- Amazon.co.jp ・本 (429ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334779290
感想・レビュー・書評
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『望んで結婚し、子どもを授かり、嬉しいはずなのに…それなのに、私は、この子と離れるための場所を必死になって探しているのか。この子を預けてまで働くのか』。
あなたは、何のために、何を求めて働くのでしょうか?それは、人によって当然に異なります。生活していくため、お金を貯めて夢を叶えるため、そして仕事それ自体に生き甲斐を感じているため。どれもが正解であり、そこに間違いなどありはしません。
かつて”女性の社会進出”という言葉がさかんに語られました。それから長い時間が経ち、令和元年度の厚生労働省の調査によると労働力人口総数に占める女性の割合は44.4%へと上昇したと言います。そんな中で子育てと仕事の両立は多くの家庭にとって喫緊の課題となってもいます。しかし、この国には、保育施設への入所条件を満たしているにもかかわらず、入所することができないという『待機児童問題』の存在が叫ばれています。
そこに、『ホカツ』という言葉が生まれる余地が生じます。『まるで、婚活や就活みたいだな』とその苦労を知らない人に揶揄されもする『ホカツ』。『入りたくて区の窓口に通って泣いたりする人もいる』、『保育園に落ちた母親のブログが国会で取り上げられたりもした』という現実の一方で、相変わらず2021年4月時点でも5,634人もの『待機児童』が存在するという現実があります。
一方で、
『保育園は、親がどうしても見られないかわいそうな子が行くところでしょう?』
そんな認識を未だに持つ人の存在もあります。また、同じ『ホカツ』をする者同士といっても
『立場が同じだからといって助け合ったり、協力できるものではなくて、保活ではあくまで互いがライバルになってしまう』。
なんとも厳しい現実もあります。そんな中では、『ふっと、「私、何やってるんだろう」という気持ちに襲われた』という瞬間が訪れたとしてもおかしくはありません。
『この子を預けてまで働くのか』
そんな辛い思いと戦わざるを得ない人たちが陥る『「働くために保活する」のではなく、「保活のために保活する」という、矛盾した状況になってい』く厳しい現実。
しかし、そんな瞬間を乗り越えても、その先には『ママ友トラブル』、『お誕生会』、そして『お受験』とさまざまな事ごとが待ち受けてもいます。子供を育てていくということもなかなかに大変です。
さて、そんな子育てのあれこれな問題を痛烈な視点から取り上げた作品がここにあります。『自営業経営者の妻と、会社勤めの夫』という二人が二人の子どもを育てる日々を綴ったこの作品。『予期せぬトラブル』の数々に獅子奮闘する二人の行動と思いを具に綴ったこの作品。そしてそれは、『心配しなくても、子どもの成長が自分たちの不安を、時間と一緒になって、ちゃんと救ってくれた』という幸せな家族の未来をそこに見る物語です。
『春の決算期がひとまず落ち着いたお礼に』、クライアントから『銀座で中華料理をご馳走になっている』のは、主人公の鶴峰裕(つるみね ゆう)。会計事務所に勤める裕は、忙しかった年度末を思い出し『ビールの一杯でその労が報われていくよう』に感じます。そして『ああ、幸せだ』と思い『店を出たところで』『自分が保育園のお迎えを忘れていることに気づ』きました。『普段のお迎え時間は十八時十五分』、『延長保育をお願い』しても『十九時十五分まで』なのに『時間はもう、夜の十時すぎ』という状況に大慌てでタクシーに乗り込んだ裕。『年中さんの莉枝未(りえみ)と弟の琉大(りゅうだい)の顔を思い浮かべ』、『泣きそうにな』る裕。園に到着すると、琉大が『一番年配の嶋野先生に抱っこされ』ているのを見て謝る裕に何も怒らない先生は、琉大の顔を覗き込み『ねぇ。誕生日だったのに』と言いました。そんな瞬間、『夢が終わ』りました。そして、目覚めた裕が朝食の席で妻の志保に夢の話をすると、『何、そのオチ』と言われてしまいます。『今年三十五になる同い年の妻、志保とは、大学時代、同じサークルで知り合』ったという裕。そんな裕に『本当、感謝してるよ』と志保は言います。『子どものお迎えに行かなきゃっていう強迫観念』に駆られた夢は『見るなら母親の方でしょ?』と言う志保。『オーガニックコットンの専門ブランド”merci”』を『三十一歳で立ち上げ』『法人化して会社に』し、社長を務める志保に対して、友人が経営する小さな会計事務所で、『基本的には、所謂九時五時で勤務』する裕。