- Amazon.co.jp ・本 (257ページ)
- / ISBN・EAN: 9784326199181
作品紹介・あらすじ
20世紀の歴史の哲学を主導した「歴史の物語論」。その限界を確定し、見落とされてきた歴史の構造を浮き彫りにすることで、新たな歴史の哲学を素描する。
感想・レビュー・書評
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因果論、そして「歴史の物語論」を超えて提唱するのは、複雑系。でもどうも、複雑系で歴史を説明するのは、釈然としない気がする。貫は「重要なのは、複雑系の特性と歴史システムのもつ構造との具体的な対応関係を確かめる」(p178)と言っているが、本書でそれはできているのか。
あと、貫が構造的把握の事例、物語論を超えた事例としているブローデルは、本当に「物語論」ではないのか。「物語論」がその射程に収めているは、対象を個人とするような出来事史だけなのか。「物語論」は、いかに対象を認識できるかという、人間の認識論的な問題を提示しているのであって、史料解釈のような言語論的な認識のレベルだけにとどまっていないのではないか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
歴史の物語論を概観したうえで、その限界を見定めるとともに、連続的な物語に還元されない歴史叙述の可能性を、アナール派の歴史学やフーコーの考古学のうちに見届けようとする本書の基本的な主張は、以下の一節に端的に表われていよう。「物語的歴史叙述の一は、複雑系的歴史システムのうちに画定可能だが、逆に、複雑系的歴史システムを物語的歴史叙述に回収することはできない」。その複雑系的なシステムのうちには、無数の断絶と葛藤があり、その現在は過去との緊張のうちにあるというのである。このように、19世紀に国民国家形成期に端を発する物語的歴史叙述自体を歴史化したうえで、歴史の場を過去と緊張関係にある現在とする方向性は示唆的であるが、この歴史の場を「複雑系的システム」として俯瞰してしまうのには疑問が残る。歴史を問題とする自分自身の現在から、もう少し微視的に歴史が語り出される時空間を捉えるべきではないだろうか。何節かのエピグラフにパスカルの言葉が引かれているにもかかわらず、言わば歴史を自然化する「複雑系」という言い方が持ち出されることで、歴史が再び幾何学の精神から語られているような気がしてならない。