動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか

  • 紀伊國屋書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784314011495

感想・レビュー・書評

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  • 動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか

  • タイトルがすべてを言い当てている。
    人間だけが特別ということなどあり得ないではないか。動物進化認知学者である著者は霊長類の専門家だが、霊長類以外の動物たちの賢さについても等しく熱い思いをもって語る。

    [more]<blockquote>
    P24 ある種に特定の能力が見つけられなかった時、私たちはまず「何か見落とさなかったか?」と問うべきだ。そして次に「私たちの行ったテストはこの種に相応しいものだったか?」と自問すべきなのだ。

    P32 (エドワード・ソーンダイクの猫の実験は、一見すると知的な行動=檻を脱出することも試行錯誤による学習として説明できる証拠だと考えられたが、実は周りに人間がいないと身体を擦り付けるという行動を全くとらなかった)研究者はどんな動物をテストするときにも、前もってその動物の典型的行動を知っておく必要がある。動物は条件付けに依らない反応や、同じ種の成員全員に自然に発達する行動を多く見せる。

    P38 擬人観と人間性否認とは反比例のような関係にある。ある種が人間に近ければ近いほど、わたしたちがその種を理解するのを擬人観が助けてくれ、人間性否認の弊害が増す。逆にある種が人間から遠ければ遠いほど、擬人観は進化の過程で別個に出現したものに怪しげな類似性を提唱する危険が増す。【中略】肝心なのは、世間で思われているほど擬人観が問題含みであるとは限らない点だ。

    P45 ひたすら行動にだけ焦点を当てるからこそ行動主義にはその名がついたのだが、動物の行動は過去にどのような誘因を与えられたかに還元できる、という考え方は私には受け入れがたかった。それでは動物は受け身の存在になってしまうが、わたしにしてみれば、動物は自ら探し求めたり、望んだり、奮闘したりする生き物だった。

    P51 胃袋が空だと学習能力が向上するという仮定には首をかしげたくなる。オペラント条件付けに使われるスキナー箱は、食べ物という報酬の有効性を実証するには大変優れた装置であっても、複雑な行動の研究には適してないことを見て取ったからだ。

    P79 ラットは有毒な食物を与えられたとえ結果として吐き気を催すのが何時間も後であっても、たった一度ひどい目に合っただけでそのような食物を拒むことを学習するというのだ。そのうえ、不快な結果は吐き気でなければならず、電気ショックでは同じ効果があげられなかった。標準的な学習理論にとってはまさに青天の霹靂だった。行動と結果の間隔は短くてはならないが罰の種類は無関係だと想定されていたからだ。

    P205 模倣には報酬が必要であるという一般的な概念を突き崩す事例がある。「絆づくりと同一化に基づく観察学習」煎じ詰めれば、霊長類の社会的学習は所属したいという衝動に由来する。

    P210 科学は、ラットの肝臓あるいは人間の肝臓ではなく、肝臓そのものを理解しようと努めているのであり、この事実は動かし難い。あらゆる器官やプロセスは私たちの種よりもはるかに古く、膨大な歳月を重ねて進化し、それぞれの生き物に特有の改変が少しばかりなされてきた。進化とはそういうものだ。認知だけが例外のはずがないではないか。

    P221 (老獪なチンパンジーイェルーンの逸話)最も強力なプレーや胃は政治的協力者としては最も魅力がない場合が多いことになる。なぜなら強力なプレーヤーは特に他者を必要としておらず、他者は自分を指示して当然と思い取るに足らない存在として扱うからだ。イェルーンは(アルファオスに)味方しても得るものはほとんどなかっただろう。もっと賢い作戦は、イェルーンの助けなしでは勝てない相棒を選ぶことだ。イェルーンは自分の地位を利用して若いオスを支援してやることで影の権力者になった。

    P272 出来事についての正確な記憶は「エピソード記憶」として知られており、これは言語を必要とするため人間にしかないものだと長い間考えられてきたが、この見方はどうも怪しくなってきた。

