ジェンダーと脳――性別を超える脳の多様性

  • 紀伊國屋書店
3.60
  • (12)
  • (16)
  • (22)
  • (3)
  • (2)
本棚登録 : 593
感想 : 37
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784314011853

作品紹介・あらすじ

【性差はある。だが女脳/男脳は存在しない。】
30分間、ストレスを受けたからといって、あなたの生殖器が女性から男性へ、男性から女性へと変わることはありえない。だが、このありえないことが脳の神経細胞では起こりうる。脳はホルモン、ストレス、薬物、環境などあらゆる影響を受けて驚くほど柔軟に変化する。脳に見つかる男女間の平均的な性差は、現れてはまた消える。だから、脳には性別はないのだ。人の脳は、一人ひとり異なっており、様々な特徴の入り混じる《モザイク》になっている。

【女/男という二分法にとらわれているかぎり、人間の複雑性は理解できない。】
話を聞かない人が攻撃的とは限らないし、地図の読めない人が優しいとも限らない。

画期的な「脳モザイク論」で脳の性差をめぐる議論に一石を投じた気鋭の神経科学者が、すべての人をジェンダー・バイアスから解放するすべを提案する。人間の脳や心の多様性を鮮やかに示すサイエンス読み物。9か国で刊行が決定している注目の書。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 「男脳・女脳」というテーマにうんざり…性別を超える“脳の多様性”を解き明かす | 文春オンライン
    https://bunshun.jp/articles/-/49704

    ジェンダー問題の理解はまだ道半ば | レビュー | Book Bang -ブックバン-
    https://www.bookbang.jp/review/article/723198

    ジェンダ-と脳 / ジョエル,ダフナ〈Joel,Daphna〉/ヴィハンスキ,ルバ【著】〈Vikhanski,Luba〉/鍛原 多惠子【訳】 - 紀伊國屋書店ウェブストア|オンライン書店|本、雑誌の通販、電子書籍ストア
    https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784314011853

  • 『人はみな、「女性的な」特徴と「男性的な」特徴のパッチワークなのだ。 』

    この本では、男らしさ、女らしさというものは存在せず、例えば男の人に向いている仕事なんてものはない、ということを科学的に説明していく。

    200ページと読みやすい文量で、内容も簡潔であるが、いかんせん1980円は高く感じる。(紀伊國屋書店はいつも強気な価格設定な気がする。しかしなぜか買ってしまう。)

    レビューを書いている自分自身、「男らしくないなぁ」と言われたことは何度かあるが、たいして考えてこなかった。ただ、よくよく考えてみると、確かに「男らしさ」とは何かということに対して、輪郭を掴みづらいのは事実であるし、それは「差別的な考え方」に繋がりかねない。

    男脳、女脳という考え方は、わかりやすく、また部分的には当たっているという点で、今後とも変わらずあり続けるだろう。

    ただ、「男らしい」「女らしい」と口にする前に一度、「らしさ」という、自分の偏見を見つめ直してみる必要がありそうだ。

  • 著者らは、いわゆる「男脳」「女脳」はない、いや、より正確には、それぞれの指標で、平均値を取ると男性に特徴的な形質、女性に特徴的な形質の差異を見つけることができるけれども、ある一人の人間が「一貫して全ての特徴を有した男性」であるなどということは非常にまれである、というデータに気が付きました。つまり、個々人の脳はモザイク状になっているというのです。
    これは、機械学習において、「特徴量ベクトル」を選ぶのに似ていて、ある人の個々の性質を0-1の数値で表した数字の列ひとまとまりがその人のFingerprintになるということを考えると、よくイメージできます。
    男脳女脳は、各研究者が、「男が能力的に優位である」という一般常識に合致するようなデータのみを選択したバイアスのかかったデータであり、メタ解析を用いると、それらの性差は見られない、あるいはシチュエーションによる限定的な効果であるとみなされる場合がある、という選択バイアスの問題としてクリアカットに指摘されています。非常に面白いです。

