我が心は石にあらず (河出文庫 た 13-19)

著者 :
  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (427ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309415567

感想・レビュー・書評

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  •  労働組合の内在的論理を知りたいと思い、本書を手に取った。著者の高橋和巳は中国文学者である一方、現代社会の様々な問題についても発言し、全共闘世代から支持を受けた人物だ。大学闘争の最中に学生側を支持し、京都大学文学部助教授を辞職したことで有名だ。

    【あらすじ】
     主人公の信藤誠は、地方都市で石灰岩採掘夫の子として貧しい社宅で育った。この地方都市からの脱出が青年期の夢だった信藤は、市の商工会議所から貧窮家庭の優秀者へ与えられる奨学金をもらって東京へ進学、学徒出陣を経て大学を卒業した。特攻隊という、のべつまくなしの死との対面から解放されて帰還した信藤は、生き残ったという譴責感から、戦後の学生生活の中で「観念」(信藤は自分が有する左翼思想をいつもこのように表現する)を身につけた。そして、エリートとして優遇されるだろうという打算と、この「観念」を生まれ故郷で実験してみたいという理想を抱いて故郷へ帰ってくる。もっとも、元来これらは共存不可能な志向だが、信藤はその矛盾に自身なら耐えうると考えた。
     生まれ育った都市において、信藤は宮崎精機で技師、研究者として勤める傍ら、この都市の労働組合連絡協議会の理論的指導者として活動する。信藤はエリート意識が非常に強く、自らも認める出世主義の人物だ。他方、組合活動においては、戦後のばらばらだった組織をまとめあげ、さらに他の企業の組合との連合形態をも作り上げることに成功し、大きな自負を抱くこととなる。技術者と組合幹部という二足の草鞋を履きながら、世代を超えた奨学生の会である「銅の会」においてもその中心人物となる。
     しかし、泰平の時代へと移りゆくなかで、信藤は初期の情熱を失い、名状しがたい不安感にとらわれるようになっていく。そして、妻子がある身にかかわらず、噂高い地方都市において、人目を避けては同じ奨学生出身者の久米洋子と逢瀬を重ねるようになる。かつて特攻隊員だったとき、信藤は巨大な流れに身をゆだねるしか方法がなく、あらがってみてもどうにもならないという諦念の感情を抱いたが、そのときと同じように、諦めの意識を感じながらこの意識にあらがうことなく掟を破る。そして、久米に執着した。それにもかかわらず、家庭を破壊するつもりはなく、これまでの生活の形態を何一つ変えるつもりはなかった。このような自身の態度が、信藤には、社会構造の根本的な改変を夢想しながら、現に激しい闘争がはじまれば周章狼狽するだろう自分自身を予告しているように感じられ、自信を失うこととなった。
     やがて、久米は妊娠する。このことを聞いた信藤は、逃げ道がなくなったと意識するとともに、久米の声も聞かず、不意に激昂し、全く抽象的な憤激にかられる。すなわち、信藤の中で危険な破滅への意志が蘇り、平和に馴れ、あたかも巨万の富を抱き得ているかのように錯覚している人間たちの精神を根こそぎ震撼せしめるべく、今まで逡巡してきた一切のことを、七、八カ月の間に解決しようと決心をした。その後、信藤は久米に対する感情が急速に冷却し、流血を伴う激しい組合闘争に自ら中心となって突き進む。
     この組合闘争は、信藤の無残な敗北により終わった。しかし、信藤は妻子ある生活人として、争議の失敗に心中して破滅するわけにはいかないと考える。そして、戦いに敗れたのではなく、家庭における平和に勝てなかったのだと考える。久米との関係に関しても、もう終わったのだということをはっきりと実感し、家庭へと戻っていくのだった。

    【感想】
     本書は少し古いものだが労働組合の生態がよくわかるものだった。すなわち、日常のオルグ活動から選挙運動、ストライキの実行に加え、組合内部での内ゲバや暴力団の介入、共産党員の裏切り、第二組合の結成などがリアルに描かれる。思想的には、主人公の信藤誠は平和革命の観念を胸に、地方都市において地方自治体に代わりうるものとして労働組合の自由連合を作り上げ、いわば地域全体のソビエト化のようなことを図っている。
     本書は男の身勝手を正当化した不倫物語である。信藤はその場の情熱に身を任せて久米洋子と男女関係になり、それを特攻隊員の運命に抗わない諦めの感情になぞらえて正当化する。本来、自分の意志で陥る不倫と国家により送り出された特攻隊とでは、その性格が全く異なる問題のはずだ。信藤は久米が妊娠しても、抽象的な憤激にかられるばかりできちんと久米と向き合おうとはしない。自分が久米を別人のように変えてしまったことについてもその自覚がまるでない。本書の主人公は、このような自己中心的で無責任体質な男だ。
     信藤はこうした私生活での問題から目を逸らせ、激しい組合闘争を展開する。そして、闘争の激化に耐えられなくなり、地域連合の委員長も会社も辞めてしまう。
     本書の著者を支持した全共闘世代といわれる人の中には、学生運動をして散々暴れまわり、その社会的制裁を受けることもなく資本主義を象徴する大企業の重役になっている者が数多くいるといわれる。信藤にいわせると、「すべての思想は極限にまでおしすすめれば必ず、その思想を実践する人間に破滅をもたらす」こととなり、「革命を説きながら破滅しないですんでいる、すべての人間はハッタリだ」ということなので、そうした者の思想はハッタリの革命論に過ぎなかったということになるのだろう。そして、その姿にはどこか本書の主人公と相通じるものが感じられる。
     なお、佐藤優は本書に関して、組合運動や不倫で疲れ果てても、戻ることができる家庭さえあればあとは何とかなる、という生活保守主義が端的に現れていると指摘している。

