- Amazon.co.jp ・本 (170ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309462271
作品紹介・あらすじ
二十世紀最大の思想家・文学者のひとりであるバタイユの衝撃に満ちた処女小説。一九二八年にオーシュ卿という匿名で地下出版された当時の初版で読む危険なエロティシズムの極北。恐るべきバタイユ思想の根底。
感想・レビュー・書評
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性倒錯の極地。エロスとタナトスを一緒くたにし過ぎするとこうなるのですね。どう足掻いてもこんなイカれた小説は普通の人には書けない。タイトルは絶対に「目玉の話」でなく、「眼球譚」が良い。
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お、おう…。嫌悪と魅惑が同居する久しぶりの感覚を味わった。一度通読しただけだが、今すぐにもう一度ページをパラパラめくってこの物語を振り返る気分にはなれない。まさに暴力的なまでの性描写、理解を拒む放蕩の世界がそこにあったとだけ記しておこう。
バタイユが生きた時代と現代の私たちが常識的に持ち合わせている倫理観や性的な常識というものはそこそこ異なっていると思う。しかし、この中にある性は二部で著者が語ったようにその時代でさえ憚られるような妄想が体を成した代物であって、まともに読もうとすれば脳が焼ききれるような、そんな一冊であった。
陶酔的祝祭、訳者があとがきに残していたことばがしっくり来た。 -
オーシュ卿名義で匿名出版されたバタイユの処女小説とのことです。
エロティシズムと死というバタイユ思想のエッセンスが詰まった作品ではないでしょうか。
玉子、眼玉、牛の睾丸といった球体の象徴するところがなんなのかは第二部や解説を読むと腹落ちします。
女性器と玉子というと大島渚の愛のコリーダが浮かびますが、少なからず影響を受けているのかも。
バタイユの本人談でロード・オーシュ(オーシュ卿)の由来が語られています。
友人の立腹時の口癖が、雪隠へ失せな!(オー・シユオット!)で彼は略してオーシュと言うことに関連していると。
ロードは英語で「主なる神」、ロード・オーシュとは「便所にしゃがんだ神」でいわば「便所神」である。
なんたる瀆神!
本書は小説というより思想書として読む方がよい気がします。 -
エログロの極みか。
含意はよくわからないが、読み進めるのが結構辛い。
改めて読み直そうと思う。 -
16歳の私とシモーヌの理性崩壊と狂気の物語は当時の理性重視の西欧社会に対する批判の書であった。エロティシズムを語る人もいるがそれは手段でしかない。反理性主義、本能を重視し人間の生の本来の目的は非生産的消費であると考えたバタイユがその思想を伝えるのに最も的確で反理性的なものがエロティシズムなのだ。バタイユの球体幻想となる眼球への執着は厳格な神父で盲人だった父親が晩年狂って支離滅裂になったときの理性崩壊を父の白目だけの眼に象徴として捉え、睾丸や尻、玉子といったものへと連鎖させ、嫌悪感と性的興奮が同居する〈相反するものは一つに重なる〉と考えたバタイユ思想を表現している。現代日本とは違う時代、文化の中で書かれた思想小説だから、それを考えずに読むとただのエログロ小説になる
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どこで眼球が作用してくるんだろうと思ったらそういうことかー......最後ちょっとだけ想像したらゾッとした。
作品単体で読むとエロスとタナトス的だな〜って感じるけど、解説とかバタイユの後序を読むとしっかり意味があったりモチーフがあったりしたんだなって合点がいく。 -
一回読んだらもういいけど、面白い。
球体フェチの話。 -
開始早々に性の悩みの告白、そこから尻で皿に座るだの、尻で玉子を割るだのマニアックな性癖が続き、普通の行為に興味ないのは流石バタイユ先生。闘牛あたりからは割と好き。そして第2部読むと一気に読了感変わる。本編のイメージとイメージの結びつきの解、何より壮絶な幼年期で興味深い。
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世の中で一番エロい本はどれだろうか?
ということを調べるためと称してあれこれ読んでいた時期があって。(若かったなぁ、あの頃は!)
クラスメイトからの情報に基づき、「家畜人ヤプー」「O嬢の物語」「毛皮を着たヴィーナス」「悪徳の栄え」そしてタイトルも忘れてしまったけど大量の『マドンナ文庫』『富士見ロマンス文庫』などなどを読んだ。
でも、それから数年して、なんの前情報も無く、単に題名に惹かれて読んだこの本が1番ガツンときた。
そんなことをここの某さんの本棚で見かけたこの本のタイトルを見て、鮮やかに思い出しました。ありがとう。 -
怪奇小説かと思って手に取ったところ、まさかの官能小説でビックリしました。でもとても艶やかでキャラクターの複雑な内情に、ウッとなります。
表現が想像しやすい言葉もあれば、難しい所も。
また数年後に読み返してみたい一冊です。