お迎えを含め『必然的に裕が育児に関わる時間』が長くなったという鶴峰家。そんなある週末、『不倫の噂があるんだって』と志保が裕に切り出しました。保育園の『美來ちゃんママにそういう噂がある』と続ける志保は、同じ保育園ママに『その日なら、昼間は誰もいないから大丈夫。待ってるね』という美來ちゃんママからのメールが届いた話をします。理解出来なかった当該のママが返信すると『今の間違って送ったメールです』とわざわざ電話があったとのこと。『その日なら誰もいない』っていうメールを『一体、誰に送ろうとしたんだろう』というその話に、『で、根拠はそれだけ?』と裕が尋ねると『美來ちゃんが、「スガイさん」って呼んでる人がいる』と言う志保は、当該のママの苗字が『スギタ』のため送り先を違えた可能性があると続けます。『そんな噂話を、ママたちはみんな、いつの間にしてるわけ?本人に直接聞けばいいのに』と言う裕に、『それができないから、噂が一人歩きしちゃうんだよー』と返す志保。そんな”身近なミステリー”にほっこりとした真実が明らかになっていく最初の短編〈イケダン、見つけた?〉。主人公となる裕と志保の関係性含め、物語の冒頭を飾るに相応しい好編でした。
五つの短編が連作短編を構成するこの作品。四歳の莉枝未と弟で『もうすぐ二歳になる』琉大という二人の保育園児を抱えながら仕事に勤しむ『自営業経営者の妻と、会社勤めの夫』という志保と裕の四人家族に光を当てながら展開していきます。そんな物語が取り上げる内容は短編タイトルからハッキリと読み取れます。『ホカツの国』、『お受験の城』、そして『お誕生会の島』というそのタイトルから分かる通り、この作品は、育児に関して何かと話題になる事ごとを直球ど真ん中に読者の心へと投げ込んでいきます。そういう意味では、これから育児、現在育児真っ最中、そして育児を振り返る立場の方それぞれに何かしら興味を掻き立てる興味深い話題に満ち溢れています。
このレビューを読んでくださっている方の中にも『ホカツ』で散々な苦労をされた方もいらっしゃると思います。この作品からはそんな記憶を呼び覚ます表現が次から次へと飛び出します。では、上記した三つの短編で取り上げられる話題をそれぞれの短編から一つずつ、ご紹介します。
・〈ホカツの国〉: 『ホカツについて、話、聞かせてもらえない?』と相談を受けた裕と志保の関わりを描く中に、『今の”保活の国”の不健全さ』に大胆に切り込んでいく物語。
-『知らなかったけど、一歳から保育園に入るのって一番倍率高いらしいね』
→ 乗り越えられた方には周知の事実だと思いますが、『後になって知りました』という話もよく聞きます。その段でなんとかしようとしても『会社から、今、私の代わりに雇用している臨時社員の契約の関係で、それは無理だと言われてしまって』と短縮できない状況。その一方で育休は『三年間、認められてはいる』ものの『これまで任されてきた仕事も、一年休んだだけでどんどん後輩が引き継いでいく』ということへの焦りが『自分の経歴を守る意味でも長く休んではいられない』と延長もできない状況を作り出します。この辺りの逡巡の思いは、ウンウンと思われる方も多いと思います。
・〈お受験の城〉: 『噂には聞いてたけど、お受験ってそんなに大変なの?』という問いの先に『小学校受験に強かったりする名門の幼稚園』に子供を通わせるママたちの日常に斬り込む物語。
- 『幼児教室』に通った過去を持つ志保と、無縁に育った裕の対比
→ 『小さい頃からいい学校に入れることでその後苦労しないで済むなら』という『お受験』肯定派の意見はよく聞きます。大学までの過程の中で誰もがどこかで一度は試練にあうと考えると一見正論にも感じますが、もう一点、『良家の子どもたちが集まるだろうから、大人になって仕事をする時になって、幼稚園や小学校の頃からのそういう人脈が役に立つ』という視点、『昔の同級生たちとの人脈に助けられてる』という『実体験』に触れられるなどなかなかに興味深い物語です。『お受験』を扱った作品というと角田光代さん「森に眠る魚」でも何ともモヤモヤした思いに苛まれましたが、この作品では、『お受験』を冷めて見る視点が強いのが読後感に影響してくるように思いました。
・〈お誕生会の島〉: 『よかったら、お誕生会、いらっしゃいませんか?』という誘いの先に待つ、現代の『お誕生会』事情に斬り込んでいくビックリ!な物語。
- 『お誕生会』を開催するなら『仲間外れになるおうちが出ないよう全員を呼』ばなければならないという園の方針の先に何が起こるのか?
