一心同体だった

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  • 光文社
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  • Amazon.co.jp ・本 (376ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334914677

感想・レビュー・書評

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  • 山内マリコさんの作品は初めて読みました。
    1990年に10歳だった女の子たちの2020年までの30年間のリレー形式の女性二人ペアの物語です。

    私は彼女たちより年上なので時代背景はちょっと違うのですが共通しているなあと思うところがたくさんありました。

    3「写ルンですとプリクラの青春1998年18歳」では、中学時代は女友達がいなくて男子と話す方が気楽だった青柳めぐみが女子高に進み、中学時代より何より流行中の女子高生として、カラオケとプリクラ、写ルンですで、とても楽しく過ごしたというのはわかりました。
    私が高校の頃は、プリクラはありませんでしたが、私も女子高で、男子学生はいませんでしたが、今、思うと本当の友だちができた一番の時期だったと思います。

    その後もペアは入れ替わりますが
    4「白いワンピース殺人事件2000年20歳」は、私も北島遥と同様、大学では映画研究会で(私は監督ではなく、シナリオを書きたかっただけなのですが、ついでに監督もやりました)青臭い映画を撮るところは同じなので、なんか、この作品、怖いと思いました(半分笑えましたが)。

    6「あなたは三十歳になる2010年30歳」では筒井麗子が正社員で入った会社を辞め、フリーターになり、ヨガを始めて、ヨガインストラクターになるというのも、その頃、私もヨガインストラクターなんて考えもしませんが、ヨガに通っていたので、みんな辿る道なのかと思い、なんか見られているようで怖かったです。

    続きの、バリキャリの話やママ友の話もその辺は私とは違うのですが、よく聞く話で上手く作品になっていたと思います。

    この作品は女性蔑視に対する批判の物語だと思いました。
    私は仕事などで苦労はあまりしていない方だと思いますが、替わりに、若い頃、重い病気に罹りました。

  • 十歳から四十歳までの全八話。
    それぞれの年代の女子の友情が、ロンド形式でつながっていく連作短編集。

    1990年 10歳の女の子たちの友情が、なぜかいちばん身近に感じた。
    それは、体育で二人一組になるとき、自分から相手を選ぶ子と、だれかから選ばれるのを待つ子がいます。
    わたしは選ばれるのを待つ子です。
    自分もそうだったのかもなぁ…と遠い昔を思い出した。
    中学では、誰と誰が気まずいらしいとか、誰と誰が最近仲良しだとかいった人間関係の些細な変化に、みんなとても敏感だった。
    そういえば、まず男子と会話することってなかったなあと。

    その時々の時代も振り返りながら女たちの友情って、ずっと存在するのか?なんて考えながら働きだしてから、結婚してから、状況に応じてくるくると変化していってるなぁと思った。

    会話とつぶやきの中で「気が合わない友達と無理して仲良くする必要はないの。ただ、人にはちょうどいい距離ってもんがあるから。相手とちょうど仲良くできる距離でつきあうの。」

    これが私にもちょうど良い。





  • おもしろかった
    グイグイ引き込まれた

    いろいろな年代の女子の話
    章ごとに主人公が変わってく
    前作に登場するが次で主役はバトンタッチ

    これは、自分のことか?って思った
    自分じゃないけど、こんな人いたなとか
    いろいろ思い出した

    女子の世界は、こーなんだよ!
    っ言いたい

  • 友情とは、フェミニズムとは何かを考えさせられた。
    自分とは少し世代が違うけど、幼い頃に恋愛成就のおまじないをしたり、恋愛一辺倒の時期があったり、ずっと同じ友人と関われるわけではなかったり。
    女性特有の共感できる部分だろうな〜と思うことが盛りだくさんだった。
    ただ女性の方が学力が伸びる時期が早い気もするし、思春期は男性も生産性がないことに時間を割くことも多い気がするし、最後の章のフェミニズムに関するところは全面的に共感!というわけではなかったが、男女ともに型にはまるのを良しとした子育てはしたくはないなと感じた。

