神曲 煉獄篇 (河出文庫 タ 2-2)

  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (509ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309463148

感想・レビュー・書評

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  • >詩行が独立して読むだけでは意味が通ぜず、興趣も湧
    かず、註釈が必要とされるような部分は、詩的作品としては欠陥作品というべきであろう。残念なことにこの種の傾向は煉獄篇末尾から天国篇全体を通じて強まる傾向にある。
    >君ら生きている人々はなにかというとすぐ原因を
    天のせいにする、まるで天球が万事を
    必然性により動かしているかのような口吻だ。
    仮にそうだとすれば、
    君ら人間の中には
    自由意志は滅んだことになり、善行が至福を
    悪行が呵責を受けるのは正義にもとることとなる。
    天球は君らの行為に始動は与えるが、
    万事がそれで動くのではない。仮にそうだとしても
    善悪を知る光や自由意志が君らには与えられている。
    そしてこの意志は初期の戦いでは
    天球の影響を受けて苦闘するが、もし意志の力が
    十分に養成されているならば、すべてに克てるはずだ。
    君らは自発的に、より大きな力、より良き性質に
    自由に服することができる。その性質が君らの中に
    もう天球が左右できないような智力を創り出す。
    だから、現在の世界が正道を踏み外しているとするなら、
    原因は君らの中にある。君らの中に求めるべきだ。(十六歌)
    >疲労困憊するなどと繰返して言いながら、私たちがここまで夢中になって『神曲』のなかを歩みつづけてこられたのは、結局は訳者平川祐弘の流麗明快で活気に満ちた訳文のみごとさによるものにほかならぬことに、あらためて気がつく
    平川先生の訳と注釈の頼もしさ、さながらダンテを導くウェルギリウス先生の如しなので解説めちゃくちゃ分かるになった。そしてあらすじ知るだけなら漫画でもいいかと思ったけどダンテ達と一緒に歩く読書“体験”が重要だったと思うから「『神曲』のなかを歩みつづけ」るという表現にも共感

  • 文学

  • 読了

    地獄で挫折すること度々だったので、煉獄自体が初めてで新鮮

    地獄のクライマックスはサタンですが、煉獄のクライマックスはベアトリーチェ

  • ダンテ著、平川祐弘訳『神曲 煉獄篇』河出文庫 読了。地獄めぐりに引き続く、七つの罪を浄化する煉獄山登頂の旅。煉獄の旅も地獄に劣らず厳しいが、罪がひとつずつ消滅するような爽快感があり、山頂には麗しい地上の楽園が待っている。ウェルギリウスとの離別は感慨深かった。天国の旅が待ち遠しい。
    2011/01/19

  • 地獄の次の煉獄篇。地獄の方が、おもしろかった。

  • 自分には難解だが、食らいついて読み通す。難しい!
    地獄よりは風景は明るくなってるが、絶望感は地獄に負けず劣らず。地獄にいる人はよっぽど悪いことしたんだろうなぁと。天国篇に進むのが怖い。

  • 2009年1月19日~20日。
     面白さからいったら地獄篇の方が上かも知れない。
     それでも、これは面白い。
     ベアトリーチェってのもかなり自惚れが強い女性だし、ダンテも案外傲慢で情けなくて、甘えん坊。
     キリスト教ってのもどうなの?
     結局は神の復讐の訳でしょ。
     なんて読み方はやはり邪道だろうか。

     訳者の平川氏の功績がやはり大きいと思う。
     この作品を盲目的に賛辞するのではなく、きちんと俯瞰してダメなところはダメ、首を傾げるところはおもいきり傾げる。
     そして懇切丁寧な注釈。
     大抵は注釈なんて斜め読みするんだけど、ここでの注釈は本当に役に立つ。
     痒いところにきちんと手が届くのだ。

  • 煉獄というのは、天国へ行く前に現世の罪を浄める場所。
    これはカトリックだけの教えのようです。
    プロテスタントには天国と地獄しかありません。

    ここも天国ではありませんから、地獄ほどではありませんが苦しみに悶えながら罪を償っています。
    本来罪を犯した人は地獄に行くのではないの?
    一度の罪で地獄に落とされ永遠に地獄で苦しみ続けなければならない人と、煉獄でゆっくりゆっくりと罪を浄めて天国へ入れる人のちがいがわかりません。

    だたし、どんな理由があろうとも罪を犯すのは結局本人の意思。
    “天球は君らの行為に始動は与えるが、
    万事がそれで動くのではない。仮にそうだとしても
    善悪を知る光や自由意志が君らには与えられている。”

    今話題の『沈黙』のテーマにも重なりますが、こんなことも。
    “ 至高の神よ、口にするのも畏れ多いが、
    神の正義の目はよそを向いておられるのか?
    それとも神の深謀遠慮は
    われわれの理解の及ばぬところで
    こうした禍を福に転じる用意を整えておられるのか?”