    P283 類人猿は自発的に計画を立てる。彼らがやり遂げることは、他の多くの動物が来るべき出来事に備える方法とは全く異なる。リスの越冬準備は、実際の計画立案に基づいているとはいえそうもない。進化によって獲得された習性だ。

    P321 自己認識できるエリート集団は今や羽毛の生えた最初のメンバー(カササギ)を迎えるまでに拡大した。次なるフロンティアは動物が自己鏡映像を見て身を飾ると言えるほどに自分のことを気に掛けるかどうかという点だろう。鏡は虚栄心をそそるだろうか。

    P326 (タコ)この短命で孤独な生き物は、社会的組織と呼べるようなものを持たない。彼らはお互い友でも相棒でもない。社会的な絆と協力行動の欠如、そして共食いの習性のせいで、頭足類は私たちとは全く異質な存在となっている。

    P347 物事が目に入るためにはその存在を信じている必要があり、根深い不信の念を抱いていると、奇妙なことに証拠が無効になる。

    P354 認知か学習かという対比は、生まれか育ちかという対比に劣らず的外れだ。
    </blockquote>

  • タイトルから連想するものとは若干ずれてる。霊長類の認知に能力に関する最近の発見をまとめた、進化認知学の本。
    霊長類をメインに、多種多様な動物の自然下での観察、飼育下でのテストの様子が素人にもわかりやすく書かれている。

  • 著者が「私たちが目にしているのはありのままの自然ではなく、私たちの探求方法に対してあらわになっている自然にすぎない。」Werner Heisenberg(1958),p.26 と引用しているように、動物の知能を図る実験は人間の価値観に基づいていてはならない、というのは人間同士のコミュニケーションにおいても大切な心得だろう。

  •  研究者はどんな動物をテストするときにも、前もってその動物の典型的行動を知っておく必要がある。(p.32)

     飼育下でチンパンジーが道具を使うのが何度も観察されたあとでは、野生の世界でチンパンジーが道具を使うのを目にしても別に意外ではなかったかもしれないが、その発見はきわめて重大だった。それは、人間の影響のせいにできなかったからだ。そのうえ、チンパンジーは道具を使ったり作ったりするだけでなく、互いに学び合うので、世代を経るうちに道具を改良することができる。その結果は、動物園のチンパンジーで見られるどれよりも高度だ。(p.106)

     人間はは他者の言い訳に注意を向け、ボディランゲージは無視してしまうが、動物は違う。彼らにとっては、ボディランゲージこそが唯一の手がかりだからだ。彼らはボディランゲージを読み取る技能を毎日使い、その技能を洗練させ、手に取るように私たちの心を読むようになる。失語症病棟の患者たちについてオリヴァー・サックスが語った話が思い出される。彼らはロナルド・レーガン大統領の演説のテレビ中継の最中に、身悶えしながら笑いだした。失語症の人は言葉を言葉として理解できないので、表情とボディランゲージを通して話の内容を追う。彼らは非言語的な手がかりに一心に注意を向けているので、嘘に騙されることがない。その場に居合わせた他の人には大統領の演説はごく普通に見えたが、大統領は人を欺く言葉と声の調子を狡猾に織り込んでいたので、脳に損傷を負った人たちだけはそれを見抜けたのだとサックスは結論した。(pp.150-151)

     人類についての論理はそのままチンパンジーにも当てはまる。彼らも単独で近隣の群れの個体に攻撃を仕掛けることはほとんどない。そろそろ私たちも、チンパンジーの真の姿を認めるべきだ。集団内における揉め事を難なく抑え込める、集団行動に長けた存在だ、と。(p.257)

     もとを正せばすべては、「野生の」動物と「文明化された」人間という二分ほうに行き着く。野生であるとは、自制心がなく、正気ですらなく、抑制が効かないということだ。それに対して、文明化しているとは、礼儀をわきまえて抑制をきかせることであり、人間は自分にとって好都合な状況下でそれができる。人間の人間たる所以に関する議論の背後には、ほぼ必ずこの二分法が潜んでいる。だからこそ、人間が望ましくない振る舞いをすると、私たちはその人を「動物」呼ばわりするのだ。(p.292)