    章ごとに主人公がかわるが全員同年代という構成で、バックボーンは説明があったけどその後どうなったんだろう、と思う人も多かった。
    北島とかその後どうなったんだろう。
    ただ気にはなるがモヤモヤするわけではなく、色々と想像が膨らむ読後感だった。

  • 一心同体だった | お知らせ | 大阪芸術大学
    https://www.osaka-geidai.ac.jp/whatsnew/publication_issindoutai

    映画業界の性暴力・性加害の撲滅を求めて | 山内マリコ×柚木麻子インタビュー - 映画ナタリー
    https://natalie.mu/eiga/column/478154

    Michelle Kingdom(@michelle.kingdom) • Instagram写真と動画
    https://www.instagram.com/p/B_swW1QHino/

    一心同体だった 山内マリコ | フィクション、文芸 | 光文社
    https://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334914677

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      阿佐ヶ谷姉妹の地味おもしろ同居エッセイも! 注目の“女バディもの” | ananニュース – マガジンハウス
      https://ananweb...
      阿佐ヶ谷姉妹の地味おもしろ同居エッセイも! 注目の“女バディもの” | ananニュース – マガジンハウス
      https://ananweb.jp/news/429106/
      2022/07/22
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      【今週はこれを読め! エンタメ編】女子たちのつながりを描く連作短編集〜山内マリコ『一心同体だった』 - 松井ゆかり|WEB本の雑誌
      htt...
      【今週はこれを読め! エンタメ編】女子たちのつながりを描く連作短編集〜山内マリコ『一心同体だった』 - 松井ゆかり|WEB本の雑誌
      https://www.webdoku.jp/newshz/matsui/2022/07/27/191934.html
      2022/07/28
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      <書く人>「女性の友情」を全肯定 『一心同体だった』 作家・山内マリコさん :東京新聞 TOKYO Web
      https://www.toky...
      <書く人>「女性の友情」を全肯定 『一心同体だった』 作家・山内マリコさん :東京新聞 TOKYO Web
      https://www.tokyo-np.co.jp/article/194230?rct=book
      2022/08/08
  • 1990年(10歳)から2020年(40歳)まで…ロンド形式で綴られる女の友情。
    山内さんが描く女子あるあるが今回もまたリアルすぎて、否応なしに記憶の扉を開けられるというか、かさぶたを剥がされるというか。小~中学のエピソードまでは、こりゃ一気読みはしんどいなと思っていた。
    でも、間を置きながら読んじゃうと、ロンド形式の面白さはしっかり味わえない気がして。というか、途中からはかさぶた剥がされる痛みよりストーリーの面白さが勝って、夢中になって読んだ。
    若さゆえの妬み嫉み、つまらない意地で疎遠になったあの頃の友達。苦々しいジェンダーバイアス、当時はうまく言語化できなかったモヤモヤの理由が今ハッキリする。おまじないとかサブカルとか、当時の世相を反映させた小ネタも満載で、懐かしさと恥ずかしさがごっちゃに…というのも、ストーリーを追いながら、自分の軌跡を辿っているようで。そしてその時々の、交流のあった人達を思い出す。
    最終章の語りは圧巻。引用したい言葉で溢れている。そして構成の見事さよ!痺れるわ~!!
    読みながら、己のやらかしやしくじりを登場人物のエピソードに重ねてしまいのたうち回るけど…それでも、その都度誰かに寄り添ってもらっていたことのありがたさが身に沁みる。あのときもこのときも、今も。

  • 女性ファッション誌「CLASSY.」で2019〜2020年に連載されていた作品を、加筆修正して出版した小説。
    「CLASSY.」は30代向けファッション誌だが、この小説は30代後半から40代前半くらいの女性をターゲットに書かれた作品ではないかと感じた。

    というのもこの作品は10歳〜40歳の女性を主人公にした連作短編集で、最初の主人公・千紗は1990年当時10歳の設定だからだ。
    以降、主人公は変わるものの、1994年は14歳の主人公、1990年は18歳の主人公…というように、どの年代に置いても主人公は1980年生まれの女性と決まっている。
    また主人公のバトンを受け取るのは、その前の作品で脇役だった女性である。

