もうダマされないための「科学」講義 (光文社新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334036447

作品紹介・あらすじ

科学とはなにか?科学と科学でないものの間は?科学不信はなぜ生まれるのか?科学を報じるメディアの問題とは?科学を上手に使うには?-学校が教えてくれない科学的な考え方を、稀代の論客たちが講義形式でわかりやすく解説。3・11以降の科学に対するモヤモヤがきれいになくなる一冊。

感想・レビュー・書評

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  •  疑似科学を批判する書籍は多い。この本も例外なく、ゲーム脳、マイナスイオン、水からの伝言、ゲルマニウム・ブレスレットなどの疑似科学に気持ちいい批判を浴びせている。また、マスコミの科学に関する無知による報道の歪みや、「学」と「民」の科学コミュニケーションのあり方、3,11以降の情報リテラシーなどにも触れている。
     だが、薄っぺらな科学原理主義とは一線を画す。環境や社会に関する複雑な問題を解決するには、あえて科学以外の「知」も用いたほうが効率的だという主張が印象的だった。場合によっては、哲学や文学などの「非科学」も有効なのだ。注意すべきは、「非科学」なのに「科学」を装う「疑似科学」だ。これは欺瞞以外の何物でもない。
     まして「科学が万能でない」ことを理由に「科学は信用できない」と理論をすり替えるのは、カルトか、金儲け主義か、思考停止のいずれかである。

  • 科学とニセ科学とか、メディアの報道とか、「理系じゃないもん」っていう人こそ読むべき。

    わかりやすい、だけを求めるのは、危険。
    実は、ゼロかイチか、で割り切れないのが、科学。

    大きく考えれば、情報リテラシーの話だと思います。どんな情報を信じるのか、どういう風に情報を信じるのか。

  • シノドス主催イベントの文字起こし…なのかな?
    身の回りの「科学」との付き合い方、科学を通しての行政や政治との付き合い方、などなど。
    科学だから正しい、ではない。批判的に見る目、考える心を。

  •  菊池誠、松永和紀ほか著『もうダマされないための「科学」講義』(光文社新書/798円)読了。

     5人の論客(菊池誠、伊勢田哲治、平川秀幸、片瀬久美子、松永和紀)が各1章を受け持ち、科学リテラシー向上のための「講義」をくり広げるオムニバス。『現代社会を多角的に検討する「知」の交流スペース』である「シノドス」が行った連続セミナーがベースになっている。

     私は、少し前に読んで感銘を受けた『メディア・バイアス』の著者・松永和紀(サイエンス・ライター)が加わっていることから購入した。
     松永氏は本書で「報道はどのように科学を歪めるのか」という章を担当している。つまり『メディア・バイアス』の延長線上にあるテーマで、期待を裏切らぬ素晴らしい内容になっている。

     ほかの4章も、それぞれ一読の価値がある。「科学とはなにか? 科学と科学でないものの間は? 科学を上手に使うには?」(帯の惹句)を考えるうえで有益な、中味の濃い一冊だ。

     ただ、伊勢田哲治による「科学の拡大と科学哲学の使い道」と、平川秀幸による「3・11以降の科学技術コミュニケーションの課題」は、中心となっている「モード2科学」とか「トランスサイエンス・コミュニケーション」といった概念そのものが私にはよくわからなくて、やや難解だった。

  • 伊勢田哲治の、「モード2科学」について。世界の解明ではなく、問題解決が主な目的。従来の科学が重視していたCUDOS(Communalism, Unibersalism, Disinterestedness[利益の超越], Organized Skepticism) よりも問題解決の効率を重視する。
    モード2科学としての保全生態学。ローカルな知の活用。活用している側が科学的思考をしていることが、健全な科学であるために必要であり、その点で疑似科学と区別できる。