     すし職人の修業の実態がどのようなものであれ、肝心なのは、熟練したお手本を繰り返し観察すれば、見る者の頭には一連の動作がしっかり焼き付けられ、同じ作業を実行する必要が生じたときに、それが役に立つということだ。(p.339)

     私たちは自らの研究に生態学的な妥当性を求め、他の種を理解する手段として人間の共感能力を奨励したユクスキュル、ローレンツ、今西の助言に従っている。真の共感は、事故に焦点を合わせたものではなく他者志向だ。私たちは人間をあらゆるものの尺度とするのではなく、他の種をありのままの形で評価しなければならない。そうすることで、今の時点では人間の想像を超えるものも含め、必ずや多くの「魔法のイズム」が見つかるものと私は確信している。(pp.359-360)

  • ドゥ・ヴァール氏の本はとてもおもしろい。今回のテーマは「知能」で、専門の霊長類から鳥、イルカ、ハチ(顔認知)、タコの知能までが幅広く面白く書かれており、きちんと基礎となる研究の参考文献をあげており、いいかげんな「ポピュラー・サイエンス」の本ではない。

    この本の要旨は、知能は環境に適応する進化のなかでかたち作られ、人間の知能が最終形態ではなく、知能は動物にもきちんとあり、それはそれぞれの生態に特化した「知るべきことを知る」ものだということだろう。そして、これを記述していくのが、著者の提唱した「進化認知学」なんである。

    人間は自分たちを「万物の尺度」と考えてきた。動物行動学者もこれを脱していない場合があり、サルに人間の顔を見分けさせようとして成績が悪いと考えたり(チンパンジーにチンパンジーをみわけさせるとずっと成績がよい)、木の上に暮らすテナガザルに地面でものをたぐりよせる作業をやらせて、道具がつかえないと結論したり、ゾウの鼻に棒をもたせようとしたり(鼻孔がふさがるのでやりたがらない)と、いろいろと勘違いをしてきた。しかし、動物に共感して、その動物の生態に即した調べかたをすれば、動物にはすばらしい知能があるとわかるのである。

    20世紀はスキナーらの行動主義の影響で、動物の認知を扱うと異端だったのであるが、近年は動物の認知を堂々と語れるようになったそうである。「暗黒時代」は中世だけとは限らないのである。

    日本の今西錦司が提唱した「動物に文化がある」という理論も高く評価されている。

    第六章の社会的知能については、前著のくり返しの部分があるが、メタ認知(動物が何を知っているか自分で知っていること、とまどいや情報の補充の行動にみられる)のところは面白かった。

  • 門外漢なので一つ一つの話が初めて聞く話が多く非常に興味深かった。

    人間の病気、障がいなどの医療分野、人工知能分野など、生物の世界を知ることで人間をより深く知れるのではと期待が膨らむ名著である。

  • 『私たちは人間をあらゆるものの尺度とするのではなく、他の種をありのままのかたちで評価しなければならない』

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著者プロフィール

【著者】フランス・ドゥ・ヴァール(Frans de Waal)
1948年オランダ生まれ。エモリー大学心理学部教授、ヤーキーズ国立霊長類研究センターのリヴィング・リンクス・センター所長。霊長類の社会的知能研究における第一人者。2007年には「タイム」誌の「世界で最も影響力のある100人」の一人に選ばれた。米国科学アカデミー会員。邦訳された著書に『動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか』『道徳性の起源』『共感の時代へ』(以上、紀伊國屋書店)、『チンパンジーの政治学』(産經新聞出版)、『あなたのなかのサル』(早川書房)、『サルとすし職人』(原書房)、『利己的なサル、他人を思いやるサル』(草思社)ほかがある。

「2020年 『ママ、最後の抱擁――わたしたちに動物の情動がわかるのか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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