒めているらしいが、「語り」続ける朝子に対する「エゴイスト」という、評言は当たっていないし、つまらない。

    「今このとき」の「私」を「私」が見えるものを手掛かりにして語り続け、支え続けようとする生き方を、ぼくは「恐ろしいエゴイズム」だとは思わない。むしろエゴイズムを越えたところにこそある、一回限りの存在のあらわさ、「私」以外の誰でもない「私」のあられもなさというものではないだろうか。

    そして、それは人のありさまとして限りなく美しい。

    そんなことは、気に入らなければ泣き叫ぶ赤ん坊を見ていれば、誰にだってわかることだ。
    (S)

  • 途中までは割と淡々と流れているわけですよ。ちょっと変かも?って思う瞬間もあるけども、それはまぁ、100年前には犬に服なんて着せなかったけど今は着せてるのを見てもまぁ慣れたかなぁ、
    程度の変かも感ですよ。

    ただ、ちょっと変と狂気との境界線は甚だグレイであって、じわじわと狂っていく感はある意味ホラーであって、女性はおおむね狂気を抱えていて、常時爆発するのが2割、潜在的な活火山は日本の山の中の火山の割合程度には存在していて、富士山がいつ噴火するか分からない程度にいつ狂気が暴走するか分からないわけで、そんなことみんな知ってるんだけども、実際に噴火したらマジやばいという事を教えてくれるわけです。

    そして亮平くんの態度も分かりすぎるくらいで、火山灰が降り積もった畑を孤独に耕していく農家の人みたいな素朴な力強さを感じるわけですよ。テレビのインタビューで、仕方ないですよって、寂しく笑ってるやつね。

  • 主人公・朝子のとった行動が非難されるのはよく分かるのだけど、朝子に猛烈にシンパシーを感じる自分がいる。
    元恋人を想い続けるうちに自分の頭の中で確立させてしまったその人の像が他人からしたら全くの別人なのに自分にとっては紛うことなき元恋人そのものであるということ、
    全てを手放してでも選んだのに、ほんのふとしたきっかけで目が覚めてしまうこと、
    他人からしたらハチャメチャな女なのだけど朝子の中では何の論理の破綻もないだろうこと、なぜだかすごくよく分かる。
    当然の感情の流れに従って行動したまでである朝子が危うくて静かに狂っているのは分かるのだけど、朝子は自分が変だとは全く思ってないし、私も朝子と同じことをするのではないかと思ってしまった。

  • 評価は真っ二つに分かれそう。
    小説の読み方によってはおもしろく感じられるところもあるのかもしれないけど。。少なくとも,ストーリーに没頭したいとか登場人物の心情に添いたいという読み方では先に進めない難しい小説だった。

  • 何とも言えない読後感が残る。主人公目線で見える世界は、実はとても歪んでいるのに、それが読者に分からないと言う事だろうか。

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著者プロフィール

柴崎 友香(しばさき・ともか):1973年大阪生まれ。2000年に第一作『きょうのできごと』を上梓(2004年に映画化)。2007年に『その街の今は』で藝術選奨文部科学大臣新人賞、織田作之助賞大賞、咲くやこの花賞、2010年に『寝ても覚めても』で野間文芸新人賞(2018年に映画化)、2014年『春の庭』で芥川賞を受賞。他の小説作品に『続きと始まり』『待ち遠しい』『千の扉』『パノララ』『わたしがいなかった街で』『ビリジアン』『虹色と幸運』、エッセイに『大阪』(岸政彦との共著)『よう知らんけど日記』など著書多数。

「2024年 『百年と一日』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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