  •  震災後,政府不信とともに科学不信が蔓延していて,その結果いかにも胡散臭い情報に引っかかって騙される人が増えているようだ。その処方箋。
     今回の原発などの問題は,科学自体の信頼性を損なうものではなく,科学が用いる方法論の有効性は,微塵も揺らいでいない。科学が有用であり,科学なしに現代社会の存続はありえないということは明らかなのに,従来の科学を忌避して損をするのはもったいない。
     第一章は,ニセ科学の批判をずっと続けている物理学者の菊池教授が執筆。ニセ科学とは,科学でないのに科学を装って一般の人を騙す言説だ。血液型性格診断,マイナスイオン,『水からの伝言』,ホメオパシー,ゲーム脳等。巧妙な宣伝で信奉者を獲得している。
     実は科学を非科学からどう峻別するかという「線引問題」には決着がついていない。でもだからといって極端な相対主義に走ると,「科学とそうでないものの区別など存在しない」となってしまって意味がない。ここでは「多くの科学者が科学と思うものが科学」という認識で話がすすむ。
     科学とは,「再現性のある客観性的事実」で,メカニズムが未解明なだけではニセ科学とは言えない。ここでは「客観的」というのがポイントで,主観的な経験を短絡的に事実と結びつけるやり方はもちろん科学でない。超伝導のように,現象の確認が先にあって,あとから理論的説明が付いてくることも多い。
     ただ,科学的に考えにくい出来事でも「自分は経験した」という人は存在する。そういう個人的体験を全否定することは間違い,と菊池教授は言う。個人的経験はその人にとっては本物。ただそれと科学とを別に考えてもらえるようにするのは,なかなか難しいんだろうな。
     第二章は,科学哲学者の伊勢田哲二准教授。線引問題に詳しく,以前読んだ「疑似科学と科学の哲学」はとてもよかった。この著書を含め,科学哲学が従来取り扱ってきたのは,物理や天文学,生物学,化学などの事実解明的な科学。それをモード1科学と呼ぶ。
     モード1科学を支える価値観は,CUDOSと言われるそう。共有主義,普遍主義,利害の超越,組織的懐疑主義。発見を共有し,えこひいきや利害を排除して,研究内容のみを鵜呑みにせず吟味して評価するという態度。これが重要なのだが,モード1に属しない科学でこれを徹底しようとすると不都合が。
     モード1に属しないモード2科学とは,「応用の文脈における知」を指す。この場合,超領域的な状態が避けられない。すなわち産学連携のように,モード1科学的な価値観に属している以外の人たちも関わってくるので,CUDOSに忠実であることより問題解決が優先されてくる。
     モード2科学では,「今は証明不十分でも問題解決につながるから使う」という姿勢が擬似科学と共通してくる。モード1,2の科学,擬似科学の間の関係はグラデーションで,はっきりとした境界はないが,明らかに科学の範疇に入るものと,明らかに擬似科学であるものの区別をつけることはできる。
     それは「信用できる方法論があるのに、それを使わないようなもの」が擬似科学,という分類法。代替医療なんかも,信頼できる検証方法である二重盲検法で効果が見いだせないのに効果を主張する。有用な伝統的知識が発見され,広く利用されることがあるが,取り入れる側の態度が科学的であることが大事。
     第三章は,松永和紀氏による「報道はどのように科学をゆがめるのか」。報道は注目してもらえなければ意味がない。そのため,人々に受け入れられやすいように問題を極度に単純化し,センセーショナルに恐怖を煽る傾向がある。科学者を登場させて「こういう説もある」と紹介すれば報道機関の責任は軽い。
     エコナ発癌性問題(定量的検証を欠いた議論),遺伝子組み換え(組み換えナタネとイヌガラシの交雑騒動)などの事例を通じて,警鐘報道がもたらす擬似科学の独り歩きを指摘。メディアは誤報を訂正しないので(訂正情報はニュースバリューがない),科学的に間違った認識が社会に残り続ける。
     第四章では,サイエンスコミュニケーションのありかたを問う。イギリスでは,BSE騒動の反省(信頼の危機)から科学コミュニケーションにおいて大きな方針転換があった。従来の「理解」重視から「対話」重視への転換だ。これを参考に考える。
     伝統的な科学コミュニケーションでは,一般市民の科学理解(PUS)といって,知識のある者からない者へという一方的発信が主流だった。「正しい理解を広めれば不安はなくなる」とする考え。しかし,これではうまくいかなかった。この状況はいまの日本と相通じるものがあるなぁ。
     科学への信頼を再構築するためには,科学者,政府,産業,市民の間の双方向的対話や,政策決定への参加を重視する「公共的関与」が必要になってくる。科学技術に関する意思決定を,誰がどうやって行なうのが良いのか,それも含めて議論していかなくてはならない。ただ,議論の前提として,一定のリテラシーはやはり求められるよね…。そこはやはり教育しかないのではという気がします。
     付録に,片瀬久美子氏の「放射性物質をめぐるあやしい情報と不安に付け込む人たち」も収録。マクロビ,EM菌,米のとぎ汁乳酸菌…。…怪しすぎです。シノドスジャーナルで一部が読めるので,未読の方はぜひ。

    • pokocyann_taroさん
      これは興味深い本ですね(^∇^)レビューありがとうございます
      これは興味深い本ですね(^∇^)レビューありがとうございます
      2011/11/15
    • polyhedronさん
      長文で失礼しました(^_^)。
      シノドスジャーナルで荻上さんの紹介文が読めますよ。本の各章扉にあるのと同じ内容みたいです。http://sy...
      長文で失礼しました(^_^)。
      シノドスジャーナルで荻上さんの紹介文が読めますよ。本の各章扉にあるのと同じ内容みたいです。http://synodos.livedoor.biz/archives/1835231.html
      2011/11/15
  • ●ニセ科学が批判される理由は、間違っているからだけではない。ニセ科学を選択すること自体がさまざまな社会的損失を招くためだ。
    ●創造論の代わりに「インテリジェントデザイン」と言う説。地球上のすべての生命は「ある進んだ知性」によって計画されたものである、それが科学的事実であると主張します。
    ●オウムと村井秀夫。科学教育が教えてきた科学的合理性が、いわば個人的体験に勝てなかったと言う事は言える。
    ●ゲーム脳。学説としては泡沫と呼ぶべきもの。しかし子供がゲームばかりして困っている親が飛びついた。やめさせるための科学的根拠が欲しかったからだ。
    ●ホメオパシーという無意味な代替医療
    ●天然だから安全とは限らない。

  • ニセ科学と科学的知識のコミュニケーション方法についての真面目な本

  • 【目次】1章 科学と科学ではないもの 菊池誠/2章 科学の拡大と科学哲学の使い道 伊勢田哲治/3章 報道はどのように科学をゆがめるのか 松永和紀/4章 3・11以降の科学技術コミュニケーションの課題 平川秀幸/付録 放射性物質をめぐるあやしい情報と不安に付け込む人たち 片瀬久美子

  • サイエンス
    メディア

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著者プロフィール

大阪大学サイバーメディセンター教授。1958年生まれ、青森県出身。東北大学大学院後期博士課程修了、理学博士。専門は物理学。ほかにSFとテルミンとプログレッシブ・ロック。著書に『信じぬ者は救われる』(かもがわ出版刊、香山リカと共著)、訳書に『ニックとグリマング』(ちくま書房刊、P.K.Dick)など。星座はレティクル座(どこにあるのか知らない)、血液型はZ型。座右の銘は「明日できることは今日するな」。

「2009年 『おかしな科学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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