八本脚の蝶 (河出文庫 に 12-1)

著者 :
  • 河出書房新社
4.14
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本棚登録 : 1356
感想 : 75
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  • Amazon.co.jp ・本 (608ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309417332

感想・レビュー・書評

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  • 「これまでに一番多く読み返している本は?」
    と聞かれたら、この本です、と答える。
    タイトルとペンネームの独特なセンスに惹かれて内容は一切知らずに買ったこの本。
    二階堂奥歯、というある出版社の編集者だった彼女のウェブ上の日記を書籍化したのがこの本。
    今回絶版となった単行本が文庫化され発売される、と知り、単行本も持っているのに買ってしまった。
    おまけに彼女のそのサイトはいまだにウェブ上に存在していて、本の内容そのまま読む事ができるのにもかかわらず。

    フェミニズムとマゾヒズムという、相反するものを自分の中に抱えてて、それにどう折り合いをつけていくのか。
    自分というものを丸ごと明け渡したい。
    でも身勝手な女性性を押し付けられる事に対しては怒りを覚え抵抗する。
    文庫本の帯に歌人の穂村弘の言葉があった。
    「今こそ彼女の言葉が必要なのに」
    私も本当にそう思う。
    生きていれば彼女は40代になっていて、その年代になったからこその彼女の言葉を聞きたかった。
    もしかしたら若さゆえの苦悩から解放されて、本の中の研ぎ澄まされた彼女ではなくなっているのかも知れないけれど、それでも。




  • 約2年の日記。読み進めるごとに死が近づいてくる。死ぬ前数日の膨大な引用と死への渇望、あと何日であと何頁で著者の生は終わってしまうのかと思いながら読む。もちろんお会いしたこともない知らない人だけど、最初はコスメやファッションや好きなものを嬉々と語る様子もあったのに、だんだんと壊れていく様(それでも私が知れるのはブログに記されたごく一部分)に、そして最終的に救われることなく亡くなるという事実に、悲しくなる。著者が何に苦しんでいたかは知り得ないけど、死しか救いはなかったなんて悲しいじゃん。美化はしたくない。

  • 稀代の読書家でその容姿は乙女パワー全開だなんて、そんなのそれこそ全乙女の憧れじゃないですか。

    でもいかんせん三十代半ばの主婦が読むには時を逸した感がすごい。少し読むだけでもうお腹いっぱいに。
    世の中にはいくつになっても幻想文学を愛し続ける人もそりゃ沢山いるのでしょうが、私はここ数年サラリーマン小説や予備校講師の地理歴史本なんかを愛読してるので、もう響かないんだな…。膨大な書名が出て来るにも関わらず読みたいと思う本が全然ないの、ある意味すごい…。奥歯さんは池井戸潤なんて読まないんだろうな。マリみては読んでたけれど!
    それにしてもあと20年、いやあと15年前に読んでいたらもっともっと影響を受けたかもしれないと思うのでやっぱり本にも旬、読みどきがある。

    そしてやっぱり生き延びてほしかったという気持ちが強い。
    図太いおばさん編集者になって世に名作をどしどし送り出してほしかったな。驚くべき無数の読書経験がもたらしたものは25歳での自死なのかと思うと、本なんてそんなに読むもんじゃないのでは…なんて短絡的に考えてしまう。ホルモンバランスも落ち着いておばさんになった奥歯さんの日記読みたかったよ。いつまでもこの調子で書き綴っていたのかもしれないけれど。

    しかし雪雪さんという書店員、当時私と変わらない歳でこんなに繊細な手紙を書けるのすごい。皮肉ではなく。

    あと幼稚園入園前から貪るように読んだという本、気になる。早熟で漢字もかなり早くから読めたんだろうな。うちの息子は自分で文字を読む気が全くないもんな…。

  • 嫉妬と羨望の入り混じった眼差しで<彼女>を読みました。
    なんて幸福な人なんでしょう。でも、その幸福が彼女を自死へと導いた気もします。
    彼女が書籍から膨大な言葉を引用したように、2020年の私もまた、彼女の言葉を引用します。
    「読まれている私のように、読んでいるあなたもなすすべがないのでしょう。」

  • 自らの手で夭折した作者
    この日記に記載されている分野およびその内容の豊富さは年代の違いがあるかもしれないが、到底私の追いつくものではない。ついていけないというのが正直なところである。後半親御さんも心配されていることが「記憶」の中でわかった。自殺願望が解っていながら止めれれなかったのは余程のことなのだろう。生きておられれば40代半ば、多くの本を読み多くのメッセージを残したであろうと思うと残念である。もしかしたら、自分で本を書き始めたかもしれない。書かれた本を読んでみたいと思う。お墓は東北地方の山の上にあるとのこと、20年以上経ちますがご冥福をお祈りいたします。

  • 感想書くにも軽々しく書くことができない…。
    二階堂奥歯さんの心境やこの本の執筆にかかる想いと人生を終わらせるまでの道。

    同感はできないが、こういう生き方と考え方は出来ない。こういう考え方をもっていた方は亡くなって立証された。

    過去もこれから先も二度と出ない本だろう。

  • 祝文庫化。ハードカバーが出た時はタイトルに惹かれつつなんとなく見送った。古書価が高騰していたとは知らなかった。
    ハードカバーはポプラ社だったのね。なぜ文庫版は河出書房新社なんだろう。