    “普通、正義を心に秘めている人は多いが、射るのは遅い、
    議を経ずには矢を弓につがえぬからだ。”
    議を経ないでやりたい放題の人、最近多いですね。

    一昨年読んだゼイディー・スミスの『ホワイト・ティース』の中に出てきた疑問
    “もし自分が神に許され楽園に行けたとしても、自分の足元に数え切れないほどの救われなかった人たちの屍があるとするのなら、それは本当に楽園と言えるのだろうか。”
    これに対する答えはまだ私の中にない。
    天国篇を読んで答えは出るだろうか。

    ダンテ以前とダンテ以後で大きく変わったと言われるヨーロッパの文学と美術。
    それほどの芸術のきらめきが天国篇では薄れて、宗教色が強くなるらしい。

    “詩行が独立して読むだけでは意味が通ぜず、興趣も湧かず、註釈が必要とされるような部分は、詩的作品としては欠陥作品というべきであろう。残念なことにこの種の傾向は煉獄篇末尾から天国篇全体を通じて強まる傾向にある。”
    と訳者が書いているのを読んで、日本では『神曲』を芸術作品として読んでいたのだと気がつく。
    てっきり宗教作品だとばかり…。
    だから明治の文豪たちがこぞって絶賛していたのか。今気がつきました。

  • 難しすぎてなにがなんだか...
    途中から心折れてあらすじの部分を一気読み。
    そっちの方がやっぱり分かりやすかった。
    またいつか読み返すつもり...

  • ダンテ(平川祐弘訳)『神曲』河出書房,2009(初版1966)
    全33歌。ダンテはウェリギリウスに導かれて、地獄からはいあがってきた。一応、煉獄は南半球にあるらしい。カトーに出迎えられ、船でついた魂たちと煉獄の山を目指す。煉獄(Purgatory)は古代にはなく、中世にできあがった概念らしい(ル・ゴフ『煉獄の誕生』未読)。ダンテによれば、死者の魂は現世で死ぬと、海を越えて、煉獄に運ばれてくる(この点、あの世を海の向こうと考える日本神話の一部とも共通していて、興味深い)。煉獄は死の前に神と和解した魂が、七つの大罪(高慢・嫉妬・怒り・怠惰・貪欲・大食らい・色欲)を清めるところで、ダンテは煉獄の入口で天使に七つのP(peccato:イタリア語の「罪」)を額に刻印され、煉獄の七重の山を上っていく。一つの罪をみるごとに天使にPを消してもらい、賛美歌が聞こえてきて、身が軽くなる。地獄は下りだが、煉獄は上りである。高慢の罪の魂は岩を負わされていたり、嫉妬の魂はただ座り込んでいたり、貪欲の罪は寝そべることを強いられていたり、色欲の魂は火で灼かれていたりする。興味深いのは「大食らい」の罪で、この罪を犯した魂は痩せこけている。ダンテは食物を摂る必要のない魂がどうして痩せこけるのかと疑問を発する。ここで、煉獄の浄罪を終えて旅を共にするスタティウスが答える。スタティウスは西暦50年前後の詩人で隠れキリスト教徒だったという設定、ウェリギリウスを尊敬している。彼の知識では、心臓の血から精液が生じ、「自然の器」(子宮)で血と結合し、生命がうまれるが、その脳を作るに及び、魂が生じる。魂は死んでも、その活動をやめず、生きていた時と同じく形成力によって霊魂の体をもつようになる。これを鏡が姿をうつす例で説明する。要するに死んでも体があるから、痩せこけるのである。この他にも水蒸気が冷やされて雨になるなどの気象学の知識も披露されている。
     ダンテとウェリギリウスとスタティウスは七つの大罪の浄めを通りぬけ、最後の炎を通り抜けると、頂上のエデンの園で、ベアトリーチェと再会する。ベアトリーチェはいきなりダンテを叱りつける。ダンテは9才のときに、ベアトリーチェとはじめて会い、18歳のときに再会、その後、ベアトリーチェは銀行家に嫁いで、25歳で死んだ。要するに初恋の人である。天国に上ったベアトリーチェは、ダンテが自分が死んだ後に他の女性にうつつを抜かし、身をもちくずして、このままでは地獄落ちになるのを心配して、ウェリギリウスに泣きついて、ダンテに地獄と煉獄をみせたのであった。ダンテは十年ぶりに会ったベアトリーチェから小学生のように叱られて声もでない。それでも、なんとか前非を悔い、マテルダに助けられて忘却の川レテで罪の記憶を洗いながし、ダンテはベアトリーチェとともに天に昇ることになる。
     要するに、35歳のいい年をした男が、初恋の人に子供のように叱られる話であるが、仏教でも観音さまは慈悲深い女性のようだし、なんか恋した人に叱られたい願望ってあるのかなと思う。
     ウェリギリウスは第30歌で静かに姿を消す。ベアトリーチェは結構自意識過剰。
     「私がその中にいた美しい肢体ほどお前の目を/喜ばせたものは自然にも人工にもありませんでした。/その肢体はいまは大地へ塵となって散りました。/私が死に、それで至上の喜びが脆くも失せたというのなら、/どうしてはかない現世のほかのものが/おまえの心を惹き得たのでしょうか。」

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著者プロフィール

1265年、フィレンツェ生まれ。西洋文学最大の詩人。政治活動に深くかかわり、1302年、政変に巻き込まれ祖国より永久追放され、以後、放浪の生活を送る。その間に、不滅の大古典『神曲』を完成。1321年没。著書に、『新生』『俗語論』『饗宴』 『帝政論』他。

「2018年 『神曲 地獄篇 第1歌~第17歌』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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