    1990年、1994年…というふうに、そのお話の時間軸がしっかりしているため、当時の世情やその年代の女性が置かれている環境、その年齢ならではの悩みなどが書き込まれ、アラフォーなわたしはまさにその世代ドンピシャなためとても懐かしかった。
    ミサンガ(懐かしすぎ!)、おまじない、写ルンです、カラオケ(は、今でもあるけど)、プリクラ、ルームシェア、学生時代、独身、ケッコン・結婚式、育児…
    そして、普遍だとおもっていた友情が数年経つだけで変化してしまう生々しさ。

    悪気はないのだけれど、でもその時々で置かれている個々の状況によって、普遍だとおもいたかった友情の質も、少しずつ変化していく。
    ときには不条理な世間からの圧力に、辛辣な言葉を言い放つ。
    そうでもしていないと、こんな狭くて生きにくい現実のなかを、女性たちは生きていけないからだ。

    このお話はアラフォー世代にとって懐かしさやその当時やその年代の経ての今の“生き”苦しさを思い出させてくれる小説である。
    それは逆に言えば、アラフォー世代でないとなかなか共感しにくい物語、ということかもしれない。

    最後のお話で友だちになった女性の名前に、「そう繋がるのか」と驚く。
    話が進めば進むほど、今まさにアラフォーなわたしに、物語が迫ってくるような感じがした。
    物語は2020年40歳で止まっているが、この先はどうなるのだろう…?
    できれば1段階上の年代雑誌へと連載誌を変えて、その続きを読んでみたいな…とおもった。

  • ロンド(主人公の友人が次のお話の主人公となる)形式で、日本の女の子たちの1990年10歳~2020年40歳までを追った短篇集。「一心同体」というタイトルから、長く濃く続く友情を想像していたのだけれど、そうじゃなかった。そばにいた時間は短くても、環境やキャラが違っても、同じ時代を生きる大切な存在との連帯のあり方を逆説的に表現する言葉だったんだ。『あのこは貴族』もそうだったけど、山内さんのこのシスターフッドのとらえ方が私にはすごくしっくりくる。
    最初のお話を読み始めてすぐ、去年読んでいまいちハマれなかったヴァージニア・ウルフの『波』、もしかしたらあの小説が届けようとしていたのはこんな声だったのかも、と今更腑に落ちるような感覚に包まれる。その後も、日記、二人称(あなた)への語りかけ(このスタイル、ちょっと舞城の『淵の王』みたいで好きだった!)、ツイッターの投稿などスタイルを変えつつ、非常に解像度&完成度の高い、身に覚えがあって胸がギュッとなるようなお話が続く。平成の30年史でもあるわけで、「ユニクロのフリース」とか「スタバ」の登場のタイミングとかも絶妙で、個人的には「ここでヨガ来たか~!!」っていうのが一番ツボだった。大学の映画研究会の話は、昨今の映画界の問題とも男社会の問題ともつながっていて、そこから突き抜ける瞬間の「もしこれが、映画ならね。」という一文が最高。
    私はここに描かれる女の子たちより10歳年上だから、同じカルチャーを通過しつつその時の年齢は違う、このズレもまた楽しかった(就職などで楽してしまった後ろめたさはありつつも)。山内さんは同世代や若い女性を応援する気持ちで書いたのかもしれないけど、上の世代の私が読んでも、忘れてたけど心の隅に溜まってた思いを成仏させたり、未来にちょっとだけ希望が持てたり、自分のこれまでと改めて向き合えたからお礼を言いたい。ただ、最後のお話で、カフェで夫の愚痴を言い合う年上世代の女性たちの描き方がちょっと寂しかったかな。「おばちゃんたち」として括られ、「20年後の私たちの姿」、幻滅の対象みたいに描かれるけど、彼女たちも、次の世代にリレーしようと男社会で踏ん張った先人の女性たちといっとき「一心同体」だったはずで、名前も思いもある存在なんだよね。でもまあ、私も20代OLの頃は10歳上の先輩たちを陰で「オバ」って呼んでたし、そんなもんだよな…。2030年50歳のお話が書き足されるとしたら読んでみたいな。
    ともあれ、山内さんが執筆に4年をかけ、「自分のベストと胸を張れる作品」とおっしゃるのも納得の、大切に丁寧に紡がれた、ほんとに素敵な短篇集だった!装丁もうっとりするほど素敵なのです。

