人間不平等起源論 (光文社古典新訳文庫 Bル 1-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (414ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334751623

感想・レビュー・書評

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  • 訳者の中本元による詳細な解説が付いている。これは解説というよりは文の要約・あるいはレジュメのようなもので、ルソーの本文を豊富に引用しながら、現代風に分かりやすく再構成している。ルソーの原文も決して難解な文章ではないのだが、ところどころ迂遠な論理展開をしているところがあり、時々ルソーの意図を見失ってしまうことがあるため非常に役立った。
    Kindle版ではルソーの本文と、解説の引用フレーズが相互リンクされているため、少し引っかかる表現があればすぐにお互いを行き来できるのもよかった。

  • 社会契約論よりは読みやすい部類に入るでしょう。
    ただし、解説なしで読むのはかなりつらいので
    面倒くさくても、解説はきちんと読みましょう。

    そもそも私たちが人間としての
    人と協力し合う、という選択肢を選び始めてから
    不平等というものは生まれてしまったのです。
    だけれども、原初に戻る?と聞かれて
    私たちはイエスということはできないことでしょう。
    もう戻るには遅すぎます。

    そして、この本を読んでいて違和感を覚えるでしょう。
    これって、今の状態のままじゃないの。
    結局富めるものは強いまま、
    そうでないものは搾取されるまま。
    自由に生きることさえ、許されないわけで。

  • //5分の2ほど読了。途中放棄。
    私たちの使っている観念が、どれほど言葉を利用することに依拠しているかを考えていただきたい。文法が頭脳の働きをどれほど訓練し、容易にしているkを考えていただきたい。そして言語が最初に発明されるまでに、どれほどの長い時間と、想像できないほどの苦労が必要だったか、考えてみていただきたいのだ。これらの考察と、すでに指摘した点を考え併せてみれば、二減の精神の内に最初は単なる可能性として備わっていたものを段階的に発展させていくには、幾千もの世紀が必要だったことが分かるはずである。

  • 読んでから何日か内容について考えていたけど、平等が不平等をよび、格差が勘違いをうんだように考えられ、取り敢えずの区切り。

    続いて知ることについて考えてみた。知ることが様々なリスクをよぶことは誰だって知っている。だけど私がこの論文から得たのは知ることが知らないことに繋がるんだってこと。またはそれを考えてみるきっかけになったこと。何かを知るってことは何かを知らないってこと、それは心に似ているなと思った。対局するものが一緒にいることはないから。両方が存在することはないから。だけど、知ることは心と違って、たとえ理解はできなくとも両方を知ることはできる。そうすると許容と時間の関係になってくるのかな。うーん、難しい。

  •  生物、解剖、歴史、思想、哲学、教育etc...様々な学問的観点から不平等の起源を想像した作品。
     概念、個性、所有、資本、法、政治…文明と進化 これらの誕生と引き換えに人間は平等を失った。民衆同士でも、そして民衆と為政者でも。
     なんだろう… 思想家の書籍やSF古典などを読むと、現在とは消去法的な結果論ってだけで、正しさを確立証明されたわけではないんじゃないか?まさに甘受。とか考え始めてしまう。
     そして失敗した事もやり方の問題ってだけで、事そのものが全面的間違いではないのでは?とも考え初めてしまう。

  • 自然状態=最上の状態、社会性を持つようになったからこそ、人間は不平等になってしまったんだ、という内容。簡単に言うと。
    まあ掘り下げたりほかの知識があったりするといろいろもっと意味があるんだろうけど。
    2013年前期水曜5限の読書会の、課題図書(?)。

  • 自然状態の解釈に若干の古さはあるものの、やはり社会科学のもっとも基本的な文献の一冊としてあげたい。歴史学も考古学も、ここからはじめるというのもひとつのアプローチかもしれない。

  • 高校時代から気になってたルソーの人間不平等起源論をようやく読んだ。18世紀フランス革命前夜のジュネーブにおける市民社会への真摯な想いに感銘を受けた。自然科学の知見は当然古いが、その思考の過程と導き出した人間社会に関する結論は現代でも褪せてはいないように思う。

  • ルソーの意識は、マルクスと同様、今ここの社会の悲惨な現状がいかにして興ったのかを知ることにある。
    そのために、社会への成り立ちを、自然状態から説明する。

    ルソーは、現代が自己の外=他律的にしか自己の価値が定まらないという、吉本隆明が言うところの〈関係の絶対性〉を問題視するために、
    社会状態に移行する前の自然状態では、
    誰ともかかわりをもたない「孤独な生活者」として人間を描く。

    人に備わっているものは、次の3つ。
    自己改善能力、自由意志、憐みの情。
    だが、社会性のある生活ではないので、最後の項はほぼ潜伏している状態でしかない。

    そこから社会への移行は、天変地異が起らなければありえない、という事態になる。
    人類学的な知が進歩しはじめた18世紀ならではの、記述は面白いが、
    やはりそれでもロマンチックといわねばならない。
    ただ、こういった物事の想定は、寸部たがわず事実である必要はないので、
    こういったやり方しかできないことも確認しておくべきである。

    人とかかわりだした社会状態こそ、戦争や悪徳などの悲惨さを生んだ原因であると、ルソーは設定する。
    裏を返していうと、彼は人間の源型自身を救おうとしているのだ。

    さて、この論文は、主な目的は自然状態を描くことにあったから、
    〈社会契約〉の具体的記述は『社会契約論』を待たねばならないし、
    また関係の絶対性に関しての処方箋も出されていない。

    ただ分かるのは、自然状態に戻ればいいというのではないということ、
    大きな現代の悲惨さの隅に、一部、哲学や理性が残っていると言っていることから、
    この哲学や理性が如何にして、他律中心の社会から自律をちょうどいい場所まで回復させるのか、といったことが私たちに投げ返されているということだ。

  • 人間の欲望、嫉妬はどこから生まれ出るものなのか。

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