→ 『呼ばれた・呼ばれていないで仲間外れになる子が出てしまうのはよくない』というのは一見超正論です。しかし、『クラス全員』を呼ぶ必要がある『お誕生会』の場がどんなものになるか、『何百万もかかったりします』というまさかの、これは私的にはもう冗談としか思えない『お誕生会』の現実が語られていきます。当然に招待する側が意気込めば、プレゼントしなければならない側は『天体望遠鏡とか子ども用ミシン』と贈り物もエスカレートします。それが、『クラス全員』分、繰り返されていくという日常が当たり前という幼稚園の現実。他の話題が極めてリアルに描かれている分、この短編だけがファンタジーとは思えません。しかし、私にはこれがこの国のどこかで実際に行われているとはとても信じられません。辻村さん、これって本当のことなんですか?
以上三つの短編の内容を簡単に取り上げましたが、この作品は育児の紹介本ではありません。あの辻村深月さんのれっきとした小説です。そこには、育児に関する興味深い数々の出来事を挙げつつも、それを利用しながら短編内にさまざまな伏線が張られ、結末に鮮やかに回収されていくというスタイルが一貫していて、育児の現場にまつわる事ごとが”ミステリー”として描かれていきます。人が死んだり…といったことのない”身近なミステリー”の数々。この作品は間違いなく”白辻村”な作品です。辻村さんの作品は好きだけど”黒辻村”な作品はちょっと…という方にも安心な”身近なミステリー”を取り上げた作品ということでも是非お薦めしたいと思います。
そして、この作品の一番のポイントは、そんな育児の事ごとを全て夫である裕の視点で描いていくというところにあると思います。『自営業経営者の妻と、会社勤めの夫』という二人において、『基本的には、所謂九時五時で勤務』する裕は、『保育園のお迎えの悪夢を見るくらいに』育児に関わる時間が多くなります。この作品では、そんな『イクメン』としての裕の感情が前面に見える中に描かれていきます。保育園の送り迎えの主軸は今もってママ中心。そうなると、
『ママ友はやはり女子社会だ』
そんな現実にも直面する裕は、『女性陣の社交性に比べて、男の社交性のなさはおそらく彼女たちから見れば異常なほどだ』と肩身の狭い思いをしながらも『子育てという共通項があると、不思議とどうにかなる』と奮闘します。そんな裕たちのような核家族を『三つ葉や四つ葉』の『クローバー』に見たて、その『幸せを守る門番か騎士』としての役割を『クローバーナイト』と考える二人。そんな中に、
『頑張ってよ、裕はうちのクローバーナイトなんだから』。
この作品では、そんな風に言われて苦笑もする裕の視点を通じて、育児に関するさまざまな事ごとが男性視点を介して描かれていきます。そんな物語は、政府が幾ら音頭をとっても未だ女性の仕事という印象からなかなか抜け出せない『育児』について、男性が当事者視点で意識もできるように、分かりやすく、それでいて物語として非常に面白く描かれていたと思います。また、『二十世紀前半のアメリカの弁護士の言葉』としてこんな言葉が登場します。
『人生の前半は親に台無しにされ、後半は子どもに台無しにされる』
『自分の価値観を押しつけてくる親に潰される子ども』がいる一方で、『子どものために金も体力も時間も注いで振り回されて潰れる親もいる』という現実を指摘したというその言葉。なんとも今の世の中を辛辣に表現した言葉だと思いますが、なるほど、と思われる方も現実には多いのではないかと思います。この作品では、裕と志保の家族四人という『核家族』に巻き起こる物語が展開します。その一方で上記した言葉の意味を描くために、志保の父母も登場させるなど物語は、思った以上に多種多彩な内容をもって展開します。ここでも裕の父母でなく、志保の父母とするところがポイントです。全員が全員とはもちろん言いませんが、今の子育てにおいては、奥さんの実家近くに引っ越して…という声もよく聞きます。この作品でもより近い存在として志保の父母が登場すること、しかし視点はあくまで裕にあるため、”婿殿”の裕の立ち回りが必然としてそこに描かれることになります。そう、上記した通り、この作品は男性の育児への関わりを描く物語、そこから見えてくるものが何なのか、それを読者が見る物語なのだと改めて思いました。
『いろんな独自ルールや”常識”のはびこるママ友を中心とした文化に、男目線で入るからこそ気づけることがある』。
『ホカツ』、『お受験』、そして『お誕生会』といった『育児』の中に登場するキーワードの数々に主人公・裕が向き合っていく様を描くこの作品。そこには、男性主人公視点だからこそ描ける育児の現実がリアルに描かれていました。『お誕生会』を開くのに『何百万もかかったり』するというファンタジーとしか思えないまさかの描写含め、なかなかに興味深い話題てんこ盛りのこの作品。辻村さんらしく見事な伏線が各短編内だけでなく、五つの短編を貫くようにも張られるなど見事な物語構成が光る中に”身近なミステリー”も楽しめるこの作品。
