「カラマーゾフの兄弟」続編を空想する (光文社新書 319)

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  • 光文社
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  • Amazon.co.jp ・本 (277ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334034207

作品紹介・あらすじ

未完に終わった大長編の新訳から浮かび上がった驚くべき「続編」の可能性。ドストエフスキー最晩年の思想がいま、蘇る。

感想・レビュー・書評

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  • 19世紀のロシアを代表する作家ドストエフスキ-(1821-1881)が『カラマ-ゾフの兄弟』の完成からわずか3ヶ月足らずして他界 ▷1880年の末、首都サンクトペテルブルクでの噂「続編では、アリョ-シャが皇帝暗殺の考えに憑りつかれるそうだ」 ▷アンナ夫人の証言「単行本刊行後、二年ほど休息し<第二の小説>に取り掛かる心づもりでした」 ▷著者の「序文」によると「第一の小説」は「13年前の出来事」であり、「13年後の出来事」は「第二の小説」で扱われることに ▷翻訳者の亀山郁夫氏が「未完の小説」の続編を再現する。

  •  「カラマーゾフ」の続編を書くためには、
    ☆ドストエフスキーの時代の社会主義イデオロギーと、☆ロシア正教の地域セクト、
    2つに関する深い理解がなくてはならないようです。そうなると、もう現代日本人には無理なような気がします。

     本書の最初の方で、亀山先生が続編へのヒントをまとめてくださってます。それを参考に、続編を空想して楽しむことは別に構わないのではないかとも思います。

      亀山先生は、「ぼくの考えたカラマーゾフ兄弟続編」のパターンを二つもあげられていて、サービス満点です。

     しかし、どちらも骨法が「週刊少年ジャンプ」みたいに明快で、ドストエフスキーっぽくはないなとも思いました。小説家ではないから仕方がないですけれど。

     逆に、ドストエフスキーは、没になったネタでも、ちゃんと骨法がドストエフスキーしている。というかそれ以外書けないのかもしれないです。

     以下は、私が思ったことをだだっとまとめておきます。どなたかの参考になりましたら。

    感想;
    ★たぶんイワンは復活しない。
    第一部ではイワンとゾシマ長老が、アリョーシャの心を奪いあう。私の考えではこの二人は第一部でその役割を終え、退場する。
    (リーザさんは14歳という設定だけど、この時代のロシアで14歳は妊娠可能か? もし可能なら、リーザの子の父としての設定が残る。けど難しい気もする)

    マルケル→ゾシマ長老→アリョーシャ

    イワン→アリョーシャ→コーリャ???

    ★リーザ・ホフラコワさんは鞭身派の聖母。
    (江川卓『謎解きカラマーゾフの兄弟』より)

    ;他のセクトの聖母
    ニーノチカさん(この人については盲点だった!)
    (未確認ですが)グルジアの亜使徒光照者 ニノ
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E3%83%8B%E3%83%8E

    マリヤ・コンドラチェブナ(スメルジャコフと同居)
    →去勢派の聖母

    あたりが、アリョーシャを自派に取り込もうと争奪戦を開始(彼は新しいキリストに最も適した人材だから)

     アリョーシャはグルーシェニカのところに逃げ込む。
    たぶん彼女は宗教的にはフリー。けれども別の意味でアリョーシャにとっては最大の敵。

    ★p122の図をどう生かすか?!
    アリョーシャ(20) コーリャ(14)
       ↓↑     ×   ↓
      リーザ(14)    ニーノチカ(20)



    ★リーザちゃんはお金持ちの娘のくせになぜ自虐的なのか? 
    ここに謎が潜んでいる。
    分離派は商才にたけた人が多いみたいだけど……。

    『悪霊』のマリヤ・チモフェーヴナ・レビャートキナ
    『罪と罰』のリザヴェータ・イワーノヴナ

    ★グルーシェニカ、ドミートリーの使いどころ。

    ★アリョーシャは結局のところ、何がしたいのか?
    1,新セクト(いわゆる大地に接吻派)設立
    これはありうる。
    2,新セクトと政治的理念の関係
    ーこのへんは素人には容喙できない。