    ところで、わたしはこの前半のデータ部分を読み終わって★5をつけるつもりでしたが、後半フェミニズム的な、実例を交えたパートに入って雲行きの怪しさを感じ、評価を下げました。
    筆者の前半の主張によれば、性器が男性女性、あるいは間性であったとしても、またその結果として見た目が男性女性的であったとしても、そこから脳が男性的か女性的かの判断は出来ないし、すべきではないと、解釈されるはずです。また、その結果として、男性は暴力的でセックスについて考えていて主張的であるべき、女性はおしとやかで謙虚であるべき、あるのだろうといった固定概念を持つことはすべきではないと主張します。それは個々の人々には適用できません。しかし、著者は夜道で女性とすれ違う際にプレッシャーを与えないようにゲイ・アイコンである歌を歌うようになった男子学生のエピソードを肯定的に紹介しています。この女子学生からすれば、向かってきたのが、男の見た目をしていたからといって、それを野獣だと決めつける根拠はないはずです。したがって、その観点にたてば、実際に痴漢さえしなければ、男子学生は夜道で女性とすれ違うときも堂々としていればよろしいということになります。この実例の教訓めいたパートは、前半のサイエンス的な主張を弱めるだけでなく、本書で紹介されている数々の論文は男女の脳の差がないことをいうために恣意的に選ばれたバイアスのかかった参考文献なのではという疑念を抱かせることにも繋がり、良くないのではないでしょうか(前半は素晴らしい内容でそんなことはないのですが)。

    しかし、女性が夜道を歩いていて、男性とすれ違うときは怖いものです。当然引き起こるべき警戒心であると思われます。これを否定されるのでしょうか??いや、むしろこのような例が示すことは、ある状況においては「ジェンダーバイアス」が女性にとって身を守るための道具として機能しているということではないのか、そして、人間がバイアスを持つ事の副作用として、社会的な地位の差を生むことに繋がっているのではないかと思えます。

    このような議論をクリアにするには、バイアスを数字で評価するよりない(統計学にはバイアスという式の定義があります)ような気もしますが、わたし自身はまだ答えを探し中です。

  • 日頃私が考えてるのと近いと言える内容だったのですらすら読めた。
    (気になった点がないわけではないのでそれは後述)

    私が日頃考えてるのに近かった内容は、脳の可塑性とか、
    「平均したら男女差あるけど個々人で比較したら必ずしも差が見られるとは限らない」
    とか
    「筋肉量やテストステロン量も生後のジェンダーによる扱いの違いの経験を反映するよ」
    とか
    「男女どちらに多い特徴をどのくらい持った脳の人かは生殖器からは予測できないし同性でも自分と似たパターンかどうかはわからない、組み合わせが異性で似る場合もある」
    とか
    「性別のみを根拠に薬の量を変えるのもおかしい」
    とか。

    「ジェンダーフリー教育」の章はTERFジェンダー学者は心して読め、という気分。

    後半のジェンダーバイアスの記述は『WORK DESIGN(ワークデザイン):行動経済学でジェンダー格差を克服する』 イリス・ボネット
    https://booklog.jp/item/1/4757123590
    と被るかな。

    気になるのは以下の点。

    「ジェンダーがない世界」=「生殖器による分類が意味をなさない世界」で、ノンバイナリーのジェンダーアイデンティティは肯定しているものの、バイナリーなジェンダーアイデンティティのトランス女性やトランス男性の人々を尊重する文章が一つも見当たらないのは指摘したい。

    「ジェンダーのない世界では、性のカテゴリーそのものが重要性を失う。社会的な意義がないのであれば、ある人の生殖器の形態は重要ではない。これは非定型の生殖器を持つ人にとって朗報だし、そうした子を持つ親にとってはとくにそうだろう。子どもに手術を受けさせるプレッシャーがなくなるからだ。」
    と書く一方で
    「またある女性に恋心を抱いたとして、その人が男性の生殖器を持つとわかったら、最初に女性にのみ惹かれると思ったのが間違っていただけだ。」
    と書くのは理解に苦しむ。