育児に潜在する問題点をさまざまな視点から浮かび上がらせていく物語作りの上手さを感じさせる傑作だと思いました。 -
幼稚園や保育園という小さな社会の中で出来上がった偏った常識や他人との比較。そこに正解などないからこそ悩むし周囲に惑わされてしまう。
この物語の主人公は夫婦共働きで二人の保育園児の父親で、妻と同等に育児をしている男性である。
現代の子育て世代が抱える苦悩がリアルに描かれるが、なかなかセレブ層の人たちなので、お受験やお誕生会など、私には経験したことのないものだった。
それでも、子どもに対する愛情や心配、苦労させたくないと思ってしまう親心はわかるなぁ。
ふぅ…子育て中だからかな…。母親同士のやり取りがリアルすぎて、本当にありそうで、読んでいて少し疲れちゃった。
それだけ描写力がすごいということでもあるのよね。
生きていると価値観や考え方は変化していくものだが、自分の軸さえブレなければ、人生のなかで選択を迫られたとしても何とかなるはず。
その時その時で自分の考えをしっかりと持って、自分で選びとっていくことが大事だなぁと改めて思えた。 -
☆4
核家族の子育てを題材にした5編の日常ミステリー。
久しぶりに辻村さんの作品を手に取ってみました。
現在、子育ての真っ最中なので、共感出来る部分もたくさんあったのですが…保活やお受験の凄まじさにはかなり驚いてしまいました!(そこまでしないといけないのかと恐ろしかったです…)
子育て中のママだけでなく、パパにも是非とも読んでもらいたいなぁと思える作品です!
裕と志保の夫婦の絆は、とっても素敵でした❁⃘*.゚(憧れちゃいます♡) -
働き方改革?の元に、中高生になった子供達と過ごす時間が増えました。ただ試験期間で早帰りしてきた子供達は、当直明けてソファでゴロゴロしながらからんでくる父の姿に何を思うか…。主人公みたいに子育てで、活躍したいものです。
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ナイトは夜ではなく、騎士のこと。
身近なナゾを解明する鶴峯家のパパ:裕は、妻:志保と娘、息子の4人家族を守る騎士でもあるのだ。
子育ての日常を描いている。ママ友の付き合い、保育園活動、お受験、誕生会、家族。
辻村深月作品は、作者の経験した人生とともにあると思う。「実体験」という意味ではない。
子ども時代、思春期、青春期、恋愛至上の時期、結婚を考える時期、子どもを持つということ。
辻村氏の10年、20年後の作品へどんどん幅が広がると期待は膨らむ。
私は息子に、泥んこ遊びをさせるような幼稚園を選んだ、懐かしい記憶で読了。 -
日常の謎を解き明かす連作ミステリーで、辻村さん自身のリアルタイムの育活から想を得たと思しき作品。「朝が来る」に続いての親目線だが、本作ではイクメン視点。ママ社会や母娘関係の常識にとらわれない、パパ目線で子育てが描かれているところがポイント。ナイトは夜ではなく騎士。裕は著者理想の夫像のように思えた。自分のときとは大違い、答えのない育児問題については驚くことばかりで、色々考えさせられた。
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辻村深月のクローバーナイトを読みました。
裕と志保の夫婦そして四歳の莉枝未、二歳の琉大の四人家族の物語でした。
裕は小さな公認会計事務所に勤務、志保は子供用の肌着メーカーを立ち上げて三年目、忙しいながらも二人で子育てを続けています。
そんな二人が見聞きする保育園や幼稚園でのママ友トラブルがミステリー仕立てで語られていきます。
そして最後の短編では志保とその母親の葛藤が描かれています。
子育てもいろいろ大変だなあ、と思ったのでした。
読後感としては、裕と志保が魅力的な夫婦として描かれていてこころが暖かくなります。 -
私自身が子どもを産み育て始めた
タイミングで出会った本。
保活、お受験、両親との距離…。
これからの子育てを悩みつつ
楽しんでいこうと思える一冊だった。 -
2020/04/08読了
#辻村深月作品
子育てに奮闘する夫婦の話。
当事者の私にも共感できるところや
文字で表現し難い感情や感覚が
すごくうまく描かれている。
自分もこうありたいと思える
家族の絆を強く感じる良作。
いつも素晴らしいレビューをありがとうございます。
私は現代日本分学が大変苦手なので(自分が当事者のテーマであるほど同調...