  • 読書会に向けての参考資料となるかと考えて、図書館より借りてみた。しかし、あまりにも酷い内容で驚いた。記述の大半が論拠希薄な空想・妄想のオンパレードである。またキリスト教への下品な偏見も散見される。本書で展開されている自説を補強するために原文改竄したのかと疑いたくなるような珍訳・奇訳まで散見される。「カラマーゾフの兄弟」の内容理解を深める助けには全くならなかった。

  • 古本

  •  光文社はこれまでの出版業からして二流出版社の印象だったが、古典新訳文庫は画期的な企画であったし、なかでも『カラマーゾフの兄弟』は大いに話題となった。ドストエフスキーにも『カラマーゾフの兄弟』にもお座なりな関心しかなかった私が、この機会にと読み出したわけだが、第3巻の途中で他の本を読み始めてどこに置いたかわからなくなってしまった。2年ほどの放置ののちようやく発見し、一気に読了した勢いでこの本まで読んだ。『カラマーゾフの兄弟』を読んだら是非あわせて読んで欲しいと思う一書である。

     『フョードル・カラマーゾフ殺人事件』としての『カラマーゾフの兄弟』は何とも俗っぽい話で、第3巻後半のミーチャが事件を巻き起こす下りは、てんかんを病む作家のイントラフェストゥム的喧噪がよく出ていたが、正直、下らない男の下らない話である。背景に仕掛けられた、神の存在・不在といったテーマもいまやそう琴線に響くものでもない。
     ところが第5巻では、ドストエフスキーの生涯と全体の解題がたっぷりあるので、『カラマーゾフの兄弟』に続く第2の小説の存在、そしてそれが皇帝暗殺を一つのテーマとするだろうという話から『カラマーゾフの兄弟』が逆照射されることで、めくるめくほど深みを増すことがわかった。私にはそれはソヴィエトのスターリニズムに続く絶望的な社会の有り様、さらには現代のテロルにも通ずるものとして、にわかにドストエフスキーが同時代人となった様に感じられたのだ。『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する、という題名を付けた著者は「空想」と謙遜しているわけだが、ドストエフスキー自身の序文、同時代の証言、『カラマーゾフの兄弟』中の伏線と思われる箇所などを資料とし、しっかりと根拠を追っているので、空想どころではなく、続編を推理するミステリーの趣がある。
     『カラマーゾフの兄弟』と同じ四部+エピローグという鋳型に収められた続編の亀山版シノプシスは私には恐ろしく説得力があるものに感じられた。亀山氏には、定年退職してからで結構なので、続編を贋作していただきたいと思ったほどである。(『新カラマーゾフの兄弟』がその期待にこたえるものになっているかどうか、私はまだ知らない。)

  • 第2のカラマーゾフの兄弟の前に、カラマーゾフの兄弟を読んでいない人間はついていくのが大変だった。
    読む順番を間違えた。
    だけど、確かな論拠をもとに続編を予測したのはすごいし、まだカラマーゾフの兄弟を読んでいない人間にも、物語は様々な複線を帯びていて、壮大なことになっていることが伝わった。
    さて、まずはカラマーゾフの兄弟を読もう。

  • 亀山郁夫氏は、信憑性のある資料や証言から、幻の続編となった「第二の小説」を以下のように提示している。


    第一の小説に登場した人物の13年間が描かれる。
    コーリャが革命結社を組織し、アリョーシャも深く関わる。
    アリョーシャはリーザと離れ、グルーシェニカへ接近する。
    皇帝暗殺計画が失敗に終わり、首謀者であるコーリャは逮捕される。


    ちなみに、著者は実際にカラマーゾフの兄弟の翻訳に携わる中で、以前と続編に対する解釈を変えている。その中心はアリョーシャが皇帝暗殺の首謀者になり得るかどうかである。