  • エリート技術者の転落と志を貫く困難を描いた一作。

    60年代の政治の季節。労働組合を率い地域連合組織を作ろうと奔走する信藤誠は、県下有数の宮崎精機のエリート技術者であると同時に学徒兵として特攻隊員だった過去がある。
    大義に死ねなかった譴責感と虚無を抱えたまま企業人として働き、科学的無政府主義というおよそ実現不可能な理想のため組合を率いる信藤の内面は常に矛盾を抱えている。
    労働者のための組合の闘士と謳いつつ、奨学金受給者で作られる銅の会の一員としてエリートとしての誉れを胸に秘める地方都市の特権層でもある。
    加えて宮崎精機創業者の息子(副社長)と大学の同窓生であり、いずれ社長になればブレーンとして経営幹部になってくれと直々に同窓生に頼まれる境遇にいる。しかも妻子ある家庭人だが、同じ組合員の久米洋子と不倫関係にある。

    創業者死去、副社長であった息子の新社長就任によって始められた経営刷新と人員整理と配置転換により会社と組合との対立は先鋭化する。会社の新方針に対する組合側の拒絶、従業員のストライキと事態は緊迫化。労働運動は街全体に飛び火し、会社と組合だけでなく地域連合の労組と地元企業の全面対決の様相を呈し、対立激化そして流血と街全体を巻き込んだ衝突が起きる。そのなか不倫相手の久米の妊娠がわかる・・。

    労働運動や政治闘争の記述はやや観念的であり、それを剥ぎ取ればただの碌でもない馬鹿インテリ技術者の陶酔と自己弁護と脆さを綴った内容といえばそれまでのストーリーだ。が、自らの志や理想を追いつつも、日常の生活やしがらみに絡み取られることはよくある。理想と現実との距離。論理と情との溝。その乖離に悩み葛藤することが人間の姿であるということを信藤を通して描きたかったのだろう。しかし、主人公の内面の苦悩を際立たせる女性の描きかたは、物語を形作るたんなる駒のようで(だからこそ高橋和巳は女を描けないと評される)、村上春樹や大江健三郎の小説のようにご都合主義を感じてしまった。

    最後まで読み通せたのはやはり高橋の文章だからであり、悲哀の情を詠った抒情的な文章と情景描写はインテリの脆さ醜ささえ美しく思えてしまう。

  • なんとも複雑な話し。主人公の私は特攻隊の生き残りで、生き残ったことに負い目のような感情を抱きつつ、家族を養うために生きる・働く義務を感じている。また、地方中堅メーカーの組合の代表として経営陣に対していながら、役員の椅子を提案され動揺している。妻や子があり、未婚の妹と一緒に暮らしながら、女性社員と浮気する。組合活動の限界を感じながら、正論の旗を下ろせない。人間が持つ両面性や矛盾の中で生きる男。最終的には、伏せていた秘密が暴かれ、課題が爆発し、どうにもならなくなってしまうが、そのことがかえって肩の荷を下ろしたような安堵につながる。これも矛盾。なんとも思いストーリーだが、共感できるところも多い。

  • 『自分の腐った臓腑をつかみだして投げつけるように、一切の矛盾を極限化し、人に目をそむけさせながら、人の志とはいかなるものか、精神とは何かをあかるみに出して破滅させてみせよう。

    すべての思想は極限までにおしすすめれば必ず、その思想を実践する人間に破滅をもたらす。革命を説きながら破滅しないですんでいる、すべての人間はハッタリだ。現代は組織の時代だとはいえ、一個の人間の阿修羅の憤激が、どれだけのことを為しうるか、組織ボケしている人間たちに示さねばならぬ。

    平和に馴れ、無一物でありながら、あたかも巨万の富を抱き得ているかのように錯覚し、何かを守らねばならないかのように錯覚している人間たちの精神を根こそぎ震撼せしめよう。そうだ、俺にはそれが出来る。いつかはそれをするためにこそ、地味な努力をはらってきたのであり、共感者の層をひろげてきたのだ。』

    名作。どのページを読んでも面白い。やはり、高橋和巳の作品は最高だ。

    それにしても、ハッタリだけの全共闘世代が引退した後に社会に対して責任を果たし、新しい社会を創っていくのは僕たちだ。そんな僕たちの〈観念〉と〈行動〉とは一体なんなんだろうか。それがどうしても分からない。

  •  主人公近藤誠の内にある論理と感情、この二つに葛藤している姿が本作品の特色であり魅力である。人間にはある種の欲望を抱き、ゆえに苦しむことが多々ある。近藤は労働組合を率いて企業等の闘争に明け暮れる一方で、自分の妻ではない赤の他人の女に恋心を抱き、しかも、その女との間で子供を授かってしまう。このような状態が物語の後半まで続いていくが、近藤は最終的に自分の妻と娘がいる家庭を選んで、小説は終了する。

  • 河出書房がせっせと文庫化している高橋和巳。代表作とされる『邪宗門』や『憂鬱なる党派』に比べると、さほど長いわけでもなく、取っつきやすいと思う。しかし暗さだけは拭い去れないw そこがいいのだがw
    しかしこの『インテリ』に対するある種の幻想というか、特権階級的な自己イメージというのは、当時、本当にあったものなのか、それとも、高橋和巳を呪いのように縛っていた思い込みに過ぎないのか、ちょっと気になる。
    このまま全作品が文庫で読めるようになるのか、それとも本書で一段落するのか……出来れば全て文庫で読めるようになって欲しい。

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