いつも素晴らしいレビューをありがとうございます。
私は現代日本分学が大変苦手なので(自分が当事者のテーマであるほど同調やできなくてむしろ読んで辛い…)みなさんのレビューで、こんな本が出ていて、これが現代なんだな、と考えております。
>『人生の前半は親に台無しにされ、後半は子どもに台無しにされる』
現代日本では、なにか起こると「親が悪い」とか毒親だとか親ガチャだとか『人生の前半は親に台無しにされ、後半は子どもの人生を台無しにしている』と言われるような気がしてます…。
現代日本文学が大変苦手…うちの妻に似たようなことを言われました。自分の日常を思い返してしまって滅入るのでは読みた...
現代日本文学が大変苦手…うちの妻に似たようなことを言われました。自分の日常を思い返してしまって滅入るのでは読みたくない…と私が読んだ本を薦めても全く興味がないようです。
一方で私はこの前の「源氏物語」は例外ですが、現代の女性作家さんの現代の作品ばかり読んでいます。ただ、そんな私も一つ絶対的な思いがありまして、
悪い人が出てくる作品は読みたくない!
というのがあります。ブクログのレビューには、逆に”善人しか出てこなくてつまらない”というレビューをそれなりに見かけるのですが、私は真逆です。理由は、淳水堂さんのお考えの延長ではないか、と思えるところにあります。それは、現実社会で、特に会社に行くと、もう人との対峙で辟易することばかりだからです。なので、小説まで、そんな人たちを連想させる登場人物には絶対に会いたくないと思っています。なので、私が一番好きな小説世界は村山早紀さんのファンタジーの世界です。そんな村山さんはこんな風におっしゃいます。
“世の中には、不幸なことや悲しいことがあまりにも多すぎるので、物語の中だけでも、世界が平和で幸せになり、誰も泣かない時代が来ればいいなあ、と無意識のうちに願っている”
私はそんな物語世界をこよなく愛します。
一方で、この辻村さんの作品は、育児の現実を赤裸々に書く一方で救いがありました。それぞれの短編の結末を読んで育児が嫌になる方はいないかな、と思いました。
引用いただいた一文は20世紀前半のアメリカの弁護士が言った言葉のようです。
『The first half of our lives is ruined by our parents and the second half by our children』.
原文は上記のようです。
辻村さんは、それを登場人物の言葉を使って、
『親も子どもも、互いに迷惑をかけあいながらどっちもどっちでやってくしかないってことなんだろうな』と当該場面をまとめられています。
そして、その先の結論では、
『考えようによっては、このままでは親に台無しにされる、と思うからこそ子どもは親から自立したいと願うようになるのかもしれない』。
という気づきを経て、この言葉を、
『最初に聞いた時にはネガティブな印象しかなかったけれど、実はポジティブな格言なのかもしれない』。
と主人公を前向きな考えにもっていく起点ともされています。この点、私のレビューが舌足らずですみません。
生きづらい世の中とも言われる昨今ですが、過去のどんな時代でも、その時代その時代を生きた人たちにはそれぞれの悩みがなり、それでも生きてバトンを繋いでくださってきたんだろうな、と思います。
ということで、これもレビューに触れれば良かったですが、私はこの辻村さんの作品は、辻村さんから
育児パパ&ママへのエール
だと思いました。
淳水堂さんにコメントをいただいて、改めて気になっていた箇所を読み返す機会をいただきました。まだまだ読みおよびレビューが甘いな、と感じた次第です。
いつもありがとうございます!淳水堂さんとは、それなりに長いフォロー、フォロワーをさせていただいている間柄ですのでとても嬉しいです。