    概要は文庫版が出てようやくチェックして知ったくらいだから、色々衝撃的だった。まずWEB上の日記が本になっているという事実。今もサイトは残っているのだからオリジナルは読めるのに、こうしてまとめられて本になっていると、ある種異様な存在感を覚えてしまう。印税は遺族にいくのかなとか、出版社の枠はURLより硬く苦しい気がするなとか、読んでいてちょっと後ろめたい気持ちもある。日記の主が自分と同じ時代に実在しただけになおさら。
    総じて、純粋で、真剣に生きていた人だったんだなという認識。豊かな感受性、指向性の精神と行動力がうかがえる趣味嗜好、「物欲乙女」の足跡と読書遍歴が眩しく、魂の悲哀は高く澄んで明るい。当人を知らない身からすると、一番近い感慨は中野翠のそれなのだけど。
    目を閉じるということが下手な人だったのかもしれない。自分が自分を見る目さえ、悪意ある人に歪められたものかもしれないのに。

    「記憶――あの日、彼女と」と合わせるとまた別の面白さがある。彼らが会って読んだ生身の著者。回顧録よりむしろ怪談のような。日記ではまるで風景の中に著者ひとりがぽつんといるような感じだったのが、実際には恋人との(もしかしたら賑やかな)道行きだったとわかったり。

  • 惹き込まれてしまう、死への希望、生への絶望、その全てがこの人の日記から溢れ出ていて、
    生きている意味、そのものが分からなくなった。

    わからない、みんながなんで生きることを選んでいるのか、本当にわからない、そしてわたしも。

    生きることを選んでいる、というよりか、
    生きることを忘れている、が正しいのかな。

    この人は、忘れることができなかったんだろう。
    死を選ぶことと、生きることを忘れること。
    そこにどんな差異があるのだろうか、
    実存的なのは前者なのではないか。

    でも、どうしても、
    生きることを忘れてしまっています、二階堂さん。
    そっちの世界はたのしいですか、

  • 大学生の頃に先輩が自死を選んでから、いつも街を歩きながら、今ここを行き交っている人々は皆親しい誰かが自殺した経験を抱えて生きているのだろうかと考え続けながら生きている。
    たまに、街頭インタビューのように、あなたの身の回りに自殺した人はいますか、と聞きたくなるのだが、まだ実行したことはない。

    本書は、25歳で命を絶った女性編集者、二階堂奥歯さんのブログを書籍にまとめたもの。

    その類い稀ない知性や価値観、膨大な読書量から紡がれる独自の哲学に尊敬の念を抱きつつ、
    では彼女が自他共に作り上げた象徴的な「乙女」「少女」ではなく、見た目にも凡庸な人間であったなら、仮に同種の哲学を語ったとして、これほどまでに人々の心を惹きつけたであろうか、とも考えてしまった。

    彼女とその死が偶像的に今も語り継がれ記憶されているのは、緻密に記されたブランド名やファッションへのこだわりから、ビジュアルなしにも想像できるカリスマ的な肉体があってこそではなかったか。

    その点において、卑屈な言い方をするならば、死すら平等ではないのだと、死に遅れてしまった凡俗の一人として思う。きっと誰だって死にたかったし、死にたい。ただ、このように美しく死ぬことはできないだろうと思う。

    (彼女とほぼ同じ歳で命を絶った知人が、非常に似通った哲学と知性の持ち主であったにもかかわらず、世の中についぞ知られないまま、不在の十年が終わろうとしていることを思う。)

    とはいえ、その透徹した現実への眼差しと、美しい言葉の数々が、彼女の生と死がこんなにも激しく儚く煌めいて見せていることは確かだ。

    「一年後も、三年後も、そして十年後もこの道は存在し私はそこを歩くのかもしれないと思うほど今日の空は晴れている。二十年前にこの道を歩いた時、いつかそう思ったことを思い出すだろうと思ったように、二十年後、私は今日そう思ったことを思い出すかもしれない。
    いつかこの瞬間を思い出すと思ったたくさんの瞬間があったことを私は覚えている。何年か前の自分からの置き手紙のように景色を読むことを私は知っている。
    きっと覚えていない動揺の瞬間はもっとずっと多かったはずだ。だからこの水色のフェンスや、川の水面に現れた小さな渦も、意味を取り損ねているだけで目印かもしれない。
    そうして読み取りながら歩く景色に、今日また私は目印をつける。それを私は何年後まで読むことができるだろうかと思いながら。」

    お話の中でたびたび引用される書店員「雪雪さん」の文章もとても印象的。

    「希望の入り込む余地のない場所に、介入できるのは暴力だけだ。ぼくたちの力ではない力だけだ。正面から雄々しく戦ってはならない。負けろ。
    あなたはどうしてそんなに、嘘をつくのが下手なんだろう。
    じぶんの魂に誠実であってはならない。」

  • 圧倒的なまでに凝縮された情報量。
    感受性と知性の宝庫。猛毒、劇薬。

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著者プロフィール

1977年生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科卒業。編集者。2003年4月、26歳の誕生日を目前に自らの意志でこの世を去る。亡くなる直前まで更新されたサイト「八本脚の蝶」は現在も存続している。

「2020年 『八本脚の蝶』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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