- Amazon.co.jp ・本 (221ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309460925
感想・レビュー・書評
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複雑な家族関係のフランス人少女が中国人青年の愛人だった頃を老年になり回想する話でした。
白色人種が東洋人の愛人になると言うある意味スキャンダラスな関係、青年の気弱さ、主人公の家族の異質さ等々の色々な物事が混ざり、更に当時の出来事とその後の出来事が順不同で述べられるので読むのがやや疲れました…。
自分の過去を冷静な視線で見つめるような硬質な文章は何度も読み返してこそじわじわと味が出てくるのだろうな、と感じました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
映画では唐突に思えたところが補完されて満足した。
デュラスのほかの作品も読んでみたい。 -
フランス人がベトナム人を見る、あるいは中国人を見るという視点がわかる本である。現在ならば差別小説になってしまうであろう。
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再々々…読。私が生涯付き合うことになるであろう1冊。とはいえ筆者の脳内のフラッシュバックのように、時代も場面も異なる描写がランダムに出てきて読みづらい。それでも冒頭の「18歳で私は年老いた」からの印象的な数行と、少女がフランスに帰国するために乗った船を桟橋のリムジンが見送る場面からラストの数ページを読みたいがために、それ以外の難解というか面倒な言い回しに耐えている感じ。特に最後の数行のパラグラフが最高に好きで、それを再び読むために何度も読み返す。私にとってはこのラストを読むためだけにある1冊とも言えそう。
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映像(イマージュ)という言葉が何度も出てくる通り、とても映像的な作品でした。正直、1度読んだだけで理解したとは思えないけれど、行った事もないサイゴンの街並みと、小説世界のけだるく倦んだ空気を感じたような気がします。
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18歳のときの顔写真を表紙に、15~7歳あたりの日々を回想しつつ書き記された一冊。18歳の彼女は確かに美しいがどことなく不気味である。「18歳で私は年老いた」という述懐があるが、この写真は年老いた前なのか後なのか、恐らくここが境なのだろう。とはいえ、老いたというのは傍目に映じるものではなくて、彼女の中で何かしら決定的なものがあったのだろう。決定的なこと、それは、表面的には、「愛人」との別離であろうか?白人である彼女は仏領インドシナで暮らしていた時代があったのである。17歳でフランスに行くまで、彼女はインドシナで過ごした。彼女からして彼女の家族はすっかり破綻していた。父親は死に、母親は気が狂っていた。おまけに彼女は、「性的快楽」を知らなかった、だから、逆に彼女は性的快楽を知る必要性に駆られたように思われる。また、上の兄は、放蕩者でお金ばかりを湯水のように使い切ってしまう人間であったが母親の偏執的な愛を受けてもいた。下の兄は、痩せ細り気が弱かったようである。上の兄に、彼は脅かされ、上の兄の特別扱いを目の当たりにして彼は生きた。だが、デュラスは上の兄を生理的に半ば拒絶し、下の兄を偏執的に愛した。といった具合に、彼女の家族の中でまともな人間はある意味いなかった。加えて、彼らの生活は非常に苦しいものがあった。父親が死に、稼ぎ頭を失い、母親も舵取りに失敗し、一家は物を売ることで日々を凌ぎながら生きていたのである。植民地で生活する彼らは、白人であるという特権意識と貧困との間で、矜持を歪ませてしまったのだろう。
という、前提があった上で、デュラスは華僑の青年と身体を擦り合わせた。といっても、青年も、実際は父親が金持ちなだけで、彼自体は留学していたものの、落第気味なので強制的にインドシナへと帰された身で、現実から逃避するためにセックスばかりしていたようである。そうした彼はある意味で不可思議な魅力を放っていたのだろう。特に、デュラスからしてみれば、「セックスのために生きている」と思われるほどに、彼はセックスがうまくそのことをデュラスはついていると感じたのである。彼女の小さな乳房に彼は噛みつき、巧みに指を彼女の孔へと差し込む。彼女は快楽に咽び、彼からお金を得た。つまるところ、彼はパトロンだったのである。やがて彼は公認的な存在となる。だが、それは婚約者のようなものではなくて、彼女に惚れて彼女に尽くすパトロンとして、であり、それも、卑しいパトロンとして、である。ねじくれた白人意識によって彼女の家族は彼を下僕みたいに扱おうとする。繊細な彼は不満を抱きながらも爆発することはできずに、そう、惚れた弱みで彼女に尽くし続ける。彼女は彼の黒塗りのリムジンに迎えられ、セックスをしてはこっそりと夜中にでも寮に帰ってくる。17歳のデュラスは本国に行くことになり、それが彼らの別れとなる。彼らは別れる。彼女は白人である彼女は彼を愛してはいけなかったが、彼から離れて彼女は彼を愛していたような気になる、いや、愛していたという気持ちを受け容れることが可能となる。彼と一緒にいるときはそれを受け容れてはいけなかった、あくまで、彼の肉体とお金だけを愛していなければならなかった。やがて、時が流れ、彼が妻を連れてフランスに出てきたときに、電話がかかってくる。「僕はまだあなたを愛している」と、そして、彼女は彼のことを一度も忘れていないのである。
ストーリー中心でレビューをつけてしまったが、それは本作が伝記や私小説としての性格を持っているからであろうし、ただ、反面で彼女の多作品とのリンクが見られるらしい。訳者はひたすらそうしたあたりをプラスにとらえているが、自分からすると意味不明な描写が目立った、といった感じである。短めの、簡素な文が続く。役者は抒情的になりすぎたか?と書いていたが、確かにそのきらいはあるが、むしろ、それこそが本作の味とも言えると感じる。当時の彼女はすべてをわかっていたのだろう。簡素で断定的な言葉が連ねられ続ける。すべてを知っていた彼女は、彼の「愛人」になるのだということもやはり知っていた。母から放れることも知っていた、全てを知っていた彼女が、その特権的な力を失うまでの数年間が凝集された一作、というのが、本作の主軸なのかもしれない。 -
(再読)
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母によって粗末に扱われたデュラスが、中国人男性とのマゾキスティックな性愛関係にアディクトすることで、必死にうちなる悲しみをのりこえようとする様が痛々しい。またそこに、植民地における支配-被支配の脈絡が、性愛化されて現れていく。この関係性の輻輳を破綻なくまとめあげるデュラスの力量が堪能できる一冊。
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とにかく文章が魅力的。
作中には「川」がよく登場し、デュラスもそれは意図的なものだったようだが、この文体にも私は「川」を感じた。
流れるような、ときに歌うような、ときに小石にけつまづいて滞るも、すぐに走り出すような、奔放で流麗な言葉に魅せられた。
イマージュのさざめき。
きっと読むたびに豊潤な味わいを感じさせてくれるであろう、深みのある作品。