  • なぜ父は殺されるのか?
    それは復活のために。

    アリョーシャ実行犯説は聞いたときからピンと来なかった。
    モチーフである父殺しの反復といえど、ガリラヤのカナで目覚めたアリョーシャが皇帝を、というかキリストを象徴的にでも殺すということがピンと来なかった。


    で、本書。読む前は、イワンが無意識にスメルジャコフをそそのかしてフョードルを殺しミーチャが巻き添えをくらったように、アリョーシャが無意識にコーリャをそそのかして皇帝を殺しイワンが巻き添えをくらうのかな、なんて思ってたけど、ガチョウの下りを読んでたときにはたとひらめく。

    コーリャがバカをそそのかしてエサに夢中なガチョウの首をはねたように、アリョーシャがトロイをそそのかしてテロに夢中なコーリャの首をはねるんじゃないだろうか。
    だからカルタショフはトロイのエピソードを割り当てられたんだよ(木馬だけに)。な、なんだってー!?

    とまあ、この思いつき自体には大した意味はない。このひらめきがもたらした意味は内容じゃなく、第二の小説は父殺しを反復する物語ではなく、父殺しを踏みとどまる物語なんじゃないかという考え。

    そう考えるなら散々いわれてる検閲も問題ない。そして最後まで読んでるうちにその考えが、冒頭にでてきた言葉にまで発展した。
    なぜ第一の小説で父は殺されなければならなかったのか?
    自伝的要素のため?古来から用いられてきたモチーフだから?キリスト教を否定するため?
    否。それは復活のため。新たなキリストとしてアリョーシャが、ロシアのキリストとして、神の人アレクセイとして提示されるために。

    な、なんだってー!?


    とまあ、本文とは全然ちがう読み方をして楽しんでいた。ミステリーで謎解きが楽しいよね、って感覚がいまいちわからなかったけど、これは確かに楽しいもんがある。
    本文の推理は非常にスマート。さまざまな伏線、構造、自伝的要素までをも巧みに回収して、第二の小説のプロットを提示する。
    確かにコーリャはガチョウの断頭台よりは、ミーチャの誤審を反復する方が強いわなー。さらにシベリアなんて裏ドラつき。そしてカラマーゾフシチナや無言のキスまで回収する鮮やかさ。


    しかし、まあ、冒頭の考えは捨ててない。
    新たなキリストというよりは、神の人アレクセイのように、その死後有名になるパターンだから序文じゃ無名だったんじゃないかなって具合に、いまだにあーだこーだと空想してる。
    そういった意味でこの偉大すぎる小説が、より偉大な第二の小説の前振りでしかなかったという事実は、そしてその第二の小説が書かれなかったという事実は、人類の莫大な損失ではあるけれど、測りきれない恩恵でもあるよねっつー。
    ま、恩恵たるには今後数百年かかるだろうけど、そのおこぼれとして、こういった楽しみ方ができるんだから、それはそれでありあり。フェルマーの最終定理的な、もしかしたら素人でも人類を悩ませてきた偉大な謎を解くことができるかもしれない、っていう20年くらい前の空気にも近い。
    本書はそんな謎解きの世界に読者を誘ってくれる。豊潤で汲み尽くせない謎がそこには待っている。偉大な、偉大な小説家が残した謎が。

  • 2024/2/12購入

  • 亀山氏の予想と自分の考えに近いものがあり、正直うれしかった。

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著者プロフィール

名古屋外国語大学 学長。ロシア文学・文化論。著書に『甦るフレーブニコフ』、『磔のロシア—スターリンと芸術家たち』(大佛次郎賞)、『ドストエフスキー 父殺しの文学』『熱狂とユーフォリア』『謎とき『悪霊』』『ショスタコーヴィチ 引き裂かれた栄光』ほか。翻訳では、ドストエフスキーの五大長編(『罪と罰』『白痴』『悪霊』『未成年』『カラマーゾフの兄弟』)ほか、プラトーノフ『土台穴』など。なお、2015年には自身初となる小説『新カラマーゾフの兄弟』を刊行した。

「2023年 『愛、もしくは別れの夜に』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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