  • 1990年、私も10歳だった。

    「女の子たち 1990年 10歳」
    「アイラブユー、フォーエバー 1994年 14歳」
    「写ルンですとプリクラの青春 1998年 18歳」
    特に最初の3つのこの話は懐かしさとヒリヒリとする感覚で胸がいっぱいになった。
    子供の頃や10代の頃は、今とは時間の流れ方や濃度が全く違うように思う。

    読み終わって改めてタイトルを見て、あの頃一心同体だった女の子たちのことを思い、温かくて切ない気持ちになった。

  • 山内マリコさんのこれまでの全ての本を読んだというわけではないし、有名作数作を読んだだけなんだけど、この本は「山内マリコの半生の棚卸し」とも言える内容なのでは。
    コロナスランプを経て、久しぶりの本らしいです。それがこれ、傑作。

    一心同体だったのは誰と誰?
    それは、読者である私と、この小説の登場人物達です。

    小学生から、40歳子持ち主婦になるまでの、女の半生。
    昭和50年代生まれ、現在40の私にとって、この本は「これは私?あの子?なんで私のことが書いてあるの?」と思うような記述に溢れてた。
    私も、小学生の時から、誰かへの妬みや羨望の入り混じった自分の嫌な部分を自覚してました。
    高校は女子校で最高の青春をエンジョイして、大学ではチャラいサークルに入ってる子を軽薄だと心の中で軽蔑しながら、私は特別で私の世界は私にしかわからない私の分身のような友達が欲しいとか思っていたよ。
    そして20代後半頃からは一般化していく自分。
    そういう自分のことを、「こじらせ」とか可愛い言葉で片付けられないくらい嫌悪する気持ちもありながら、でも私は誰からも理解されない存在だ、と思っていた。
    この本読んで、共感するとともに、あの頃の私って、小説に出てくるほど大衆的な、どこにでもいる存在だったんだなぁ…と。
    これは別に強がりではなく、この本を40で読めて良かったよ。10代や20代前半で読んでたらダメージでかかっただろうけど、今なら自分は特別でもない性格も良くないふつーの人だと理解してるから、昔話として読むことができたもの。
    どこにでもいる大衆的な、でも自分は特別だと思いたい女達の頭の中にあること、全部棚卸して本にしてくれてありがとう。

    「頭の中にあるときは、全て傑作」という言葉があります。頭の中で考えているときは「これは傑作、私すげー」と思っても、実際文章や形にすると大したことない…ということがほとんどなわけです。
    多くの人が考えたことあるようなこと、多くの人の思い出の中にあること(うちのタマ知りませんか?私も大好きだった。でも私の裁縫道具箱は、ケンケンチキチキレースでした。小学生の時から可愛い系のものを遠ざけようとする自意識に支配されていた…。)を言語化してロンド形式の連作小説にして、しかも傑作に仕上げるなんて、山内マリコさん天晴。

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著者プロフィール

山内マリコ(やまうち・まりこ):1980年富山県生まれ。大阪芸術大学映像学科卒。2008年「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞し、12年『ここは退屈迎えに来て』でデビュー。主な著書に、『アズミ・ハルコは行方不明』『あのこは貴族』『選んだ孤独はよい孤独』『一心同体だった』『すべてのことはメッセージ小説ユーミン』などがある。『買い物とわたし お伊勢丹より愛をこめて』『山内マリコの美術館はひとりで行く派展』『The Young Women’s Handbook~女の子、どう生きる?~』など、エッセイも多く執筆。

「2024年 『結婚とわたし』 で使われていた紹介文から引用しています。」

山内マリコの作品

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