    ↓これも意味がわからない。原文を読みたい。

    「ジェンダーがなくなっても、女性と男性はやはり生物学的に異なるので行動も異なるだろうというものがある。私はそれを問題だとは思わない。それどころか、生物学的な理由によって女性と男性の行動が違うと思うなら、同じことを達成するのにジェンダーにもとづくあらゆる慣習を導入する理由はまったくないと思う。」


    (私の認識はこれ↓

    「脳に男女どちらに多い特徴を持つかは、ついてる生殖器からはわからない」
    「ヒトはジェンダーアイデンティティを持つ」
    「ジェンダーは今のところ男女のバイナリーである」
    はどれも成立する。

    (脳の神経科学的な事実、ヒトの認知心理学的な事実、人間社会の事実)

    この先は価値判断。)

  • かなり前に読んだ『地図を読めない〜』でインプットされてしまっていた『らしさ』が生物学的なものに由来するという情報が更新されました
    そのときに理解したいように読んでしまうのかもしれないけれど、自分の中にできた『当たり前』でやらかさないように情報に触れて考えることは大事だなと

  • 本来ジェンダーに基づかない差異(例えば立場や役割)を、ジェンダーに紐づけることで誤解が広まるし、その人らしさは男性らしさ/女性らしさへ収斂させられる。
    男性/女性にバイナリーに分けることは、その本質を見落とすということ。
    (身長が高いor低い、筋肉量が多いor少ない、権力を握っているor従属的な立場にある)

    男性的な特徴と女性的な特徴のモザイクで人は存在する。→「男らしさ」「女らしさ」にも同様のことが言え、男性に多い特徴のみで構成される男性は稀で、かつ環境や年齢により絶えず変化しうる。

    ジェンダーバイナリーという二分法によって私たち全員が傷ついているのだから、ジェンダーという枠組みを排除するべきだ。

  • 脳は生殖器と異なり、モザイクである。様々な構造において、女性に多い・男性に多いという平均的な差異があっても、一人の人間で見ると両方が混在しており、個人間の変動は性差を超える。ジェンダーによる男女の類型は、お互いの可能性を摘む。バイアスに気付こう。

    サブタイトルが全てを語る。前半は自然科学的、後半は社会科学的に書かれていました。

  • 17世紀以降、平等主義の下、男が女より優位な証拠を、精巣の有無や脳のサイズ、身体に対する脳の比率など身体差にこじつけて求めていた。
    しかし、脳はモザイク状のもので、らしさを全て持つ脳など極めてまれで、男らしさと女らしさの両方の性質を併せ持つことが多い。
    脳はきわめて柔軟で、一生を通じて変化し、ラットではストレスの有無などか極めて簡単に変化する。すなわち、性差は本当に生物的性差によるのかジェンダーによるのかわからない。そもそも、性差の原因を求めるよりも、そのような特性を見つけた時に、特別な支援を行うようにするべきである。
    ジェンダーバイナリーは乳児期から洗脳を始め、二分化を全員に強いることは、トランスジェンダーはもちろん、モザイク状の特性を持つシスジェンダー(身体と心の性が一致する人)すらも束縛する。
    性別以外の身体的特徴を普段から使うことはめったにない(青い目の友達など)のに、なぜ男(性の生殖器を持つ)友達などは良く言われるのか?

  • 脳に性差はない、様々なモザイクがあるだけ。
    それにしても、実に様々なジェンダーバイアスを無意識に持っているか、と気づかされる。それが社会生活をスムーズにしている、と思い込んでいる面もある。

  • 1月新着
    東京大学医学図書館の所蔵情報
    http://opac.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/opac/opac_link/bibid/2003578418

全37件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

【著者】ダフナ・ジョエル(Daphna Joel)│イスラエルの神経科学者(Ph.D.)。テルアビブ大学で神経科学・心理学を教えている。人間と動物の行動の脳メカニズムが専門。本書が初の著書。

「2021年 『ジェンダーと脳――性別を超える脳の多様性』 で使われていた紹介文から引用しています。」

ダフナ・ジョエルの作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
アンドリュー・ス...
朝井 リョウ
マシュー・サイド
ジェシー・ベリン...
ミヒャエル・エン...
エーリッヒ・フロ...
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×